「久しぶりだな、ロイド」
 目の前で優雅に足を組みながら挨拶した上司兼悪友に、ロイドはにっこりと微笑む。もちろん、対シュナイゼル用の作り笑いを。
「ええ、ほんとぉに、お久しぶりですねぇ、殿下。できればもう二度とお会いしたくはなかったんですが」
「相変わらずだな、お前も」
 苦笑をこぼすだけで、シュナイゼルはロイドに対して注意も叱責もしない。これがロイド以外の相手なら、二度と同じ台詞が吐けないように手を回しているところだ。5歳の頃から傍にいることを許しているロイドには、ふたりっきりのときには、なにを言うのも許していた。それをロイドもまた知っているからこそ、ふたりっきりのときにはシュナイゼルに対して容赦ない。無礼な態度も言葉も全て、ロイドだからこそ許された行為だった。
「殿下も相変わらずですねぇ」
 ちらりとロイドが視線を向けた先には、綺麗にドライフラワーにされた花の王冠がひとつ。神聖ブリタニア帝国宰相たるシュナイゼルが持つにはみすぼらしい花の王冠は、九年間ずっと彼の手元に置かれていた。それこそ肌身離さず、行く先々に必ず一緒に持ち歩く花の王冠の存在は、シュナイゼルの側近や直属の部下たちには広く知れ渡っていた。花の王冠がシュナイゼルにとっても宝物だということも。
 シュナイゼルに近い人間は誰もが知っている宝物。帝国宰相が持つにはみすぼらしい花の王冠を誰が作ったのかに関しては、誰も知らずにいた。シュナイゼルが花の王冠をもらったときに一緒にいたロイド以外は――。
「私の大事な、王冠だからな」











王冠と、そして騎士の従者











 エリア11において、名門中の名門であるアッシュフォード学園。高等部生徒会メンバーは、なぜか生徒会室ではなく中庭にいた。
「それで会長、今度はなんですか?」
 腕を組み、呆れ顔で尋ねるルルーシュに、にやりとミレイは笑う。
「なにって決まっているでしょう、ルルちゃん! 見て分からない!?」
 ビシッと、芝生に覆われた中庭に座り込みながら、懸命に手を動かしている生徒会メンバーをミレイは指差す。尋ねる前からなにをしているのかは分かっていたとはいえ、今回はこれかと、ルルーシュはため息をつかずにはいられなかった。
 無類のお祭り好きで知られているアッシュフォード学園理事長ルーベン・アッシュフォード。その孫であるミレイもまた、祖父同様無類のお祭り好きだった。血のなせる技か、それともただ単に祖父がしてきたことを見て、子ども心に憧れたのか。その両方だとルルーシュは踏んでいた。
 とにかく皆で楽しみながら騒ぐことを好むミレイは、なにかと企画する。例えば全校生徒を巻き込んだ企画や、生徒会メンバーだけで企画されるものなど様々だ。その中で最もミレイに巻き込まれているのが生徒会メンバーだった。
「花の王冠ですか。それにしても……」
 それぞれの手にある花の王冠もどきをルルーシュは見渡しながら、
「シロツメクサがかわいそうですね」
 花の王冠へと作り替えられたシロツメクサへと同情を寄せる。
「ルルーシュ〜」
 同情の余地もないとはいえ、あまりにも冷たいルルーシュにリヴァルが縋り付く。その手には無惨な花の王冠となったシロツメクサが握られていた。
「不器用にもほどがないか?」
「俺はまだマシ! スザクのを見てみろよ!!」
 リヴァルに言われるがまま苦笑しているスザクの手元をよく見れば、花の王冠の原型すら留めていなかった。呆れてため息さえ出てこないスザクの不器用さに、あまりにも哀れすぎてルルーシュは涙が出そうだった。
「リヴァルとスザクはまだ仕方がないとして、シャーリーとカレン、ニーナは……」
 女性なら幼い頃に一度ぐらいは作ったことがあるだろうと、原型こそあるとはいえ無惨な花の王冠に、ルルーシュは深いため息をついた。
「仕方ないでしょう! 一度も作ったことがないんだから!!」
 ルルーシュの言葉に、シャーリーは憤慨する。シャーリーの隣に座っていたカレンとニーナは、同意するかのように頷いた。
 一度も作ったことがないと言ったシャーリーと、それに同意したカレンとニーナに、ルルーシュは意外だと目を瞠った。
「作ったことがない……? 一度も?」
 信じられないと、ルルーシュは確かめるようにもう一度尋ねる。
「だから、そう言ってるでしょう!」
「冗談だろう?」
「なによ、ルルだってないくせに!」
「シャーリー、ルルーシュはあるよ」
 シャーリーの言葉を否定したのは、意外にもスザクだった。それまでルルーシュとシャーリーのふたりに向けられていた視線がスザクへと集中する。
「ど、どういうこと……!?」
「あのときは首飾りだったっけ?」
 一気に向けられた十二個の瞳にたじろぎながらも、昔の記憶を思い起こしたスザクはルルーシュへと確認する。
「ナナリーが欲しがったからな。そういえば、あのときはよく作ったな」
 なんでもないことのように、さらりとルルーシュはスザクの言葉を肯定した。それに、シャーリー、カレン、リヴァル、ニーナが目を瞠る。
 ルルーシュがナナリーを溺愛していることは、生徒会メンバーのみならず、それこそアッシュフォード学園内においては周知の事実だ。ナナリーが欲しがったというのなら、ルルーシュはまず間違いなく作る。それこそルルーシュの性格を考えれば、どれほど失敗しても、上手く作れるまで何度でも作り直すほどの完璧主義者だ。生徒会メンバーのあまりの不器用さに、ルルーシュが呆れた理由もよく分かる。だが、だが――。
「誰か、嘘だと言って!!」
 ルルーシュがシロツメクサで花の首飾りを作っている姿など想像ができないと、リヴァルが悲鳴を上げる。
「嘘だと言ってあげたいんだけど、凄く上手いよ」
 トドメを刺さんばかりのスザクの言葉に、リヴァルがさらなる悲鳴を上げる。悲鳴を上げている張本人とスザク以外の全員が、笑顔でリヴァルへとトドメを刺した張本人を呆れ顔で見つめた。


