暁の月 8  『沈黙』






 いつもより騒々しいプラントに、キラはウンザリしながら溜息をつく。
「今ので、今日何回目の溜息か分かっているか、キラ?」
 頬杖をつきながら、ソファーにだらけて座っているキラに、向かい側に座っているディアッカが指摘する。
「知らない。ところで、まだ会談は終わらないわけ?」
「そう簡単に、オーブ首相との会談が終わるはずがないだろうが。全く、どうして俺がお前の監視なんかしなきゃいけないんだ……?」
「それはこっちの台詞。どうして僕が、ディアッカに監視されなきゃいけないんの?」
 本来なら今頃デュランダルの護衛をしているグラディス隊だが、先日の1件もあり、キラだけがその任務から外されていた。
 しかも今回ばかりは、いつものように姿を眩まされては困るということで、なぜかキラの監視役としてジュール隊が任命された。
 デュランダル直々に。
「議長命令だから、諦めたら?」
「………」
「……なあ、キラ」
 急に黙り込んだキラに戸惑いつつ、今日の任務を急に、しかも議長であるデュランダル直々に言い渡された時から気になっていたことが頭をよぎる。
 もしもここにイザークがいたら、永遠に尋ねることはなかっただろう。
 だが、何の悪戯か、この場にイザークはいない。
「なに?」
「アスランが先日の会談の時に来てたって、本当か?」
「………うん」
「うんってお前!」
「カガリの護衛として、アレックス・ディノという名前でプラントに来てたよ。笑っちゃうよね」
 クスクスと笑うキラはどこか痛々しくて、ディアッカは顔を歪める。
 自分が知っているキラは、時折どこか遠くを見つめることはあっても、こんな風に笑う奴ではなかった。
 痛みを堪えてまで、笑うことなどできる奴ではなかったというのに。
「良いのかよ」
「何が?」
「アスランのこと。恋人なんだろう?」
 かつてアスランと共に、それまで敵対していたアークエンジェルと一緒になってオーブを守った時に、知った。
 ストライクのパイロットだったキラが、アスランの親友であり、そして恋人であることを。
 最初は戸惑い、それ以上に怒りがあった。
 どうしてあのアスランが同性である男を、しかもよりにもよって、ニコルの仇と、と。
 けれど、すぐにディアッカは考えを改めた。
 アスランも、そしてキラも、たくさん苦しんだのだと知って。
 傷つけ合い、憎しみ合い、それでも愛していると、手を取り合った2人に。
 幸せになってもらいたいと、そう思っていたのに。
 2年前、ザフトの制服に身を包んだキラが目の前に現れた瞬間、裏切られたと、なぜかそう思った。
 実際は裏切られたわけではないのに。
「恋人だった、だよ。ディアッカ」
「えっ?」
 ずっとアスランとの関係がどうなったのかディアッカは聞きたかった。
 けれど何を尋ねても、どう詰め寄っても、キラは決してそれを口にすることはなかった。
 ただ、関係ないだろうと言うだけで、アスランや戦後オーブにいた時のことを決してキラは話そうとはしなかったというのに――。
「2年前、アスランは僕ではなく、カガリを選んだ」
「何だって……?」
「その瞬間から、僕らの関係は断ち切られたんだよ」
 今聞かされた話は、とても信じることなどできるはずがなかった。
 2人が幸せそうに寄り添っている姿を、ディアッカは実際に目にしたことがある。
 それなのに、どうしてキラの言葉を信じられるだろうか。
 どこか暗く、淀んだキラの眸に先ほどの言葉が真実だとディアッカは悟る。
 何がこうまでキラを変えた。
 澄み切った、優しい眸をしていたキラを――。
「何で、どうしてだよ……っ」
 音をたててソファーから立ち上がったディアッカに、キラは場違いな笑みを浮かべる。
「男と女、その違いだけで十分だろうと言われたよ」
「……あのアスランが、本当にそう言ったのか?」
