暁の月 14  『迷子』






「くそっ。どうしてここはこんなにも広いんだ!?」
 走りながら悪態をついたイザークの額には、わずかに汗が滲んでいる。
 隣を走っているディアッカやレイの額や首筋にも、滲んだような汗が浮かんでいた。
 汗を拭わず走り続ける3人に、すれ違った人たちは、異色の組み合わせに驚いたり、緊急事態でもないのに必死になって走っている様子に戸惑っていた。
 最初は彼らの反応にも悪態をついていたイザークだったが、流石に疲れてきたのか、今ではもうどんな反応が返ってきても無視している。
「それ言っても、何も、始まらないって」
 乱れ始めた呼吸に、言葉が不自然に途切れる。
 いつもならここで、イザークから何らかの反応があるのだが、今日は何の反応も示さない。
 横目でイザークの姿を窺ったあと、ディアッカは気づかれないように溜息をついた。


 ――私はあの人の……キラ・ヤマトの共犯者です。

 真っ青な顔色をしたレイの襟に、詰め寄ったイザークはつかみかかった。

 ――お前、それはどういう意味だ!?

 ――あの人はシンを俺にくれると約束してくれました。その代わりに、協力しろと。

 ――シン・アスカを?

 驚きの声を上げたのはディアッカだった。
 確かに、シンがキラのものだと言っても過言ではないだろう。
 だが、以前のキラなら、例えシンが自分のものだとしても、取引材料に使うような真似などしなかった。
 まだアスランと別れる前の頃のキラなら。

 ――俺は、どんな形でもシンが欲しい。だからあの人の共犯者となることを選びました。

 ――待て!話が全く見えない。

 ――あの人は言いました。アスラン・ザラが欲しいと。けれど、手に入れることができないのなら、誰も手に入れることができないように、殺すと。

 ――キラが、アスランを?

 信じられないと、レイの襟から手を離したイザークは、後ずさった。

 ――そして、その時シンを壊すとも。壊れたシンは、必ず自分の命を狙う。その後を、俺に任せるために、あの人は……。

 ――キラは、死ぬつもりなのか…?

 ――アスラン・ザラがいない世界に生きていても、どうしようもないからと。

 その言葉に、イザークとディアッカは絶句した。
 手に入らないのなら、誰のものにもならないように殺すと。
 この世にもう存在しないのなら、生きることを放棄すると。
 あまりにも我が儘で、けれどとても分かりやすい理由。
 それほどまでにアスランを愛しているキラに驚かされたが、それ以上に納得してしまった。
 キラにとって世界とは、アスランなのだ。
 だからアスランが誰かのものになるなど許せなくて、それと同じぐらいに、アスランがいない世界は、崩壊を意味していた。
 崩壊した世界に未練などあるはずがなく。
 怖いほどの愛を恐ろしいと思うより先に、2人は羨ましいと、そう思ってしまった。
 狂ってしまうほど、誰かを愛したキラを。
 周りにあるしがらみが邪魔をして、自分たちはそこまで誰かを愛することなどできないから。

 ――じゃあ、レイ・ザ・バレル、お前の役目は……。

 ――キラさんを殺したことにより完全に壊れたシンを守ること。それが、自分ができる精一杯の償いなのだと。

 ――ちょっと待て!お前はキラがシンの仇とは知らなかったんだろう?なら、どうして…。

 ――どんな理由があるにせよ、キラさんを殺したシンは同胞殺しになります。そのシンが、どんな扱いを受けるか分かりません。ですから、自分が死んだ後のシンを、俺に任せると。俺はずっと、それに対する償いなのだと、思っていました。

 ――正直に答えろ。どうしてお前はキラを裏切った?

 ――どんな形であろうと、シンが欲しいと思っていたことは本当です。けど俺は、笑ったシンを一番愛してます。例えそれが、俺以外に向けられた笑顔だとしても。

 ――……最後の質問だ。キラが言う復讐とは、一体誰に対してのものだ?

 アスランを奪ったカガリに対するものではない。
 では一体、誰に対する復讐なのか。
 どれほど考えても、イザークとディアッカは答えを見つけることはできなかった。

 ――それは……。


 回想に浸っていたディアッカは、慌てて足を止めた。
 気づけばすでに寮にたどり着いており、すぐ目の前の部屋のネームプレートは、キラのものになっていた。
 昨夜はジュール邸に泊まったキラに、イザークは慌てて自宅へと連絡を入れれば、すでにキラはいなくなったあとだった。
 すぐにキラの追跡を始めれば、一度寮の自室に戻った痕跡があった。
「キラ、話がある」
 ブザーを鳴らさずに扉を開けたイザークは、息を呑んだ。
 部屋を見渡せば、どこにもキラの姿はない。
 代わりに、部屋の奥に立ちつくしているシンがいた。
「シン……」
 どこか虚ろな眼差しのシンには、いつもの覇気がない。
 なぜここにと思いながらも、シンへと手を伸ばそうとしたレイは、その手を不自然に浮かせた。
「いらないって……」
「シン?」
「キラさんが、もう俺は必要ないって……」
 スッと、シンの眸から零れた涙が、頬をつたう。
「あの人が俺の仇で、あのアスラン・ザラの恋人で……」
 その言葉に、自分たちが出遅れたことにイザークたちは気がついた。
「レイ、俺は……」
「シン、もう良いから」
 シンが何か言葉を紡ぐたび、レイは心が締め付けられた。
 自分の家族を殺したMSのパイロットだろうと、シンはキラしかいらないのだと思い知らされて。
 どんな手を使おうと、自分はシンの中に入れてはもらえない。
「一緒に、キラさんを捜しに行こう」
 浮かせたままの手を差し出せば、シンは体を震わせ、怯えだした。
「嫌だ……」
「シン、どうした?」
「嫌だ!絶対に行かない……っ」
 差し出された手に怯えるシンは、壁まで後ずさる。
 あまりの怯えようにレイは戸惑い、イザークとディアッカは顔を見合わせた。
「一体どうしたって言うんだ、シン……!」
「嫌だ!今度会ったら、もう最期だ!」
 イザークとディアッカは、小さく息を呑む。
 それはつまり、キラは――。
「次に会う時が、本当に別れだって……。キラさんが、僕を殺すって俺に問いかけた時、俺、俺、答えられなかった……。殺したくないのに!死んでほしくないのに!なのに、俺は……っ」
 体を小さく丸めて、座り込んだシンは、泣き叫ぶ。
「シン」
 幼子のように泣き叫ぶシンを、レイは力強く抱きしめた。
 泣いてほしくないのに。
 シンの涙を止める方法を、自分は知らない。
 何か言葉をかけようにも、今のシンにはその言葉すら届かない。

「――シン・アスカ!」

 怯えながらも、初めてイザークに名前を呼ばれたシンは、顔をあげた。
「お前がキラに会わずとも、キラはアスランを殺したあと、死ぬつもりだぞ。例えお前、殺さなくても、キラは死ぬ」
「えっ……?」
「後悔したくないなら、動け」
 それだけを告げて、イザークは部屋から立ち去った。
 そのあとを慌ててディアッカは追いかけた。
「俺は……」






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