「――スザクくん」


 遠くからスザクを呼ぶ声に、その場にいた生徒会メンバー全員が振り返る。遠くから駆け寄ってきた女性の姿を認めたスザクは、あっと驚きの声を上げた。
「セシルさん!」
「ごめんなさい、スザクくん」
 駆け寄ってきた女性は、ブリタニア軍の制服を身に纏っていた。一目で軍の人間だと分かる女性に、誰もが口を閉ざし、耳を澄ます。
「もしかして軍務ですか?」
「軍務というよりも、ある方のお呼び出しよ」
「ある方、ですか?」
 首を傾げるスザクに、セシルは苦笑する。どこか困った様子のセシルに、今回の呼び出しは本当に突然のことだったのだと窺えた。
「ここではお名前は。でも、特派のパトロンと言えば分かるかしら?」
「あっ、はい!」
 特派のパトロン――。軍務に拘わる人間ならば、誰もが知っている事実。迂闊にこの場では口に出せないというセシルの言葉の意味を、スザクはようやく納得した。
「よかった。そう言うわけだから、大丈夫?」
「はい。――会長、ルルーシュ」
 ルルーシュと、その名前に反応したのはセシルだった。はっと目を瞠ったセシルは、恐る恐る振り返る。
 まるで、恐れるかのように。
 まるで、期待するかのように。
 振り返ろうとしたセシルに気づいたのはふたり。ルルーシュは目を細め、そして――。
「確か、セシル・クルーミーさんでしたよね?」
 スッと音もなく、ミレイはセシルへと近づき、話しかけた。素早いミレイの行動はどこにも違和感はなく、なにも知らない生徒会メンバーは、知り合いかと疑問に抱くだけだった。
「あなたは確か、ロイドさんの……」
「まさかこんなところでお会いできるなんて、思ってもいませんでした」
 笑顔で話しかけるミレイの威圧感に、セシルはごくりと息を呑む。それに気づきながらも、あえてミレイはそのままセシルへと話しかけた。
「でも、ちょうど良かった。お聞きしたいことがあったんです」
「私に?」
「ええ。今度都合の良い日はありませんか? できれば、ロイドさんには内緒で」
「…………分かりました。私もあなたにはお聞きしたいことがあったので、ちょうど良かったわ」
 ミレイに気圧される形だったセシルだったが、熱から覚めたように、急に身に纏う雰囲気を変えた。それにミレイは、微塵も動揺を見せない。
「良かった。じゃあ、都合の良い日をこちらに――」
 持っていた手帳を取り出したミレイは、携帯の番号を書くと、手帳からその部分だけを引きちぎり、セシルへと手渡した。
「――連絡してくれますか?」
 誰にも見られないように、ミレイはセシルを忌々しげに睨み付ける。
「分かりました。では、今夜にでもお電話しますね」
「ありがとうございます」
 ふたり同時に視線はそれた。
「さあ、スザクくん。行きましょう」
「は、はい」
 いつもと様子の違うミレイとセシルに戸惑いながらも、頷いたスザクは、促されるがまま後を付いていった。
「な、なんか怖かった……」
 スザクとセシルの姿が見えなくなった途端、リヴァルは詰めていた息を盛大に吐き出した。リヴァルの隣ではカレン、ニーナ、シャーリーの三人が身を寄せ合っていた。
「って、会長とあの人知り合い?」
「みたいだったけど……。ミレイちゃん、怖い」
「会長、どうしちゃったんだろう……?」
 口々にそれぞれが感じた疑問を口にする。常にないミレイの恐ろしさに、四人は怯えていた。隣で四人の怯えようを見ていたルルーシュは、当然のことのように言いながら、首を傾げた。
「部下とはいえ、女性だからな。一応婚約者としては当然の反応じゃないか?」
「えっ!?」
 三者三様――異なったそれぞれの反応に、ルルーシュは思わず感心した。
「い、今のって、どういう意味!?」
「あー……」
 真っ先に詰め寄ったリヴァルに、しまったとルルーシュはあらぬ方向を眺める。それだけで確信を抱いた四人はルルーシュを問いただそうとしたが、それより早く仁王立ちになったミレイが邪魔をした。
「ルルちゃん、言ったわねぇ〜」
 邪念を放ちながら背後から忍び寄って来た大魔王に恐れを成したルルーシュ以外の四人は、一目散に逃げ出した。










