うたかた U
周囲にもはっきりと分かるほど落ち着きのないスザクは、教室の扉をジッと見つめていた。誰かが教室に入ってくる気配にわずかに立ち上がっては目的の人物ではないことに落胆する様子を、少し離れた場所でリヴァルとシャーリーが見ていることにも気づく素振りはなかった。
「ねえ、リヴァル。スザク君が待ってるのって、やっぱりルルだよね」
「それ以外に誰がいるっていうんだよ」
教室で待っていることから、スザクが待っているのはクラスメイトだ。生徒会メンバーであるカレンとニーナはすでに登校しており、教室にいた。消去法から考えても、スザクが待っているのはルルーシュしか考えられない。
事情を知らないクラスメイトもそう思っているのか、落ち着きのないスザクを気にかけてもいなかった。好き勝手に過ごしているクラスメイトたちが、今回ばかりはありがたい。
まさかスザクがルルーシュに関する記憶だけを忘れてしまったなど、誰も想像していないだろう。昨日現場に居合わせたリヴァルも、昨日の放課後にミレイから説明を受けたシャーリーも、いまだ信じられずにいた。
「ルル、大丈夫かな……」
今日は来るよねと。不安を覗かせるシャーリーにリヴァルは黙り込む。
リヴァルが知っているルルーシュはどこか取っ付きにくく、融通が利かない完璧主義者なくせに突発的なことに弱く、それを必死に隠そうとして墓穴を掘る、どこか放っておけない存在だった。
同時にそうと気づかれないように一線を引いて、他人を深いところに立ち入らせないようにもしていた。最初の頃こそリヴァルも気づかなかったが、誰よりも傍にいたからこそ気づいてしまった。穏やかな笑みを浮かべながら他人を拒絶するルルーシュが唯一心を許していたのは、妹であるナナリーだけだと。
ルルーシュの唯一は、ずっとナナリーだけだった。ルルーシュの親友を自負していただけに嫉妬したこともあったが、ナナリー以外に心を許さないルルーシュに安心もしていた。
だから突然現れてルルーシュの隣を奪い取り、今までナナリーにしか許されなかった一線をあっさりと越えてしまったスザクに、リヴァルは驚き、嫉妬した。幼馴染みだと教えられたときは、見当違いな嫉妬だったと反省もしたが、うらやましさは消えなかった。
長年自分の指定席だったルルーシュの隣に立つスザクに、嫉妬はなかった。ただ、少しだけ寂しかった。
仲間外れにされたわけでもない。冷たい態度を取られたわけでもない。それまでとルルーシュの態度に変わりもない。
スザクが来てから、ルルーシュの表情は少しだけ柔らかくなった。相変わらず穏やかに笑いながらも他人を拒絶していたが、以前とは違い少しだけやさしくもなった。
スザクという存在で、ルルーシュは少しだけ変わった。多少の変化とはいえ、長年ルルーシュの傍にいたリヴァルにとってそれは大きな変化だった。
ナナリーとはまた違った、ルルーシュにとっての唯一。それがスザクだ。だからこそリヴァルはルルーシュのことが心配だった。
外見に反してがさつに思われているルルーシュだが、繊細な一面も持っていることをリヴァルは知っている。
傷つきやすく、脆いからこそ、ルルーシュは誰も近寄らせなかった。唯一それを許したスザクが自分のことだけを忘れてしまったという事実に、きっとルルーシュはすぐに耐えられなくなる。周囲の目を気にして平気だと取り繕うだろうが、いつか破綻するのは目に見えていた。
誰かが――スザクがいち早くそれに気づいてくれれば良いが、そうでなければ、誰の忠告にも耳を傾けないルルーシュはどうなってしまうのだろうか。シャーリーもどこかでそれに気づいているのだろう。
「……あのふたりなら、大丈夫だって俺は信じたい」