「僕にとっては幼馴染みであり、ディアッカにとっては同僚だったあのアスラン・ザラがそう言ったんだよ、僕に向かってね」
 ディアッカとて、キラのことをよく知る前は、どうしてアスランが同性である男と付き合っているのか不思議だった。
 けれど、2人を見ていて、キラのことを知るにつれて、そんな疑問はいつの間にか、跡形もなく消えていた。
 愛し合っているのなら、性別など関係ないのだと教えてくれたのがアスランとキラだったのに。
 その片方が、それを見事に裏切った。
 しかも裏切ったのは、自分が良く知っている方で。
「だからお前は、ザフトに入隊したのか、キラ?」
「そうだよ。復讐するために」
「復讐……?」
 不穏な発言に、今目の前にいるキラが、本当に自分が知っているあのキラ・ヤマトなのかと、ディアッカは疑う。
 けれど、目の前にいるのは自分が良く知っているキラ・ヤマト以外の何者でもない。
「カガリ、にか?」
「違う」
 首をゆっくり振って否定するキラは、もう一度違うと呟く。
「じゃあ、一体誰に?」
 アスランを奪ったカガリに復讐を考えていないと言うのなら、では一体誰に復讐しようとしているのか。
「知ってる、ディアッカ?」
「何を?」
「議長お気に入りのエースパイロットの1人でもあるシン・アスカの仇が、誰なのか」
 シンの家族がオーブ戦のおり亡くなっていることを、彼を知る多くの人が知っていることだった。
 けれど、彼がオーブを、アスハを憎んでいるということを知っている人は少ない。
「お前が拾った子どもの仇なんか、俺が知っているわけがないだろう」
 苛立ちを隠しもしないディアッカに、キラは微笑む。
「僕だよ」
「はっ?」
「シンの両親を、妹を、死に追いやったのは僕だと言ったんだ」
「いい加減、ふざけるのは止めろ、キラ」
「ふざけてなんかいないよ」
「ふざけているに決まっている!どこの世界に、拾ってきた子どもの仇が自分だという奴がいる?」
 苛々とディアッカは右手で髪の毛をかき回す。
「シンは元オーブの住人だ」
「それは、知っている」
 ザフトの軍人として、予告なく突然目の前にキラが現れた時のことを、ディアッカは今でも覚えている。
 それと同じぐらい、キラが子どもを拾ってきた時のことを覚えていた。
 用心のために、キラが拾ってきた子どものことを、シホに調査するようにディアッカが命じたことすら、おそらくキラは知っているはずだ。
 なのに今更のようにその子どもの過去を話すキラに、ディアッカは訳の分からない苛立ちを感じる。
 まるで子どもの過去を調べた事を、咎められたような気分だ。
「シンの両親と妹が死んだのは、オーブ線で戦っていた白い機体が放ったビームのせいなんだよ、ディアッカ」
「その白い機体と、お前とどう関係があるって言うんだよ!」
 オーブ線で戦った白い機体はたくさんあった。
 だからディアッカは忘れていた。
 キラが乗っていたフリーダムもまた、白い機体だったということを。
「10つの翼を持った白い機体」
 白い機体は、たくさんある。
 だが、その中で10枚もの翼を持つ機体は1機しかない。
「………フリーダム?」
 自由という名の、闘いの兵器。
 それは、自由を勝ち取るための名なのか。
 それとも……――。
「それが、シンの両親と妹を殺した機体なんだ」
「冗談、だろ?」
「僕はいつだって守れないんだ、何もかも」
 小さな少女も。
 大好きな友人も。
 守らなければいけなかった女性も。
 他にもたくさん、守りたかった人々を。
 最後の最後で、守り抜くことができなかった。
 その罰が、愛する人の裏切りならば、殺してしまった人の遺族を拾ってしまった意味は何なのだろうか。
 シンを拾った時からずっとそのことについて考えているが、答えはまだ出ない。






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