うたかた [
生きていてほしかった。
地べたを這いずることになろうとも。
泥水を啜ることになろうとも。
裏切り者だと周囲から罵られようとも。
スザクにとってそれは、エゴイズムな考えだとしても。
「――後悔しているのか? あの坊やにギアスをかけてしまったことを」
なにがあろうと、スザクにだけはギアスは使わないと誓ったのに。切迫した状況に、気づけばギアスをかけていた。
死にたがり屋の彼には多分、最も残酷な命令を。
それでもと。
ルルーシュは拳を握りしめる。
彼が、スザクが生きていてくれれば、それで良いと。
そんなことを願った自分が忌々しいと後悔する日が来ることを知らずに、ルルーシュは己の信念をねじ曲げた。
「いいや、後悔はしていないさ。もしもしているとしたらそれは――」
まだ幼く、未熟だったとはいえ、スザクがどれほどの苦しみを抱いていたのか気づけなかったこと。
ただ、それだけだ。
それだけのはずだった――。
ずっと死にたかった。
生きていることが苦しかった。
日々苛まれる罪悪感は消えなくて、自ら命を絶つこともできなくて。
懸命に自分を誤魔化し続けて、これまで生きてきた。
ルルーシュを愛していると気づいてからは少しだけ生きてみたいという気持ちも湧いたが、死にたいという衝動には結局勝てなかった。
彼のために騎士になることを決意したのに、肝心のルルーシュによってその生き方は否定された。いつかきっと分かってくれると信じていても、辛かった。
そうして先日――。
生存率が低い任務に、スザクはなにもかも諦めた。
生きることも。
騎士であることも。
ただ死んだことをルルーシュには知られたくない一心で、ロイドには万が一のときには学園のみんなには死んだことは秘密にしてほしいと託して任務に赴いた。
――生きて、スザクっ!
生きていてほしいと。
隠し通していた秘密を知ってなお、生きていてほしいと願ってくれたユーフェミア。彼女のために生きるのもまた悪くないかもしれない。
でも――。
「……ルルーシュ」
今でもルルーシュのことは愛している。
彼もまた、数少ない秘密を知るひとりだ。
秘密を知っても嫌悪することなく、ルルーシュもまた受け止めてくれた。だからこそ騎士であり続けることをスザクはルルーシュにも認めてもらいたかった。
騎士として忙しい中、久しぶりの休日を与えられたスザクはアッシュフォード学園へと足を運んだ。
「――ルルーシュ」
久しぶりに登校すれば、一躍時の人となったせいか、以前とは違った意味で注目を浴びた。
以前は遠巻きにしていたクラスメイトでさえ親しげに声をかけてくる。これが権力かと冷めた気持ちで眺めながら、かけられる声を全て無視して、スザクはリヴァルと談笑しているルルーシュに声をかけた。
「スザクっ」
あっと振り返ったルルーシュから、それまでの笑顔が消える。先日の一件以来、一度も会っていなかったこともあり当然の反応ともいえたが、ずきりと胸が痛む。
「おはよう、ルルーシュ」
「ああ。おはよう、スザク。久しぶり」
正面からその顔を見つめれば、スッと視線をそらされた。
「うん。少し話があるんだけど良いかな?」
一瞬迷いを見せながらも、ルルーシュはすぐに頷いた。拒否されたらどうしようかと心配していただけに、頷いてくれたルルーシュにスザクは安堵する。
「屋上で良い?」
「ああ。――リヴァル、あとは頼む」
言い訳は任せると言い捨てて、ふたりは屋上へと向かった。
屋上に着いても、すぐにどちらも口を開かなかった。重く閉ざされた口を先に開いたのは、ルルーシュだった。
「――この前は、すまなかった。動揺していたとはいえ、きちんとお前の話を聞かなくて」
「良いんだ。あれは僕も悪かったから」
誰よりも先に騎士になることを伝えるべきだったのに、自分の口より先にルルーシュの耳に入ってしまっていた。冷静そうなルルーシュが動揺するのも当然だった。
「なんだか、近頃はこんなのばかりだね」
「スザク?」
「君に謝ってばかりだ。それだけルルーシュ、君を悲しませているってことなんだろうけど」
ルルーシュには幸せになってほしいのに。
ただその笑顔を守りたいのに。
もしかしてルルーシュから笑顔を奪っているのは自分なのかもしれないと考えると、情けなくなる。
「スザク……」
「ルルーシュ、叙任式のあと、僕は一度ユーフェミア殿下の騎士を辞めた」
やはり自分は騎士に相応しくないと思えたから。主従関係ではなく共犯者として共に歩むことを誓ったのに自分はユーフェミアの足を引っ張ることしかできないと、一度は騎士の証を返した。
「でも、やっぱり僕は彼女の騎士になることをもう一度選んだ」
「どうして……っ」
一度は騎士を辞めたのに、どうしてまた騎士になることを選んだのだと。信じられないと目を瞠るルルーシュに、ずっと避けていた話を口にする。
「あのマオっていう人が言っていたことをルルーシュは覚えてる?」
「……覚えてるよ、スザク」
エリア11がまだ日本と呼ばれていた時の最後の首相・枢木ゲンブ。ブリタニアとの徹底抗戦を謳いながらも、最期には自害したとされているスザクの父親。
「――僕は父を殺した」
ブリタニアと徹底抗戦を謳う父に抱いた疑念。果たしてそれが本当に正しいのだろうかと。幼かった自分はなにが正しくて、なにが間違っているのか判断がつかなかった。