どうしてルルーシュのことだけを忘れてしまったんだと今すぐにでもスザクを責め立てたかった。確証なんてなかったが、あのふたりなら大丈夫だと思ったからこそ、リヴァルはスザクを責め立てずに見守ることにした。もちろん、なにかあれば即座に対応するつもりだ。
「う、うん。大丈夫だよね、ルルとスザク君なら」
大丈夫と祈るようにシャーリーは呟く。
いつもより少し遅く、ルルーシュは教室へと姿を見せた。おはようと周囲に笑顔で挨拶するルルーシュは、普段と変わらないように見えた。
「――おはよう、スザク」
昨日の動揺した姿がまるで嘘のように、普段と変わらずにルルーシュはスザクへと声をかけた。なにも知らない周囲にとっては、いつもと変わらない日常だった。
「お、おはよう」
「少し話があるんだ。今、大丈夫か?」
「僕も話があるから」
「なら、ちょうど良かった。――リヴァル」
顔を上げたルルーシュと目が合ったリヴァルは絶句した。
「ホームルームに遅れたら、言い訳を頼む」
行くぞと声をかけるなり、誰の返事も待つことなく先に歩き出してしまったルルーシュを、スザクは慌てて追いかける。
黙って見守っていたシャーリーは、拍子抜けしちゃったねとリヴァルに声をかけながら振り返り、凍り付いた。
「リ、リヴァル?」
怒りで体を震わせるリヴァルに、シャーリーは後ずさる。
「あの野郎……っ。記憶を取り戻したら、一発ぶん殴ってやる!」
目が合わなければ、多分気づかなかった。
思っていた以上に傷ついていたルルーシュに、記憶を取り戻したら絶対にスザクをぶん殴ると。不可抗力だったとしても、ルルーシュをあそこまで傷つけたスザクに、リヴァルは決意する。
「馬鹿スザク……っ」
なんだってルルーシュのことだけを忘れてしまったのか。どこにもぶつけられない苛立ちに、リヴァルはスザクの席を睨み付けた。
「昨日はすまなかった」
屋上に着くなり、開口一番にルルーシュは謝罪の言葉を口にした。
「えっ?」
思わぬ謝罪の言葉に驚きの声を上げれば、当然だろうと返された。
「お前にとって俺は、見知らぬ相手だ。そんな相手からあんな態度を取られたら、誰だって不愉快なはずだ」
だから、昨日のことはすまなかったと。謝罪するルルーシュにスザクは慌てる。
「待って! 確かに昨日のあれは驚いたけど、でもそれは、君が悪いわけじゃない。僕が君のことを忘れてしまったからで……。それに驚いたけど、不愉快だとかは思わなかったから。だから、その、気にしないでほしい」
「……そうか」
「う、うん」
流石に見惚れたとは言えずに、スザクは黙り込む。今も、愁いを帯びたルルーシュに目を奪われそうだった。
なにか声をかけなければと思うのに、焦れば焦るほど言葉が見つからない。こういうとき、口下手な自分が嫌になる。
「昨日会長にも言ったが、できれば周囲や軍にはお前が俺に関する記憶をなくしたことは黙っていてほしい。ナナリーに変な心配をかけたくない。それと、俺たちのことがどこで知られるとも分からない状況はできるだけ避けたい」
「それは分かってる。軍にはもちろん、誰かに話すつもりはないよ」
信じてほしいと。紫水晶(アメジスト)の瞳を真っ直ぐに見つめれば、ルルーシュは胸を撫で下ろした。
単なる口約束なのに信じるルルーシュに、胸がざわつく。なにを根拠にルルーシュは自分の言葉を信じてくれたのだろうか。
記憶を失う前の自分だと言うのなら、相手は自分であってもスザクは苛立たしかった。
「ありがとう。会長からは今回のことを含めて、なにか聞いたか?」
「一応君に関する情報は一通り。その、ごめん……」
「どうして謝るんだ?」
目を瞬かせたルルーシュは、謝られる理由が分からないと首を傾げる。
「必要なこととはいえ、君の了承なしに君のことを色々聞いちゃったから……。その、プライベートなこととかもっ」
「なんだ、そんなことか。元々お前も知っていたことだ。いちいち謝る必要はない。それに、知っておかないと困るのはお前だけじゃないからな」
