永遠(とわ)の夢  10






 眠たそうな顔を隠しもせずに、はっきりと顔に不機嫌とかいてあるイザークを前方に認め、アスランは眉を寄せた。
 時刻はすでに夜中の一時を過ぎている。
 いつもならイザークが就寝している時間帯だということを考えれば、眠たそうな顔もあって、無理矢理起こされたことは容易に想像がついた。
 そして、なぜイザークが起こされたのかということも。
「イザークも呼ばれたのか?」
 協会最高会の名前で呼び出しを受けたのは、つい先刻のこと。
 滅多なことでは最高会は動かない。
 近頃は一連の事件のせいで多忙を極めているらしく、周囲は騒然としていたが、呼び出しを受けることはなかった。
 最高会の名前で呼び出しを受けたことも驚きだが、呼び出しを受けたのが自分1人だけではないということに、アスランは眉間に皺を寄せる。
 自分1人だけではなく、イザークも最高会によって呼び出しを受けたということは、厄介ごとが舞い込んだということだ。
 それがどんなものなのかは分からないが、嫌な予感しかしない。
「俺だけじゃない。ディアッカも呼び出しを受けた」
「ディアッカは?」
「俺を叩き起こした後、さっさと1人で向かった」
「なら、もう到着しているか」
 いつの間にか最高会室に到着していた2人は顔を見合わせる。
 長い付き合いのせいか、ディアッカよりは劣るが、イザークとの呼吸は妙に合う。
 一歩下がり、場所を譲ったイザークに肩を竦めつつ入室許可を貰ったアスランは、最高会室へと足を踏み入れた。
 過去幾度となく最高会室に入ったことのあるアスランにとって、そこは見慣れた光景であるはずだった。
「……ミーア、どうしてここに」
 この場には不釣り合いなミーアの存在に、先に最高会室にいたディアッカに、イザークが視線でどういうことか問いかけるが、ディアッカは肩を竦めるだけだった。
「聞きたいことがあったのよ」
 3人の疑問を解決したのは、最高会で唯一ダンピールであるタリア・グラディスだった。
「聞きたいこと……?」
「まずは座りなさい。話はそれからよ」
 促されるがまま、ディアッカが座る3人掛けのソファーへと2人は腰掛ける。
 2人が座ったのを確認したタリアは、トンッと軽く目の前のテーブルを叩いた。
「――姉さまの…?」
 突然それは現れた。
 テーブルの上に現れたコウモリに、驚く者は誰1人としていなかった。
 体長は大人の掌サイズぐらいのコウモリは、姿形こそ普通のコウモリだが、普通のコウモリとは違い、僅かに魔力を感じられる。
 魔力を感じるのは、闇の眷属である証。
 そして、コウモリを始めとする魔力が微量しか感じられない闇の眷属は、使役獣と呼ばれていた。
 使役獣と呼ばれるコウモリたち小動物は、闇の眷属の末端に位置する。
 末端とはいえ、闇の眷属でありながら使役獣と呼ばれるのは、彼らに自らの力だけで人間から血を奪うことができないからだった。
 血がなければ、例え末端といえど、闇の眷属は生きられない。
 だからこそ使役獣として吸血鬼たちに付き従うことで、主と仰ぐ人物から血を分けて貰い、彼らは生きてきた。
 時には伝書鳩のように相手との連絡手段として多く使われている使役獣は、一見どこにでもいる使役獣と変わりはない。
 一体誰から使わされた使役獣かと三人が疑問に思った時、ミーアは信じられないと呟いた。
「やはり、クライン家の使役獣なのね」
 クライン家と、その名にイザークは慌てる。
「どういうことです!なぜ、クライン家の使役獣がここに?」
 クライン家の使役獣ということは、彼が伝えに来たその言葉はクライン家現当主――つまりは、ミーアの姉であるラクス・クラインの言葉だということになる。
 なぜ今、クライン家現当主が己の使役獣を長年敵対関係にある協会に使わしたのか。
 その理由は、ある意味予想していたものだった。
「簡単に言ってしまえば、一時休戦及び共同戦線のお誘いよ」
「一時休戦に、共同戦線……?」
 イザークは呆然と呟く。
