暁の月 プロローグ 『過去』
「えっ?」
耳を疑う言葉に、キラは戸惑いの声を上げた。
そんなキラに、アスランは冷たい双眸を向ける。
昨日までのアスランからは考えられないほど、その眼差しは感情を映してはいなかった。
6歳の時に出会い、両親の都合によって離れ離れになったのは13歳の時。
それから3年。
予期せぬ再会を果たしたとはいえ、3年のブランクなどまるでなかったかのように、16歳のアスランはキラが知るアスランだった。
だからこそ手と手を取り合い、共に戦うことができたと言っても過言ではない。
敵として戦い、互いの友を、仲間を奪われ、奪ったという傷を互いに抱えてはいたけれど。
共に3年前と代わりえなかったからこそ、その手を握り返すことができた。
誰よりもアスランのことを知っていると。
そう思ったからこそ。
それが間違いだと突きつけられた今、キラはアスランが分からなくなった。
同時に、恐怖がキラに襲いかかる。
目の前にいるのは誰だと。
アスランであって、アスランではない、目の前の男は――。
「別れてほしい」
先ほどと同じ言葉をアスランは繰り返す。
わずかに不快感をあらわにして。
「どうして……!?」
昨日まで優しく微笑んでくれたのに。
温かな腕で抱きしめてくれたのに。
愛の言葉を囁いてくれていたのに。
前兆もなく、たった一夜で変わってしまったアスラン――。
理由を問うキラに、アスランは面倒臭そうに残酷な言葉を告げる。
「お前以外に好きな人ができた」
「………っ」
怪我を負っていた場所を、鋭いナイフで抉るように傷つけられたかのように。
別れてほしいという言葉以上は、キラの心の奥底まで傷つけた。
「だから、別れてほしい」
「…………誰?」
アスランを失うかもしれないという恐怖心によって、この時キラの心は麻痺していた。
抉るように傷つけられた傷口から、見えない血を流していながら、その痛みに気づけないぐらいに。
「好きになった人って、誰……?」
「…………お前には関係ない」
深々と溜息をつきながら、アスランは冷たくキラを突き放す。
その態度に、ようやくキラは気がついた。
もう自分は、アスランを繋ぎ止めておくことができないのだと。
どんなことがあろうと、あの優しかった眼差しが向けられることがないのだと。
あの温かな腕で、抱きしめてもらうことができないのだと。
アスランに突き放されてようやく、キラは気がついた。
たくさんのものに気づけば、それまで見えなかったものが皮肉にも見えてくる。
それまで分からなかったアスランが好きになった人が誰なのかすらも。
もしも冷たく突き放されなければ、永遠に気づくことはなかったかもしれない。
だが、現実はどこまでも残酷だ。
キラはアスランに冷たく突き放され、知りたくもなかった事実に気づいた。
「カガリ、なの?」
唯一の肉親であり、双子の姉でもあるカガリ。
姓は違えど、確実に血の繋がりがあることをその容姿が教えてくれる。
2人が双子だということを知らない他人からさえも似ていると指摘されるぐらい、その血は2人に影響を与えていた。
そして今、その血はアスランにまで及ぼうとしている。
「カガリが、君の好きな人なの?」
「さっきも言ったが、キラ、お前には関係ないだろう」
好きな人がカガリではないとすれば、例えどんなにキラを嫌っていたとしても、アスランは否定するだろう。
否定せず、あえて突き放すアスランに、キラは愕然とせずにはいられなかった。
「どうして……?」
何が違うという。
彼女と僕の、何が違う。
例え二卵性とはいえ、自分たちは双子。
外見も似ていれば、中身も面白いほどよく似ている。
違う点をあげるとしたら、その立場と性別、あとは髪と眸の色、そして身体能力ぐらいだ。
――それがいけなかったのだろうか?
女ではないから。
カガリとは違い、権力も何も持っていないから。
母親の温もりを知らずに、産まれてきたから。
だから、愛する人に見限られたのだろうか。
「どうして僕じゃなくて、カガリを選ぶの?」
「男と女、その違いだけで十分だろう?」
否定する気がなくなったのか、決定的な違いをアスランはキラに突きつける。
いつの間にか眸に溜まっていた涙が頬をつたう頃、強張っていた肢体から力が抜けるのをキラは感じた。
男と女。
どんなに頑張っても、人は持って生まれた性を変えることはできない。
男が女に。
女が男に。
努力ではどうしようもできないことを突きつけたアスランは、茫然自失状態のキラへと背を向ける。
「さよならだ、キラ」
冷たい、何の感情も籠もっていない言葉をかけたアスランは、その場を後にした。
残されたキラは、アスランの気配が完全に消えるまでその場に立ちつくしていた。
眸に生気を取り戻したキラは、真っ赤に充血した眸で宙を睨み付ける。
忌々しげに何もない宙を睨み付けるキラの眼差しからは、それまで何があろうと垣間見えた優しさが消えていた。
あるのはただ、憎悪だけ。
大切だった。
本当に、本当に大切だった。
それを失わないためになら、どんなことでもしてしまえるぐらい大切だった。
けれどそれは、いとも容易く腕の中からすり抜けた。
それだけならまだ、キラは許していただろう。
無理矢理己を納得させて。
だがそれは、知らない間に双子の姉のものになっていた。
男だというだけで失ったキラと、女だというだけで得たカガリ。
理不尽なそれが、キラの中に憎悪を生みだした。
不運にも性別が違うもう1人の己を、アスランが選んだために。
「許せない………っ」
歯軋りしながら、キラは両手に力をこめる。
爪が掌に食い込み、血を流してもなお、両手にこめた力をキラは弱めることはなかった。
「絶対に、許すものか……!!」
吐き出すようなその声は、聞く側を切なくさせる。
憎悪。
悲しみ。
痛み。
それらが全て入り交じったキラの声を、聞いていた人は誰1人としていなかった。
「どんなことをしても、取り戻してみせる…っ」
失うものなど、もうなかった。
ならばあとは、取り戻せば良い。
失うものがなければ、怖いものなど何もないから。
例えどんなに相手から憎悪されようと、すでに大切なものは腕の中には一欠片も残ってはいない。
ならば憎悪されたところで、痛くも痒くもなかった。
――願うのは、ただ1つだけ。
失った大切なものを、もう一度この腕の中に取り戻すこと。
それが叶うのなら、どんなことでもしてみせる。
人殺しに成り果てようと。
この命が尽きてしまうことになろうと。
もう一度、もう一度だけ。
大切なそれを、抱きしめることができるのなら――。
誰かを裏切ることになろうとも。
アスランから憎まれることになろうとも。
それまで大切だと思っていた人たちを切り捨てることになろうとも。
願うのは、ただ1つだけなんです……――。
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