一切の照明が消された部屋に、携帯電話の着信音が鳴り響く。窓から差し込む月の光と街灯の光を頼りに携帯電話を見つけたミレイは、見慣れない電話番号を数秒睨み付けてから電話へと出た。
「――もしもし、ミレイ・アッシュフォードです」
『セシル・クルーミーです、ミレイさん。今日は本当にごめんなさい』
アッシュフォード学園の大学部施設を間借りしている特派は、学園側から正式な学園内の立ち入り許可をもらっていた。自由に立ち入ることはできるとはいえ、憩いの時間を邪魔立てして乱入したことを謝罪するセシルに、ミレイは目を細める。
「あなた方の学園への立ち入りは、正式な手続きの元許可されています。お気になさらないで下さい」
強い口調であえて告げれば、ため息混じりの吐息がセシルの唇からこぼれる。
『ところで私、腹の探り合いはあまり得意ではないの。だから、率直に言うわ』
その言葉に、ミレイは思わず笑い出しそうになった。あのロイドの右腕として傍にいることを許されていながら、腹の探り合いが苦手なはずがない。
王宮の怪物どもと渡り合えるぐらいでなくては爵位を持つ人間の右腕など務まらないことを、剥奪されたとはいえ、かつて爵位を持っていた祖父を見ていただけに、ミレイは知っていた。あえて腹の探り合いをせず、率直に尋ねようとしているセシルの真意を、ミレイは思案する。
「……どうぞ」
『失われたはずの無垢な紫水晶 を、アッシュフォード家が隠していたのね』
やはりあの時に気づかれたかと、ミレイは驚くことなく冷静に事実を受け止めた。見られていた状況で下手に誤魔化せないと、ミレイは素直に口を割った。
「当然でしょう。あれは我が家にとっても大切な、唯一無二の家宝ですもの」
アッシュフォード家もまた、失ったと思っていた至宝。取り戻すために一年という歳月と、自国を欺き、裏切るという行為に打って出るしかなかった。
自国を欺き、裏切らなければ、ようやく取り戻した至宝はもう一度奪われてしまう。一度は奇跡が起こって無事だったとはいえ、奇跡がそう何度も起こるとは限らない。今度は失う可能性を秘めていて、国へと渡すわけにはいかなかった。
一度目は奇跡的に無事だった至宝を取り戻せた。二度目は取り戻すことも、ましてや守り抜く力を爵位を奪われたアッシュフォード家は持ってはいなかった。全ては幼い主たちを守るために、アッシュフォード家は自国を欺き、裏切る道を選んだ。
『懸命な、判断だったと言うべきかしら……』
「それで、あなたは我が家の家宝をどうするつもりですか? 場合によっては、私は――」
一度は目の前で奪われた至宝。もしまた奪おうとするなら、そのときは容赦しない。例えそれが、誰であろうとも。
『――待って。私はあなたから、無垢な紫水晶 を奪いたいわけではないの』
慌てた様子で、セシルはミレイの言葉を遮った。
「けれどいずれ、ロイドさんに報告するのでしょう?」
違うとは言わせないと、ミレイは言う。セシルはミレイの右腕だ。それこそロイドが動けないときに、指示を仰がずに動けるほどの権限を与えられた。そんな人間が主を欺いたり、ましてや裏切るなどあり得ない。
『そうね……。あの方もまた、無垢な紫水晶 に心奪われたひとり。それはあなたも、すでに知っているはずよ』
「それを、信じろと?」
知ってはいても、信じられないと。警戒心をあらわに告げれば、セシルは悲しげに言う。
『それは、信じてもらうしかないわ。でも、ひとつだけ言わせて』
「何でしょうか」
『無垢な紫水晶 を守ってくれて、ありがとう』
「……っ」
はっきりと心からの言葉だと分かるそれに、ミレイははっと目を瞠った。このときようやく、窓の外で雨が降り始めたことにミレイは気がついた。
偽りの騎士と騎士の従者
「ラクシャータ、聞きたいことがある」
椅子に座りながら収集したデータを見比べていたラクシャータは、声をかけてきた黒の騎士団の指導者――ゼロに顔を上げた。その表情には作業を邪魔された怒りはなく、むしろどこか楽しげだった。
「何かしら、ゼロ」
「ロイド・アスプルンドのことについて」
「プリン伯爵〜?」
それまでの機嫌の良さが嘘のように、嫌悪をあらわにしたラクシャータは眉を寄せる。
「プリン伯爵?」
「あいつ、プリンが大の大好物なの。自分で作っちゃうぐらいにね。その上伯爵でしょう。だから、プリン伯爵」
「なるほど」
