神聖ブリタニア帝国第2皇子にして、第2皇位継承権を持つシュナイゼル・エル・ブリタニア。国内外問わず、その名前を知らない人間はいない。宰相としての外交の手腕はもちろん、戦闘指揮官としての戦略もまた、他の追随を許さない。最も次期皇帝の椅子に近いと称されるシュナイゼルには、唯一とも言える友がいた。アスプルンド伯爵家当主ロイド・アスプルンドその人。
いまやマッド・サイエンティストと周囲から呼ばれるロイドだが、七年前まではその片鱗すらなかった。弱冠22歳にして少佐へと上り詰めながら、ある日突然ロイドは退役した。それから一ヶ月後、それまでの人生とは全く違う分野でありながら科学者となったロイドは、25歳にしてシュナイゼル直轄の部署・特別派遣嚮導技術部――通称特派の主任へと就任した。
道化と小さな黒の皇子を愛する人
シュナイゼルとロイドの出会いは、互いに5歳の時だった。その頃からすでに神童と呼ばれていたシュナイゼルの学友を選ぶべく、当時同い年の良家の子どもが多数集められた。その中にアスプルンド伯爵家嫡男であるロイドもまたいた。
第2皇子にして、第2王位継承権を持つシュナイゼルの学友という立場は、皇族と繋ぎを取りたい貴族にとっては酷く魅力的なものだった。神童と呼ばれるほどの才能溢れたシュナイゼルに、周囲が期待するのは必然。両親から強く言い含められた良家の子どもたちは皆、幼いながら一様に緊張していた。ただひとり、ロイド・アスプルンド以外は。
緊張の欠片すら見せないロイドを見つけた瞬間、シュナイゼルは強い興味を抱いた。どの子どもたちもまだ5歳という幼さでありながら、すでに貴族としてのプライドを持ってはいたが、自分たちの足下にも及ばない大物を前にして、どうすればいいのか誰もが途方に暮れていた。周囲の大人たちは我が子を推薦するために媚びへつらうばかりで、シュナイゼルは開始直後からすでに内心ではうんざりとしていた。そんな中見つけた、周囲とは全く態度の違うロイドにシュナイゼルは興味を引かれた。そうして始まった友情。友人からすぐに悪友と呼ばれるそれに変化した関係は、互いに29歳となった今でも変わらずに続いている。
「コーネリア、あれは、ロイドは、元気にやっているか?」
唐突ともいえるシュナイゼルの問いに、コーネリアは戸惑いの色を見せる。
数日前に通達があったとはいえ、当初は予定になかったはずのエリア11への訪問を決めたシュナイゼルのために用意した政庁の一室で、コーネリアはエリア11の制定状況を始め、黒の騎士団の動向を報告した上で、今後の対応を話し合っていた。話し合いが終わり、帝国宰相とエリア11の総督から異母兄妹へと戻ってすぐの問いかけだけに、コーネリアの戸惑いは大きい。
「アスプルンド伯爵ですか?」
「そうだ。あれはエリア11で楽しそうにしているか?」
「楽しそうかどうかは分かりかねますが、会う度に以前と変わらないように見受けられます」
「そうか」
コーネリアのその言葉に、シュナイゼルはわずかに目元を和らげる。思わぬシュナイゼルの態度を意外に思いながらも、コーネリアは納得した。
厳しい一面もあるが、コーネリアにとってシュナイゼルは、頼れる優しい異母兄だ。数多くいる異母兄弟の中で次期皇帝となれる器があるのは、シュナイゼルだけだとコーネリアは思っている。
第1皇子にして第1皇位継承権を持つオデュッセウスは温厚な性格で優しさに溢れてはいるが、シュナイゼルのような才能豊かな能力を一切持ち合わせてはいない。小国の王ならばいざ知れず、世界の三分の一を支配する超大国であるブリタニアの皇帝の器ではない。もしも皇帝となることができたとしても、長く帝位に就くことはできないだろう。
他の異母兄弟たちにもまた似たようなことが言える。唯一その才能を見せた異母弟はすでに死去していた。
唯一尊敬し、頼ることができる異母兄であるシュナイゼルだが、唯一ロイドに対してだけなにを考えているのかコーネリアは図りかねていた。
弱冠22歳にして少佐まで上り詰めたロイドを、コーネリアは同じ軍人として尊敬していた。だが、ある日突然退役したロイドを引き留めるところか、引き留めようとする周囲へとシュナイゼルは圧力をかけた。
コーネリアの目から見ても軍人として才能溢れるロイドを、なぜ引き留めなかったのかと。軍人として功績を立てやすいように後ろ盾になっておきながらなぜと。コーネリアはシュナイゼルへと、ロイドが退役してすぐに問いかけた。
