暁の月 1 『戦後』
コズミック・イラ73.10月。
長きに渡って行われた地球・プラント間の戦いが終結してから2年が経とうとしていた。
現プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルの護衛として、L4プラントアーモリーワンを訪れていたシンは、手持ちぶさたに、新造艦ミネルバの進水式の準備に奔走している人々を観察していた。
「――シン」
「は、はい!」
慌てて背筋を伸ばしたシンは、恐る恐る振り返る。
そこにはシンの上官に当たるタリア・グラディスがいた。
ミネルバの艦長であるタリアもまた、進水式の準備のため忙しさに忙殺されそうになっていることはあっても、シンのように暇を持てあます時間などない。
例えシンが勤務中にだらけていたとしても、忙殺されそうな忙しさで注意している暇など、タリアにはなかった。
そんなタリアから声をかけたということは、何かあったということだ。
苦虫を噛み潰したようなタリアの表情に、嫌な予感がする。
「実は、彼がまた失踪したの」
「えっ!?」
「1時間前ぐらいから姿が見えなくて。何人かさいて捜索させてはいるのだけど………」
「まだ見つかってないんですか?」
「ええ」
タリアの部下であり、シンの直属の上司である彼は、時折誰にも何も告げずに半日ほど姿を眩ましていた。
いつもどこに行っているのか知っている者は誰1人としておらず、一度姿を眩ますと、本人が自ら戻ってくるまで、誰も発見できない。
なぜ姿を眩ますのか彼の同僚や上司、果ては彼の部下までも問いただしたことがあったが、誰も答えを聞き出すことはできなかった。
普通ならば処分もののその行動は、プラント最高評議会議長ギルバート・デュランダルによって黙認されており、そのために彼は今まで一度も処分されたことがない。
当初は声高に彼の処分を求めた士官も存在したが、いつの間にか彼らは全員左遷、もしくは殉職していた。
そのこともあり、普通ならば最高評議会議長の特別扱いに不平不満が出てもおかしくないというのに、今では誰もが口を閉ざしている。
――彼には、何があっても手を出すな。
隊長格以上の階級を持つ者ならば、誰でも知っている不文律。
彼に手を出そうものなら、良くて左遷させられるというのが、不文律を知る者たちの認識だ。
「それで、彼がどこか行きそうな場所を知らないかしら?」
「ご期待に添えなくて申し訳ありませんが、俺、じゃなくて、自分には見当すらつきません」
自他共に認めるほど、彼を慕っているシンもまた、彼の行方を知らずにいた。
いつもどこに行っているのか問いかけたことも一度や二度ではないが、それでも求めた答えが返ってくることはなかった。
おそらく彼の行方を知っているのは、彼の後見人であり、その行動を黙認している張本人――ギルバート・デュランダルただ1人だけだろう。
軍人として許されないはずの行動を黙認し、自由にさせているデュランダルは、例え必ず参加しなければならない式典に参加せずとも、苦笑するだけで、たった一言で彼を許してしまう。
そんなデュランダルを、彼が誰よりも信頼していることをシンは知っている。
姿を眩ますたび、わざわざデュランダルだけには居場所を教えていることも。
言葉では言い表せない2人の関係。
シンはそれが、酷く羨ましかった。
彼の全てを知りたいのに、自分はいまだ深奥の扉に手を触れることすら許されてはいないのに。
「そう。やっぱり議長に聞くしかないのね」
唯一彼の行方を知っているデュランダルに、その行方を尋ねるタリアの行動はある意味は正しい。
けれど――。
「けど、議長があの人の居所を教えてくれますか?」
唯一、彼の行方を知っているデュランダルは、誰が尋ねようと、彼の居場所を教えたことはない。
過去に緊急事態が発生した時も、デュランダルは決して、誰にも彼の居場所を教えなかった。
「今回も無理だと思うけれど、駄目元で尋ねてみるわ。駄目なら駄目で、何が何でも呼び戻してもらうわ」
過去に緊急事態が発生した際、居場所を教えてはくれなかったが、デュランダルはすぐに彼を呼び戻した。
――電話一本で。
電話のやりとりは10秒にも満たず、デュランダルのたった一言で、いくら捜索しても見つけ出すことができなかった彼は10分後、皆の前に姿を現した。
「けど議長は今、会議中ですよ。話ができるような状態じゃありません」
「そう、一番の問題はそれなのよね。シン、あなたどうにかできない?」
「俺はただの護衛です。しかも今回限りの。そんなことができるはずがありません」
デュランダルの護衛を任せられてはいるが、シンはグラディス隊の隊員だ。
今回護衛の人手が足りないということで、暇を持てあましていたシンに白羽の矢が立てられた。
