深海に眠る





















 バンッ――と、大きな音がブリッジに響き渡る。
「――今日で3日だ!」
 びくりと、スメラギとラッセ以外のブリッジメンバー3人は、普段は穏和なロックオンの怒気に脅えながらも、それぞれの仕事へと専念する。
 怒気を真っ正面から受ける形になったスメラギは、揺るぐ気配もなく、ロックオンを睨み返した。
「そうね」
 淡々と返したスメラギに、ロックオンはカッと目を見開く。
 3日――。
 3日も言われた通り我慢してきた。
 これ以上はもう我慢の限界だと、怒りで顔を真っ赤に染めたロックオンは、スメラギへと手を伸ばした。
 スメラギがロックオンに殴られると。
 誰もがそう思った時、隣にいたアレルヤが、慌ててロックオンを羽交い締めにした。
「待って、ロックオン……っ」
「離せ、アレルヤ!」
「離したら、君は殴るだろう……!」
 暴れて拘束を解こうとするロックオンを、アレルヤは懸命に押し止める。
 歯軋りしながらスメラギを睨み付けているロックオンへと、アレルヤは落ち着いてと諭すが、相手は血が上った状態。
 落ち着いてと言われて、冷静になれるわけもなく、ロックオンはなおも暴れ続ける。
 先に悲鳴を上げたのは、体格で負けているアレルヤだった。
 わずかに緩んだ拘束の隙をついて、アレルヤの腕を振り解いたロックオンは、スメラギへと拳を振り上げる。
 今度こそ、スメラギが殴られると。
 ブリッジに、悲鳴が上がる――。



「殴っても、刹那・F・セイエイは戻らないぞ」



 緊迫したブリッジにおいて、ティエリアの冷静すぎる言葉は異質すぎた。
 ピタリと、ロックオンはスメラギへと殴りかかる直前に、動きを止めた。
「――なに?」
「スメラギ・李・ノリエガを殴っても、刹那・F・セイエイは戻らないと言ったんだ。少しは落ち着いたらどうだ、ロックオン・ストラトス」
「落ち着いても刹那は戻らないだろうが!」
「周囲に怒りをぶつけても、それは同じだろう。なら、落ち着いて話し合った方が、ずっと有意義だ。そうは思わないか?」
 違うというなら、言い返してみろと。
 そう言わんばかりに睨み付けてくるティエリアに、ロックオンは顔を背ける。
「……っ」
 感情のままに話し合ったところで、意味などない。
 冷静に話し合えば、万に一つの可能性だとしても、何か良い解決方法が浮かぶ可能性は、感情のままに話し合うより、ずっと高く、有意義だ。
 ティエリアの言葉は、正しい。
 歯軋りしながら、ロックオンは苛立ちを壁へとぶつける。
「くそ……っ」
 背を向けて項垂れるロックオンへと、誰ともなく同情の視線が向けられる。
 憐れみでも、怒りでも、ましてや恐れでもなく。
 薄々とは言え、誰もが皆、気づいていた。
 ロックオンと、今は行方知れずとなった刹那の関係を。
 例え誰であろうと、愛する恋人が離れた地で行方不明になったと聞いて、冷静でいられるはずがない。
 ここ数日苛ついているロックオンが八つ当たりしても、ティエリアを除いた誰もが皆、許していたのはそれが理由だった。
「もう、良いかしら?」
 淡々とした口調でクルーとガンダムマイスターたちに問いかけるスメラギを、ロックオンは殺意を込めて睨み付ける。
 激情が去ったわけではない。
 今もなお、ロックオンの胸の内では激情が荒れ狂っている。
 ティエリアの言葉もあり、荒れ狂う激情を懸命に抑え込んではいるが、今の状態ではそれも長くは持たないだろう。
 それに気づいているのかどうかは分からないが、クルーたちを見渡したスメラギは告げる。
「あなたたちを呼び出したのは、話し合いをする為じゃないわ。新たな報告が入ったことを知らせるためと」
 言葉を一旦切ったスメラギは、長い髪の毛をかき上げながら言う。
「刹那の救出プランを聞かせる為よ」