気にするなと、ルルーシュは微笑んだ。
やっぱり奇麗な人だなと、スザクはルルーシュに見惚れる。ナナリーの兄だけあって整った顔立ちをしているルルーシュは、男だと分かっていてもなんだか妙な気持ちになってくる。
「あ、あと、会長の意向でリヴァルだけじゃなくて、シャーリーにも事情を説明してあるから」
「なにかあったときにフォローを頼めるのは、そのふたりだろうから、仕方がないな。俺もできる限りフォローはするから、なにかあったらすぐに言ってほしい」
「う、うん」
「あと、不愉快かもしれないが、周囲に怪しまれないようにお前に対する態度は変えるつもりはない。とはいえ、お前に我慢を強いるつもりはない。少しでも嫌だと思ったら言ってくれ。できる限り改善する」
自分に対する態度をルルーシュが変えないことに不服はなく、スザクはそんなことはないと慌てて頭を振る。
「元はと言えば、僕が君に関する記憶を忘れてしまったことが原因だ。ルルーシュが気を遣う必要なんてこれっぽっちもないよ」
はっとルルーシュは目を見開く。なにかおかしなことでも言っただろうかと自分の言葉を思い返してみたが、心当たりはない。悩んだ末に、ひとつの原因に思い至ったスザクは慌てた。
「あっ、ごめん。つい! ルルーシュって呼んでも?」
周囲がルルーシュと呼んでいたこともあり、つい何の気なしに周囲と同じように名前を呼んでいた。ミレイやリヴァルたちの前ではすでに何度も名前を呼んでいたこともあり、違和感なく口にしていたが、ルルーシュ本人の前で名前を呼んだのはこれが初めてだったと、急に気恥ずかしくなる。
「……構わない。前のお前も、俺をそう呼んでいた」
今さら呼び方を変えられても困ると。どこか遠くを見つめるかのように目を細めながら、ルルーシュは言う。
その目に今映っているのは、どんな光景なのだろうか。目の前にいるのは自分なのに、どこか遠くを見つめているルルーシュに、スザクは自分を見てほしいと懇願しそうになった。
「ところで、来週の定期テストなんだが」
定期テストという単語に、スザクはギクリと体を強張らせる。
昨日久々に受けた授業は、思っていたよりも進んでいた。来週行われる定期テストの範囲も教えてもらったが、とてもじゃないが今週中に範囲全てを勉強できる自信はない。
いつもならセシルやロイドに勉強を教えてもらえたが、今は壊れたランスロットの修復作業でそれどころではない。リヴァルにもう一度勉強を教えてほしいと頼んでみたものの、俺もやばいんだっていう言葉で一蹴され、他に倒れる相手は見つかっていない。
ランスロットの件は自業自得とはいえ、このまま定期テストで赤点を取れば出席日数が足りないことも重なって、留年が決定してしまう。卒業までは通わせてもらえることになっているが、それは順当に進級すればの話だ。
名門でもあるアッシュフォード学園にナンバーズが在籍していることはいまだ問題視されている。留年が決定すれば、これ幸いと言わんばかりに即退学を促してくるだろう。
せっかくアッシュフォード学園に通わせてくれているユーフェミアのためにも、できる限り卒業したかった。とはいえ、このままいけば留年は確定事項だ。
「スザクさえよければ、放課後に教えようか?」
「えっ、良いの!?」
「いつものことだから気にするな。それに、昨日の朝まではそのつもりで対策も練っていた」
対策を練るほどに面倒を見てもらっていたことにスザクは驚く。そういえば、昨日の朝にリヴァルがルルーシュがいるから大丈夫だと言っていた。今さらながらに迷惑をかけているのではないだろうかと、スザクは不安になる。
「でも、良いの? ルルーシュだって勉強があるのに……」
「安心しろ。それに関しては心配はいらない。それに、今回の定期テストを落としたらやばいんだろう?」
