深海に眠る恋
初めてガンダムという存在を目の当たりにした日に見た機体――青いガンダムを撮った写真を、グラハムは見ていた。
愛機であるフラック以上の性能に、どの軍の機体よりも、人に近い形をしているガンダム。
一目で、心を奪われた。
子どものように、あれが欲しいと、何度思ったことか。
すぐ目の前にあるのに、今まで幾度となく腕の中をすり抜けていったガンダム以上の存在になど、もう出会うことはないと、そう思っていたのに。
ガンダムなどどうでも良いと、そう思えるほどの存在に出会ってしまった。
今はガンダムとは違って、腕の中にあるレイ。
あの子を手放さないためになら、どんなことでもしてみせると、そう思えるのに。
いつか必ず、レイを手放さなければならない日が来ることを、動物的な勘とも言えるそれが教える。
どこかに閉じこめてしまおうかと、ふとそんな考えが過ぎったのは、一度や二度ではない。
愚かな考えが浮かぶたびに、レイの笑顔を思い出しては、思い止まってきた。
どこかに閉じこめるようなことがあれば、もう二度とレイの笑顔を見ることは叶わない。
けれどそれは、手放しても同じだ。
ならばいっそのこと――。
「随分愚かな男に成り下がったものだ」
バンッと、持っていた写真をグラハムはテーブルへと叩きつける。
レイを手放したくはない。
でも、閉じこめるような真似だけは絶対にしたくはなかった。
例え、手放すことになろうとも。
理性ではそう思っているのに、感情が言うことを聞いてくれない。
「――グラハム?」
帰ってきたのかと、寝室から顔を出したレイに、それまでの暗い雰囲気を払拭したグラハムは振り返る。
「ああ、すまない。起こしてしまったかな?」
朝日がカーテンの隙間から差し込んでいるとはいえ、まだ6時前だ。
いつもなら眠っている時間に起きてきたレイは、まだ眠たそうな表情をしている。
おいでと手招きすれば、素直に近づいてくるレイに、グラハムは微笑む。
「少し顔色が悪いようだね。ちゃんとご飯は食べているかい?」
テロの犯行グループが声明を発表した日から、グラハムは忙しい毎日を送っていた。
ほぼ寝に帰ってくるような毎日に、きちんとレイの顔色を見るのは本当に久しぶりだった。
寝起きとはいえ、顔色が良くないレイの頬へと手を添えると、安心したかのように躰を寄せてくる。
心を許しきっているレイの姿に、5日前のことを嫌でも思い出してしまう。
5日前、今日よりもさらに遅い時間に帰宅したグラハムは、独身寮へと戻る途中見てしまった。
レイが見知らぬ男と近づいたかと思えば、頬へと手を添えている姿を。
あの後慌てて離れた様子から、無意識の行動だったのだろう。
だからこそ気づいてしまった。
レイは――アザディスタンで出会った少年は、あの男を愛しているのだと。
知りたくもなかった真実に、さらに追い打ちをかけるように知ってしまった真実。
「この頃食欲がなくて……」
「それはいけないね。今日は夜まで家にいられるから、何か食べやすいものを作ってあげよう」
「本当?」
ぱっと嬉しそうにレイは顔を上げる。
ここ数日、忙しさにかまけてレイとはまともな会話すら交わしていない。
寂しい思いをさせていたという自覚はあるが、まさかここまで喜ばれるとは思っていなかった。
「ああ、本当だ。その代わり今日の夜から3日ほど帰れない」
「3日も?」
「この3日が執念場でね。これが終わったら、2日ぐらいはまとめて休暇も取れるだろう。そうなったら、またどこかに出かけよう」
「……うん」
沈んだ声で頷くレイに、3日も会えなくて落ち込んでいるのだと、あえて勘違いした振りをする。
本当はそんなことで落ち込んでいるわけではないと知っているのに。
テーブルへと置きっぱなしにしていた写真をレイに気づかれないように、グラハムはこっそりとポケットへとしまう。
「3日なんてあっという間だ。きちんと留守番ができたら、カタギリと一緒に遊園地か、水族館のどちらかに行こう」
きちんと留守番ができたら――。
昔、好奇心もあって習った読唇術。
この時ばかりは、習わなければ良かったと、後悔している。
5日前、レイが見知らぬ男と交わしていた会話の一部だけだが、グラハムは唇の動きで読み取った。
1週間後、場所は分からないが、迎えが来ることも、そして、レイの正体が何者なのかも。
知りたくもないことを、全て知ってしまった。
「……両方は、駄目?」
「構わないよ。レイが望むなら、どこにでも連れていってあげよう」
レイが、望むならどこにだって。
例え、道を違えることになろうとも――。
――約束の1週間まで、あと2日。
* * * * * * * * * *
「――ティエリア!」
ようやく見つけたと、息を弾ませるアレルヤに、ティエリアは一瞥するだけで、何も言わない。
自室へと尋ねたが、どこにも姿が見えないティエリアを探していたのは、アレルヤの都合だ。
とはいえ、相変わらずな素っ気ない態度に、苦笑せずにはいられない。
「例のテログループのアジトと、今後の動きがようやく分かったみたいだよ」
つい先ほどスメラギから教えられたばかりの情報を伝えれば、ようやく振り向いてくれたティエリアに、アレルヤは微笑む。
「今回は随分と情報をつかむのが遅かったな」
犯行グループによって、犯行声明が発表された日から10日目――。
刹那が巻き込まれた日本でのテロが発生してからすでに17日も経っていた。
戦場に置いては、情報1つで戦況が左右されることもあるというのに、あまりにも遅すぎる今回の対応に、ティエリアはアレルヤに対して怒りをあらわにする。
「仕方ないよ。小さなグループ過ぎて、アジトに関する情報が全くなかったんだから」
それなりの規模のグループや、昔から存在するグループならば、どこかに必ずアジトに関する情報が存在するが、今回だけは違っていた。
規模も小さく、ましてやつい最近創設されたばかりのグループの情報などわずかしかなく、アジトに関する情報は全くというほどなかった。
つまり、1から探らなければならない状況に、刹那の失踪と記憶喪失も絡んで、ソレスタルビーングはある種混乱していたと言っても良い。
今回のテロは小規模ながら、以前起こった同時多発テロ以上の打撃をソレスタルビーングに与えてくれた。
日本でのテロがソレスタルビーングに対する報復行為というのなら、今回のテログループは、かなりの打撃を与えたことになる。
それをテログループは知ることなく、近い中に葬り去られることになるだろう。
ガンダムの手によって。
「弁明など無意味だ。結果を残せなければ、意味などない」
正論だけに、アレルヤは押し黙った。
ソレスタルビーングはすでに、世界を敵に回している。
わずかな情報漏洩や、情報収集の遅れが、計画に支障をきたし、果ては命を危険にさらすことになる。
そんなことは、ソレスタルビーングには許されない。
「それで、決行日はいつだ?」
テログループを殲滅し、ガンダムを罠に掛けようとしているユニオン軍の鼻っ面をへし折る計画は、すでに立てられている。
あとは犯行グループのアジトに関する情報を待つだけという状況だった。
ようやく手に入れることができたアジトに関する情報に、スメラギはすでに決行日を決めたはずだ。
「明後日。 ――2日後だ」
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