永遠(とわ)の夢  9






 最初の犠牲者、ハイネが殺されてから1週間。
 その間に協会が抱えていたハンターが半数近くまで減った。
 最初の2日間に殺害された者は、32名。
 残り5日間に殺害された者は、15名。
 1週間で計47名ものハンターが殺害されたが、その内ダンピールは29名にも及ぶ。
 大打撃を受けた協会は、ハイネが殺された日から数えて2日目の夜に、協会敷地内に建てられた寮に住む者たち全員に、最高会の名前で夜間外出を禁じた。
 3日目、外に住む者たち全員に寮に移り住むことを命じ、4日目には日中の外出を許可制にした。
 それにより被害は日々減ってはいるが、決してゼロにはならない。
 ハイネが亡くなった5月29日からちょうど1週間後の6月5日、誰もが外出を躊躇う中、メイリンは外出許可を得た上で、街へと繰り出していた。
「――嘘、もうこんな時間!?」
 街で買い物をしていたメイリンは、何気なく壁にかかっている時計を見て、自分が今いる場所を忘れて、思わず大声を出した。
 外出許可を出す際の条件の1つとして、門限があった。
 門限は日が沈む一時間前と定められており、もし門限までに帰宅できなかった場合は、翌日から一連の犯人が捕まるまで、外出は一切禁止される。
 現在時計が指し示している時刻は、門限の30分前。
 今いる店から急いで協会に戻ったとしたら、何とか間に合う時間だった。
 急いで店を出ようとしたメイリンだったが、今自分が抱えているものに気づき、思い止まった。
 あえて今日を選んで外出許可を申請したのは、全ては今日新発売されたバッグを手に入れたいがためだった。
 今日この時を逃せば、2度と手に入れることはできないだろう。
 腕の中にあるバッグを購入することなく店を出るなどという選択ができるはずがなく、メイリンは時間を気にしながらも列ができているレジへと並んだ。
 ようやくメイリンが店を出ることができたのは、レジに並んでから5分後のことだった。
 すでにどんな手段を使おうと門限までに帰る方法はなかったが、それでもメイリンは一縷の望みをかけて駆けだす。
 巧みに人を避けながら走りながら、メイリンは左腕にしている腕時計を確認する。
 ギリギリ門限に間に合うかどうか分からない電車が1本だけある。
 このまま速度を落とすことがなければ、飛び降り乗車になってしまうが、何とか乗ることができるだろう。
 もしも電車に乗ることができたとしても、門限に間に合うかは分からない。
 それでも希望を捨てるよりかはマシだとそう考えていたメイリンは、突然目の前に人が現れたことにすぐに気づかなかった。
「――えっ……ど、どいて下さい!」
 車が急に立ち止まれないように、人もまた急には止まれない。
 衝突を覚悟しつつも、相手が無事に避けてくれることを祈りながら、メイリンは固く目を瞑る。
 もしも相手が祈り通り無事に避けてくれれば、メイリンを待ち受けているのはコンクリートの地面だ。
 どちらを取っても最悪の事態は免れず、メイリンは襲い来るであろう痛みに備えた。
 だが、一向に痛みは襲ってこず、代わりに優しい感触が体を包み込んだ。
「……えっ…?」
 始め、メイリンは何が起こったのか分からなかった。
 痛みがないことに戸惑いながら目を開けた瞬間、飛び込んできたのは見たことのない美貌で、メイリンは思わず見惚れてしまった。
 闇の眷属は、内に秘める魔力に比例した顔立ちをしている。
 魔力が巨大であればあるほど、その顔立ちは整っており、魔力がないに等しい者たちは、平凡な顔立ちしかしていない。
 公爵家の血を引くダンピールであるアスランとミーアは、内に秘める魔力は他のダンピールに比べて大きい。
 そのためアスランとミーアは、人間とは思えないほど整った顔立ちをしていた。
 それこそ協会が抱えているダンピールの中で1,2を競うほど二人の顔立ちは整っている。
 普段からアスランとミーアの2人と付き合いのあるメイリンは、そのため人外の美しさというものに耐性ができていた。
 そのメイリンですら見惚れてしまうほどの美貌――。
 例えるのなら美しさを体現したかのような、精巧な人形。
 神の御使いである天使かと錯覚させるほどでもあり、一歩間違えれば、魂を吸い取る悪魔にさえなれる美しさ。
 危険だと分かっているのに、近づかずにはいられない危うささえ感じられる。
 ある意味、質の悪い麻薬だ。
「――大丈夫?」
 目を開けたまま硬直していたメイリンに、青年は心配そうに声をかけた。
 声をかけられたことにより、正気を取り戻したメイリンは大いに慌てた。
 よくよく見れば相手は自分がぶつかりそうになった相手であり、しかもコンクリートの地面へと衝突しそうになった自分を助けてくれた相手でもある。
 迷惑をかけそうになった上に、助けてくれた相手へと真っ先にお礼を言わずに、声をかけられるまで不躾に顔を凝視していたなど失礼極まりない行為だ。
「ご、ごめんなさい。私っ」
 慌てて自らの非礼に謝罪しながら、メイリンは青ざめる。
 初対面とはいえ、相手はアスランとミーアを凌駕する美貌の持ち主。
 例え今後二度と会うことがない相手だとしても、相手に失礼な女だという印象だけは残したくはなかった。
 どうすれば目の前の美貌の持ち主に好印象を残せるだろうかとメイリンは思案を巡らせる。
「怪我はない?」
「えっ、あっ、はい。助けて頂いたお陰で、怪我はありません。助けて下さって、本当にありがとうございます」
