深海に眠る恋
両手にいくつもの買い物袋を抱えたグラハムと、大切そうに両手で買い物袋を抱えているレイに、カフェで1人、2人の到着を待っていたカタギリはまず最初に、その荷物の量に驚いた。
「随分とまあ、たくさん買ったね」
当面、生活するのに困らない程度しか購入しないと今朝は言っていたのに、グラハムが抱えている買い物袋はどう見ても、それ以上だ。
ご満悦なグラハムと、戸惑いとも困惑ともとれる表情をしているレイを見る限り、何があったのかは想像に難くない。
「色々見ていたら、レイに似合いそうな服がたくさんあってね」
「それにしても、買いすぎだろう」
「カタギリもそう思うだろう?」
抱えている買い物袋がなければ、今にも縋り付いてきそうなレイに、カタギリは溜息をつく。
常々大人げないとは思っていたが、レイ相手にも大人げなかったとは。
資金は全てグラハム持ちとはいえ、買ったものは全てレイのものだ。
記憶を失っているという状況だけでも、かなりの不安とストレスをレイは感じているはずだ。
その上誰かの負担になるようなことがあれば、さらに増しかねない。
レイが不安に思ったり、ストレスになることだけは避けろと、最初の頃に嫌というほど説明したというのに。
レイを着飾るのが思っていた以上に楽しくて、失念してしまったのだろう。
こんなことになるならば、付いていけば良かったと、カタギリは後悔する。
「グラハム、君のお金だから文句は言うつもりはなかったけれど、これは買いすぎだよ」
「そうか? これでも、抑えたつもりなんだが」
ひくりと、頬が引きつる。
滅多なことがない限り、給料を使う必要がない生活をグラハムが送っていることは、カタギリもまた知るところだ。
相当貯蓄があることだけは分かるが、その金額までは流石に知らない。
暫く生活するのに困らないだけの服を買ってもなお、全く痛んでいない懐に、どれほど溜め込んでいるのか一度見てみたい。
それでなくとも、買い物袋を見る限り、全てメーカー品だ。
合計金額を聞くだけでも恐ろしいというのに、これでもまだ足りないとは。
「グラハム。一度君とは、金銭感覚について話し合わないと駄目みたいだね」
戸惑いと困惑が入り交じったレイに、金銭感覚がおかしいのは自分ではなく、グラハムであるのは間違いない。
階級は中尉と、そう給料は高くもないはずなのに、どうしてここまで金銭感覚がおかしいのか。
一度調べた方が良いのではないだろうかと、本気でカタギリは悩む。
「なに。着飾りたい相手には、出し惜しみしないだけさ。その証拠に、自分の物にはあまり金を掛けていないだろう」
なるほどと、カタギリは思わず頷いた。
精悍な顔立ちに、それに似合う長身をしているグラハムは、そこら辺に売っている安物ですら着こなしてしまう。
私服を着る機会が少ないせいもあってか、安物は買わないようだが、高価なものもまた買っているところを見たことがない。
今朝着ていた服とは違う服を着ているレイを改めて観察したカタギリは、グラハムのセンスの良さに感服しする。
「試着をさせてみたら、思っていた以上に素材が良くてね。店員に勧められるがまま買おうとしたら、レイに止められてしまったよ」
肩を竦めるグラハムに、だってと、レイは頬を膨らませる。
「この3倍はあったんだ。流石に止める!」
3倍と、その数字にカタギリは額を押さえる。
ものには限度というものがあることを、目の前の男は果たして知っているのだろうか。
結婚もしてないというのに、気持ちは2人の子を持った父親だ。
「今度レイのものを買い足すときには、絶対に僕も付いていくからね」
これだけは譲れないと、カタギリは2人へと――特にグラハムへと念押しすれば、案外あっさりと頷かれた。
「さて、服とか日用雑貨が買い終わったなら、今度は僕と問題集を買いに行こうか」
「問題集?」
「レイぐらいの年頃の子どもなら、学校に通っているはずだからね。どこまでレイが理解しているのか知りたいから、中等部と高等部全て購入しておこうか」
「そんなに!?」
「レイの学力を調べるためだからね。買ったからには、一通り解いて貰うよ」
買っても無駄にはしないと断言するカタギリに、レイは怯えた様子でグラハムの影に隠れる。
勉強が苦手なのか、それとも嫌いなのか。
どちらにしろ、まだ学校に通っていなければならない年頃のレイを預かっている身としては、勉強をさせないわけにはいかない。
例え、グラハムが以前言った通り、学校に通っていなくとも。
身元が分からない今は、レイには普通の子どもと同じように生活してほしいと、カタギリは思う。
「私の後ろに隠れても、何も始まらないよ、レイ。ここは大人しく、カタギリと一緒に本屋へと行っておいで」
「グラハムは?」
「私はあそこでコーヒーでも飲んでいるよ」