シュナイゼルから返ってきた答えは、とても納得できるものではなかった。何より、元々自分の騎士にするつもりはなかったと、そう告げたシュナイゼルの言葉には驚かずにはいられなかった。
その昔コーネリアは、ロイドへとなぜ軍人になったのだと問いかけたことがあった。そして返ってきた答えは、騎士になるため。誰の騎士とも答えなかったロイドに、コーネリアは勝手に勘違いしていた。
騎士になりたいと告げたロイド。そんなロイドの後ろ盾になっていたシュナイゼル。周囲はそんなふたりに勝手に誤解して、根本を誤った。コーネリアもまた、シュナイゼルの話を聞くまで根本を誤ったひとりだった。
当初からシュナイゼルの騎士になるつもりはなかったロイド。始めからロイドを自分の騎士にする気がなかったにも拘わらず、後ろ盾となったシュナイゼル。当時も、そして今も、ふたりの関係は理解できない。けれど、シュナイゼルにとってロイドは、大切な『友』だということは理解できた。
七年前――突然ともいえる退役となった原因がロイドの身に起こったときからシュナイゼルはずっと彼の身を案じていた。それは、今もなお変わらない。
「――コーネリア」
「はい、兄上」
「絶対に、なにがあったとしても、エリア11で死なないでおくれ」
属領となった国の中で皇族が多く亡くなっているエリア11。コーネリアの前にエリア11の総督であったクロヴィス。そして、八年前留学という名目で人質として送られた今は亡きマリアンヌが産んだ、当時はまだ幼かった兄妹。三人の命が、エリア11で命を奪われた。
親交もなく、または嫌悪している異母兄弟ならば、感傷に浸ることもなかった。エリア11で奪われた三人は、シュナイゼルとコーネリアふたりが可愛がっていた弟と妹たちだった。これ以上の――四人目の犠牲はいらないと告げるシュナイゼルに、コーネリアは頷く。
「兄上、私はこの地で決して死んだりなどしません。ですからご安心下さい」
「そうか。それを聞けて安心した」
ほっと安堵のため息をつくシュナイゼルに、コーネリアはふと亡くなった三人の弟と妹たちを思い出す。
シュナイゼルのような政治・軍事的策略の才能を持っているわけでもなく、自分のように軍人としての才能も持っていなかったクロヴィス。代わりに芸術家としての才能を開花させたクロヴィスは、他の異母兄弟たちのように闘争心があるわけでもなく、純粋に異母姉として自分を慕ってくれていた。他の異母兄弟と共にいるときには感じられる緊張感もなく気軽に話せる数少ない弟でもあった。
エリア11と名前が変わる前の日本へと、留学の名目で人質として送られたルルーシュとナナリー。敬愛するマリアンヌの子どもであるふたりもまた、コーネリアは可愛がっていた。クロヴィス同様、緊張も警戒することもなく、ただ純粋に可愛がることができた幼い兄妹。彼らもまた、自分を異母姉として慕ってくれていた。
特に可愛がっていた兄妹だっただけに、人質として日本へと送られたときには心を痛めた。亡くなったという訃報が届いたときには、誰にも知られることなく、ひっそりと涙した。
ユーフェミアと近い年の頃だったルルーシュは、特に聡明で愛らしかった。もしかしたら将来シュナイゼルを越すかもしれないと思わせた豊かな才能には、驚かずにはいられなかった。ナナリーとは違い、マリアンヌによく似た顔立ちをしていたルルーシュが生きていれば、今頃どんな風に成長していただろうかと、ふとコーネリアは考える。そして思い出すのは、アリエスの離宮で満面な笑みを浮かべて出迎えてくれたルルーシュ。もう二度とあの笑顔を見ることができないのだと、コーネリアは唇を噛み締めた。
「……っ」
「生きていれば、もう17歳か……」
同じことを考えていたのか、ぽつりとシュナイゼルの唇からこぼれた言葉に、コーネリアは頷く。
「はい。ユフィとルルーシュは一歳違いでしたから」
記憶の中に残るルルーシュは、永遠に当時のまま変わらずに、10歳の姿だ。七年前と変わらずに。生きてさえいれば、もう17歳になるのに、記憶の中のルルーシュは決して成長しない。
思わずにはいられない。もしも成長していたら、幼かった兄妹はどんな風に成長していたのだろうかと。叶わぬ願いに、コーネリアは想像せずにはいられない。
――生きてさえいれば……。