神聖ブリタニア帝国の第3皇女にして、エリア11の副総督であるユーフェミア・リ・ブリタニア。お飾りの皇女と陰で囁かれてはいるが、総督であり、軍人である姉コーネリアに代わり参加する式典は多く、式典から式典へと渡り歩くユーフェミアは多忙を極めていた。本来ならばユーフェミアの騎士に任命されたスザクもまた付き従わなければならないところだが、とある理由からそれは免除されていた。
 理由はふたつ。ひとつは、主であるユーフェミアが騎士としての務めよりも、学業を優先させることを望んだからだ。本来ならば許されないことではあるが、スザクの微妙な立場によってそれは許された。もうひとつの理由は、その微妙な立場が原因だった。
 元々スザクは神聖ブリタニア帝国の宰相たるシュナイゼル直轄の部署・特別派遣嚮導技術部所属の身。軍属の身とはいえ、一般の軍人とは立場が違った。その上スザクは生粋のブリタニア人ではなく、非常に難しい立場にあった。
 通常ならば事前に本人からの承諾を受けてから、騎士はその名を正式に公表される。けれどスザクの場合、ユーフェミアの暴走とも言える独断によって勝手にその名を発表された。
 ユーフェミアとシュナイゼルの仲は険悪ではなく、むしろ良好だ。険悪な関係が多い異母兄弟たちの中でも珍しいとはいえ、互いの後見までが仲が良いかと問われれば、それは否定せざるを得ない。
 事前の許可を得ることなく、ユーフェミアはシュナイゼルの領域を侵した。通常ならば敵意と捉えられても不思議ではなく、今もなおふたりの関係が変わらないのは、ユーフェミアとシュナイゼルだったからだ。だからといってなにもなくスザクをユーフェミアの騎士にさせるには、シュナイゼルの後見が黙ってはいなかった。
 特別派遣嚮導技術部所属を変えることなく、ユーフェミアの騎士となること。公式の式典などは優先となるが、それ以外に関しては基本的に特派が優先となる。ユーフェミアの騎士でありながら、スザクの所属はシュナイゼル直属の部署である特派が握るという、なんとも異例な人事となった。通常ならば許されない処遇ではあるが、それはスザクが名誉ブリタニア人だからこそできた人事でもあった。
 騎士の叙任式からすでに半月。微妙な立場ゆえに叙任式以降会えずにいたこともあり、会わずにいた間に起こったことを楽しげに語るユーフェミアを、スザクは微笑ましく見つめる。
「――スザクの上司に当たるアスプルンド伯爵ですが」
 そういえばと唐突にロイドの名前を出したユーフェミアに、スザクは首を傾げる。
「ロイドさんがどうかしましたか?」
「どうして科学者へと転向したのか、スザクは知っていますか?」
「えっ? ロイドさんって、前から科学者じゃなかったんですか!?」
 周囲が呆れるぐらいランスロットへと傾ける情熱は熱く、時に周囲を引かせるロイド。科学者一筋で生きてきたと、スザクは何の疑いもなく思い込んでいた。
「いえ。前はスザクと同じく軍人でしたわ。それも、シュナイゼルお兄様の騎士にと、周囲から渇望されるほどに優秀な方でした」
「ロイドさんが軍人!?」
 それこそ意外だとスザクは驚きの声を上げる。科学者とはかけ離れた職種に驚きながらも、スザクはでもと、普段のロイドの様子を思い出す。人の気配に敏感なスザクは、余程集中していない限り誰かが近づけばすぐに気がつく。ただひとりロイドだけは、すぐ傍まで近づかない限りその気配に気づかず、常に驚かされていた。優秀な軍人だと言うその言葉にひとり納得したスザクは、ふと何か忘れているような気がして、考え込む。
「……えっ? …………えぇ!?」
 ロイドとシュナイゼルが幼少期からの友人だということを知ったのは、叙任式直後だ。ロイドがシュナイゼルの友人だと知ったときは、なぜ特派がシュナイゼル直轄なのかという疑問は解けた。神聖ブリタニア帝国第2皇子にして、神聖ブリタニア帝国宰相であるシュナイゼル・エル・ブリタニアのご学友であったことだけでも驚きだったというのに、まさかロイドが騎士候補だったことにスザクは言葉を失った。
「……ロイドさんって、シュナイゼル殿下の騎士候補だったんですか!?」
「はい」
 スザクのあまりの驚き振りに気圧されながらも、ユーフェミアは頷く。
「軍人として非常に優秀でしたし、なによりシュナイゼルお兄様のご学友に選ばれたぐらいですから。周囲はとても期待していたのですが……」
 ある日突然ロイドは退役し、科学者へと転向した。あまりにも突然の出来事に周囲は引き留めようとしたが、シュナイゼルがそれを許さなかった。シュナイゼルの後押しもあり、誰にも邪魔されることなく、呆気ないほど簡単にロイドは科学者へと転向した。
 軍人としては優秀だったが、分野が全く違う科学者としてやっていけるのかと、周囲の心配を他所にロイドは特派の主任という地位を手に入れた。実力主義であるブリタニアにおいて、シュナイゼルもまた完璧なまでな実力主義者。実力のない者に対して、例えそれが昔からの友人であったとしても、シュナイゼルが手を貸すようなことをしないのは有名な話だった。ロイドもまた例外ではないのだと周囲が知ったのは、彼の論文が発表された後だった。
「やはりスザクも、アスプルンド伯爵が科学者に転向した理由は知らないのですね」
「すみません」
「単なる好奇心で尋ねたことです。気にしないでください」
「ええっと、ロイドさんが軍を辞めたのって、何年前なんですか?」
「確か……今から七年前ですわ」 