由来を聞けばなんとも簡単な理由に、ゼロ――ルルーシュは納得する。どこか楽しげに呼ぶラクシャータに、ロイド本人は酷く嫌がったことだろう。ロイド本人のことは詳しくは知らないが、ラクシャータの気性については知り尽くしていた。先ほどの反応を窺う限りラクシャータはロイドのことを酷く嫌っていた。いじめっ子の典型であるラクシャータが、喜々として嫌がったその名前を、本人の前で呼んでいた光景が目に浮かぶ。
「ああ、プリン伯爵についてだったわね? それで、なにが知りたいの?」
かつてロイド・アスプルンドと同じ研究所でラクシャータが働いていたことは誰もが知っていた。本人も隠す気はなく、黒の騎士団の邪魔立てばかりする白兜――ランスロットの開発者について色々と言っている光景は良く目撃されていた。
「彼がなぜ、軍を辞めて科学者になったのかを」
「軍を辞めた理由は知らないわ。多分、セシルなら知っているはずだけど」
「セシル?」
「プリン伯爵の片腕。ちなみに、元ナイトメア操縦者よ。腕前はそれなりだったけど、カレン以下ね」
カレンを高く評価しているラクシャータが言うのなら、それなりに軍人として優秀だったのだろう。彼女もまた、軍人から科学者へと転向した奇特なひとりだと知り、ルルーシュは驚いた。おそらくはロイドを追って科学者になったのだろう。
「科学者になった理由は?」
「えっと……そうそう。確か、無垢な紫水晶 が、ナイトメアが大好きだったから」
おかしそうに笑いながら、ラクシャータは告げる。似合わない理由でしょうと言わんばかりのラクシャータに、ルルーシュはいぶかしげに眉をひそめた。
「無垢な紫水晶 とは?」
「そこまでは知らないわ。ただ、プリン伯爵がそう言っていたのは確かよ」
「他に知っていることは?」
「プリン伯爵は、無垢な紫水晶 がとても大切だったということかしら。なにせ、軍を辞めちゃうぐらいだしね」
周囲の気温が一気に下がる。大抵の人は威圧され、気圧されるというのに、ラクシャータはくすくすと愉快そうに笑いながら、雇い主を見上げる。
「軍を辞めた理由は、知らなかったのではないか?」
「軍を辞めた理由は、あくまで噂よ。だぁって、科学者になった理由を言ったとき、あいつ、過去形で言ったのよ。それだけで大体の予測ぐらいはできるわ」
当時流れていた噂と、本人から聞いた話を照らし合わせれば、大体の予測を付けることぐらい簡単だったと、楽しげに笑いながらラクシャータは告げる。まるでロイドを嘲る笑うかのように。
「そうか」
「あら、もう終わり?」
意外だと、問いかけたラクシャータにルルーシュは頷いた。
「ああ、礼を言う」
「ねえ、ゼロ」
「なんだ?」
立ち去ろうと背を向けたルルーシュへと、ラクシャータは声をかけた。ルルーシュは振り返らず、顔だけをラクシャータへと向ける。
「第2皇子であり、すでにそのとき宰相の地位にいたシュナイゼル殿下の筆頭騎士候補に選ばれていながら、どうしてプリン伯爵は軍を辞めたのかしら?」
第2皇子であり、当時すでに帝国宰相に地位にいたシュナイゼルの筆頭騎士候補に選ばれたということは、極めて名誉なことだった。騎士を辞退することなど恐れ多いというのに、ロイドは騎士を辞退する以前に、軍そのものを辞めた。
当時はまだ存命だったロイドの父は、息子の無礼極まりない行為に卒倒し、その後病院に運ばれたという。王宮にはアスプルンド家の取り潰しという噂が流れたほどだった。結局アスプルンド家は取り潰されることもなく、ロイドは今もなおシュナイゼルの友人でいる。
「軍にいた頃のあいつの知り合いから聞いたんだけど、あいつ騎士になるのが夢だったんですって。なのに、騎士候補に選ばれた時点で軍を辞めた。おかしくないかしら?」
まるで、主にと望んだのはシュナイゼルではないと言わんばかりに。その後のシュナイゼルとロイドの関係を見る限り、騎士にならないために、軍そのものをやめる必要はなかった。一言シュナイゼルの騎士になるつもりはないと言えば、ふたりはそれで十分な関係だった。
ロイドがかつて語った内容と、その後流れた噂、そしてシュナイゼルとの今なお続いている関係を総合すれば、想像豊かな人間でなくとも、辿り着く結論はただひとつ。
「ラクシャータ」
「なにかしら?」
「それを、私以外に言ったことは?」
「ないわ」
「なら、当分の間誰にも言うな」
「分かったわぁ」
ラクシャータに否はなかった。立ち去るゼロの背中を見送りながら、ラクシャータは笑う。
「やっぱり、軍を辞めて正解ね。プリン伯爵も、あのまま復帰しなきゃ良かったのに」
かつての同僚を嘲笑いながら、ラクシャータは手をとめていた仕事へと戻った。