永遠(とわ)の夢  4






 嫌な予感が、胸を掠める。
 今まで一度たりとも外れたことのないその予感に、キラはアウルが眠っているはずの地下へと降りた。
「――レイ」
 いつになく真剣な面持ちのキラに、レイはすぐさま周囲を警戒する。
「今すぐアウルを連れて、ステラたちの元へ行け」
「キラは?」
「ここで時間稼ぎをする。と言っても、相手の目的はシンだろうから、大丈夫だとは思うけど」
 瞬時にこの場に向かっている相手が誰なのか判断した後のキラの行動は早かった。
 いまだ眠っているアウルを抱えたレイは、キラが命じるがままに屋敷から離れた。
 本来ならすぐに気づかれるはずはないのだが、どうやら相手は予想以上に手強いらしい。
 シンだけを引き取ってすぐさま帰ってくれるならまだしも、アウルを抱えた状態で戦闘にでもなったら、不利な状況に追い込まれるのはキラだ。
 それが分かっているからこそ、レイは足手まといにならないように、アウルを抱えて素早く逃げ出した。
 ゆっくりと近づいてくるそれに、キラは出迎えるべく、屋敷から出る。
 日が沈んでから数時間が経つ今、屋敷周辺に人の気配は皆無だ。
 闇の眷属にとっては、尤も力を発揮できる時間帯――。
 しかも今日は、満月だ。
 闇の眷属の力が、尤も高ぶる日でもある。
「珍しいお客さんだね。今日はどんな用事かな?」
 人であって、人ではない気配を漂わせる、姿なき相手へとキラは問う。
「――シンはどこだ?」
「2階の客間で、ぐっすりと眠っているよ」
 姿が見えなくても、キラには姿を見せない相手が誰なのかすでに分かっていた。
 闇の眷属の血を引く者で、キラが分からない者はいない。
「だから、そんなに殺気を振りまかなくても大丈夫だよ、アスラン・ザラ」
 どこからともなく、息を呑む音が聞こえてきた。
 それも無理からぬことだろう。
 姿が見えないのに、正確に名前を言い当てられたのだ。
 一度は対峙したことがある相手ならまだしも、会ったことのない相手から名前を言い当てられたら、誰でも驚く。
「――お前は誰だ?」
 アスランはこの時、産まれて二度目の恐怖を味わっていた。
 今まで対峙してきた闇の眷属の誰よりも、目の前の相手は濃密で膨大な魔力を持っていることに、アスランは気づいていた。
 もし本気で戦ったならば、自分は完全に敗北するだろう。
 それほどまでに力の差が歴然としている相手は始めてで、だからこそ得体の知れない恐怖が体を支配する。
 だが、今ここで引くわけにもいかず、気力で何とかアスランは持ちこたえていた。
 そう、シンの無事を確認し、連れ帰るまでは。
 目の前の相手に、引くわけにはいかなかった。
「初めまして、レノア・ザラの息子」
 ようやく姿を現したアスランに、キラは問いに答えることなく、微笑む。
 誰もが魅了されるキラの微笑みに、だがアスランは魅了されることなく、先ほどよりも警戒心を強くする。
 それがキラには楽しくて仕方がなかった。
「母を知っているのか?」
「知っているよ。だって、幼馴染みだもの。だから、すぐに君だと分かった」
「それは、どういう意味だ?」
公爵(デューク)であるアスハ家、クライン家、ザラ家の血は特別でね。侯爵(マルフィス)伯爵(アールズ)子爵(ヴァイカウント)男爵(バロン)たちとは違って、その血は公爵だけあって吸血王(ロード)並みに濃い。だからこそ、公爵家の血を引くダンピールは、他のダンピールたちと決定的な違いが出る」
 吸血王を筆頭に、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵。
 だが、人間と同じように闇の眷属もまた、全ての闇の眷属に爵位を与えられるわけではない。
 吸血鬼たちでさえ爵位を持っている方が稀であり、爵位を持つ闇の眷属やその血を引く者たちは皆、例外なく強い。
 それこそ爵位持ちは上級と呼ばれるほど、並みのハンターでは倒せないほどの強さを誇っている。
 特に吸血王と公爵だけは、桁外れの強さで、誰もが恐怖を抱いていた。

