うたかた  V



 スパルタなルルーシュの指導により、ギリギリ赤点を免れたスザクはひとまず留年の危機を脱した。黒の騎士団による大きな騒ぎもなく、軍の仕事もないスザクは久しぶりに穏やかな日々を過ごしていた。
「暇そうだねえ」
 いまだ修復が終わっていないランスロットをぼんやりと見上げていれば、白衣のポケットに両手を入れたロイドに声をかけられた。
「えっ、あっ、すみません!」
 戦闘によるものとはいえ、ランスロットをここまで損傷させてしまったのは自分の失態が原因だ。日々遅くまでランスロットの修復を行っているロイドたちを始めとする特派のスタッフたちとは違い、なにもできないとはいえ、壊した張本人がぼんやりとしていれば腹も立つというものだ。慌てて謝るスザクに、ロイドは肩をすくめる。
「そんなに謝らなくても良いよ。今は君に手伝われても邪魔だしね。もう少ししたら起動テストができるようになるから、そのときは馬車馬のごとく働いてもらうけど」
 ひょうひょうとロイドは言うが、ランスロットの修復が終われば接続に問題がないか、タイムラグが起こっていないかどうか、起動テストが連日連夜行われるのはほぼ確実だった。ランスロットの修復作業からようやく解放されたかと思えば、起動テストで連日連夜付き合わされることになる特派のスタッフたちに申し訳なくなる。
 自分の失態が原因というのもあり、たまには差し入れをしようと考えて、この場合なにを差し入れたら喜ばれるだろうか。ロイドに尋ねても絶対にプリンとしか言わないだろうし、セシルに至ってはスタッフたちの好みとはかけ離れたものを言いそうだった。
 当てにならない上司ふたりに、スタッフの誰かを捕まえて尋ねた方が早いとスザクは早々に結論づける。
「ところで、なにをそんなに悩んでるのかな?」
 にやりと笑いながらロイドは尋ねる。
 どこか面白がっているロイドに果たして相談してもいいものだろうかと悩むが、誰にも相談できないことだけに、スザクは迷った末に口を開いた。
「他のことは全て覚えているのに、誰かひとりだけを忘れてしまうってことはあるんですか?」
 科学者でありながら、なぜか医師免許も持っているロイドならなにか知っているだろうかと、まずは尋ねた。
「んー、事例がないわけじゃないよ。で、枢木准尉は誰のことを忘れちゃったの?」
「いえ、僕のことじゃなくて!」
 まずいと、スザクは慌てる。
 爵位を持っているロイドは皇帝への謁見許可を得られる立場にあり、それは皇族に対しても同じことが言える。ナナリーからはロイドとは面識はないとは聞いているが、皇族である限り一方的に知られている可能性もある。もしもロイドがルルーシュとナナリーのことを知っていれば、それこそ一大事だ。
「ふーん。まあ、いいけどね」
 慌てすぎて不自然に見えただろうか。一応納得したらしいロイドの様子を窺いながら、それでと続きを促されたスザクは話を続ける。
「忘れてしまった原因って、どういうものなんでしょうか?」
「僕が知っている限りでも色々とあるよ。それこそ人の頭の構造って機械よりも複雑怪奇だからね。それが面白くて脳の構造に取り付かれた人を何人か知っているけど、僕はどうにもねえ」
 医師免許を取得しながらもナイトメアフレームの科学者となったロイドにとって、どれほど脳の構造が複雑怪奇であろうと興味は引かれなかったのだろう。ナイトメアフレームに関しては、それこそ子どものように目をキラキラと輝かせるほどに興味を見せるのに。
「脳の構造に興味はないんですか?」
「解明されたら面白いだろうなあって思うぐらいには興味はあるよ。でも、僕はどうにも生物に関することは苦手でねえ。それに比べてナイトメアは人と違って文句を言わず、従順だ」
 セシルの苦労を窺わせるロイドの発言に、頬が引きつる。
 これではセシルも苦労するはずだと、多少抜けているところはあるが、まともな人が副官であることにスザクは感謝する。もしもセシルがいなければ、今頃特派は大変なことになっていたか、存在そのものを消されていたかもしれない。
「そうそう、記憶喪失の話だったね。特定の人物のことを忘れてしまう場合のほとんどは、心因性が原因だ」
「心因性ですか……?」
