深海に眠る恋
ぷくっと頬を膨らませたレイに、グラハムは堪えきれずに、声をたてて笑った。
「――グラハム!」
「す、すまない、レイ。だが……っ」
おかしいと腹を抱えて笑うグラハムの隣では、カタギリが沈没している。
だから嫌だと言ったんだと、顔を背けながら呟くレイに、笑いを収めたグラハムとカタギリは素早く謝った。
ここ数日共に過ごして分かったことだが、レイは一度機嫌を損ねると、なかなか機嫌を直してくれない。
すぐに謝罪をすれば許してくれるが、放置すればとんでもないことになることを、その身を持って味合わされた2人は、以来レイの機嫌を損ねても、放置することはなくなった。
「やはり服は買わないと駄目だな」
真面目腐った表情で頷きながらも、肩が震えている。
笑いを堪えていると分かるグラハムを、レイは上目遣いで睨み付けた。
「だから言っただろう。絶対に私やカタギリの服は大きすぎると」
「でも、グラハムやカタギリに買ってもらうって訳にも……」
レイが今着ている服は、グラハムのものだ。
保護された時は怪我を負っていたこともあり、病院服を着ていたレイだったが、今日ようやく医師から動き回っても良いという許可がもらえた。
流石にそのまま病院服を着ているわけにもいかず、かと言って、グラハムやカタギリの服を借りるにも、サイズが全く違いすぎる。
レイ用の服を買おうということになったのだが、それをレイ本人が酷く嫌がった。
仕方なくグラハムは使っていない服を貸したのだが、結果は想像通り。
鍛え抜かれた躰をしているグラハムの服は、レイには大きすぎた。
想像以上に大きすぎた服に着られたレイは愛らしいが、それ以上に笑いを誘われる。
笑ってしまえば、間違いなくレイの機嫌を損ねると、笑いを堪えてみたが、機嫌を損ねる張本人によってそれは阻止され、無駄に終わってしまった。
「それは気にしなくても良いって言っただろう。特にグラハムは貯蓄がたくさんあるから、気にしないで買ってもらうと良いよ」
「カタギリの言う通りだ。普段は軍の支給品を使うことしかないから、給料が溜まる一方。少しは使わせてくれないか?」
押して駄目なら引いてみろとは良く言ったものだ。
あえて下手に出てみれば、迷いの色をレイは見せ始める。
「レイ、せっかくだ。一緒に買い物に行こう」
くしゃりと、頭を撫でながらそう言えば、躊躇いながらもレイは頷いた。
「本当に良いの?」
「子どもが気にすることではないよ。それに、せっかく得た私の楽しみを奪わないでおくれ」
「楽しみ?」
「レイはとても綺麗な子だからね。コーディネイトをするのが、今からとても楽しみだ」
パチパチと眸を瞬かせたレイは、不思議そうに首を傾げる。
「綺麗? 俺が?」
全く自覚のないレイに、グラハムは苦笑する。
アザディスタンで出会ったときにも思ったが、レイは原石だ。
磨けばさらに綺麗な子になるのは間違いないというのに、本人が自分の容姿に自覚がないのか、原石に近い状況にある。
周囲に溶け込むには最適かもしれないが、それでは砂漠に原石を放り投げるようなものだ。
そんな真似は、絶対に許せない。
記憶を失っているというのなら、なおさらにこの機会に磨いてしまおうと、グラハムが決意するのは早かった。
「レイは綺麗だよ。それこそ、私が一目惚れしてしまうぐらいに」
「グラハムは、俺に一目惚れしたの?」
「ああ。一目で恋に落ちたよ。レイを今以上に知ったら、きっともっと恋をしてしまうだろうね」
何でもないこととのように言いながら、その内容は情熱的な告白だ。
レイは恥ずかしさで、顔を真っ赤にさせる。
「レイ、そんなタラシ野郎に惚れちゃ、駄目だからね!」
惚れたら、苦労するのはレイなんだからと。
愛の告白とも取れるグラハムの言葉に、顔を赤くさせているレイへと、カタギリは絶対に駄目と力説しながら説得する。
その様子はまるで、質の悪い男に引っかかりそうになっている娘を説得している父親のようで。
まだ結婚もしていなければ、子どももいないのに苦労性だなと、グラハムは思う。