「うっ」
全て見通されていたことに、スザクは言葉を詰まらせる。
「お前が嫌でなければ、今週は学校が終わったら俺の部屋に来い」
「えっ!?」
「なにをそんなに驚く?」
顔をしかめるルルーシュに、スザクは慌てる。
「いや、だって、昨日会長が、ルルーシュは自分から誰かを部屋に招くようなことは絶対にしないって……っ」
勉強を教えてもらうにしても、てっきり教室か生徒会室だとスザクは思っていた。まさかルルーシュの部屋に招かれて、教えてもらえるとは思ってもいなかった。
「なんだ、そんなことか。会長が言っていたことは半分は本当だが、半分は嘘だ」
「半分……?」
「お前だけは部屋によく招いていた。お前が来ると、ナナリーが喜ぶからな。それに……」
「それに?」
「いや、なんでもない」
力なく頭を振ったルルーシュに、続きが気になりながらも問いただすような真似はできなかった。聞いてしまえば、ルルーシュを傷つけてしまうような気がした。
「それで、どうするんだ?」
「お願いします」
迷いは一瞬だった。
以前はよく招かれていたようだが、本当に部屋に行っても良いものだろうかと悩みながらも、誰も招かないというルルーシュがどんな部屋に住んでいるのかという興味が勝った。頭を下げてお願いすれば、くすりとルルーシュが笑ったような気がした。
「じゃあ、今日から早速勉強会だ。俺はスパルタだからな。覚悟しておけよ」
コクコクと頷きながら、スザクは胸をときめかせた。
「――ここは違う」
トンッと回答した問題を指差したルルーシュに、スザクはうっと言葉を詰まらせる。
クラブハウスの一角――ルルーシュとナナリーが住まう部屋のリビングで、スザクは約束通りルルーシュに勉強を見てもらっていた。
部屋に招いてくれたルルーシュに、ミレイにからかわれたのだと思ったスザクは、リヴァルへとそれとなく確認した。また会長に騙されたのかと笑われるはずが、実際はミレイの言葉を肯定するものだった。
生徒会メンバーでも、この部屋へと足を踏み入れたのはミレイだけ――それも、問題が発生したときだけだと教えられた。それを聞いて、緊張しないはずがない。
緊張しながら部屋へと足を踏み入れたスザクは、すぐにその緊張を解いた。
この部屋を以前、見た記憶がある。ひどい靄がかかってはっきりと思い出せないが、この部屋を訪れた記憶が確かにあった。思い出せば、ひどく懐かしく、それでいて落ち着いた気分になるのだから、不思議なものだ。
すぐに始まった勉強会は丁寧で、それでいて分かりやすい教え方に、順調に進んでいた。将来は教師になれば良いのにとさえ思うほどだ。
その反面、朝に宣言したとおりスパルタ過ぎるルルーシュに、スザクはそろそろ音を上げそうだった。指摘された問題を解き直し、正しい答えを書き直せば、正解だと微笑むルルーシュの笑顔がなければ、とっくの昔に音を上げていた。
「少し休憩するか」
腕時計に目を走らせたルルーシュに、スザクはガタッと椅子から立ち上がった。
「良いの!?」
「そろそろ集中力が切れる頃だろう? 無理にこのまま進めても、良い結果は出ない。少し休憩して、それからまた再開した方が効率的だ」
きっぱりと言い切ったルルーシュは、立ち上がるとキッチンへと向かった。
そういうものかと半ば納得しながら、疲れたとスザクは背伸びする。やはり勉強するよりも、体を動かすことのが好きだと改めて思う。
出来こそ悪いが、勉強をするのは嫌いではない。新しい世界が広がる気がして、むしろ面白さがある。
ただ、体を動かすことが好きなスザクにとって、狭い椅子に長時間座り続けるのは苦痛でしかなかった。だから体力馬鹿とか、脳みそまで筋肉でできているんだと罵られるのかと落ち込みそうになったスザクは、あれっと首を傾げた。
それは、一体誰に言われたのだろう――?