 アッシュフォード学園の屋上。吹き付ける風に制服と母親譲りの漆黒の髪をなびかせながら、夕暮れの淡いオレンジ色が広がる空を眺めていたルルーシュは、背後に立つミレイへと問いかける。
「セシル・クルーミーとか言ったか?」
「はい」
 今回の件は、ある意味ミレイの失態でもあった。謝罪することを許さず、確認するルルーシュへと、ミレイは緊張した面持ちで頷く。
 ミレイが恐れるのは、ルルーシュに叱責されることではない。恐れるべきことは、ルルーシュに見捨てられるか、もしくはルルーシュを誰かに奪われることだ。
 一度は奪われた至宝の紫水晶(アメジスト)。もう二度と誰かに奪われることも、ましてや紫水晶(アメジスト)に嫌われるのもごめんだった。
「ロイド・アスプルンドもなかなかのくせ者だが、その右腕も相当だな」
 くつくつとどこか楽しげに笑いながら、ルルーシュは告げる。
「それで、ミレイ。私になにを隠している?」
 振り返ったルルーシュは、王者の風格を漂わせながら尋ねる。嘘偽りは許さないと告げる眼差しに、ミレイはびくりと体を震わせた。
 ロイド・アスプルンドから先日聞かされた内容は、とても信じられないものだった。それをルルーシュへと報告するべきかどうか、ミレイは今日まで悩み続けていた。
 誰が信じられるだろうか。シュナイゼルの筆頭騎士候補だったロイドが、実はルルーシュの騎士になりたがっていたなど。だが、調べれば調べるほど、ロイドの言葉は真実みを増していった。
「……ロイド・アスプルンドは、七年前に一度、軍を辞めています。
 もう隠せないと、ミレイは重い口を開く。
「軍を辞めた直後、ロイド・アスプルンドは科学者となりました。今もなお軍にいるのはシュナイゼル殿下が後ろ盾となり、軍へと戻ったからです。もうすでにルルーシュ様もご存じのことだとは思いますが」
「相当優秀だったらしいな。周囲が引き留めなかったのが不思議なほどに」
 流石だと、ミレイは口に出さずに思う。その気になったルルーシュには爵位を持たないアッシュフォード家の力など、本来ならば不要な産物だ。目と足が不自由なもうひとりの主のためにアッシュフォードの力を借りて、普通の学生を演じているに過ぎない。
 アッシュフォード家がふたりの小さな主のためにと作り上げた箱庭は脆い土粘土で作られていることを、聡明な主はすでに気づいている。だからこそ聡明な主は決してアッシュフォード家に頼ろうとはしない。
 時が来るまではアッシュフォード家の庇護下にあるが、それも長くはないだろう。時が来た瞬間、聡明な主はもうひとりの主を伴って箱庭から飛び出す。
「お見合いの際、偶然にですが、ロイド・アスプルンドから軍を辞めた理由を教えられました」
「ほう?」
 感心しながらも、ルルーシュはいぶかしげに顔をしかめる。なぜ今になってそれを報告するのか。報告する必要があるならば、なぜもっと早くに報告しなかったのか。言葉ではなく、視線で問いかけるルルーシュに、ミレイは意を決する。
 真っ直ぐにルルーシュの瞳を見つめながら、ミレイは口を開いた。



「――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニア殿下」



 スッと周囲の気温が一気に下がる。恐ろしさに口を閉ざしそうになりながらも、ミレイは続けた。
「彼の方の騎士になりたかったのだと。彼の方の騎士になれぬのなら、騎士である理由も、軍にいる理由もないと」
「――ミレイ」
「ロイド・アスプルンドが軍を辞めた時期はほぼ一致します」
 ロイドが軍を辞めた時期となにが一致するのか、あえてミレイは告げなかった。敏い主ならば、誤解も間違うこともなく気づくと確信して。そして――。
「ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは死んだ」
 淡々とルルーシュは事実のみを口にした。それこそあっさりと、そこになにひとつ感情を込めることなく。
 そっと目蓋を下ろしたルルーシュは、なにかを考え込んでから力強く目蓋を持ち上げた。瞳に宿るのは、はっきりとした感情だった。



「無知で無力で、愚かなルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは死んだんだよ、ミレイ」



 ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは七年前、10歳の若さで亡くなったのだと。無垢な紫水晶(アメジスト)を、無知で無力で、愚かな存在だと蔑みながら、ルルーシュは言った。




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