アッシュフォード学園の大学部研究部の一角を、軍施設を追い出された特派は仮住まいとして借りていた。すでに時計の長針は夜の11時を指し示しており、周囲の照明は全て消されていた。カタカタとキーボードを叩く音が響き渡る中、手元を照らす照明だけがついていた。
「――お帰りぃ、セシルくん」
 キーボードを叩く音に混じって、鋭く息を呑み込む音が聞こえた。
「……流石ですね、ロイドさん」
「僕を誰だと思ってるのさ。足音を消すだけじゃ、まだまだだよ」
 くすくすと笑いながら、キーボードを叩く手を休めることなく、ロイドは背後にたたずむセシルへと告げる。
 軍を辞めてからすでに十年という歳月が経つが、ロイドは体を鍛えることを忘れた日はなかった。惰性で続けていることとはいえ、鍛えている最中はなにもかも忘れられ、今でもやめられずにいた。
「それで、セシルくん」
「はい」
「僕になにか隠しているのかな?」
 普段と変わらないふざけた調子で、ロイドはセシルへと尋ねる。
 アッシュフォード学園へとスザクを迎えに行った日からどこか様子のおかしかったセシル。スザクへとそれとなく尋ねてみたが、特に変わったことはなかったと話していたときの態度には、一切違和感はなかった。あの日に何かがあったのは確かだが、それ以上追求することはできなかった。
 重要なことがあれば報告するだろうと、仕事に支障をきたさない範囲なら良いかとロイドは今日まで放置してきた。だが、夕方から急にそわそわし始め、全くと言うほど仕事が手に付いていなかったセシルにロイドは考えを改めざるを得なかった。
「ロイドさん」
「うん?」
 いつもとは違う硬い声音をしたセシルに、ロイドはやさしく返事をする。
「もう少し待ってもらえますか? いずれ、絶対にお話ししますから」
「それは、今僕が聞いちゃ駄目ってこと?」
「はい」
 しっかりと頷いたセシルに、ロイドはようやく振り返った。射貫くような真っ直ぐな瞳をしたセシルに、ふっと笑みをこぼしたロイドは、再びパソコン画面へと向き直る。
「君の好きにすると良いよ」
 突き放しているわけではなく、自由に動いて良いと。信頼した上で、行動の自由をロイドは許した。それまで直立不動で立っていたセシルが動いたのが気配で分かる。おそらく頭でも下げたのだろうと憶測を付けながらも、ロイドは振り向くことはしなかった。











主と魔女と、赤い











「寮はこちらではなかったはずだけど……」
 普段の軍服ではなく、私服を身に纏いながら、セシルは先を歩くミレイへと問いかける。
 アッシュフォード学園へとスザクを迎えに行った日から数日。互いに都合のつく日を選び、ミレイはアッシュフォード学園内にあるクラブハウスへとセシルを招き入れた。
 全ては主であるルルーシュからの指示とはいえ、いまだにミレイは後ろを歩いているセシルを信用したわけではない。いつなにが起こってもすぐに対応できるようにしているとはいえ、できることなど限られている。警戒心を隠すことなく、ミレイはセシルの問いに答えた。
「寮で暮らすには色々と不自由なことが多いため、主たちはクラブハウスの一角を改造した住居に住んでいます」
「では――」
「治ってはいません。足も、目も」
「そう」
 ミレイが主と仰ぐふたりの過去に何があったのか知っているセシルは、そっと目を伏せる。
 知らせを受けてミレイたちが駆けつけたときには、すでにナナリーは皇族専属の病院へとかつぎ込まれ、マリアンヌに至っては遺体が移動された後だった。アリエスの離宮に残るおびただしい血と、飛び散ったガラスの破片はそのままで、そこでなにが起こったのか、当時まだ幼かったミレイでさえ理解できる惨状だった。

 あれから八年――。

 銃弾を受けた足はいまだに動く様子は見られない。目の前で母親を暗殺されたショックで光を失った目も、いまだに回復する見込みはなかった。
「――主はこちらです」
 立ち止まったミレイは、目の前の扉を指し示す。覚悟はできているかと瞳で問いかけるミレイへと、セシルはごくりと息を呑み込みながら頷いた。
「失礼します」
 スッと扉を開けたミレイに続いて室内へと足を踏み入れたセシルは、その姿を認めるなり頭を下げた。
「お初にお目にかかります、ルルーシュで――」
「――セシルさんでしたね? どこであろうとも、迂闊なことは言わないでいただきたい」
 言葉を遮ったルルーシュは、冷ややかにセシルを見下ろす。はっと慌てたのはセシルだ。思わず顔を上げたセシルは、足を組み、ソファーの端で身を沈めながら頬杖をつくルルーシュの姿を改めて認め、固まった。
 以前の――一瞬だったとはいえ――邂逅では見られなかった王者の風格。身を隠さなければならない人間にとっては邪魔にしかならない王者の風格を隠しながら生きていたからか、以前会ったときとは雰囲気がまるで違った。以前は周囲に埋没するような雰囲気だったのに、今は気圧されるほどの凄まじい圧迫感に、セシルは立っているのがやっとだった。今すぐにでも膝を折り、頭を下げなければならないと思わせるほどの威圧感に、セシルはルルーシュへと恐れを抱かずにはいられなかった。