そんなことを言いそうなのは、リヴァルしか考えられない。けれど、リヴァルにそんなことを言われた記憶は一切なく、他の誰かに言われた記憶もなかった。
よくよく思い出せば、何度かこの部屋に訪ねたことがある。それはいつもナナリーに招待され、ちょっとした相談に乗るだけだったが、その時の記憶と比較すれば部屋数がひとつ多いことに気づいた。
記憶にはない増えた部屋がルルーシュの部屋なのだろう。硬く閉ざされた部屋の先が知りたくて、でも知るのがひどく怖かった。
「スザク、紅茶で良かったか?」
「う、うん」
タイミング良くキッチンから顔を覗かせたルルーシュに驚いたスザクは、慌てて頷く。
すぐにキッチンへと戻ったルルーシュの表情が一瞬、悲しそうに見えた気がした。気のせいかとも思ったが、ざわめく胸が気のせいではないと訴える。
迷いながらも立ち上がりかけたとき、玄関に続く廊下に面した扉が静かな音を立てながら開いた。
「ナナリー」
扉が開くまで人の気配に全く気づかなかった。普段ならば扉が開く前に気づくのに、注意力が散漫になっていたことに内心で舌打ちながら、立ち上がったスザクはナナリーの傍へと近づく。
「いらっしゃい、スザクさん。今日はもしかして、定期テストのためのお勉強ですか?」
ことりと小首を傾げるナナリーに、アッシュブランドの髪がふわりと揺れる。
「うん。ルルーシュに休んでいた間の勉強を見てもらっているんだけど……」
口籠もるスザクに、ナナリーは楽しげにくすくすと笑う。
「お兄様、手厳しいですものね。ところで、今は休憩中ですか?」
「うん。ルルーシュなら、今はキッチンに――」
顔を上げてキッチンを振り返れば、手にトレイを持ったルルーシュがタイミング良く現れた。
「ナナリー、帰ってきてたのか」
気がつかなかったと、紅茶の香しい匂いをさせたカップを二つとクッキーが入った小皿を載せたトレーをテーブルへと置いたルルーシュは、ナナリーの傍へと近寄ると、両膝を床に付けた。そのままナナリーの片手を両手で握りしめながら、ルルーシュは微笑む。
「お帰り、ナナリー」
「ただいま帰りました、お兄様」
くすぐったそうに、それでも嬉しさを隠しきれずに微笑むナナリーとルルーシュの姿に、胸がざわりと騒ぐ。微笑ましい光景に苛立ったスザクは、明らかにナナリーに嫉妬している自分に困惑する。
自分はルルーシュのことが好きなのだろうか。何度も見惚れているとはいえ、会って間もない、それも同性相手だ。
軍に長く身を置いていると身近な同性を好きになる人は案外と多く、抵抗は一切なかった。どれも短い付き合いではあったが、過去にいた恋人たちは全員女性だったスザクは、自分はヘテロセクシュアルだと何度か同性の同僚に告白されても、全て丁重に断っていた。
同性愛を否定するつもりはない。ただ劣情を抱くのはいつも女性で、同性を愛せるとはできないと思っていた。ルルーシュを見ていると、それは間違いだったのかもしれない。
妹であるナナリーとの睦まじい姿を見ているだけで、感情が荒れ狂う。
これまで付き合った恋人たちとは相手からの告白で付き合い始め、ひとりの例外もなく相手から振られて別れていた。恋人としてはやさしいけれど、愛してくれない人とは付き合えないと、ほぼ同じ理由で振られ続けた。当時は分からなかったが、今はその言葉が理解できた。
相手から告白されて付き合ったとはいえ、スザクなりに彼女たちのことは愛していたし、だからこそやさしくしていた。付き合っている恋人が他の男と並んで歩いているのを目撃したときだって、慌てて弁明した彼女の言い訳を少しも疑わなかった。
