暁の月 13  『哀願』





 気怠げに髪をかき上げたキラは、幼子のように眠っているシンを、冷ややかに見下ろす。
 数えられる程度とはいえ、過去にシンとは、幾度か体を重ねたことがあった。
 だが、今回のように際限なく求められたのは初めてだ。
 嫌がる素振りを見せれば、キラに嫌われることを恐れる子どもは、途中であってもすぐに行為を止める。
 それなのに、今日に限ってはどんなに嫌がろうと、子どもは止めてはくれなかった。
 無意識の内に、自分が捨てられることを感じ取ったのかもしれない。
 捨てないでと、縋るように向けられた眸を思い出し、キラは笑う。
 本当に欲しいものは、大切に仕舞っていても、腕の中をすり抜けてしまう。
 そうして残るのは、一度も欲しいと望んだことがないものばかり。
「馬鹿な子ども。僕なんかに拾われなければ、もっと楽に生きられただろうに」
 今日、目の前の子どもは狂う。
 自分が狂わすのだ、
 心も、その人生も、何もかも。
 いっそのこと、恨んでくれれば良い。
 恨んで、恨んで、どこまでも恨んで、自分のことなど忘れてしまえば良い。
 自分を苦しめた存在など忘れ、どこかで幸せに暮らして欲しいと、願わずにはいられない。
 それが、子どもの幸せに繋がるだろうから。
「………――――」
 シンの耳へと顔を寄せたキラは、囁くように何かを告げる。
 あまりにも小さな声は、例え起きていたとしても、シンの耳に届くことはなかっただろう。
 それで良い。
 シンのためにも。
 自分のためにも。
 シンは、何も知らなくて良い。
 これから教える、残酷な真実以外は――。
「シン」
 顔を上げたキラは、シンの体を揺らす。
 シンが目を覚ました時、2つの夢が終わる。
 1つは、今シンが見ているだろう眠りの夢。
 もう1つは――。
「シン」
「……んっ………キラ…さん……?」
 もう一度名前を呼べば、うっすらと目蓋が上がった。
「何か、ありましたか?」
 寝起きの掠れた声で問いかけたシンは、キラへと手を伸ばす。
 いつもなら受け入れられるその手は、触れるより早く、キラによって振り払われた。
 振り払われた手を宙へと彷徨わせたまま、シンは呆然とする。
「キ…ラ、さん?」
 怖い。
 怖くて、怖くて、仕方がなかった。
 どうしてこんなに怖いのだろうかと、疑問に思う前に、シンは凍り付いた。
「フリーダムのパイロットは僕だよ、シン」
「――えっ?」
「君の家族を奪ったのは僕だと、そう言ったんだ」
「何を突然……」
 突然でない。
 だって昨日言ったではないか。
 もしもフリーダムのパイロットが自分だったらどうするかと。
 例えばと、付け加えて。
「僕を殺す?」
 クスクスと笑いながらキラは問いかける。
 昨日は即答できたというのに、なぜか答えられない。
 殺したくないのに。
 死んでほしくないのに、どういうわけか答えられない。
「俺は……」
「殺したくなったら、僕の元においで」
 ベッドから降りながら告げたキラは、昨日私服に着替える時、床へと放り投げた制服へと袖を通す。
「……キラ、さん…?」
 身動きすらせず、呆然とベッドに座り込んでいるシンを、キラは笑顔で見下ろす。
「シン、覚えておいて。次に会うときこそ、僕らの本当の別れだ」
「キラさん、何言って……」
「もう君はいらないんだよ」
 真っ青な顔色をしたシンは、寒くないはずなのに震えていた。
「嘘、ですよね?」
 寒い。
 体ではなく、心が。
 寒くて、寒くて、凍えてしまえそうで。
「嘘ではないよ。君はもう、いらないんだ」
 ずっと、ずっと、恐れていた。
 彼に嫌われることを。
 彼に捨てられることを。
 彼に、拒絶されることを。
「どうして!どうしてですか?」
「僕が欲しいものは、たった1つだけだから」
「俺はあなたの欲しいものの中に、入ることはできないんですか?」
「だって君は、アスランじゃないもの」
「アスラン……?」
 その名は、どこかで聞いたことがあった。
 誰の名前かシンが思い出すより先に、トリィがどこからか飛んできた。
 どんなことがあろうと手放すことなく、誰も寄せ付けない中、唯一近づくことを許された小さな存在。
 トリィと向き直ったキラは、艶やかに微笑んだ。
「アスラン・ザラ。ザフトの軍人である君なら、幾度となく聞いたことのある名前だと思うけど?」
 トリィを肩へと載せたキラは、不敵に笑う。
「……彼と、あなたは一体…」
「僕とアスランは、幼なじみであると同時に、親友だった」
「親友……?あなたと、アスラン・ザラが?」
「不思議?でも事実だよ。彼と僕の母親は仲が良くてね。最初は多分、兄弟のような感情しか持っていなかった。なのに、僕らは気づいたら、恋をしていた」
 ずっと一緒にいた。
 だから気づかなかったのかもしれない。
 アスランがプラントに引っ越しすることになって、ようやく気がついた恋心。
 それは、あまりにも遅すぎた。
 互いに互いを愛していると知りながら、キラとアスランは何1つ約束せずに、別れの言葉を告げた。
 離れて過ごしている間も、互いを愛しているという保証はどこにもないから。
 今は互いを束縛しないと。
 再会した時、それでも互いに愛していたら、その時こそと。
「恋人、なんですか?」
「恋人だったんだよ。僕の姉が、彼を僕から奪うまでは」
「奪ったって……」
「戦後間もなくのことだった。彼が僕に別れを告げたのは。その理由が、僕の姉を、カガリを僕以上に愛したからだと……っ!」
 それまで穏やかに過去のことを語っていたキラは、突如豹変した。
 シンが知っているキラは、他人の前で感情を露わにすることを酷く嫌う。
 そのキラが、初めてシンの目の前で感情を露わにした。
「彼女は僕から、一番大切なものを奪った!だから僕は誓ったんだ。必ず取り戻すと。もしも取り戻すことができなければ、彼女から奪い返すと!」
「キラ、さん」
「今日僕は、アスランをカガリから奪い返す。だから、君はもう、いらないんだ、シン」
 いつもの様子を取り戻したキラは、穏やかに微笑んだ。






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