うたかた  \



「――ごめんなさい、スザク」
「ユフィ?」
 突然どうしたのですかと。
 行政特区・日本の準備で忙しく動き回っていたスザクは、前置きもなく謝罪してきたユーフェミアに困惑する。
「少しでもあなたの力になりたかったのに、こんな形で私だけ戦線離脱してしまって。本当にごめんなさい」
 皇籍奉還特権は皇位継承権を持つ人間だけが持つ特権だ。皇位継承権という、それまで得られていた権利を手放す代わりに一度だけ罪を許されるという権利――皇籍奉還特権。
 通常は罪を犯した皇族が一般市民となる代わりに、その罪を逃れる手段。ユーフェミアはそれを自分のためにではなく、これまでのゼロの罪を許してもらうために使うことを決めた。
 行政特区・日本にゼロの、黒の騎士団の参加を呼びかけたユーフェミア。行政特区・日本が成功し、約束通りゼロの罪が許されたとき、ユーフェミアは皇族ではなくなる。
 騎士は皇族のみが許された存在であり、皇族ではなくなったユーフェミアは騎士を持つことは許されない。せっかく騎士となり、権力を手に入れたのに、ユーフェミアが皇位継承権を放棄すれば、スザクもまた騎士という地位を返上しなければならない。そのことに罪悪感を抱いているユーフェミアにスザクは慌てる。
「ユフィ、謝らないで」
「でも、スザク」
「元々得られるはずのなかった権力だ。それを奇跡的にも少しの間だけ手に入れられた。ただそれだけの話だよ」
「スザク……」
 騎士になる資格など、本来はなかったのに。今だって、ユーフェミアの騎士であり続けて良いのだろうかという迷いもあった。
「ユフィには本当に感謝しているんだ。だから、謝らないで。それに、権力はこれから先いくらでも手に入れられる機会が訪れるかもしれない。でも、行政特区・日本は今しかできない。なら、今できることをしないと」
「……スザク、ありがとうございます」
 騎士という権力は失うけれど、これがブリタニアという国を変える第一歩になれば――。
 ルルーシュが望む形ではないかもしれないが、ユーフェミアの騎士でなくなれば、恋人として戻ってきてくれるかもしれないという思惑もあった。こんなことを知ったら、今度は本気でルルーシュに嫌われてしまうかもしれないと思いながらも、愛した人をスザクは取り戻したかった。
「ところでスザク」
「はい」
「恋人がいるんでしょう」
「!?」
 悪戯っぽく告げたユーフェミアに、スザクは目を瞠る。
 恋人ができたことは誰ひとりとして――ロイドやセシルにも教えていない。どうして知っているのかとうろたえるスザクに、ユーフェミアは楽しげに声を出して笑う。
「だってスザク、時間さえあれば携帯電話をじっと見つめているんだもの。誰かと連絡を取りたいのに、取れない状況なのでしょう? それは誰かと考えたとき、恋人かなってそう思ったんです」
 違いましたかとユーフェミアは首を傾げる。
「完敗だ、ユフィ」
 最初は守られるばかりの無垢なお姫様だとばかり思っていたのに、色々と度肝を抜かされることばかりするユーフェミアに、最早勝てる自信はなかった。分からないことを分からないままにするのではなく、自らの手で知ろうとするその姿勢もまた、惹かれる要素のひとつなのだろう。
 大半の周囲は皆、ユーフェミアの外見しか見ようとせず、その内側の輝きまで知ろうとしないから、お飾りの皇女と蔑むことができるのだ。今回の経済特区・日本で少しでもユーフェミアを見直してくれる人が増えてくれれば、それは彼女の偉業として後世まで語り継がれるだろう。
「それで、喧嘩したんですか?」
「似たようなものかな……」
「喧嘩じゃないんですか?」
「……騎士になるなら別れると言われて」
 誤魔化そうかとも考えたが、ユーフェミアのことだ。すぐに嘘だと見破るだろうと、スザクは本当のことを話した。
「ご、ごめんなさい、スザク! 私のせいで!!」
「謝らないで、ユフィ。それに、ユフィのせいでもないよ。僕がきちんと説得できなかったのが悪いんだ」
「でも……っ」
「それに、その前からちょっと色々とあったから、騎士になったことが直接的な原因ではないんだ」
 切っ掛けとなったのは騎士になることだったが、他にも問題はあった。
 騎士になることはユーフェミアが強制したわけではなく、自らが選んだ結果だ。誰かに責任があるとすれば、それはユーフェミアではなく自分にある。
「そうなんですか?」
「そうなんです」
「……もしも仲直りしたら、紹介してくれませんか?」
「えっ?」
「やっぱり、嫌ですか?」
 ユーフェミアに恋人を紹介するのは構わない。ただ問題がある。
 皇位継承権は剥奪され、公式上すでに鬼籍となっているルルーシュをユーフェミアへと紹介すればどうなるか。ナナリーと共に本当は生きていることを秘密にしてほしいと頼めば、ユーフェミアならば誰にも打ち明けたりしないだろう。だが、ことはそう簡単な問題ではなかった。
「……僕の一存ではとても」
「そうですよね。なら、大丈夫でしたら紹介してくださいね」
 楽しみにしていますと微笑むユーフェミアに、仲直りすることができるだろうかと、最後に会ったときのルルーシュを思い出す。
 たくさんルルーシュのことを傷つけた。
 今度ルルーシュと会ったときには、彼の気持ちを考えずに、エゴイズムな考えで傷つけたことをまずは謝ろう。そしてもう一度告白しようとスザクは決意する。
 愛していると過去形ではなかったルルーシュの思いを信じて。
 戻れると思っていた。
 後の歴史に刻まれた惨劇が起こるまでは――。



