永遠(とわ)の夢  5






 キラの言葉通り、2階のベットで寝ていたシンをアスランは起こさないように協会へと連れ帰った。
 血の臭いを漂わせるシンを、彼を捜索している仲間へと無事を報告するより先に、医務室へと放り込んだアスランは、その足でイザークたちを叩き起こしに向かった。
 先ほど会ったキラのことを話すべく。
「シンの無事は分かった。それで、そのキラという奴は何者なんだ?」
 眠気を飛ばすため、アスランから手渡されたコーヒーを啜りながら、イザークは問いかける。
「闇の眷属であることは確かだ。おそらくは、純血の吸血鬼――」
「じゃあ、爵位持ちか?」
「それは分からない。本人は、単なるキラだと名乗った」
「単なるキラなら、末端とも考えられるが…」
 混血の吸血鬼が増えた今、純血種の吸血鬼はそれこそ稀だ。
 純血種の多くはその血の濃さもあり、爵位持ちがほとんどだが、全ての純血種が爵位持ちというわけではない。
 純血種にも拘わらず、爵位を持たない吸血鬼たちを、ハンターたちは末端と呼んでいた。
「それはあり得ない。あの魔力は侯爵以上だ。俺ですら本気を出したとしても、傷を負わせられるかどうか……」
 かすり傷でさえ、もしかしたら負わせられないかもしれない。
 それほどまでにキラは強い。
 かつて侯爵を倒した自分が、負けると認めざるおえなかった相手が、末端なはずがなかった。
 アスランの実力を知っているからこそ、イザークたちはその言葉に驚く。
「なら、残るは公爵。だが、公爵家であるクライン家も、アスハ家も、現当主は女だという話だ。子どももいなければ、純血の兄弟がいるという話も聞かない。ザラ家は……」
 気まずげにディアッカはアスランへと視線を向ける。
「母は亡くなってすでに久しい。母や俺に兄弟がいるという話も聞いたことはない」
 ザラ家最後の当主・レノアの、唯一とされる息子であるアスランは、ディアッカの心配を余所に淡々と答える。
「じゃあ、吸血王?」
「………それは…」
 あり得ないと判断するのには、あまりにも否定要素がない。
 口籠もるアスランに、ディアッカは畳みかける。
「あり得ても、不思議じゃないだろう。お前が本気を出しても、傷を負わせられるかどうか分からないほどの魔力の持ち主で、爵位持ちではない吸血鬼。考えられるのは、吸血王だけだ」
「そのキラという奴が、もし本当に吸血王だとしても、簡単に判断を下すな、ディアッカ」
 キラが吸血王ではないと否定する要素がないのと同じように、キラが吸血王だと断定する要素もまたない。
 簡単に判断を下すのは危険だと、イザークはディアッカを叱責する。
「新たな事実が発覚してから、キラという奴が吸血王かどうか判断を下しても遅くはない」
 そうだろうとアスランへと同意を求めようとしたイザークは、常にない鋭い眼差しをしているアスランに気づく。
「――アスラン?」
「…血が、騒いだんだ。あれは、従うべき存在だと」
 なぜ、キラが吸血王だとあの時思いつかなかったのだろう。
 今考えれば、あの血の騒ぎ方は異常だ。
 歓喜にも似た、けれど恐怖すら感じた血のざわめき。
 初めてキラに会ったというのに、なぜか懐かしさえ感じた。
「それって………」
「分からない……。ああ、忘れてた。ミーアを、知っている口振りだった」
「それを早く言え!――何だ?」
 ノックの音に、3人の視線は扉へと集中する。
「話の最中に、悪いな」
「そう思うなら、後にして下さい」
 突然乱入してきた白衣を纏ったバルドフェルドに、イザークは冷たく返す。
 医師であるバルドフェルドに、イザークが一方的に冷たくするのはいつものことなので、アスランはそれを気にすることなく、バルドフェルドへと預けたシンのことを尋ねる。
「バルドフェルドさん、シンの容体はどうですか?」
「今日1日は絶対安静と言った所だな。1週間もすれば、現場復帰も大丈夫だろう」
 傷つき、血で汚れた携帯電話を見せられた時、死んでいることすら覚悟していただけに、たった1週間で現場復帰すると聞かされ、アスランは驚く。
 それはディアッカやイザークたちも同じだった。
「もっと深手を負っていたと思っていたんですが……」
「実際には、死んでもおかしくはなかっただろうな」
「――何だと?」
 実際には死んでもおかしくないと告げながら、たった1週間で現場復帰できると矛盾した言葉に、3人は戸惑う。
「傷が塞がっていた。それも、完璧に――」
「それは、一体……」
「体に残っていた傷跡を見る限り、傷は内蔵まで達していたはずだ。治療が遅れれば、死を免れなかっただろうな。傷は完璧に塞がっていたから、治療の必要はないが、貧血を起こしていたから、今は輸血中だ。まあ、早ければ二,三日で現場復帰しても大丈夫だろう」
 傷は塞がっているが、血が不足している。
 そんな治療の仕方をするのは、闇の眷属以外にあり得ない。
「つまり……」
「闇の眷属の誰かがあいつを治療したみたいだな。しかも、公爵以上か、またはそれに近い治癒能力の持ち主か……」