 タリアとクライン家の使役獣を抜かす、最高会室に居合わせた全員が驚愕した今回の提案は、衝撃的なものだった。
 驚愕している部下たちを眺め、タリアは複雑そうな表情を浮かべる。
 タリアとて、始めてその話をクライン家の使役獣から聞かされた時、あまりの衝撃に、言葉の意味を正確に理解するのに暫く時間がかかったほどだ。
 そしてそれは、この場にはいない2名の最高会メンバーと、今回主であるクライン家当主から伝令を預かった使役獣とて同様だった。
 それほどまでに、今回クライン家が提案してきたものは協会及び闇の眷属双方の長い歴史を遡っても、事例がないものだった。
 そう、敵対している双方が理由はどうであれ、手を取り合う。
 例え天地がひっくり返ろうともあり得ないと誰もが考えていたことだっただけに、戸惑いの方が大きい。
「つまり、一連の事件の犯人を捕獲、殺害するまで、手を組もうという申し入れということになるわ」
「それを協会は受け入れるおつもりですか?」
「断るわ、と言いたいところだけど、あなた達の答え次第では受け入れることを最高会は決めたわ」
 ダンピールであるタリアにとって、闇の眷属を一時的とはいえ、仲間として受け入れることは苦痛でしかないだろう。
 引退したとはいえ、長いこと同胞たちを裏切り、狩ってきただけに、その苦痛は誰よりも強いはずだ。
 それでもアスランたちの答え次第では、クライン家の案を受け入れると告げたのは、30名いたはずのダンピールのハンターが、アスラン以外の全員が一連の犯人によって殺されたからだった。
「失礼ですが、マルク殿とクリス殿は?」
 この場にはいない、残る最高会メンバーの所在を尋ねれば、意外な答えが返ってきた。
「寝ているわ。あの2人も、寄る年波には勝てないという事ね」
 人間である最高会メンバー2名は、実年齢見た目共80代近い。
 ハンターとして名を馳せたこともあったが、それは過去の話。
 タリアの言葉通り、寄る年波に勝てない2人は、夜遅くまで起きていることができずにいた。
 ダンピールであるアスランやミーア、タリアにとって夜こそが尤も力を発揮できるが、イザークとディアッカはそうではない。
 昼間はほとんど活動できないアスランたちよりも大分マシだとはいえ、夜中に起こされて機嫌が良いわけがない。
 自分たちは夜中に無理矢理に近い形で叩き起こされたのに対し、叩き起こした張本人とも言える3人いる最高会メンバーの内2名は寝ている。
 そう聞かされて、ただでさえイザークとディアッカの機嫌は良くなかったというのに、さらに機嫌が悪くなった。
「それで、あなた達の返事は?」
「もしも俺たちが一時的とはいえ、彼らと手を組むことを拒めばどうなりますか?」
「包囲網作戦が取れない以上、犯人によって誰かが殺されるわね。闇の眷属はもちろん、ハンターも、一般人も奴にとっては餌でしかないのだから」
 被害は何も闇の眷属と協会だけに及んでいるわけではない。
 闇の眷属を知らない一般市民にさえも、被害が及んでいた。
 流石に1人2人程度ならどうにでもなるが、被害者が2桁に登ったのを境に、協会は事件を隠匿するのではなく、情報操作に切り替えた。
 大量殺人事件として世間では取り扱っているが、それが長期間続けば、世間は大量殺人事件をどう取るか。
 協会の情報操作とて、完璧ではない。
 長期間に渡り事態を収拾できなければ、世間に闇の眷属の存在が知れ渡る可能性とてある。
 何より、一般市民への現段階の被害状況に、アスランたちを始めとするハンターたちは心を痛めていた。
「……条件があります」
「何かしら?」
「話し合いは協会で。それ以外の場所については、私を含めたハンターは協力できないものだとお考え頂いて結構です」
 協会において全ての決定権を握るのは最高会だ。
 だが、ハンターを束ねる役目を負っているのは現在はイザークであり、ハンターたちは1人残らずイザークの決定に従う。
 例えそれが、最高会の決定と逆であったとしても。
 それを誰よりも最高会メンバーは理解していた。
 かつてハンターだったからこそ。