 レノア・ザラが、何者かの手によって殺されるまでは――。

「決定的な違い?」
「どうやら、そこまではレノアに教わっていないようだね」
「……お前は、何者だ?」
 ピリピリと張りつめた空気の中、キラは楽しげに笑う。
「キラだよ。アスラン」
「キラ?」
「そう。公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵でもない、単なるキラだ」
「爵位持ちじゃない?嘘を言うな…っ」
 キラの魔力は、今まで出会った闇の眷属たちよりも強い。
 それこそ、記憶にある母・レノアよりもその魔力を強く感じる。
「嘘はついてないよ、僕はね。それより、気を付けて」
「――何に?」
「力を欲する者に。おそらく、レノアもそれに殺されたはずだ」
「母を殺した相手を知っているのか?」
 百年以上前から探し続けている母を殺した仇。
 おそらく相手は人間ではなく、闇の眷属の誰かだろう。
 しかも突然変異か何かで産まれた、特殊能力を持った闇の眷属――。
 そうでなければ、公爵であるザラ家の血を引くレノアが殺されるはずがない。
 あの禍々しいほどまでの魔力と、血の濃さ。
 それは、まだ幼かったアスランでさえ分かるほど、体に流れる血が騒いだ。
 まるでキラを初めて見た時のように。
 声をかけられるまで、キラが母であるレノアを殺した相手だと錯覚するほど、姿形は似ていなくとも、その雰囲気があまりにもレノアを殺した物体に似ていた。
 だからこそ、もしかしたら知っているのかとアスランは期待する。
 人の形をしていなかった、母を殺した『もの』を。
「期待を裏切るけど、僕は知らない。けれど、覚えておくと良い。僕らの血は、闇の眷属にとっても極上の獲物だということを。ミーアにも、注意を促しておいてくれるかい?」
 期待が大きいほど、落胆もまた大きい。
 だが、告げられたその名に、落胆する暇などなかった。
「ミーアの知り合いか?」
「奔放娘とはいえ、ラクスにとっては大切な妹。心配するなと言っても、やっぱりね……」
 意味深に告げるキラに、アスランは苛立つ。
「なぞなぞは、嫌いだ」
「そうみたいだね。でも、これは宿題だ。次に会う時までの」
「次に会う予定はない」
 断言するなり、アスランは戦闘態勢に入る。
 魔力がないに等しい人間たちは、武器がなければ闇の眷属たちとは戦えない。
 だが、血を糧に生きるダンピールは違う。
 その魔力こそが武器であり、命の源。
 自分を殺そうとしているアスランに、けれどキラは一向に構えない。
「君は気づいているはずだ、アスラン」
「何だと……っ」
「例え君が本気を出そうと、僕を倒せないことに。無駄死には、良くないよ」
「黙れ!」
 自覚していたことを指摘されただけに、アスランの怒りは増す。
 過去、侯爵の爵位を持つ純血種の吸血鬼を倒したことのあるアスランにとって、爵位を持たないキラのその言葉は、プライドを傷つけられたも同然だった。
 血が、キラに敵わないと告げていたとしても。
「僕を殺せるのは、これから産まれてくるただ1人だけ。他の誰も、僕を殺すことはできやしない。例えそれが、僕自身であったとしても」
 まるで全てを悟りきったように告げるキラの表情はあまりにも悲しげで。
 それまで感じていた怒りは鳴りを潜め、アスランはキラに魅入る。
「君は知らない。僕の体に流れる血の恐ろしさを。残酷さを。そして、悲しさを」
 寿命も。
 魔力も。
 地位も。
 闇の眷属たちの全ては、体に流れる血が決めてしまう。
 変える方法はただ1つ。
 他者から血を奪うこと。
 それも、全身に流れる血を全て、一滴すら残さずに。
「覚えておいて。闇の眷属にとって、血こそ全て。命も、魔力も、全てその血が決める。だからこそ闇の眷属は求める。――血を」
 その言葉を、闇の眷属の血を引く者なら誰もが幼い頃、親から聞かされる。

 繰り返し、繰り返し――。

 銀で心臓を貫かれない限り、全身を聖水で浸されない限り、その身を太陽によって焼かれない限り死なない闇の眷属にとって、血を失うことは命を脅かすことに等しい。
「……お前は、何者だ?」
 二度目になる同じ問いに、けれどキラは答えなかった。
 微笑んで、夜空に浮かぶ月を見上げる。
「僕は行くよ」
「――待てっ!」
 今逃がしてはいけない。
 そう本能が告げるがままに追いかけようとしたアスランは、自分の足が動かないことにようやく気づく。
「………なっ」
「シンに伝えて。君から取り上げた武器は、1階の居間にあると。それと、この屋敷の所有権は放棄しておくから、君たちで勝手に使うと良い」
 足を地に縛られたアスランへと微笑みを1つ残して、キラは姿を消した。
 後に残されたアスランは、キラがその姿を消したその瞬間、ようやく自由を取り戻した。






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