暁の月 6  『代償』






 毛布から栗色の髪がわずかに覗く。
 うだるような暑い日でも、寒いぐらいにクーラーをかけて、毛布を頭からすっぽりと眠るキラ。
 毛布の下では、胎児のように丸まって寝ていることを知っているのは、一体どれぐらいいるだろうか。
 何かからか己の身を守ろうとしているようにも見えるその姿は、どこか痛々しい。
 けれどデュランダルは、そんなキラをかわいそうだとも、哀れだとも思わない。
 本人が、そう思われることを酷く嫌っているのを知っているから。
「キラ」
 腰を屈め、耳元で囁くように名を呼べば、うるわいと言わんばかりにキラは身動ぐ。
 しばらくは息を潜めていたキラだったが、すぐに再び安らかな寝息を立て始めた。
 長年の経験で、キラがちょっとやそっとのことでは起きないと分かっていても、デュランダルは溜息をつかずにはいられなかった。
 キラの体を包んでいる毛布の端をつかんだデュランダルは、次の瞬間、何のためらいもなく毛布をキラから剥ぎ取った。
 突然外気にさらされたキラは、寒さで身を縮めると、覚醒しきってない眸でデュランダルを睨み付けた。
「ギル、貴様……」
 恨めしげな呟きに、デュランダルは笑みを深める。
「これで目が覚めただろう、キラ」
 剥ぎ取った毛布をキラの体の上へと戻したデュランダルは、スプリングが良く効いているベッドへと腰を下ろした。
 寒さに震えている体を温めるべく、返してもらった毛布で体をくるんだキラは、それでと切り出す。
「会議は……?」
「今何時だと思っている?もう終わったよ。そういうわけだから、慰めてくれ」
 伸びてきたデュランダルの手を、鬱陶しいとキラは払いのける。
「女の所にでも行って、慰めてもらえ」
「今日は女という気分ではなくてね」
 会話の最中であろうが伸びてくる手に、ついにキラは切れた。
「ギル!」
「何をそんなに苛立っている?」
「明日は朝早くからの勤務だから!寂しいのなら他の女のところに行けって言っているだろう!」
 勤務が朝一ではなく、昼からならば、これからデュランダルがしようとしていることに文句はない。
 ただ、今からだと明日の勤務に支障をきたすことを、過去の経験でキラは知っている。
 それはデュランダルも同様で、今日はこれで諦めてくれるだろうとキラは考えていた。
 その考えが甘かったことを、キラはすぐさま知る。
「だから言っただろう。今日は女という気分ではないと」
「なら、どこかで男を引っかけてこい!僕じゃない誰かを」
 老若男女を問わずにもてるデュランダルがその気にさえなれば、落とせない人はほぼ存在しない。
 もちろんデュランダルにも好みがあるとはいえ、この男は見目さえ良ければ、それで良いという傾向がある。
 特に一夜の関係ならば。
 コーディネイターが住むために作られたプラントにおいて、ナチュラルがいないわけではないが、人口の大半はコーディネイターだ。
 ほとんど見目麗しい者ばかりで、性格を気にしないデュランダルにとって、一夜の関係相手などごまんと存在する。
「言い換えよう。今日はキラ、お前が良い」
「ふざけるな!明日の勤務に支障が出たらどうするつもり?」
「そうなったら朝早くから呼び出そう。だから、大人しく慰めてくれ」
「ギル、一体何を考えてるわけ?」
 出会ってから2年間。
 その間幾度も肉体関係を持ってきた。
 数え切れないほどベッドで共に過ごしてきたが、今まで一度だってデュランダルは無理強いしたことなどなかった。
 今日以外は――。
「それはこっちの台詞だよ、キラ」
「何?」
「あのレイを仲間に加えたそうじゃないか。一体何を餌にしたんだい?」
 まだ報告していなかったことを知っているデュランダルに、キラは顔を背ける。

 ――餌。

 確かにその言葉通りだ。
 冷静沈着で、常に己を忘れないあのレイが、何かのために己を忘れ去った。
 それだけでも驚きなのに、その『餌』はレイとは似ても似つかない性格の同性だと教えたら、デュランダルはどう反応するだろうか。
 レイの養父である目の前の男は。
「キラ」
 答えを促すデュランダルに、キラは溜息をついた。
「僕の持ち物だよ」
 キラの持ち物で、レイが欲しがりそうな『もの』。
 答えはそれだけで十分だった。
「レイが欲しがっているのは、シン・アスカか。けれど良くレイが欲しがっているものが分かったな」
「僕とレイは似ているもの。分からないわけがない」
「だが、似ていると言っても、レイとキラでは全く違う存在だろう?」
「そう……だね…」
 曖昧に頷くキラに、自分の言葉の何かが、キラの傷に触れたことにデュランダルは気づく。
「キラ、君が何を気にしているのか私は知らないし、知りたいとは思わない。だからといって、気にならないわけではない」
「うん」
 俯きながらデュランダルの言葉を、キラは聞く。
「私が君と『契約』を交わしたのは、君が『復讐者』だからだ。私が少しでも協力することで犠牲を最小限にとどめられるならと」
「分かってる。だから僕は代償として『僕』をあなたに差し出したんだ。最後の一歩を、僕が踏み出さない保険の代わりに」
 顔を上げたキラは、今にも泣き出しそうな表情で笑みを浮かべていた。
 完全な『復讐者』とならないために、キラ・ヤマトはキラ・ヤマトという存在を契約の代償とした。
 最後の最後まで人間でありたいから。
 自然の理を破り、人とは違う方法でこの世に産み落とされたから尚更に。
 キラは最後まで人であり続けたいと誰よりも強く願っている。
 それを、キラ本人以外は知らない。
 自然の理に反してキラがこの世に産み落とされたことをデュランダルも知っている。
 けれど、キラの決意までは知らずにいた。
 デュランダルが知っているのは、キラの出生の秘密と、そして『復讐者』であるということ。
 そして、行方を眩ます際に赴く場所だけ。
「『復讐』は止められないのか?」
「止める?どうして?『復讐』を止めてしまえば、僕は僕でなくなるのに」
 今のキラは、ようやく生きていられる状態だ。
 もしも復讐を止めてしまえば、キラは生かされている存在でしかなくなる。
 そうなった時、今度こそ本当に発狂しかねない。
 だからキラは『復讐者』となった。
 生きるために。
 生きて、アスラン・ザラという存在を手に入れるために。
 キラは、復讐という道を選んだ。
 ただそれだけの話だ。
 けれど人は、そんな単純な話を分からないと言う。
 復讐という道を選んでまでも、どうしてたった1つの存在を望み続けるのかと。
 それはきっと、この世で一番大切なものをなくしたことがないからこそ分からないのだろう。
 この世で、自分の命以上に大切なものを失った悲しみを知らないからこそ。
 愚かなことを言うことができるのだ。
「愚かだな……」
「僕が?それとも、あなたが?」
「全てだ。そう、君も私も、レイも。誰も彼もが愚かだ」
 そうでなければ、どうして人は傷つけ合い、殺し合う。
 伸びてきた腕を、今度はキラは振り払わなかった。






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