「どういたしまして。それより、そんなに慌ててどうしたの?」
 人混みの中、猛スピードで走っていた理由を尋ねられたメイリンは、自分がなぜ走っていたのか、その理由を思い出した。
 慌てて腕時計を確認するが、すでに時計の針は門限の15分前を差していた。
 結局電車に乗り遅れたことに気づいたメイリンは、体から力を抜けていくのを感じた。
「えっと、不味いことを聞いちゃったかな?」
「いえ……。今だけなんですが、実は門限があって…」
「もしかして、その門限に間に合わないの?」
「はい。1秒でも遅刻したら、明日からもう外出できなくなるんです。だから……」
 今すぐに発車する電車に乗ることができたとしても、十分以上の遅刻は免れない。
 一連の犯人が見つかるまで今の状況は嫌でも続く。
 つまり、一連の犯人が見つからなければ、この先外出禁止を食らうことになるのだ。
 1ヶ月以内に犯人を捕まえることができれば良いが、長引いた時のことを考えたメイリンは、項垂れた。
「あの……?」
 項垂れていたメイリンだったが、手を握りしめられた感触に、慌てて顔を上げる。
「こっちだよ」
 青年に手を引かれるがままに、メイリンは路地へと入る。
 何の説明もなく路地へと連れ込まれたメイリンは、訝しげに眉を寄せたが、説明を求めることはしなかった。
 理由に、相手の出方が気になったというのもあるが、最大の理由は相手が人間だと判断したからだった。
 もしも青年ほどの美貌の持ち主が闇の眷属ならば、メイリンに勝ち目はない。
 ハンターとしてはメイリンは優秀だが、同僚である公爵家の血を引くダンピールであるアスランを打ち倒せるだけの力はない。
 アスランを凌駕するほどの美貌を持つ目の前の青年が闇の眷属ならば、それはアスランよりも魔力が強いということを示す。
 アスランを打ち倒せるだけの力がないメイリンに、アスランよりも整った顔立ちをしている目の前の青年を打ち倒せるわけがなかった。
 だが、今は太陽が昇る日中。
 前の前の青年が闇の眷属ならば、今頃灰になっている。
 平然と太陽が昇る日中に出歩いているということは、それだけで目の前の青年が闇の眷属ではなく、人間であることを示していた。
 路地へと何の説明をしなかった相手が闇の眷属ではなく、人間だといえ、メイリンは油断することなく、五感を研ぎ澄ます。
 闇の眷属を倒せるほどの霊力を持つメイリンにとって、普通の人間など恐れるに足りない存在だとしても。
「――警戒しなくて良いよ。君に危害を加えるつもりはないから」
「何の説明もなく、こんな所に人を引きずり込むような赤の他人の言葉が信じられると思いますか?」
「手厳しいね。でも、普通の人に見られるのは、流石に不味いから」
 まるで自分が普通の人ではないというような口振りに、酷い違和感をメイリンは抱く。
 何か決定的な違いがあるのに、見抜けない時のようなもどかしさにもそれは似ていた。
「何を言って……」
 目を開けていられないほどの強風が吹き、メイリンは慌てて両腕で顔を庇った。
 どれぐらいそうしていただろうか。
 強風が止んでようやく目を開けたメイリンは、目を瞠る。
「…………協、会…?」
 すぐ目の前にそびえる建物は、間違いなく協会のもので。
 慌てて周囲を確認したメイリンは、自分が先ほどまでいたはずの路地ではないことに気がついた。
 それからの行動は早かった。
 慌てて青年から距離を取ったメイリンは、戦闘態勢へと入る。
 自分たちが今いる場所は、協会近くの空き地だ。
 すぐには増援は来ないが、戦闘にでもなれば、異変を察知したハンター仲間が救援に来てくれる。
 相手が何者か、何が目的なのか分からない今、1人で対応するのは危険であり、逃走するべきだが、場所が協会近くなら話は別だった。
「止めなさい。君は僕には決して勝てない」
 青年のその言葉は正しいと、メイリンは認めることしかできなかった。
 一見隙だらけに見える青年だが、よくよく見れば、隙など一切存在しない。
 嫌な汗が背中につたうのを感じながら、それでもメイリンは青年に背を向けて、協会へと逃げようとしなかった。
 背を向けた瞬間に、青年に襲われると思ったからではない。
 青年が何者なのか、知りたかったからだ。
「――あなたは何者なんですか?」
「それはいずれ分かるよ、人の子よ」
「まさか、闇の眷属?でも……っ」
 人の子よと、そう告げるのは、闇の眷属である証拠だ。
 慌てて太陽を確認するため空を見上げたメイリンに、青年は微笑む。
「気を付けて。闇は簡単に人を呑み込む。闇に呑み込まれた人は、もう二度と闇からは抜け出せない。時には逃げることも大切だと、覚えておくと良い」
「あなたは、誰……?」
 青年は、闇の眷属ではない。
 太陽の日を浴びても、灰にはならなかったから。
 だが、おそらくは人間でもない。
 ならば、青年は誰なのか――。
「再び相見える時に、それは分かる」
「また、会うと?」
「早く行きなさい。今ならまだ、間に合うから」
 問いに答えることなく、青年はメイリンへと背を向けた。
「あっ、待って――」
 今青年を行かせてはいけないと、伸ばしたメイリンの手は宙を掻いた。
 メイリンの手が届く前に、青年の姿が目の前から忽然と姿を消してしまったからだ。
「今のは一体……」
 1人その場に残されたメイリンは、ギリギリだったとはいえ、門限までに協会に戻ることができた。






next