「う、うん」
カタギリの迫力に負けたレイが思わず頷いたその姿に、グラハムはおかしそうに笑う。
「酷いな、カタギリ。まるで私が、悪い男のようじゃないか」
「実際、悪い男だろう。君の女性の遍歴をレイに言われたくないなら、大人しくしていてくれ」
僕が知らないと思っていたのかいと睨み付けてくるカタギリに、グラハムは肩を竦める。
「グラハムの女性の遍歴?」
それって何と、可愛らしく首を傾げて問いかけてくるレイに、グラハムとカタギリの2人は顔を見合わせる。
レイぐらいの年齢になれば、女性の遍歴という言葉ぐらい知っていておかしくはない。
むしろ知らないという方が驚きだ。
記憶を失っているとはいえ、それは自分自身に関することばかりで、レイは一般常識や世界情勢の記憶はほとんど失ってはいなかった。
つまり元から知らなかったと考えるのが自然であり、一体どんな人生を歩んできたのかと、2人は戸惑う。
「カタギリ、お前が説明しろ」
「どうして僕が! 元を辿れば、君が元凶だろう!!」
「お前がいらないことを言わなければ、こうはならなかった」
意地でも説明しないと態度で表すグラハムに、カタギリは早々に折れた。
意地の張り合いになれば、絶対にグラハムは折れない。
それでもいつもなら、ギリギリまで粘るのだが、今日は目の前にレイがいることもあり、カタギリは早々に折れることにした。
「えっと、遍歴って言うのは、経験が豊富ってことだよ」
「経験が豊富? グラハムは、女性に対して、何が経験豊富なんだ?」
きょとんと瞬きしながら、首を傾げたレイに、カタギリは唸り声を上げる。
正確な年齢は記憶を失っているために分からないが、おそらくレイは14歳から16歳辺りのはずだ。
それぐらいの年齢の子どもなら知っていなければ、逆におかしいことを知らないというレイ。
一体今まで、どんな教育を受けてきたのか。
「グラハム、君が両刀だということは別に嫌悪もないし、文句もない。でも、レイに手を出したら、分かっているだろうね?」
軍において、異性――つまりは女性の数は、男性に比べて圧倒的に少ない。
そうなれば狭い世界において、外の世界に女性がいたとしても、同性に走る者も少なくなく、自然と同性愛に嫌悪はなくなっていく。
カタギリもまた、同性愛に嫌悪は全くないが、グラハムのように同性に対して恋愛感情を抱くことも、ましてや性的欲求が湧くことはない。
それ以前に、恋愛感情もなく、グラハムのように不特定多数の人間と寝たりなどしないが
グラハムの過去の遍歴ともいえる数々を知っているカタギリは、鬼気迫る形相でプレイボーイであるグラハムを睨み付ける。
「安心しろ。流石の私も、子どもは対象外だ」
「それは良かった。僕はまだ、犯罪者になりたくはないよ」
その言葉を聞き、グラハムは黙り込む。
「グラハム、カタギリ?」
いつもならすぐに質問に答えてくれるグラハムとカタギリに無視される形になったレイは、不安そうに2人を見上げる。
テロに巻き込まれ、その上記憶を失ったレイは、重傷ではなかったとはいえ、怪我を負った身だ。
グラハムやカタギリが常に側にいるよう心がけているとはいえ、抱えている不安はちょっとしたことで表に現れる。
名を呼ばれた2人は、慌てて表情を繕うと、交互にレイの頭を撫でた。
「明日はちょうど休暇だから、服を見に、一緒に街に行こうか」
「本当に良いの?」
まだ遠慮しているレイに、全くと、グラハムは笑う。
その様子はどことなく楽しげに見える。
「言っただろう。私の楽しみを奪わないでおくれと」
「レイ、子どもは遠慮しちゃ駄目だよ。それにグラハムは道楽で服を買おうとしているんだ。遠慮なんて全く必要ないよ」
「カタギリの言う通りだ。遠慮などしなくて良い」
「ほら、グラハムもこう言っているんだ。たくさん買って貰いなさい」
くしゃりとカタギリに頭を撫でられながら、レイは怖ず怖ずと頷いた。
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