 七年前――。

 その年はスザクにとっても、エリア11に住む多くの人々にとっても、忘れられない記憶が刻まれた。それはエリア11という名に変わる前の日本――。
「そういえば、日本がブリタニアの属領になったのも……」











騎士の理由











「……ロイドさんって、どうして科学者になったんですか?」
 パソコンへと、つい先ほど収集したばかりのランスロットのデータを楽しげに打ち込んでいるロイドをぼんやりと眺めていたスザクは、気がつけば尋ねていた。はっと自分が声に出していたことに気がついて慌てるスザクへと、振り返ったロイドはどこか楽しげに問いかける。
「どうしたの〜? そんなことを尋ねるなんて、君らしくないねぇ」
「えっと、あの。前にロイドさんが軍人だったという話を耳に挟んで……」
 段々小さくなっていくスザクの声に、ははんっとロイドは口の端を持ち上げた。
「ユーフェミア皇女殿下に、何を聞かれたの〜?」
「うっ」
 まさか即座に情報源を見抜かれるとは思っていなかったスザクは言葉を詰まらせる。少し考えれば簡単に分かることとは言え、動揺している今のスザクは見抜かれた理由に気づかなかった。
「図星だねぇ。それで、なにを聞かれたの?」
「……シュナイゼル殿下の騎士候補に選ばれるほどに優秀だったのに、どうしてロイドさんは軍人を辞めて、科学者になったのかと」
 ある日突然、誰にも理由を語ることなく退役したというロイド。それまで退役する素振りを見せることもなく、退役する理由らしきものも見当たらず、周囲はただ困惑するばかりだったと語ったユーフェミア。ユーフェミアの姉であり、生粋の軍人であったコーネリアもまた、突然のロイドの退役に激怒し、そして困惑したひとりだったと言う。
 シュナイゼルの騎士候補だっただけではなく、コーネリアが激怒するほどに軍人として優秀だったとはいえ、今のロイドにはその片鱗すら見受けられない。ユーフェミアの言葉を疑っているわけではないが、スザクは今の科学者としてのロイドしか知らない。不思議なものでも見るかのように、スザクはロイドを見る。
「ふ〜ん」
「あ、あの……」
 反応の薄いロイドに、スザクは困惑する。
「ああ、僕が軍を辞めた理由? そんなの簡単だよぉ。軍人でいる理由がなくなったから、辞めただけだよ」
「いや、あの……」
 その軍人いる理由が知りたいのだと尋ねようとしたスザクは口をつぐむ。尋ねようにも、尋ねられる雰囲気ではなかった。口を閉ざしたスザクに、話は終わったと、ロイドは再びパソコン画面へと集中する。声をかけるのが憚れるほどに全てを拒絶するロイドの背中へと、勇気を振り絞ったスザクは再び声をかけようと口を開いた。
「ロ――」
「――スザクくん」
 スザクの言葉を遮って、セシルが名前を呼ぶ。振り返ったスザクは手招きするセシルに、渋々ながらロイドから離れた。
「あの、セシルさん……」
「良いから来て」
 ねっと促しながら、スザクの返事を聞くことなく、セシルはひとり先に歩き出す。上官に当たるセシルの後を付いていかないわけにはいかず、スザクは慌てて後を追いかけた。
「ロイドさんが軍を辞めた理由だけど」
 人気のない、薄暗い廊下まで歩いて、ようやく立ち止まったセシルはポツリと呟いた。
「もしかして、知っているんですか?」
「ええ、知っているわ。誰にも言わないって約束してくれるなら、教えてあげる」
「ユフィ……じゃなくて、ユーフェミア皇女殿下にもですか?」
「そうね……。多分、その方が良いわ」
「その方が良いって……」
 矛盾したセシルの言葉に、スザクは戸惑う。
「ロイドさんが軍を辞めた理由を知ったら、ユーフェミア様は悲しまれるから」
「誰にも言いません。もちろん、ユフィにも」
 いまだ理由は分からないとは言え、ユーフェミアが悲しむというのならば、スザクに否はなかった。

