烙印の絆  X



 一週間後――。
 ようやくモレノから復帰する許可を貰った刹那は、ハロと共に食堂に来ていた。
 予定通りに訓練が行われていれば、そろそろ昼食の時間帯。
 通路で訓練を終わるのを待っても良かったが、少しでも先延ばしにしたくて。
 自分のあまりの意気地なさに、刹那は自嘲してしまう。
「――刹那!?」
 どうしてここにと。
 人の気配を感じて顔を上げたのとほぼ同時に、ロックオンが驚きの声を上げた。
 その声に無意識に逃げ出しそうになる躰を必死に押し止めながら、少しやつれたように見えるロックオンを刹那はひたりと見つめる。
「体調は、もう良いのか……?」
 ためらいがちに訊ねるロックオンに、刹那はこくりと頷く。
「大丈夫だ。ドクター・モレノから、明日から訓練に戻っても良いという許可も貰った」
 疑うなら聞いてみろと言えば、かぶりを振ったロックオンは、安堵した様子でほっとため息をついた。
「悪かったな。追いつめるつもりなんてなかったんだが、結果的に倒れたなら、単なる言い訳か……」
 すまなかったと謝るロックオンに、刹那はかぶりを振る。
 ロックオンはただ真実を知りたがっていただけだ。
 もしも立場が逆ならば、自分もきっと同じことをしていただろう。
「――えっと、刹那?」
 スッと無言でハロを差し出した刹那に、ロックオンは戸惑いの声を上げる。
「あんたの相棒だろう。俺がいつまでも持っていても仕方がない」
「けど」
「スメラギには俺から言っておく」
 なかなか相棒であるハロを受け取ろうとしないロックオンに焦れた刹那は、強引に手渡す。
 スメラギによって没収されたハロを、刹那からとはいえ、勝手に返して貰ったことで怒られると危惧でもしているのかと思い、心配いらないと告げれば、苦笑された。
「今回のことで、ミス・スメラギには怒られまくったからな。今さら怒られる回数が増えたところで、何ともないさ。そうじゃなくてさ、ハロなら色々と話せるだろう?」
 迷いながらも、刹那は頷く。
 確かにこの一週間、相手がハロしかいなかったというのもあるが、色々と話すことができた。
 それこそアレルヤやスメラギには話せないようなことまで。
 おかげで、少しだけ気持ちに余裕ができたような気がする。
「この一週間ハロがいなくても大丈夫だったんだ。後もう少しいなくても、俺は大丈夫だから、刹那――」
 ハロを手渡そうとするロックオンに、ゆるゆるとかぶりを振る。
「あんたの相棒だ。あんたが持っているのが一番相応しい」
 それにと、刹那は言葉を紡ぐ。
「もう十分聞いてもらった」
 これ以上は必要ないと。
 受け取ることを拒んだ刹那は、用件は済んだと背を向ける。
 そのまま歩き出そうとして、できなかった。
「ロックオン……?」
 力を入れずに振り払っても、簡単に解けそうなほど弱い力で腕をつかんだロックオンに、窺うように見上げる。
「この一週間、ずっと考えてた。お前がどれほど否定しようと、俺はお前を知っている。それなのに、その記憶が俺にはない。それが酷くもどかしくて、だからこそ余計に記憶を取り戻したいって、そう思った。けどな」
 いったん言葉を切ったロックオンは、辛そうに微笑んだ。
「お前が記憶を戻ることを望まないなら、もう望まない。記憶を取り戻したくないわけじゃない。けど、これ以上お前を苦しめたくないんだ」
 だからもう、逃げないでくれと。
 懇願するロックオンに、刹那はロックオンがやつれた理由を悟った。
「どうして……」
「刹那?」
「どうしてあんたは、そこまでするんだ……? あのときだって、無理をしてまで来てくれなくたって良かったのに……っ!」
 候補だったとき、休暇のたびにロックオンは来てくれた。
 計画が本始動する前でそれほど忙しいわけではないけが、それでも日々の訓練で躰の疲れは溜まっているはずなのに。
 寂しいと。
 常に一緒にいられず、ついぽつりと零した言葉を覚えていたロックオンは、少しでも寂しい思いはさせたくないと。
 施設へと足を踏み入れた瞬間に倒れてしまったぐらいに体調が悪かったはずなのに、無理をしてまで来てくれた。
「刹那……」
 つい感情的になってしまったことを後悔しながら、刹那はそっと目蓋を伏せる。
「……あんたが記憶を取り戻したいと願うなら、俺はもう何も言わない。俺のためにと、諦める必要なんてない」
 今まで妄想だと否定し続けてきただけに、まさか認めるような台詞だけではなく、拒絶もしない刹那に、ロックオンは目を瞠る。
「ただ、もう優しくしてくれるのは止めてくれ。記憶を取り戻したときに辛くなる」
 優しくされるたびに、辛かった。
 ロックオンに優しくされる資格などないのに。
 今のロックオンは、いつ記憶を取り戻してもおかしくない。
 今日か明日か、それとも一年後に戻る可能性もあれば、このままずっと戻らない可能性もないわけではない。
 それでもいつ記憶が戻るのかと怯えている毎日に、ロックオンの優しさは余計に辛い。
「刹那、俺は……っ!」
「あんたはいつか、俺を憎悪する。だからもう、優しくしないでくれ」
 否定しようとするロックオンを遮って、刹那は断言する。
 いつか必ず。
 記憶を取り戻さなくても、知ってしまったら。
 それは、変えようのない事実。