「要は心が原因ってこと。例えば小さい頃に日常的に暴力を振るわれていた人がいたとしよう。その人は大人になった頃には幼い頃に暴力を振るわれていたことを忘れていた。暴力を振るった相手のこともね。さあ、なんででしょう?」
「辛い記憶だったからですか?」
「ある意味正解だね。その本人にとってはひどい体験なんだから、トラウマになってもおかしくはない。でも、そのトラウマが日常生活を送るのに支障をきたすほどにひどいことだってあるわけだ。そうなると、さあ大変。で、脳は勝手に判断してしまう。その記憶を消してしまえって。本人の意思に反してね」
 まあ、本人も覚えていたくはないだろうけどと、ロイドは肩をすくめる。
「今話したこととは真逆に、大切なのに忘れてしまうことってあるんですか?」
「面白いことを聞くね。まあ、ないわけじゃないよ。事例は少ないけど」
 くすりと笑ったロイドは、いまだ修復中のランスロットを見上げる。
「まあ、君が誰かのことを忘れていようと、ランスロットのデヴァイサーとしての努めをきちんと果たしてくれるなら、僕はなんにも言わないから安心して」
「ロイドさん、ですから!」
「はいはい、分かったから。僕はどっちでも良いんだって」
 興味はないと言いきったロイドに、スザクは複雑だった。
 今回の件に対しては非常に助かったが、上司として大丈夫だろうか。放任主義とは聞こえは良いが、要は面倒臭がりなだけだ。
「僕は修復作業に戻るけど、枢木准尉はもう帰っても良いよ」
「でも」
「君がいてもいなくても、今は関係ないから帰っちゃいなさい。なんだったら、前に話していた昔からの友だちと遊んでくると良いよ。たまには息抜きも必要だろう?」
 じゃあねと背を向けたロイドは、ひらひらと手を振りながらランスロットの修復作業へと戻っていった。
「友だち……」
 昔からの友だちとロイドが指した相手は、おそらくはルルーシュのことだろう。どんなことを話したのかは覚えていないが、ロイドにまで話していたとは。
 まさかロイドも、その昔からの友だちの記憶を忘れてしまったとは夢にも思っていないだろう。
「ルルーシュ……」
 ぽつりと、ランスロットを見上げながらスザクは呟く。
 できることなら、今すぐにでもルルーシュに会いたかった。
 絶望的とも思えた定期テストだったが、追試を受けることなく全教科赤点を免れることができたのは、ルルーシュのスパルタともいうべき教えもあったが、それ以上に最後まで根気よく付き合ってくれたからだ。好きだと気づいてからは、どれほどルルーシュの教え方が厳しくてもすぐ隣にいる存在に、本当に幸せだった。
 蜜月ともいえる期間は試験期間中の最終日前日まで続いたが、その後は中々一緒にいられない日々が続いていた。試験が終わるなり用事があるからと忙しそうにしているルルーシュに何度か誘いをかけたが、ことごとく断られた。
 今日とて勉強を見てもらったお礼をしようと誘ってみたが、あっさりと断られた。シャーリーやリヴァルの誘いも断っていたことから、本当に忙しいのだろう。
 ここ数日は遅刻か早退をしているルルーシュは、常に眠たそうにしていた。なにがそんなに忙しいのだろうかとリヴァルに尋ねてみたがなにも知らないらしく、他の生徒会メンバーやナナリーも把握していなかった。
 誰も知らないとはいえ、ルルーシュがなにをしているのか分からない現状はひどく苛々する。
 好きだからこそ、全てを知りたい。
 恋人ならまだしも、友人でしかない自分がルルーシュの全てを把握することなどできるはずもない。否、もしかしたら友人ですらないかもしれない。
 自分のことだけを忘れてしまった相手のことを、ルルーシュはどんな風に思っているのだろう。薄情な奴だと思っていないだろうか。
 両思いになれるとは思っていないが、嫌われたくはなかった。ただ友人として傍にいられれば、今はそれでスザクは満足だった。



 届いたばかりの情報を、ルルーシュは頬杖をつきながら自室に置かれたパソコンで眺めていた。
「ナリタ連山か……」
 コーネリアが次に狙っている獲物。
 日本解放戦線の本拠地でもあるナリタ連山は、遠からずコーネリアの獲物として狩られるとは思っていたが、予想よりもその動きは早い。
「なんだ、ルルーシュ。そのデータは?」