そして犯した過ち。
「父を殺せば、争いは終わると思っていた。でも、今でのあのときの選択が正しかったのか分からない。父を殺す以外にもっと違う道があったかもしれないのに。幼かった僕は、その道を絶たせてしまった」
日本人から、本当はあったはずの希望を奪い取ってしまったのではないかと、日々罪悪感に苛まれ続けてきた。その苦しさに耐えきれずに、死ぬことを望むようになったのはいつからだっただろうか。
「僕はずっと、自分には生きる資格がないんだと思っていた。でも、ユーフェミア殿下はそんな僕に生きろと最初に言ってくれた人なんだ」
生きろとその言葉を言った瞬間、ルルーシュはひどく驚いた様子で目を見開いた。
「だから僕は、誰がなんと言おうとあの方の騎士であり続ける。君がどれだけ反対しても」
ユーフェミアの騎士になることを決断したときの思いは今も変わらない。けれど、ユーフェミアの騎士であり続ける理由は違う。
生きろと言ってくれた唯一の人だから。
彼女の共犯者として共に歩んでいきたいと心からそう思った。
「……それで?」
「ルルーシュ?」
「俺が反対してもユフィの騎士でいるということは、お前は俺の気持ちなんてどうでも良いんだろう?」
「違う、ルルーシュ! そうじゃないんだ!!」
分かってほしかった。ルルーシュにはなにもかも。権力を欲する理由を話せば、またルルーシュを苦しめることになるかもしれないと、全てを打ち明けることにスザクはためらう。
「もう良い、スザク」
「ルルーシュ……?」
疲れたと疲労の色をルルーシュは見せる。よくよく見れば以前よりも少し頬が痩けたルルーシュに、今さらながらにスザクは気づく。
どうしてもっと早くに気づかなかったのかと、スザクは悔いる。
「――別れよう、スザク」
淡々としたルルーシュに、言われた内容をスザクはすぐに理解できなかった。
「……ル、ルーシュ?」
「別れてくれ、スザク」
「嫌だ!」
なにかを考えるより早く、スザクは拒否した。
ルルーシュと別れることなんてできない。
愛しているのだ。
愛しているから、騎士になる道を選んだのに。
「どうして別れようなんてっ」
「それは、お前が一番よく知っているだろう?」
「ユフィの騎士になったから? でも、それは――」
「お前は知らなすぎる。皇族の騎士に対する憧れと、その存在意義も、なにもかも」
「ルルーシュ……」
ナナリーが必死に伝えようとしたことを、朧気ながらに思い出す。あのときのナナリーはなにを伝えようとしていたのか。あのとき、ナナリーの話をもっとよく聞いていれば分かったのだろうか。
「……僕がユフィの騎士を辞めれば、ルルーシュは別れようなんて言わないでくれるの?」
ふっと儚げにルルーシュは微笑む。
まるで全てを諦めきった笑みに、胸が痛い。ルルーシュにこんな笑みを浮かばせているのは、他ならぬ自分だという事実が苦しい。
「無理だろう、そんなこと」
ユーフェミアの騎士を辞めることなどできない。けれど、ルルーシュとも別れたくなかった。
ルルーシュに突きつけられた現実に、スザクはもどかしくなる。
「ルルーシュ!」
「それにきっと、俺のことを忘れる前のお前なら、ユフィの騎士になることなんて選ばなかった」
「……っ」
ルルーシュのことだけを忘れてしまったことは、どんな理由がそこにあろうと、消えない棘としてずっと胸に突き刺さっていた。そのことを考えないように、今の今まで忘れたふりをしていたそれを、抉るように指摘したルルーシュにスザクは息を呑む。
「それが、答えだよ、スザク」
静かに告げたルルーシュは、もう話は終わったと背を向ける。扉に向かおうとするルルーシュに、スザクは慌てて呼び止めた。
「待って、ルルーシュ!」
話はまだ終わっていない。別れることをスザクはまだ承諾していない。
立ち止まったルルーシュは少し悩んだ素振りを見せてから、振り返ることなく告げた。
「……スザク、お前を愛しているよ。でも、もう付き合えない」
愛しているからこそ。
今度こそ立ち去ったルルーシュに、屋上に取り残されたスザクは呆然と立ち尽くした。
屋上から立ち去ったルルーシュは真っ直ぐ教室に向かわずに、空き教室へと向かう。特別教室が入った棟は今は授業が入っていないのか、人気は全くなかった。
好都合だと空いていた教室に入ったルルーシュは、誰かが廊下を通っても気づかれないように扉をピタリと閉めた。しばらく扉の前で立ち尽くしていたルルーシュは、力尽きたかのように扉に背を預けて、ずるずると床へと座り込む。
片手で顔を覆い、口元に笑みを浮かべたルルーシュは、くっと笑みを噛み殺す。
なんて滑稽な話なのだろう。
死にたがり屋のスザクにギアスを使って、生きろと命じたのは自分なのに。
ギアスを使った前後は完全に記憶が抜け落ち、誰が生きろと命じたのかスザクにはその記憶はない。
それでも良いと最初は思っていた。
スザクが生きてさえくれればと。
でも――。
「ユフィ、お前まで……っ」
奪うのか。
自分から数少ない大切なものを。
もう二度と奪われないためにゼロになったのに。
なのにまた、奪われる。
よりにもよって可愛がっていた異母妹であるユーフェミアに。
「くくっ」
自嘲するような小さな笑いは、やがて高笑いに変わった。自分が涙を流していることにもルルーシュは気づかずに、長いこと教室に高笑いが響き続けた。