暁の月 11 『休息』
アスランが部屋に戻った時には、すでにキラの姿はなかった。
グッタリとソファーに腰掛けているカガリに、アスランは労るように声をかける。
「疲れた顔をしているな」
それまで閉じられていた目蓋が、ゆっくりと上がる。
膝を付いて顔を覗き込んでくるアスランに微笑みつつ、カガリはキラと交わした先ほどの会話を思い出す。
――僕は、僕のものを取り返す。例えどんな手段を使おうと。
――アスランはもう、お前のものじゃない。私のものだ。
――だったら何?元々僕のものだったものを、僕が取り返してはいけないということはない。
――アスランはそれを望んでいないぞ。
その言葉に、優しげに微笑んだキラを、カガリは初めて怖いと、そう感じた。
こんなキラなんて知らないと。
微笑んでいるのに、その眸は全く笑っていなかった。
目の前にいるのは誰だとそうは思っても、目の前にいるのはキラ以外の何者でもなくて。
出会った時、確かに感じた懐かしさ。
それ以後、どんなに遠く離れていようと、どこかでその存在で感じていた。
近くにいればいるほど、大きくなる存在感。
それが、目の前にいるのがキラだとカガリに教えてくれる。
――アスランの意志なんて関係ないよ。僕は、アスラン・ザラが欲しいんだ。
不敵に笑うキラに、カガリは目を瞠る。
――手に入れられないのなら、僕はアスランを殺す。
――キラ、お前……っ!
――アスランが君のものになるぐらいなら、僕が殺す。今度こそ!
「アスラン、絶対に生きて、私の側で私を守り続けろ」
「何か、あったのか?」
先ほどキラと交わした会話を、アスランに告げる勇気などカガリにはなかった。
もし話せば、わずかにためらった後、アスランはキラの元に行ってしまう。
今でもまだ、愛している人のところに。
本当は、アスランをキラへ返さなければならないと頭では分かっている。
分かっていても、誰にも――キラには絶対に、アスランを渡したくなかった。
「何でもない。少し疲れたから、もう寝る」
アスランの首に両腕を回したカガリは、その身を引き寄せると、肩に顔を埋める。
汚い手段を使っても、カガリはアスランが欲しかった。
だからカガリは、アスランを手に入れるために汚い手段を使った。
キラを殺されたくなければ、キラを捨てて、自分のものになれと。
苦悩した末に、アスランはキラを捨てて、カガリのものになった。
キラを守るために。
だからここにアスランの心はない。
一番欲しかったものが、ここにはないのだ。
寝るためにしか使っていない軍の寮ではなく、軍人になる前まで居候していたジュール邸の客間に、キラはいた。
プラントに移り住み、軍人になる前まで使っていた客間は、イザークの好意で今もなお、キラのために空けられている。
客間といってもたくさんの私物が置かれたその部屋は、客間としては機能しておらず、キラの私室と化していた。
その部屋で、私服に身を包んだキラは、ぐったりとソファーに横たわっていた。
「………ラ……キラさんっ」
聞こえてきた声に、飛び上がるように起きたキラは、すぐ目の前にいるシンに、舌打ちしたくなる。
微睡んでいる程度なら、人が近づけば、いつもはすぐに気づく。
なのに今日に限っては声をかけられるまで気づかなかった。
カガリに――アスランに会っただけだというのに、この疲れよう。
思っていた以上に緊張していた自分に、キラは笑う。
「シン……」
「寝ているところ起こしてすみません。けど、ソファーで寝るより、きちんとベットに寝た方が良いですよ」
起こさぬように、キラをベッドに運ぼうと思えば運ぶことができるのに、シンは決してそれはしない。
過去に一度、ソファーで寝ていたキラをベッドに運ぼうとした時、途中で目を覚ましたキラに拒絶の言葉を吐かれたことが、シンのトラウマになっていた。
それ以降、シンはキラからの拒絶の言葉を恐れて、寝ているキラを黙って運ぶことはなくなった。
「そうだね。でも、今は眠りたくないんだ」
眠くないのではなく、眠りたくない。
今寝てしまえば、きっと夢を見てしまうから。
それも、悪夢を――。
どれほど体が眠りを欲していようと、悪夢を見るぐらいなら、眠りたくなどない。
そのせいで体が怠くなろうと。
「どうしてか、聞いても平気ですか?」
気怠げに髪をかき上げるキラに、シンは怖ず怖ずと尋ねる。
「夢を見たくないから」
「夢、ですか?」
「君だって夢見が悪かったら、眠りたくないだろう?それと同じだよ」
「マユや、両親の夢を見たときは確かにそうです」
マユや両親がまだ生きていた頃の夢を見るのも辛いが、それ以上に死んだ瞬間を夢見るのは、もっと辛い。
けれど、もう会えない家族に、夢の中だけでも会いたいとそう思ってしまうこともある。
夢を見たあと、どれだけ辛くて、悲しくなるか分かっていても。
もう一度だけと。
「……もしも、君の両親や、妹を殺したMSのパイロットが誰なのか分かったら、その人が目の前にいたら、君はどうする?」
それは、想像にすらしていなかった問い。
家族を殺した相手は、確かに憎い。
けれど家族を殺したMSのパイロットが分かる日が来ると、その人物に会う日が来るなど、シンは考えたことなどなかった。
「………多分…」
「多分?」
「この手で殺すと思います」
「物騒だね」
クスクスと笑うキラに、シンは縋るような眼差しを向ける。
「例えあの白い機体が、フリーダムが、プラントの人々にとって英雄的存在であったとしても、俺にとって家族を殺した人です」
「もしもそのパイロットが、君が知っている人だったとしても、君はフリーダムのパイロットを殺すの?」
「知っている人?」
「例えば、僕とか?」
「そんな……っ!」
青ざめるシンの頬に、キラは手を伸ばす。
「例えばって言っただろう?」
「それでも止めて下さい。あなたが俺の家族を奪った人なら、俺はどうすれば良いんですか?」
「さっき君が言ったように、僕を殺せば良い」
ためらいもなく自分を殺せと。
そう告げたキラに、シンは幼子のように必死になって首を振る。
「嫌です。どんなことがあろうと、あなただけは殺したくない!」
キラへと縋り付いたシンは、腰へと腕を回す。
縋り付くシンの頭を撫でれば、か細い声が聞こえてきた。
「……キラさん」
「本当に困った子だね」
「キラさん、キラさん……」
何かを求めるかのように、シンはキラの名前を繰り返す。
「おいで、シン」
それが、合図だった。
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