 ベッドに寝そべっていたC.C.は起き上がると背後からルルーシュの首へと腕を絡ませ、パソコンの画面を覗き込んだ。
 何度注意しても文句を言おうが、全くというほど聞き耳を持たないC.C.に苛立ちながらも、ルルーシュは好きなようにさせる。ここで怒鳴りつけたところで、どこ吹く風と聞き流すC.C.に疲れるのは自分だけだ。ならば無駄な体力を使う必要はないと、ルルーシュはため息混じりに答える。
「内通者からの報告だ」
「ふーん。あの皇女、次はナリタ連山を狙うのか。ところで、これを寄こした内通者は信用できるのか?」
「安心しろ。裏は取れている」
 たったひとりからの情報を信用するなど馬鹿のすることだ。情報が届いてからすぐに多方面から確認を取ってみたが、情報に偽りはなさそうだった。
「で、次はここを狙うのか?」
「もう少し情報を得てから決める。だが、利用しない手はない」
 すでにいくつか作戦案は練ってある。あとは足りない情報を補うことができれば、戦力にかなりの差があるとはいえ、勝機はあった。
「そうか。――ところで、枢木の坊やはまだ記憶を取り戻していないのか?」
 ぎくりと、体が強張る。抱きついているC.C.がそれに気づかないはずがなく、全くとため息をついた。
「ルルーシュ、あの男はやめておけ。お前の誘いを断るばかりか、お前のことだけを忘れてしまうような男だぞ?」
「うるさい。そのことはお前には関係がないだろう!」
 C.C.の腕を振り解いたルルーシュは、椅子に座りながら振り返った。
「いいや、大いに関係があるさ。お前はあの坊やのことになると、途端に理性を失う」
 ぐっと、ルルーシュは言葉を詰まらせる。
 C.C.の言葉は正しい。
 スザクが関わった途端に、ルルーシュは理性を失う。それではいけないと分かっているのに、いつも感情が先走ってしまう。
「お前が倒れるようなことがあれば、私にまで被害が及ぶ可能性がある以上、見過ごすことはできない」
 ぎゅうっと唇を噛み締めたルルーシュに手を伸ばしたC.C.はそっと頬に触れると、その顔を覗き込んだ。
「ルルーシュ、お前が誰を好きになろうと私は反対はしないよ。ただし、あの坊やは別だ」
「C.C.、俺は……っ」
「ナナリーが大切なら、あの坊やは諦めろ。それが嫌ならギアスをかけてしまえ」
「C.C.!」
 一度だけ本人の意思をねじ曲げてでも命令を下すことができる絶対遵守の力。
 いまだ使っていないギアスを使えば、どんなに強情を張ろうともスザクを手に入れることができる。スザクにギアスを使えってしまえと、何度心の誘惑に惑われそうになったか。その度に全力で拒否し続けているのに、誘惑しようとするC.C.にルルーシュは頬に触れている手を振り払う。
 痛いなとC.C.は振り払われた手をさすりながら、首を傾げた。
「なにをためらう? ギアスを使えば、あの坊やを手に入れることができるんだぞ」
「断る! 他の誰に使おうと、スザクにだけは絶対にギアスは使わない!!」
「強情め」
「なんとでも言え。とにかく、スザクには絶対にギアスは使わない」
 見知らぬ他人にギアスを使い、その意思を強制的にねじ曲げて、使い捨ての駒として使うことに一片の罪悪感もないけれど、譲れないものがある。
 ルルーシュにとってそれは、スザクにギアスを使わないことだった。使ってしまえば最後、本当に大切なものまでも失ってしまう気がした。
 これ以上なにも失わないために戦うことを決めた。失ってしまうなら、本末転倒だ。
 これでもう、この話は終わりだとC.C.に背を向けたルルーシュは、膨大に残っている報告へと目を通す。
「――いつか」
 ぽつりと、C.C.は静かに呟く。
「いつか再び、お前があの坊やに泣かされる日が来ないことを祈っているよ」
「……泣いた覚えはない」
 気づいていたのかと。相変わらずの目敏さを、今ほど忌々しく思ったことはない。
 否定すれば、仕方がないと言わんばかりにため息をついたC.C.は、それ以上はなにも言わずにベッドへと戻り、横たわった。哀れんだ眼差しでC.C.背中を見つめていることにルルーシュは気づくことなく、静かに夜は明けた。

  

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