悲しそうな顔をしていた彼女に気づきながらも、なにも言わなかったのは彼女が好きだったからではない。ただ単に、面倒ごとを避けたかっただけだ。
そんなスザクの心情に気づいたのだろう。その彼女から振られたのは、そのすぐあとのことだった。
振られればショックを受けるが、それだけだ。落ち込むことも怒ることもなく、次の日には彼女たちのことは過去の人となっていた。
もしも彼女がルルーシュだったなら、言い訳を少しも疑わず納得などしなかった。きっと怒り狂って、場所を考えずに問いただしていた。
付き合っていた恋人たちとルルーシュに対する感情の違いに、彼女たちの言い分が正しかった。愛していたと思っていたが、それは勘違いだったと。ナナリーと仲睦まじいルルーシュを見ていると、それがよく分かった。
「――さん!」
考えにふけっていたスザクは、聞こえてきた大きな声にはっと目を瞠る。
「ごめん、ナナリー。なにかな?」
「いえ。それより、どうかされたんですか?」
声をかけてもすぐに反応しなかったことに、なにかあったのかとナナリーは顔を曇らせる。本当のことを話すわけにもいかず、どうやってふたりを誤魔化そうかと視線をさまよわせたスザクは、トレーに載った紅茶とクッキーに目を留めた。
「……ちょっと、お腹が空いたなあと思って」
美味しそうな匂いがするクッキーに、スザクはペタリとお腹を押さえる。
言葉にすれば本当にお腹が空いているような気がして、今にもお腹の虫が鳴いてしまいそうだった。
「まあ、スザクさんったら」
深刻な内容ではなかったこともあり、くすくすと楽しげに笑うナナリーに、暗くなっていた空気が一気に明るくなる。
なんとかナナリーを誤魔化せたことに胸を撫で下ろしたスザクだったが、ルルーシュの様子を窺えば、納得した素振りはなかった。どうしようかとルルーシュの反応を待っていれば、すくりと立ち上がった。
「なら、スザクのためにも休憩に入ろうか。ナナリー、紅茶で良かったか?」
「お願いします、お兄様。おやつはクッキーですか?」
「当たりだ。足りなければマフィンも出すから、遠慮なく言えよ、スザク」
お兄様ったらと楽しげに笑いながら、ナナリーは制服から私服へと着替えるために自室へと向かった。
ナナリーが自室へと消えた途端、リビングは和やかな雰囲気から一転、なんとも言えない微妙な空気に包まれた。
「あ、あのっ!」
なにを言うべきか悩みながら、スザクは意を決してルルーシュへと話しかけた。
「夕食はどうする?」
「えっ?」
てっきり追求されるものだとばかり思っていたスザクは、返ってきた言葉に戸惑った。
「スザクさえ良ければ夕食を食べていってくれ。お前が一緒だと、ナナリーが喜ぶ。嫌なら適当に誤魔化すから、合図をしたら帰ってくれ」
「……良いの?」
「嫌なら誘わない」
きっぱりと言い切ったルルーシュに、スザクは悩む。
ナナリーが喜ぶとからとはいえ、夕食に誘ってくれたことは嬉しい。けれど、ルルーシュはどうなのだろうか。思い切って尋ねたかったが、なぜかそれは憚られた。
「なら、お言葉に甘えて夕食を一緒にさせてもらうよ」
ルルーシュが好きだ。
出会ってまだ二日しか経っていなかったが――もしかしたら、記憶を忘れる前から好きだったのかもしれないが――かつての恋人たちとは違い、愛していると自覚したスザクは、夕食とはいえど、ルルーシュの誘いを断れなかった。
「……分かった」
頷いたルルーシュは、夕食の前にナナリーの分の紅茶を淹れるためにキッチンへと戻った。その後ろ姿を、スザクは見つめていた。