「アスランとディアッカもそれで異存はないわね?」
「はい」
 頷くアスランとディアッカに、タリアは沈黙を守り続けている使役獣へと視線を向ける。
「そういうわけよ。こちらが今の段階で出す条件は1つ。話し合いは協会で。それ以外については、同じ席に着いた時に話し合うことになるわね」
 昼間なら問題は少ないとはいえ、闇の眷属は太陽が空にある限り、外には出られない。
 そうなれば話し合いは自ずと夜に限定され、一連の犯人に狙って下さいと言っているものだ。
 ただでさえハンターの数が少ない今、迂闊に話し合いのためとはいえ、狙われる可能性が高い夜に使者を派遣する危険をイザークは冒したくないと考えていた。
 それはタリアやアスランたちも同じであり、だからこそイザークが出した条件に異存などなかった。
「そのお言葉、この命に代えましても、我が主と我らが王にお伝えします」
「………我らが王?」
 思わず聞き逃しそうになった使役獣の言葉に、その場に居合わせた誰もが驚愕する。
 闇の眷属が王と呼ぶ存在は、ただ1人しかいない。
 そのたった1人を、協会が創立される前から誰もが探し続けてきた。

 闇の眷属を統べる、唯一絶対の王・吸血王――。

 多くの闇の眷属がその顔を知らない、謎のベールに包まれた存在。
「まさか、吸血王も……?」
「今回の件は我らが王の決定によるものです。例え公爵の爵位を頂戴しているとはいえ、我が主の独断行動は許されてはおりません」
「では、話し合いの席に吸血王が来ると、あなたはそう言うの?」
「我らが王は、もとよりそのおつもりです」
 誰もが息を呑んだ。
 協会が創立されるよりも前から、誰もが探し続けてきた存在に相見える日が来る。
 それも、近い中に。
「……吸血王が話し合いに出席するのは分かった。だが、出席した吸血王が、本物の吸血王かどうか、俺たちに確認する術はあるのか?」
 誰もが見たことのない吸血王。
 闇の眷属がその存在を隠したいと思っていれば、影武者を立てることなど容易だ。
 なにせ協会側で吸血王の顔を知っている者など誰1人としていないのだから。
「それならば、あなたの血にお尋ねなさい。あなたもまた、我らと同じ闇の眷属。我らが王を前にして、膝を屈せずにはいられない」
「……血が?」
「唯一にして、絶対の孤独の王こそが、我ら闇の眷属を統べるお方。そして、我ら闇の眷属は1人残らず、彼の方の子。ですから、血が教えてくれましょう」
 血が全ての闇の眷属。
 その根源は闇の眷属を統べる吸血王だとされているが、真意は確かめられたことはない。
 全てが噂。
 吸血王もまた噂だけの存在で、実在していないのではないかと囁かれたことがあるが、確かめる術などなく、いまだ謎に包まれている。
 そう、闇の眷属たちもまた、真実を知る者は誰もいない。
 口を噤む者たち以外は――。
「孤独の王……?」
 使役獣の言葉は全てが引っかかる。
 唯一も、絶対も、その言葉は正しい。
 だが、孤独。
 その単語に、アスランは引っかかりを覚えた。
「あの方は孤独です。闇の眷属を統べる者でありながら、あの方は闇の眷属であって、闇の眷属ではないのだから」
「闇の眷属であって闇の眷属ではない……?」
「それは、どういう意味だ?」
 闇の眷属を統べる、唯一絶対の王・吸血王。
 吸血王こそが、闇の眷属の象徴でもある。
 その象徴たる吸血王が闇の眷属ではない。
 どういう意図があるのかは分からないが、アスランたちは真意をはかりかねていた。
「それはいずれ、あなた方のその目で確かめる日が来ましょう」
 闇の眷属を唯一統べることができる吸血王。
 だが、その姿を見たことがある闇の眷属はいないとされてきた。
 吸血王の言葉はいつも、クライン家の当主によって闇の眷属に伝えられ、表舞台に立つことなど過去一度もなかった。
 その闇の眷属が、表に出ると。
 長い、長い年月をかけて協会が探し続けてきた吸血王が姿を現す日が近いことを、この時ようやく、アスランたちは実感し始めていた。






next