「――その女が、例の奴か?」


 唐突に気配もなく隣室から現れたのは、腰に届くほどの長い髪の少女だった。黄緑色の髪に金色の瞳をした少女はまるで人形のような精巧な顔立ちをしていた。
 突然現れた少女に、ミレイとセシルのふたりは慌てて構える。ただひとりルルーシュだけは驚く素振りはなく、静かにため息をついた。
「C.C.言ったはずだ。少し大人しくしておけと」
「私がその言葉に従うと思っていたのか?」
 くすくすと愉快だと言わんばかりに笑う少女――C.C.に、ルルーシュは片眉を上げ、不快感をあらわにする。短かったとはいえ、ふたりのやりとりに知り合いだと判断したミレイとセシルのふたりは居住まいを正した。そんなふたりに、C.C.はなにがそんなに楽しいのか、くすくすと笑う。
「ミレイ」
「はい」
「すまないが、少し席を外してほしい」
「ルルーシュ様、それは――」
「――ミレイ」
 なおも言い募ろうとしたミレイにルルーシュは静かに名前を呼ぶ。有無を言わせないその声に、頭を下げたミレイは部屋を後にした。
 ミレイがいなくなったことにより、室内は一気に緊張感に包まれる。ひとりルルーシュの視線にさらされたセシルは、喉の渇きを覚えた。
「さて――」
 座っていたソファーから立ち上がったルルーシュは、窓際へとゆっくりと移動する。その行動をセシルはただ黙って見つめていた。
「――セシル・クルーミー。ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアの問いに、全て答えてもらおうか」
 振り向き際、ルルーシュの左目から赤い鳥が飛び立つのを、セシルは見たような気がした。











 くすくすと耳障りな笑い声に、ルルーシュは笑っている張本人を睨み付けた。
「なにをそんなに怒っている、ルルーシュ?」
 優しげに問いかける口調とは違い、その表情はどこか皮肉が混じっていた。
「その笑いをどうにかしろ!」
「これが笑わずにいられるか!」
 愉快だとC.C.はなおも笑い続ける。セシルへとギアスをかけたあと、聞き出せる情報は全て聞き出した。動揺を押し隠しながらギアスを解いたルルーシュは、不信感を抱かないようにいくつか尋ねた。答えられる範囲で疑問に答えた後、セシルは早々に帰宅した。今日のことは当分、誰であろうとも他言無用と言い聞かせて。
 セシルが帰宅してなお、ルルーシュは動揺していた。今後どうするべきかと椅子に座り、机に向かって考え込んでいれば、当然のようにベッドへと横たわったC.C.は、愉快だと声を立てながら笑い始めた。そして、冒頭の台詞と相成った。
「どうするつもりだ、ルルーシュ? ロイド・アスプルンドという男、相当役に立ちそうじゃないか。その男のためにも、いっそのこと、お前の幼馴染みの代わりに騎士にしてやったらどうだ?」
「――C.C.」
 黙れと、まるで今にも撃ち殺さんばかりにルルーシュはC.C.を鋭く睨み付ける。
「怖い、怖い」
 おどけた調子を隠さずに、C.C.は笑いながら体を震わせる。それがさらにルルーシュの怒りを煽っていることを知りながらも、C.C.は笑い続けた。
「ルルーシュ、なにをそんなに恐れている?」
「恐れてなど――」
「――いないと、断言できるか?」
 違うとは言わせないと、ベッドから立ち上がったC.C.は、ルルーシュへと近づくと、するりと頬を撫でた。人を嘲笑うかのような笑みを消したC.C.は、神秘的な気配を漂わせながら、ルルーシュを抱き寄せた。
「怖いのだろう?」
 私にまで偽る必要はないと。優しく何度も髪を梳けば、胸へと顔を埋めたまま、ルルーシュは心の奥底へと沈めていた心情を吐露し始めた。
「あの男が愛した無垢な紫水晶(アメジスト)は、もうどこにもいない……っ」
「無垢な紫水晶(アメジスト)?」
 初めて聞く名称に、C.C.は首を傾げる。
「ラクシャータが言っていた。あの男は無垢な紫水晶(アメジスト)がナイトメアが大好きだったから、科学者になったと」
 ああと、C.C.はようやく納得した。ギアスを用いてセシルへと尋ねたことの中には、なぜロイドがシュナイゼルの騎士候補に選ばれながらも、軍を辞め、科学者へと転向したのかというものがあった。セシルの答えは、教えられれば至極簡単なものだった。
 ロイドが騎士になりたかったのは、友人でもあるシュナイゼルではなかった。彼の異母弟であるルルーシュ・ヴィ・ブリタニアその人。彼の方が亡くなったのなら、騎士になる意味はないとロイドは軍を辞めた。そして、ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアが生前ナイトメアが大好きだと言っていたから科学者になったと。


 ――無垢な紫水晶(アメジスト)


 セシルとラクシャータの話を総合すれば、無垢な紫水晶(アメジスト)とはルルーシュ・ヴィ・ブリタニア以外には当てはまらない。
「――ルルーシュ」
 そっとルルーシュの両頬へと手を添えたC.C.は、ゆっくりと顔を持ち上げる。今にも泣き出しそうなルルーシュに、C.C.は額へとキスを落とした。
「大丈夫だ。何があっても、私だけはお前の傍にずっといる」
 私は決して裏切らないと。裏切られることを恐れて、今にも泣き出しそうなルルーシュへと、優しくC.C.は告げる。
「ミレイと言ったか? あの女も同じだ」
 全てを知っているC.C.。
 薄々なにをているのか感づいていながらも、あえて気づかない振りをしているミレイ。
 裏切るならば、どちらもとっくの昔に裏切っている。
「私も、そしてミレイも、決してお前を裏切らない。それだけではお前は不満か?」
 なにも恐れる必要はないのだと。誰が裏切ろうとも、私たちがいると。語りかけるように優しく告げれば、恐る恐る腕を上げたルルーシュは、C.C.を抱きしめ返した。




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