暇を持て余していたといっても、シンは士官学校を優秀な成績で卒業したエリート。
その証に、シンは士官学校を上位10位で卒業しなければ着られない赤服を着ている。
パイロットとして特に優秀であることを買われたシンは、今年士官学校を卒業したばかりだというのに、開発されたばかりの新型機を1機、与えられていた。
だからこそ、プラント最高評議会議長であるデュランダルの護衛に今回抜擢されたといっても過言ではない。
「議長と連絡が取れるまで、もう一度探してみたらどうですか?」
「そうね。というわけで、あなたも捜索隊に加わってちょうだい」
あと数時間で始まる進水式の準備に人手を取られ、さける人員は限られている。
本来ならばデュランダルの護衛でアーモリーワンを訪れているシンが、迂闊に護衛対象であるデュランダルの側から離れることは許されない。
だが、シンの役目は、護衛と言っても機体での警護であり、デュランダルが基地内にいる間は、自由に行動することが許されていた。
シンの上官であるタリアがそれを知らないはずはなく、だからこそプラント最高評議会議長の護衛に抜擢された部下に対して、捜索隊に加わるよう命じた。
「まずは基地内からお願い。もし手が空いている人がたら、捜索に協力してもらって」
形振りを構わず探し出せと、つまりはそう言うことだった。
頷いたシンは、すぐさま駆け出す。
一介の軍人でありながら、デュランダルという強力な後ろ盾を持つ彼――。
年齢でいえばシンよりも2歳年上だが、軍歴でいえば1期しか違わない。
それなのにすでにその名は、ザフトの軍人ならば知らぬ者はいないというほどの有名人だ。
士官学校時代、ほとんどの試験科目を1位でクリアーするだけでは飽きたらず、MS戦の実技で、試験官相手に全勝している。
かつて戦場で名を馳せたことがある試験官相手にすら遅れを取ることもなく、彼は圧勝という言葉に相応しい勝ち方をしてみせた。
それだけでも話題の的だというのに、第二次ヤキン・ドゥーエ攻防戦において活躍し、その名を軍内部に知らしめたジュール隊隊長であるイザーク・ジュールと、ジュール隊隊員であり、イザークの補佐役でもあるディアッカ・エルスマンの2人と、何度か親しげに話している姿を目撃されている。
まるで接点のない彼らの親しげな様子に、周囲は首を傾げることしかできなかった。
直接その関係を尋ねようにも、相手が悪かった。
片や、かつて戦場で名を馳せたことがある試験官に圧勝し、その頃からすでにデュランダルに名を覚えられていた有名人。
片や、失脚したとはいえ、元最高評議会議員の息子であり、プラントに置ける英雄たち。
迂闊に尋ねようものなら、翌日にはその存在すら抹消されかねないという噂が広まるほどの相手に、直接尋ねることができる、剛胆な神経の持ち主は結局現れることはなかった。
「――シン」
広大な敷地を持つ基地内を駆けていたシンは、慌てて振り返った。
「レイ」
「こんなところで、どうした?」
一言、二言ほど、すぐ側にいた技術スタッフのつなぎを着た男に話しかけたレイは、すぐにシンへと近寄る。
「あの人が失踪したんだ」
「またか?」
「ああ。それで、その捜索をしろって、艦長が」
「議長の護衛は?」
シンが今回、デュランダルの護衛に抜擢されたことを、同僚であるレイもまた知っていた。
式典の際、機体での護衛として抜擢されたとはいえ、護衛は護衛だ。
デュランダルの側をなぜ離れていると問う眸に、シンは肩を竦める。
「今は会議中だからって、式典が始まるまで、お役ご免された。それを艦長が知ってて」
「そうか。それで、失踪先の見当はついているのか?」
「見当がついていたら、あの人の捜索を俺にまで命じないよ」
「それもそうだな」
「けど、何も進水式当日に姿を眩まさなくても……」
式典がある日に姿を眩ますのは、何も今日が始めてというわけではないが、やはり大事な式典にはきちんと参加していた。
今回の進水式がどれほど重要なものなのか、それこそ耳にタコができるほど、何度も聞かされていたことを知っているシンだからこそ、戸惑いは大きい。
今日進水式が行われるミネルバは、彼の新しい配属先でもある。
だからこそ周囲の人間は、姿を眩ます常習犯である彼に、何度も言い聞かせた。
それにも拘わらず姿を眩ました彼に、上官に当たるタリアは、先ほどは気づかなかったが、おそらく内心は怒り心頭だろう。
「多分、進水式だからこそ、姿を眩ましたのかもしれない」
「……何か、あの人のことで知っているのか、レイ?」
「単なる推測の域だ。話せるような事じゃない」
強張った声音に、けれどレイはどこまでもその冷静さを崩さなかった。
推測の域と、そう告げたレイの言葉に、シンは落胆の表情を見せる。
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