「亡くなったのよ。七年前に」

 唐突に告げたセシルの言葉の意味を、スザクはすぐに理解できなかった。
「ロイドさんが主にと望んだ、ただひとりのお方が、七年前に亡くなったの」
 静かに語るセシルに、スザクは息を呑む。
「……シュナイゼル殿下じゃなくて、ですか……?」
 周囲からシュナイゼルの騎士にと期待されていたと聞かされていたスザクは、根本的な間違いに気づく。幼少期からの学友と言うことで、誰ひとりとして疑いさえもしなかった間違い。
「ええ。それが誰なのかは、私も知らないわ。ただ、シュナイゼル殿下の異母弟君とだけ聞いたことがあるわ」
「……っ」
 ロイドが軍を辞めた理由を知れば、ユーフェミアが悲しむとセシルが言った言葉の意味をスザクは理解した。
 ロイドが主にと望んだただひとりがシュナイゼルの異母兄弟ならば、ユーフェミアにとっても異母兄弟になる。心優しいユーフェミアがその話を知れば、悲しむのは目に見えていた。改めてスザクは、ユーフェミアだけには絶対に話さないことを心に誓う。
「ロイドさんはその方の騎士になりなくて、軍人になったと言っていたわ。でも、騎士となる前にその方は亡くなってしまった。だからロイドさんは軍を辞めたの」
 軍人でいる理由がなくなったと言ったロイド。普段と変わらない様子のロイドに、深い理由はないと勝手に思っていた自分をスザクは恥じる。
「ロイドさんが科学者になった理由は、その方がナイトメアがお好きだったからという話よ」
 軍人となったのは、騎士となって、ただひとりと決めた主を守りたかったから。
 科学者になったのは、ただひとりと決めた亡くなった主がナイトメアが好きだったから。
 ロイドの人生は、ただひとりと決めた主に出会った瞬間に、その人へと捧げられた。全ては、ただひとりのためだけに。










 アッシュフォード学園の大学部の研究部に、特派の施設はあった。名誉ブリタニア人であるスザクが所属していることにより、クロヴィスの死後エリア11の総督となったコーネリアの不興を買った特派は、開発を行っていた軍施設を追い出され、結果流れ着いた先がアッシュフォード学園の大学部研究部だった。
 軍施設とは違い、アッシュフォード学園の大学部の研究部は深夜となれば人気が消える。昼間の騒々しさが嘘のようにひっそりとした静けさの中、ロイドはひとりランスロットを見上げていた。
 ただひとり、主にと望んだ無垢な紫水晶(アメジスト)。彼が亡くなったという知らせを受けてすぐ軍を辞めたのは良いが、その後のロイドはただ生きているだけだった。なにをするわけでもなく、無気力に生きているだけのロイドへと科学者になれと命じたのはシュナイゼルだった。
『軍人として優秀だったんだ。科学者としても、それなりにやっていけるだろう』
『どーして科学者なんですぅ?』
『あの子はナイトメアが大好きだった。もしあの子が生きていたら、あの子が喜ぶナイトメアを作れ、ロイド』
 軍人から科学者とは、畑違いも良いところだ。シュナイゼルに乗せられているようで業腹だったが、ナイトメアを作るのも良いかもしれないとそう思ったロイドの行動は早かった。
 特別派遣嚮導技術部の主任という地位は実力で勝ち取った。実力で今の地位を勝ち取ることができなくても、シュナイゼルはそれなりの援助はしてくれただろう。
 特派の主任に就いたロイドはこの世にただひとつだけの『騎士』を作り上げた。ランスロットという、裏切りの騎士の名前を付けようと思うとシュナイゼルに相談した時には鼻で笑われたが、気にしなかった。騎士になれなかった人間が作り上げた『騎士』の名に相応しいと、ロイドは『騎士』をランスロットと名付けた。
 裏切りの騎士の名前を抱くナイトメアに名誉ブリタニア人であるスザクが搭乗することになったときには、何という皮肉だろうと思いながら。もしも神という空想の産物が本当に実在していたとしたら、神とはなんと残酷な生き物なのだろう。
「……喜んでくれますか?」
 完成した『騎士』を見せることが叶うなら、果たしてあの子は喜んでくれるだろうか。永遠に叶うことのないことだと分かっていても、ロイドは想像せずにはいられなかった。
「例え道化だとしても……」
 死ぬことは許されない。死ねば無垢な紫水晶(アメジスト)に再び会うことができる。甘い誘惑に何度も惑わされて、死を願ったことがあるが、そのたびにロイドは思いとどまった。
 もしも再会することが叶ったとしても、無垢な紫水晶(アメジスト)が死んだ理由を知ってしまったとき、きっと泣いてしまう。守ると誓ったのに、結局は守れなかった。その上泣かせることはできないと、ロイドは懸命に生きる。
 守ることはできなかった。なら、せめて誇れる生き方を、死に方をしようと。いつか再び彼に出会えるその時まで。

 ――ロイドさん、軍のお仕事、がんばってくださいね。

 九年前、任務のために本国を離れなければならなくなった自分を笑顔で見送ってくれた無垢な紫水晶(アメジスト)。それが無垢な紫水晶(アメジスト)との最期の邂逅だった。




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