永遠(とわ)の夢  2






 最初に目の前に飛び込んできたのは、真っ白な天井だった。
 見慣れぬ天井に、視線を四方に彷徨わせたシンは、やはり見たことのない部屋に困惑する。
 ここは一体、どこなのだろうかと。
 知り合いの部屋かとかも考えてみたが、今まで訪れたことのある知り合いの部屋のどれとも一致せず、ますますシンは困惑する。
「……どこだ…?」
 言葉を発した瞬間、体に激痛が走る。
 痛みに呻きながら、シンは意識を失う前のことを思い出した。
「…そうだ……俺…」
 追いつめたはずのダンピールから思わぬ反撃に遭い、簡単に倒せるはずだった相手を取り逃がしただけではなく、手ひどい傷を追わされたことをシンは思い出す。
 あのまま、冷たい雨に打たれながらこのまま死ぬのだろうかと思っていた時に現れた青年。
 傷の手当てをしてあげると言ったその言葉は嘘ではなかったらしく、こうして生きていることがその証だ。
「――起きたのか」
 気配を感じさせることなく、右手にお盆を持った少年が近づいてくる。
 慌ててシンは起き上がろうとするが、忘れていた体の痛みに、すぐさまベッドへと逆戻りした。
「……っ」
「無理をするな。傷を塞いだとはいえ、完治はしていない」
 傷を塞いだと、ありえないことを告げた少年に、冗談だと思いながらも、シンは腹を探る。
 本来ならば死んでもおかしくない傷を負った場所には傷跡はあっても、傷口はない。
 信じられないとシンは目を瞠る。
「キラの言う通り、本当にハンターとしては未熟らしいな」
「何だと……っ」
「言葉の通りだ。アウルを殺せないぐらいなら、ハンターは止めた方が良い」
「!?」

 ――アウル。

 その名は、シンが教会から倒すように命じられた、始めての獲物の名。
 同時に、その名は昨夜シンへと傷を負わせた闇の眷属のものでもあった。
「どうして……」
「アウルは同胞だ。助けても、不思議ではないだろう」
「お前、吸血鬼……!?」
「正確には、ダンピールだ。アウルと同じ」
 吸血鬼と人間の血を引くダンピール。
 ダンピールはその出生ゆえに、人間と闇の眷属双方から嫌われ、迫害され続けてきた。
 その為にダンピールの結束力は固い。
 もしも同胞が傷を負い、ハンターによって追いつめられていれば、それが例え友人や知人でなくとも助けにはいるのがダンピールだ。
 目の前の少年がアウルを助けた理由はそれで説明がつくが、分からないことが1つあった。
「なぜ、俺を助けた!?」
「それは、キラに聞け。全てキラの判断だ」
「キラ……?」
「忘れたのか?昨夜、お前を助けたのはキラだ」