あそこと、すぐ目の前にある喫茶店へと、グラハムは指差す。
「じゃあ、行ってくるよ。グラハムはコーヒーでも飲んで、待っていてくれ」
「分かった」
さあ、行こうかと、優しくカタギリに告げられたレイは、寂しさを隠すことなく、本屋へと向かった。
* * * * * * * * * *
日本でテロが発生してから1週間――。
いまだ生々しい爪痕を残すテロ現場を、ロックオンは険しい顔つきで睨み付ける。
幼い頃に、両親を、兄弟を、テロによって奪われた。
その上、最愛の恋人である刹那まで、テロによって奪われるところだった。
次はあるものかと、刹那が巻き込まれたテロ現場を睨み付けていれば、一緒に同行しているラッセに肩を叩かれた。
「気持ちは分かるが、こんなところで怖い顔をするもんじゃない」
「ラッセ……」
「刹那は今のところ無事だ。だから、もう少し肩の力を抜いておけ。いざって言う時使い物にならなくなるぞ」
いざという時――。
ユニオンによって保護されている刹那を、無傷で取り返す。
そのために自分たちは、日本にいる。
できれば穏便に、ユニオンに刹那がソレスタルビーングの一員だと気づかれないように取り返したいとは考えているが、そう簡単にいくとは、ロックオンもラッセも考えてはいない。
家族を装って引き取ろうにも、刹那と同郷の者はソレスタルビーングにはいない。
それどころか、刹那・F・セイエイには、戸籍上、家族はすでに存在していないことになっている。
テロの被害者である刹那を、正式な手順を踏まない限り、ユニオン側は返してはくれないだろう。
何とかして刹那と接触することができれば、あとは簡単なのだが。
刹那と接触を図るまでが、難しそうだ。
「分かってる」
「なら、良いが。俺はもう少し調べてから戻るが、お前はどうする?」
「少し街を見て回っても良いか?」
少し迷った末に、ロックオンはラッセへと問いかける。
「それは構わない。ただし、迷子になって、時間に遅れるんじゃないぞ」
「成人した野郎に言う台詞じゃないな」
全くだと、ラッセは肩を竦める。
合流場所と時間を確認してから、ロックオンは1人、被害を受けることなく、無傷な街並みを歩く。
刹那もこうして、日本に潜伏中に1人街を歩いていたのだろうか。
恋人同士とは言え、任務中は離れて暮らすのはもちろん、数日連絡を取り合わないこともある。
連絡が取れない日々に、不安に思わない日はない。
けれど、刹那にガンダムマイスターを辞めろとは、口が裂けても言えない。
刹那にガンダムマイスターを辞めてほしいと懇願されても、自分が辞められないのと同じように、刹那もまた、それは同じだろう。
それに、ガンダムマイスターであるからこそ、今の刹那があるのだ。
ガンダムマイスターである刹那を否定することは、刹那自身をも否定することにも繋がる。
だからこそ決して、何があろうともガンダムマイスターである刹那を否定する行為はできない。
刹那を、愛しているからこそ。
「コーヒーでも飲んでいくか」
ふと、目に付いた喫茶店に足を止めたロックオンは、腕時計へと目を落とす。
時間を確認すれば、すでに1時間以上歩いていることになる。
僅かに疲れを感じたこともあり、休憩も兼ねて喫茶店へと入ろうとしたロックオンは、目の端に愛しい色合いを認めた。
単なる偶然だろうと思いながらも、ゆっくりと振り向いたロックオンは、驚きで大きく目を瞠る。
「――――っ」
生存を知るまでの3日間。
祈るような気持ちで、行方知れずとなった刹那の生存を信じてきた。
そうして今日、日本に来るまでの4日間は早く会いたいと。
そう思い続けてきた刹那が、駆け出せば、すぐに抱きしめられる距離にいる。
込み上げてくる歓喜にけれど、ロックオンはすぐに異変に気がついた。
ロックオンが知る刹那なら、決して浮かべることのない安心しきった、穏やかな笑みを浮かべて。
見知らぬ男へと微笑みかけている刹那に、今度は別な意味でロックオンは目を瞠る。
他人のそら似かと一瞬考えるが、すぐにそれを、ロックオンは否定する。
自分が刹那を見間違えるなどあり得ない。
例えその姿を変えたとしても、見つけ出す自信がロックオンにはある。
目の前にいるのは、間違いなく刹那だ。
そう、断言できるのに。
――あれは、誰だ?
刹那なのに、刹那とは違う笑みを浮かべている、彼は。
自分の方へと歩いてくる刹那たちに、ロックオンは俯きながら、擦れ違う瞬間を待つ。
1秒が1分に。
1分が1時間にも感じられる、長い、けれど短い時間を。
「刹那」
擦れ違った瞬間、祈るように呟いた、恋人のコードネーム。
期待していた僅かな反応もなく、去っていった恋人に、ロックオンはその場に立ちつくすことしかできなかった。
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