暁の月 2  『邂逅』






「お前は」
「んっ?」
「お前は、あの人のことになると、少し冷静さに欠けるな。なぜだ?」
 冷静沈着と言われるレイとは対照的に、シンは情熱的だ。
 わずかに冷静さに欠ける部分はあっても、それは作戦行動に支障を来たすほどではない。
 だが、ある事に関してだけは、任務に支障を来たすほど、感情が乱れることがあった。
 それは、軍人としては致命的な欠点。
 いまはまだ、任務に支障を来たしたこともなければ、それに気づいているのもごくわずかな身内だけということもあり、事なき事を得てはいるが。
 自覚があるのか、決まり悪げにシンは視線をそらした。
「あの人だけだったから」
「何かだ?」
「俺の気持ちをすぐに分かってくれたのは。誰も俺に見向きもしなかったっていうのに、あの人だけが手を差し伸べてくれた」
 何もかも失い、だからこそ誰かの温かな腕を欲した。
 だが、周囲の人たちは自分たちのことで精一杯で、誰も身寄りのない少年になど見向きもしなかった。
 それが辛くて、悲しくて、けれどそれが当たり前なのだと己を納得させていた頃、道を指し示してくれるように、彼だけが手を差し伸べてくれた。
 まるでそれが当たり前なのだと、当然のことなのだと、自然に手を差し伸べてくれた彼に、どれだけ救われたことか。
 雛が初めて見たものを親だと信じ込んでしまうように、独りぼっちだった時、唯一手を差し伸べてくれた彼を、シンは信じ、頼り切っていた。
「……誰でも、良かったのか?」
「えっ?」
「手を差し伸べてくれるのなら、相手は誰でも良かったのか?」
「何をいきなり」
「もしもその時、彼以外の人が先に手を差し伸べてくれていたなら、その手をお前は取っていたか?」
「もしもなんて、仮定の話は俺には必要ない」
 仮定の話は、所詮は紛い物にしか過ぎず、それは現実には起こりえなかったものだ。
 一々仮定の話を考えるのは無意味だと、シンは嫌というほど知っていた。
「現実に、あの人だけが俺に手を差し伸べてくれた。そして俺は、あの人がいるからこそ、軍に入った。真実はそれだけで、それ以外の真実は存在しない。だから、他の未来を考えるなんて、無意味だ」
「例え、あの人が本当に欲しがっているのが、お前以外でもか?」
「!?」
 驚きで目を瞠るシンに、どこまでも冷静な眼差しが、全てを暴こうとする。
 最初は、信頼だけだった。
 温かな腕を欲していた時、当たり前に用に手を差し伸べてくれた彼。
 その彼に向けていた最初の感情は、純粋な信頼だけで、邪な感情など、一度も抱いたことはなかった。
 だが、いつの間にか彼の全てを手に入れたいと、そう思う自分がいた。
 温かな腕だけではなく、その身を、心さえも。
 彼の全てが、欲しいと。
「……そんなこと、嫌というほど分かってる」
 彼が自分ではない誰かを愛していると、彼に恋心を抱く前からシンは知っていた。
 ふとした瞬間、いつもどこか遠くを眺めている彼。
 その眼差しはいつも悲しげで、シンはいつだって己の無力さに泣きたかった。
 彼は自分に温かな腕を差し伸べてくれたのに、自分は彼に何もできなくて。
 それが歯痒くて、辛くて、悲しくて。
 彼がどうしてそんな悲しそうな眸をするのか、それがどうしても知りたくて、シンは彼にその理由を尋ねたことがあった。
 だが、答えが返ってくることはなかった。
 尋ねれば、戸惑いながら優しく微笑みかけて、欲しいものがあるのだと、そう答えるだけ。
 その先を尋ねても、決してほしいものが何なのか、彼はシンには教えてはくれなかった。
「あの人が俺を愛してくれることがないってことも、俺があの人に必要にされていないってことも、全てちゃんと分かってる。けど、俺があの人を必要としている限り、あの人はずっと俺を側に置いてくれる。俺は、今はそれで十分だ!」
 それ以上を望むことを、彼は許してはくれない。