 ――………あんたの、名前は…?
 ――キラ。
 ――……キラ、俺は、まだ…死ねない。だから。


 昨夜、キラと名乗った青年と交わした会話を、シンはぼんやりと思い出す。
「そうだ……キラだ…」
 このまま死ぬのだろうかと、雨に打たれながら、消えゆきそうな意識の中、突然声をかけてきた人物。
 意識が朦朧としていたとはいえ、いつもなら誰かが近づけばすぐに気がつくというのに、気づけばキラはすぐ目の前にいた。
 だからこそすぐ目の前に人を認めた瞬間、驚きよりも先に絶望を覚えた。
 間近に人が迫っているにも拘わらず、それに気づけなかったということは、それはもう死が近いということで。
 何もできないまま死ぬのかと諦めかけていたというのに。
 今自分は生きている。
 あの時声をかけてきたキラに、命乞いをしたから。
「思い出したか」
 持ってきたお盆を、ベットの脇へと置かれているテーブルへと載せると、青年は近くにあった椅子を引き寄せる。
 その行動を黙ってみていたシンは、戸惑う。
「……あんた、何やってるんだ?」
「見て分からないか?椅子に座るんだ」
「そんなのは見りゃ分かる!俺が言いたいのは、ダンピールのあんたが、どうしてハンターである俺の隣に座るのかってことだ!」
「アウルが起き出した瞬間、お前を襲わないように、お前を見張っていろとキラが言ったからだ」
 淡々と答える青年に、シンはようやく気づく。
「アウルが、いる?」
 協会から倒すように命じられたダンピールが、この家に。
 青年がアウルを助けたと、そう言った時に気づくべきことに、ようやくシンは気がついた。
「アウルを倒しに行こうとは思わない方が良い。返り討ちにあう」
「あんな奴、すぐに倒せる!」
 協会の方針により、倒せないほど力の差が明らかな闇の眷属を割り当てられることはない。
 もしもハンターが闇の眷属に敗れることがあれば、それはハンターが闇の眷属に隙を見せたか、闇の眷属に助けが来た時だけだ。
 昨夜自らの失態によりアウルを取り逃がしただけではなく、怪我まで負ってしまったが、力や能力だけを見れば、シンがアウルに負けることはまずあり得ない。
「武器も何もないのにか?」
 告げられ、シンはようやく、所持していたはずの武器がどこにもないことに気がついた。
「武器をどこにやった!?」
 痛みを堪えて起きあがったシンは、青年の襟につかみかかる。
「落ち着け」
「これが、落ち着けるか!」
 目の前にいるのは、ハンターであるシンにとって敵でしかないダンピールの少年。
 同じ建物内には、昨夜シンが殺そうとしたアウルもいる。
 武器がなければただの人間であるシンは、人間の血を食料としている闇の眷属たちにとって、格好の獲物。
 人間の中でも特に霊力が高いシンは、ハンターとして高い評価を得ているが、同時に闇の眷属から極上の獲物として狙われていた。
 武器がないハンターは、翼をもがれた鳥と同じで、逃げる術すらない、無力な存在。
 もし目の前の少年やアウルが襲ってくれば、抵抗する暇もなく、一瞬で殺される。
 それほどまでに、高い霊力を持っていたとしても、武器を持たない人間と、闇の眷属の力の差は大きい。
「考えても見ろ。お前たちハンターが使っている武器を、俺たちが触れると思うか?」
「………っ」
 敵に武器を奪われた時のことを想定して、協会はハンターが持つ武器に、闇の眷属が触れられないように細工を施していた。
 銀製のものや、3日3晩聖水に浸して、闇の眷属が触れられないようになっている。
 もしも触れようものなら、火傷に似た傷を負うことは避けられない。
 そのため、数少ないダンピールのハンターは、己の力のみで戦う者が多かった。
 万が一、武器を奪われた時のことを想定して。
「お前から武器を取ったのも、隠したのも俺じゃない」
「じゃあ、誰が………」
「キラだ」
「キラはどこにいるっ!」
 取り上げられた武器を取り戻そうと、シンは必死にだった。
 今は大丈夫だとはいえ、相手は闇の眷属。
 腹をすかせた時、目の前にある極上の獲物を闇の眷属が狩らないという保証はどこにもない。
「大人しくしておいた方が良い。この屋敷でキラに逆らうことは、許されない」
「……なんだとっ」
「教えておこう。この屋敷で人間なのは、お前だけだ」
「………っ」
 闇の眷属が、ハンターの武器に触れられたとしても、無傷ではいられない。
 わざわざ怪我をすると分かっているのに、ハンターの武器に触れようとする闇の眷属など、昔ならいざしれず、今はあり得ない。
 なら自分の武器を取り上げたキラは人間だと考えるべきだが、目の前の少年の言葉が正しいのなら、キラは人間ではないということになる。
 なら、何者か――。
「……この家に、キラはいないのか?」
「キラはいる。ヒントは与えた。後は自分で考えろ」
 急に立ち上がり、背を向けた少年に、シンは慌てて声をかけた。
「ちょっ、待てよ!どこに行く気だ?」
「意外とお前が元気そうだからな。アウルを見張りに行く」
「キラに俺を見張っていろと言われたんだろう?」
 すぐ側に闇の眷属がいると落ち着かないというのに、なぜか少年を引き留めようとしている自分に、シンは戸惑う。
 それでも一旦口にしてしまった言葉を引っ込めることなどできなくて、相手がどう出るかシンは待つ。
「この屋敷の主はキラだ。だが、キラは俺の主人ではない」
「はっ?」
「それと、俺の名前はレイだ。シン・アスカ」
 レイと名乗った少年は、一度も振り返ることなく部屋を出ていった。






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