「!?」


 はっと、皆の視線がスメラギへと集中する。
「質問は全て後よ。まずは私の話を全て聞いてからにしてちょうだい。良いわね?」
 反論は許さないと、スメラギは1人1人の顔を確認する。
 全員が頷いたのを確認したスメラギは、溜息をついた。
「まずは、そうね。刹那との連絡が途絶える原因になったと思われる、3日前に日本で起こったテロだけれど」
 3日前、規模はあまり大きなものではなかったが、日本でテロ事件が発生した。
 テレビ報道とほぼ時同じくして、ヴェーダからもたらされたテロ発生の知らせは、スメラギを始めとする、ブリッジメンバーを驚愕させた。
 テロが発生したからでも、その現場が日本だったからでもない。
 テロ現場が、刹那が日本に潜伏している際に住んでいるマンション近くだったからだ。
 最悪なことに、テロは刹那が日本に潜伏している最中に起こっており、巻き込まれた可能性も否定できない状況だった。
 慌てて刹那へと連絡を取ろうと試みたが、応答は一切なく、定時報告の時間になっても、連絡はなかった。
 テロの影響で、連絡が取れないだけかとも考えられたが、戦術予報士として最悪の事態を想定したスメラギの行動は早かった。
 エージェントの1人である王留美へと現状を説明したスメラギは、刹那が住むマンションとエクシアへと人を派遣させた。
 結果は、スメラギが回避したいと願っていた最悪な事態は免れたが、状況は好転するどころか、わずかに悪化した。
 エクシアは前回の任務以降動かされた痕跡はなく、所定の位置へと隠されていた。
 だが、刹那の姿はマンションにも、ましてや負傷者が運ばれた病院にも、死亡者リストの中にもなかった。
 まるで最初から存在しなかったかのように、忽然と姿を消した刹那。
 それに、誰もが戸惑うしかなかった。
 エクシアを置いて、刹那が消えるはずはない。
 刹那がエクシアに魅せられているのは誰もが知るところであり、それを疑う余地はどこにもない。
 エクシアは所定の位置へと隠されたまま、刹那だけが忽然と姿を消すような事態。
 戦術予報士として、ソレスタルビーングの一員として、スメラギが取る行動はただ1つ。
 キュリオスを使って、エクシアの回収をアレルヤへと命じた。
 それがロックオンには許せなかった。
 まるで、刹那はもう亡き者と判断したスメラギに。
 何より、刹那が消息を絶った原因そのものにも――。
「あなたたちには話していなかったけれど、今回のテロの標的は私たちよ」
「なっ……」
「隠していたことは謝るわ。でも、この情報はあまりにも不確定要素が多すぎたの」
「それは、どういうことですか?」
「ユニオンが隠していたの。事前にテロを予告したビデオも届けられていたのに、それすらも」
 全世界の3分の1もの勢力を誇るユニオン。
 ユニオンの手によって隠蔽された情報を探ることは、流石のソレスタルビーイングでさえ難しい。
 情報については早々に手に入られたが、真偽のほどは定かではなく、スメラギは沈黙を選んだ。
 ただでさえ刹那の行方が分からない状態で、迂闊なことは言えないと、正式な報告が入るまで待っていたのだが、調査は3日にも及んだ。
 ようやくもたらされた報告は、想定していなかった事態も含まされており、作戦を練るのに、通常よりも酷く時間がかかった。
「どうして、また……」
「自分たちの失態を隠すため、ですか?」
 リヒテンダールの問いに、アレルヤが憶測を告げる。
「普通なら、そう考えるのが打倒ね。テロが起こる直前だったとはいえ、テロの予告ビデオが届けられていたというのに、ユニオンはテロを未然に防げなかった。私たちに対する報復テロだとしても、民衆からの抗議は免れないわ」
「それより、刹那の救出プランって何なんだ!?刹那は今どこに――」
 言い募るロックオンへと向けて、スメラギは手を上げて、黙らせる。
「言ったでしょう。質問は全て後。それに、この件は刹那失踪に深く関わっているの。最後まで聞いてちょうだい」
 あなた達もよと、リヒテンダールとアレルヤの2人を、スメラギは睨み付ける。