 だから彼の心が欲しくても、シンはそれを口に出したことはない。
 彼がシンの心に気づいていながら、それでも側に置くのは、それが理由だった。
「………」
 歯を食いしばって、涙を堪えているシンに、レイは自分が馬鹿なことを言ってしまったことに気づく。
 謝罪しなければと思いながらも、全く言葉が思い浮かばず、レイは戸惑う。
「議長……?」
 戸惑うレイに気づくことなく、シンはこの場にいるはずのない人物に、困惑の声をあげた。
 シンの呟きに、慌てて振り返ったレイもまた、目の前の光景に、困惑するしかなかった。
 いまはまだ、デュランダルは基地司令部で会議中のはず。
 だが、目の前にいるのは、メディアで何度も見たことがあるデュランダル本人で。
「どうして議長がここに……?」
 護衛と補佐官を引き連れて歩いているデュランダルに、2人は顔を見合わせる。
 プラント最高評議会議長であるデュランダルが、基地内を闊歩しているのは、何ら不思議なことではない。
 今日が新造艦の進水式であり、本来なら、現在進行形でデュランダルが基地司令部で会議中であることを知らなければ、ここまで2人は困惑することはなかっただろう。
 戸惑い、困惑している2人に、答えを教えてくれたのは、同期であり、同僚でもあるルナマリアだった。
「シン、レイ!」
 親しげに声をかけてきた少女――ルナマリアに、二人は振り返る。
「ルナマリア、どうしてここに?」
「そんなのは後。彼女、誰か知ってる?」
 ルナマリアが指差す先には、1人の少女がいた。
 年齢は自分たちとそう変わらないように見える金髪の少女は、デュランダルと何か言い合いにしているように見えるが、その内容までは距離があるため、聞こえない。
「いや。一体誰だ?」
「なんとあのオーブ首相だって!アスラン・ザラがいる国の!!」
 エリート集団といわれたクルーゼ隊のエースパイロットから始まり、戦争中盤では最強と謳われたストライクを討ち、フェイスに任命されたアスラン・ザラ。
 婚約者でもあるプラントの歌姫ラクス・クラインと共に、父親でもあった元最高評議会議長パトリック・ザラと敵対しながらも、プラントを救った英雄として、ザフトの軍人なら知らぬ者はいない。
 そのアスラン・ザラが亡命した国として、オーブもまた有名だ。
「オーブの首相が、どうしてここに……?」
 視線をオーブ首相である少女に向けたまま、シンはポツリと呟いた。
「そんなことまで、私が知るわけないじゃない」
 肩を竦めたルナマリアは、ふと不安に駆られた。
「……シン?」
 いつもとどこか様子が違うシンに、ルナマリアは慌ててレイへと視線を向ける。
 そこでようやくレイは、シンの異変に気がついた。
 眉間に皺を寄せ、注意深くレイは辺りを探る。
 まるで何かに警戒しているかのように。
 シンだけではなく、レイもまた様子がおかしいことに、ルナマリアはただ戸惑うことしかできなかった。
 オーブ首相である少女と、いつもと様子がおかしいシン。
 まるで関係性がないように見える2人に、何かあるのだろうかと、ルナマリアは2人を交互に見比べる。
「彼って……」
「ルナマリア?」
「オーブ首相のすぐ側に立っている彼って、護衛かな?」
 ルナマリアが指差す先には、護衛らしき青年がいた。
 濃い色のサングラスをかけているため、表情を窺い知ることはできないが、よくよく観察していれば、何かを探しているようにも見える。
 護衛だからこそ、注意深く辺りを窺っているのだと言われればそれまでだが、だが、ルナマリアは何かが違う気がしてならなかった。
 護衛らしき青年を注意深く観察していたルナマリアは、気づかなかった。
 険しい表情で、レイが護衛らしき青年を睨み付けていたことに。






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