暁の月 7 『懺悔』
いつだっただろう。
多分それは、拾われた間もないことだったと思う。
彼は確かに言った。
「誰よりも愛しているのに、誰よりも彼が憎いんだ」
まるで懺悔のようにも聞こえたその言葉に、あの時俺は何も言えなかった。
それを今でも気にしてしまうのは、彼の嘘偽りのない本音だったからか。
「………ン……………シンっ!」
「えっ、あっ?」
耳元で突然聞こえてきた大きな声に、シンは一歩後ずさる。
「レイ?」
いつの間にか目の前にいたレイに、戸惑うようにシンは声をかける。
「どうした、ボーとして。今は任務中だろう」
「ああ」
「あの人がいないからか?」
妙に覇気のないシンに、レイは恐らく今彼が一番気にしていることを口にすれば、跳ね上がったかと思えるほど、シンは反応を示した。
「諦めろ。今日はもう、会えない」
「どうしてレイがそんなことを知ってるんだよ?」
「議長からついさっき連絡があった」
もう、それだけで十分だった。
たったそれだけの言葉で、今日はもうキラが職務に就かないことが分かるぐらい、何度も姿を眩ましてきた。
キラが行方を眩ますたび、シンは思うのだ。
悲しいと。
風が、吹く。
まるで何かをさらうように。
高台の上に作られた墓地に、何かを伝えるかのように。
私服に身を包んだキラが訪れたのは、戦時中に亡くなった軍人を葬るための墓だった。
墓場であっても、その下に遺骨を埋葬されている人は少なく、多くの人はMSと共に燃え尽きてしまった。
墓石の下に遺骨がないと分かっていても、人は墓石に向かって手を合わせる。
キラもまた、その内の1人だった。
「また、来たのですか?」
振り返れば、ピンクの髪の少女が立っていた。
「僕は、神様のところには行けないから」
「行かないのではなく?」
「そう、行けないんだ、ラクス」
ピンク色の髪の少女――ラクス・クラインに、キラは独白にも似た呟きを漏らす。
それに、ラクスは何も言わない。
「お茶でもお入れしましょうか?美味しいカモミールを手に入れましたの」
「お願いするよ」
「はい。では、いつものお席でお待ち下さい」
いつもお茶を飲む時に使っている場所へと、キラはゆっくりと移動する。
そこは墓場からわずかに歩いた場所にあり、滅多なことでは人が訪れることもなければ、通ることもない場所だった。
だからこそキラは、ラクスにお茶へと誘われれば、いつも頷く。
滅多なことでは人が訪れることもなければ、通ることさえないということは、人目につきにくいということだ。
人目を避けたい時、格好の逃げ場所として、キラはいつも姿を眩ました時、ここに逃げてきていた。
「オーブの代表として、カガリさんが来たそうですわね」
「うん。アスランもいたよ」
トレイに載せたティーカップを慣れた手つきでテーブルへと並べたラクスは、カモミールをカップへと注ぐ。
その間、常にない穏やかな眸で見つめるキラに、ラクスは安堵する。
まだ、キラは壊れていないと。
束の間のお茶の時間が、キラにとっての癒しの時間だ。
だが、それはキラの心をわずかに癒すことはできても、この世に留めておける代物ではない。
だからこの束の間の時間だけでも、キラが穏やかな眸をしているたびに思うのだ。
まだ、大丈夫だと。
そんなことなど知らないキラは、入れ終わったカップへと手を伸ばす。
「議長にはそのことを」
「話したよ。護衛の男が、あのアスラン・ザラだって。でも、僕が教える前から、あの人分かっていたと思う」
「そうですか」
ラクスは何も言わない。
何かを言うたびに、キラが傷つくのを知っているから。
そして、自分は『契約者』にはなれないから。
道具としては役に立つことはあるだろうが、絶対にキラはラクスを道具として扱うことはないから。
例えどんなことがあろうと。
だからラクスは『傍観者』として、キラの側にいる。
それ以外、側にいる術がないから。
どれだけ悲しくても、辛くても。
「ごめんね、ラクス」
唐突な謝罪の言葉に驚いたラクスだったが、すぐに微笑みを浮かべた。
「今日はいつにも増して、ご気分が優れませんのね。いかがなさいましたの?」
「似ているのに、全く違う存在というのは、どれほど悲しいのかなって思って」
似ていても、全くの別物。
それが、いけなかったのか。
「それは、キラにとっては悲しいだけの存在なのですか?」
「どう、なんだろう……。ただ分かるのは、悲しくて、それ以上に憎いということだけで、あとは僕自身も分からない」
「それは、とても難しいですわね」
沸き上がってくる、名前を知らない感情。
それが何なのか分からなくて。
でも悲しくて。
憎くて。
それらを全て改めて考えていると、それまで必死になって前を見据えて歩き続けてきたというのに、どうしてか今さらになって振り返ってしまいそうになる。
振り返りたくなどないのに。
「でも、キラは手に入れたいのでしょう?」
「うん。あれだけが欲しい。あれ以外は、何もいらない」
地位も権力も、お金も何もかも、必要ない。
欲しいのは、ただ1人だけ。
それなのに、いつもそれは、いとも容易く腕の中からすり抜けていく。
「だから、僕はシンを捨てる」
「よろしいのですか?」
「良いんだ。きっと真実を知った時、シンは僕を憎むだろうから、だから僕が先にシンを捨てる」
憎まれる前に、捨てる。
その方が楽だからと。
「そうして、彼がキラに復讐を望んだ時、キラはそれを受け入れるのですか?」
「罪を償う方法として、僕には一番それが似合うと思わない?」
「私は、そうは思いません」
「ラクスは、本当に優しいね」
微笑みながらも、どこか悲しげなキラに、ラクスは泣きたくなる。
もう二度と、キラが楽しげな笑みを浮かべる日は来ないかもしれない。
たった一度、命よりも大切なものを失ったために。
何度も、守りたかったものを目の前で失ったために。
キラはもう、心の底から笑うことを忘れてしまった。
「私はただ、見守ることしかできないのですか、キラ……?」
「僕を思うのなら、ラクス、君は『傍観者』であり続けてほしい」
「いつだってあなたは、残酷なのですね。でもキラ、世界は残酷なだけではありませんわ」
「分かっているよ。でも、色褪せてしまったこの世界は、僕にとってはモノクロ映画のようにしか見えないんだ」
いつからだっただろうか。
色とりどりの鮮やかな世界が、モノクロ世界に変わってしまったのは。
分かるのは、黒と白と。
そして、血の色である赤だけになってしまったのは。
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