 剥き出しの岩の上に押さえ込んだ華奢な体の上にのしかかりながら、スザクはやるせない思いだった。
 ゼロがルルーシュだったなんて。心のどこかで疑いなからも、ずっと否定し続けてきた。
 その結果がこれかと、歯を食いしばりながらスザクはルルーシュを見下ろす。
「――どうした、殺さないのか? ユフィの仇である俺を」
「君は、殺さないっ」
「はっ? 殺さないんじゃなくて、殺せないんだろう? だがスザク、今俺を殺さなければ、いずれ後悔することになるぞ」
 挑発するルルーシュに、沸き上がる憎悪をスザクは懸命に抑えこむ。
 心優しかったユーフェミアを陥れ、殺したルルーシュを許せない。このまま憎しみのままに、ルルーシュをこの場で手にかけることは簡単だ。でも、こうなってもまだ愛しているルルーシュを殺すこともできそうになかった。
「それでも、僕は君を殺さない。皇帝陛下の前に君を引きずり出して、罪を償わせる」
「スザク!」
 貴様と、ルルーシュにとっては最悪の結末に怒りをあらわにさせる。
 憎悪に満ちた人の表情ほど醜いものはない。多くの人々の憎悪に満ちた顔を見てきたスザクはそう思っていた。
 憎悪の眼差しを向けるルルーシュは、ひどく美しく見える。気高いその心がそう見せているのだろうか。
 もしも気高いその心を手折ったとき、それでもルルーシュは美しくいられるだろうかと、スザクはふとした疑念を抱く。
 泥にまみれ、薄汚れてもなお、その美しさを損なわなかったルルーシュも、その気高い心が手折れたときどうなるのだろう。やさしくありたいと思っていたはずなのに、今は残忍な気持ちがわき上がる。
「そして僕はゼロを捕らえた功績に、帝国最強の十二騎士、ナイトオブラウンズの称号を請うつもりだ」
「……なん、だとっ」
「君はゼロとして外からブリタニアを変えようとした。でも、そんなのは間違ってる。だから僕が見せてあげるよ。内側からブリタニアが変わる様を」
「スザク、貴様っ! 俺を売って出世するつもりか!?」
「そうだよ。君がしてきたことより、ずっと良い案だろう?」
 ゴミ屑のように人の命を奪うよりもずっと健全的な方法だと。淡々と告げれば、ルルーシュの瞳は怒りに赤く燃えさかる。
「……貴様、スザク……っ! 絶対に、お前だけは許さないっ!!」
 牙を向き出しにしながら激怒するルルーシュに、くすりとスザクは笑う。
「許さない? 君は囚われるんだ。僕を許さないと言っても、なにもできない君は一体どうするつもりだい?」
 やさしくありたいと思った相手にこれほどまでに人は残忍になれる生き物だったのか。ユーフェミアの死によって、なにもかもが変わってしまった。望んだ世界も、スザク自身も。
「もっと早くに気づけばよかったよ。それこそあの日、ブリタニアをぶっ壊すと君が言ったときにでも気づいていれば、これほどまでの犠牲は出ることはなかった」
 はっと目を見開いたルルーシュは呆然とする。
 幼少の時に言ったその言葉をなぜと。
「……記憶を、取り戻したのか、スザク?」
「うん。ユフィを殺されたショックで少しずつね。でもまだ完璧には戻っていないよ」
「そうか……。それでもお前は、俺を売って出世する道を選ぶのか」
 力なく呟いたルルーシュの頬に涙がつたう。
 怒りに満ちていた瞳からもまた、力強さが消えた。
「……ルルーシュ、泣いているの?」
 見て分かるだろうと馬鹿にするかのように、ルルーシュは口元に笑みを浮かべる。
 どこか儚げなルルーシュにあれほど抱いていた憎しみは消え、後ろめたさを感じる。間違えたのはルルーシュではなく、自分だったのではないかと。
 ユーフェミアを目の前で殺されてもなおルルーシュを愛している自分に滑稽だとスザクは自嘲する。でもきっと、この想いはどんなことがあろうと消えはしないのだろう。
 再会したときに気づいた想いはけれど、あの幼かった日にルルーシュと友情を築いたときにはすでに抱いていた。会えなかった日々でもずっと好きだったこの想いは結局、記憶を失っても消えはしなかった。
「……もしも今、君をまだ愛してると言ったら、ルルーシュ、君はどうする?」
 くっと喉を鳴らしたルルーシュは、高笑いする。
「愛してる? お前が俺を? それこそ滑稽な話だな、スザク。俺がそれを信じるとでも思っていたか?」
 笑わせるなと。頬を涙で濡らしながら、ルルーシュはあざ笑う。
 この状況下で信じてもらえるとは思っていなかった。実際にルルーシュに指摘されれば、ただただ虚しかった。
「俺を売り渡して、出世したいならすればいい。だが忘れるな、スザク。俺はお前を決して許さない。いつか必ず、お前を叩きつぶして、絶望を見せてやるっ」
 そんな日が永遠に来ないことを祈りながら。スザクはルルーシュの腹を殴りつけ、気絶させた。
 ぐったりと岩の上へと肢体を投げ出しているルルーシュをしばらくぼんやりと眺めてから、まるで大切な宝物のようにスザクは両腕でそっとその体を持ち上げた。
「愛してるよ、ルルーシュ」
 すでに意識のないルルーシュの頬に口づけながら、スザクはささやくように愛を告げた。
 決してその言葉がルルーシュに届くことがないと知りながら。


















 水面に浮かぶ泡のように。
 儚く消え、その存在すらあったことすら忘れられる。
 まるでそう――。















 これはうたかたの恋だったのかもしれない――。



















  

fin.