「……キラか…?」
 爵位を持っていないが、キラならもしかしたら公爵並みか、もしくはそれ以上の治癒能力を持っているかもしれない。
 だが、何かが引っかかる。
「上には俺から報告しておこうか?」
「いえ、必要ありません。他にも報告しなければいけないことがありますので、一緒に報告しておきます」
「そうか。じゃあ、よろしく頼む」
「バルドフェルドさん、1つ聞きしたい」
 部屋を出ていこうとするバルドフェルドを、イザークが引き留める。
「なんだ?」
「なぜシンの傷を治療した者を、公爵以上と判断したんです?」
「簡単だ。俺があの傷を治療したなら、傷を塞ぐだけで最低でも1週間はかかる。アスランなら、10日ぐらいか?」
 ダンピールはなぜかは分からないが、特殊能力を持つ者が多い。
 吸血鬼と人間の血が混じり合った結果なのかどうかは未だ解明されていないが、ダンピールであるバルドフェルドもまた、特殊能力の持ち主だった。
 バルドフェルドの場合、同等の魔力を持つ吸血鬼やダンピールよりも、数段高い治癒能力を持っている。
 かつて侯爵を倒したほどの魔力を持つアスランをも凌ぐ治癒能力を持っているということで、バルドフェルドは協会で医師として働いていた。
「侯爵以上の魔力を持つアスランが10日で治療する傷を、たった一夜で治してしまった。そこから判断すれば、自ずと答えは見つかる」
 公爵と吸血王の治癒能力や、その他にどんな能力を持ち、どれほどの魔力を持っているのか、協会は完全には把握していない。
 対峙したことが過去に一度もないというのもその理由の1つだが、最大の理由は別にある。
 侯爵までの情報はそれなりに出回っているのに対し、公爵と吸血王の情報だけは出回らないのだ。
 一昔前までは、それこそ公爵家の姓ぐらいしか分からないという状態で、今のように当主の性別すら分からずにいた。
 公爵であるクライン家とザラ家の血を引くダンピールたちがいなければ、今もなお、公爵家の情報は何1つつかめずにいただろう。
 吸血王に至っては、名前はもちろん、その姓すら協会はつかんでいない。
「まあ、傷を塞ぐだけで1週間はかかる傷を、たった一夜で完璧に治したんだ。もしかしたら吸血王が、あの傷を治療したのかもな」
 本人は冗談のつもりで告げたのだろうが、アスランたちは冗談には聞こえなかった。
 急に黙り込んでしまったアスランたちに、バルドフェルドは肩を竦め、部屋から出ていこうとした。
「ああ、そうだ」
 何かを思い出したのか、扉の取っ手に手をかけたまま、バルドフェルドは振り返る。
「アスラン、あいつの十字架を知らないか?」
「……シンの十字架ですか?」
「いえ、知りませんが……。あいつ、持っていなかったんですか?」
 人間のハンターは、皆十字架を持つことを強制させられる。
 全ては闇の眷属から身を守るためだが、それをまた半人前とはいえ、シン自身が外すとは考えられない。
「ああ、診察の邪魔になるから外して貰おうと思って、ルナマリアを呼び出したんだが、付けてなくてな。あいつを連れてきたお前なら、何か知っているかと思ったんだが」
 闇の眷属は皆、十字架には触れない。
 それは人間の血を引くダンピールも例外ではなく、だからこそバルドフェルドが人間を治療する際には、治療の邪魔になる十字架を人間の誰かに外して貰っていた。
 今回もまた、いつも通りに十字架を外して貰おうとしたのだが、肝心の十字架はどこにもなかった。
「……もしかしたら――」
「心当たりでもあるのか?」
「ええ。シンを治療したと思われる吸血鬼が、1階の居間にシンから取り上げた武器があると。もしかしたら、その中に紛れ込んでいるかもしれません」
 シンが持っていた武器は触れることすらできないからと、確認することなく屋敷からシンを連れ帰ったが、こんな事なら確認ぐらいはしておくべきだったと考えていたアスランは、バルドフェルドが放った言葉に凍り付く。
「取り上げたね……。闇の眷属がハンターが所有する武器に触れれば、火傷ぐらいで済まされないはずなんだが。あの傷をたった一夜で治したぐらいだ。すぐにその怪我も治るんだろうが、わざわざ取り上げなければならない理由でもあったのか?」
 ハンターが持つ武器に触れれば、大怪我を負ってしまうことなど、闇の眷属ならば誰でも知っている。
 それこそ、赤子でない限り。
 触れれば大怪我を負ってしてしまうことを知っているのに、わざわざそれらに触れようとする闇の眷属などいるはずがない。
 邪魔とは言え、治療のために取り上げるには、それはあまりにも危険な行為だ。
 そんな危険な行為を犯さずとも、治療などできるのに。
「それは――」
 続く言葉は、部屋へと飛び込むように入ってきたメイリンによって遮られた。
「――アスランさん、ハイネさんが……っ」
 幕が下りたはずの舞台が、未だ続いていたことに、まだ誰も気づかない。






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