暁の月 9 『無風』
「冗談にしては、規模が大きいよね」
口を開けて呆然としているディアッカとは対照的に、キラは冷ややかな眼差しをイザークへと向けた。
デュランダルから呼び出しを受け、イザークが姿を消したのは2時間ほど前のこと。
ようやく戻ってきたかと思えば、開口一番に現在デュランダルが会談している相手の話相手になれと言う。
その相手がオーブ首相カガリ・ユラ・アスハだというのだから、キラにしてみれば質の悪い冗談に等しい。
例え冗談ではないとしても。
「これは冗談ではない。もし断るのなら、今晩覚悟しろとのことだ」
普段と変わらないように見えるが、イザークを良く知る人が見れば、誰もが目の前のイザークが怒っていると分かるぐらい、危険な状態だった。
誰の目から見ても怒っていると分かっているならまだしも、静かに怒っているイザークほど質の悪いものはない。
それなのにキラは怯えるどころか、いつもの態度を崩さない。
「何それ?職権濫用も良いところだよね」
「……いや、その前にキラ、お前議長と……」
静かに怒っているイザークに怯えつつも、ディアッカは気になる部分だけはしっかりと尋ねた。
どこまでもらしさを失わないディアッカに呆れつつも、その度胸にキラは敬意を払う。
「寝てるよ、もちろん」
「いや、どうすればもちろんなんていう単語が出てくるんだよ?」
「ラクスは知ってるよ」
「ラクス嬢が知っているからって……いうか、知っているのか?」
「うん」
戦後すぐに姿を眩ましたラクス・クライン。
彼女が現在、プラントにいるということを知っている人は極一握りの人間だけだ。
イザークとディアッカもそのことを知っているとはいえ、簡単にラクスに会うことはできない。
それはイザークたちだけではなく、デュランダルもまた同様だ。
唯一例外として、キラだけが許可なくラクスに会うことが許されていた。
誰もが――プラント最高評議会議長であるデュランダルでさえ、数日前から面会の連絡を入れなければ会うことを許されていないと言うのに。
「ラクス嬢がお前と議長の関係を知っているかどうかというのは今はどうでも良い。あの坊やは知っているのか?」
「知らないよ。だって、教えていないもん」
坊やと、イザークがそう呼ぶのはこの世に1人だけだ。
ジュール邸へとまだ身を寄せていたある日、キラが連れてきた1人の少年。
それがシンであり、その日からイザークは、シンのことを坊やと呼んでいる。
どんなにシンが改めてほしいと訴えても。
「どうして議長と寝ている?」
「取引だから」
「アスランはどうした?」
戦後間もなく、キラとアスランの関係を、イザークはディアッカから聞かされていた。
最初からディアッカ同様、2人の関係に友好的だったわけではないが、戸惑うことも、ましてや怒りを抱くこともなく、ただ、何となくそうかと思った。
だからイザークは、ディアッカとは違う意味で、デュランダルと寝ているというキラの言葉が信じられなかった。
「振られたよ」
「振られた?」
「そう。だから僕はここにいる」
「……それは、どういう意味だ?」
「アスランはカガリのものになったってこと。それにしても、君たちって本当に似てるね」
容姿も性格も、イザークとディアッカでは全く異なるというのに、どこか似ている2人。
それを互いに気づいていながらも、改めて第三者に指摘された2人は、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべる。
その反応も本当にそっくりで、思わずキラは久しぶりに穏やかな笑みを浮かべた。
プラントに住むようになってからは、滅多なことでは浮かべなくなった笑みを。
穏やかで、どこか温かな笑みに、イザークとディアッカは呆気にとられる。
目の前の笑顔こそがキラの本質だと気づいたイザークは、驚きと、それ以上の憤りを覚える。
なぜアスランはキラではなく、カガリを選んだのかと。
よりにもよって、キラの双子の姉を――。
「今まであえて聞かなかったが、キラ、どうしてお前はプラントに、ザフトに入った?」
嘘は許さないと告げる眸に、キラは笑う。
やはりイザークとディアッカは似ていると。
「復讐するためだよ」
「……初めて、聞いた」
「イザークには言ってなかったからね」
「俺以外で、他に誰に言った?」
「目の前にいるよ」
艶やかに微笑むキラに、ディアッカは悪魔を見たような気がした。
恐る恐るイザークを窺ったディアッカは、蛙が潰れたような呻き声を上げる。
「ディアッカ、なぜ報告しなかった?」
怒鳴り散らすわけでもなく、静かに問いかけるイザークに、ディアッカは後ずさる。
その様子は、まるで蛇に睨まれた蛙のようで、どこか笑みさえ誘う。
「俺もついさっき知ったんだよ。それで報告ができるか!」
「本当か?」
楽しげに笑っているキラに、答えは聞かずとも分かった。
「うん。つい30分前ぐらいに」
「キラ、誤解を招くような発言は頼むから控えてくれ!じゃないと、俺がイザークに殺される!」
「それはないと思うな、僕」
「なぜだ?」
それは、何気ない疑問だった。
「だってイザーク、ディアッカのこと気に入っているでしょう?」
イザークとディアッカは、2人揃って絶句する。
次の瞬間、ディアッカは腹を抱えて笑い出し、イザークはそんなディアッカに対して、蹴りを一発見舞った。
「ナイス!………キラ、お前…最高………!」
よほどツボにはまったのか、体を二つに折り曲げながら、イザークに蹴られてもなお、ディアッカは笑うことを止めなかった。
「キラ、お前は何を言っている……っ」
「何って本当のこと。僕、何か変なこと言ったっけ?」
急に黙り込んだイザークに、キラは不思議そうに首を傾げる。
ようやく笑いの発作が収まったディアッカは、ゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「キラ、お前ってラクス嬢に負けないぐらいの天然だったんだな」
「ラクスよりは酷くないよ」
「そう考えているのは、多分お前ぐらいだな」
ポンポンと、ディアッカは軽くキラの頭を叩いた。
next