「隠蔽したところで、情報はどこからか漏れるものよ。犯行予告ビデオを送ったのに、ユニオンや、ましてや私たちがここ数日何の動きも見せないと犯行グループはきっと不審に思っているはず。そろそろ情報が全世界に出回るのは避けられないでしょうね」
 良く3日も持ったものだとスメラギは言う。
 隠蔽した情報は、ユニオンだけが持つものではない。
 犯行を予告したというのに、その発表どころか、テロが標的にしたものすらメディアに流れないことに、そろそろ犯行グループが焦れても良いはずだ。
 近い中に必ず犯行グループは、メディアを通して犯行声明を発表する。
 その時必ずユニオンへと事前に犯行を予告したビデオを送ったことも発表するだろう。
 そうなった時、ユニオンも無事ではすまされない。
 隠蔽すれば、あとで傷つくと知りながら、なぜあえてテロに関する情報をユニオンは隠蔽したのか。
 理由は、1つしかない。
 自分たちの失態を隠すという大前提のもの、ユニオンはその理由さえも隠してしまった。
 あえて傷つくことを覚悟した上で。
「ユニオンは何かを仕掛けようとしているはずよ。それが何なのか、今はまだ、皆目見当もつかないけれど」
 あえて完璧に隠蔽しなかったテロに関する情報。
 まるで、調べろと言わんばかりに、所々隙だらけだったセキュリティとは違って、ある一部分だけ、決して立ち入ることができないほど、完璧なセキュリティが施されていた。
「それに関して情報を探っていたチームから、あなた達を呼び出す少し前に報告があったの。他のチームが探っていたはずの、刹那に関する報告も一緒にね」
 刹那の失踪は、ユニオンが関連していると。
 そう言ったスメラギに、ブリッジは一気に緊張に包まれる。
 刹那を救出すると、そう言ったスメラギ。
 ユニオンによって捕らわれているというのなら、まるで存在しないかのように忽然と刹那が姿を消した理由が分かる。
 だが、――。
「安心して。刹那は捕虜としてユニオンに捕らわれているわけじゃないわ。ユニオンに『保護』されているの」
「……保護?」
「と言っても、まだ刹那かどうか確証はないのだけど」
「それは……」
 どういう意味だと問うロックオンを、スメラギは遮らなかった。
「昨日の時点で、現在ユニオンがテロに巻き込まれた民間人を数名、保護していることが判明したの。念のため、刹那の特徴を探らせていたチームに教えたら、一致する人間が1人いると、今日回答があったわ」
 刹那だと断言はできないが、刹那である可能性は非常に高いとあった報告書。
 報告書に書かれていた特徴はまさしく刹那のもので、刹那の特徴を教える際に、スメラギは遠くからで構わないから、写真を撮影するように命じた。
「報告書に添付されていた写真を確認したところ、刹那だったわ」
 遠くから撮影されたものだったため、わずかにぼやけて表情は分からなかったが、写っていたのは刹那だった。
 瓜二つの別人でない限り、あれはおそらく刹那だと。
 断言するスメラギに、ロックオンはようやく肩の力を抜いた。
「生きてる……」
 良かったと、安堵するロックオンに、ティエリア以外は表情を綻ばす。
 ここ数日、ロックオンがずっと気を張りつめていたことは、誰もが知るところだ。
 日々憔悴していくロックオンに、いつ倒れるのかと周囲は心配していただけに、安堵は大きい。
「安堵するのはまだ早いわよ、あなたたち」
 はっと、スメラギの言葉に、皆は一斉に気を引き締めた。
「ユニオンは何かを仕掛けようとしている。それはもう話したわね」
 はいと、誰もが頷く。
「どうやらユニオンが保護したのは、実行犯を目撃したと思わしき人たち。刹那もその1人と判断されたらしいわ」
「つまり、刹那は今、身動きが取れないってことか?」
「多分ね。保護された先が先だけに、身動きが取れないのは確かだと思うわ」
「保護された先って……」





「――ユニオンの、対ガンダム調査隊よ」






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