 ひとり、ロックオンは食堂に通じる通路で立ちつくしていた。
 いつか必ずと。
 そう断言してみせた刹那。
 今まで一度だって考えたことはなかった。
 失った記憶の内容や、なぜ記憶を失ったのか。
 そればかり考えて、肝心なことを見逃していた。


 どうして記憶を失わなければならなかったのか。


 そこに、全ての鍵が秘められているのだとしたら。
 答えは、ひとつだ。
「俺が、刹那を憎んだから……?」
 どんな鈍感な人間だって、一部とはいえ、記憶を失ってしまったら普通気がつくはずだ。
 それに、周囲の人間が気がつかないなんておかしい。
 ひとりの人間に関する記憶が失われたのだ。
 誰かひとりぐらい気がついたって良いはずだ。
 記憶は偶発的に失われたわけではなく、故意に消されたのだとしたら。
 誰も何も言わず、そして気がつかない理由にも納得がいく。
 けれど、もし本当に故意に消されたのだとしたら。
 何のために。
 誰が、どうやって。
 尽きぬ疑問を抱いてれば、気配もなく、背後からひょこりとアレルヤが顔を覗かせた。
「――ロックオン」
「わっ!」
 思考に耽っていたロックオンは、突然かけられた声に思わず飛び上がった。
「あっ、すみません。驚かせるつもりはなかったんですが……」
「いや。ちょっと考え事をしてたもんだから、つい」
「そうですか。ところで、明日からの訓練予定が変更になるみたいですよ」
「へっ?」
 明日からと、思わず間抜けな声を上げてしまう。
「刹那が復帰するからか?」
 それ以外に急に明日からの予定を変える理由は思いつかない。
 けれど現状のままでも刹那が復帰したところで変える必要のないメニューだったはず。
 また、スメラギの気まぐれだろうかと。
 前にも訓練メニューを気まぐれで変更されたことがあるだけに、仮に本当にそうだったとしても、最早驚きはしない。
「えっ? 刹那、明日から復帰するんですか?」
「ああ。さっき、わざわざハロを返しに来てくれたときに教えてくれた」
 ほらっと、一週間前にスメラギによって没収された相棒を見せる。
「ああ、それでですか」
 納得したと、ひとり頷くアレルヤに、ロックオンは瞬く。
「明日からの訓練、地上に変更になったんです。訓練内容もMSでの模擬戦ではなく、銃撃戦や白兵戦、肉弾戦に変更になるそうですよ」
 変更内容に、ピシリとロックオンは固まる。
 遠距離射撃を得意としているロックオンには、できれば避けたいと思うほどに苦手な訓練があった。
 まさか嫌がらせかと考えてしまうのは、何も被害妄想ではない。
 一週間前、自分のせいで刹那が倒れたことで、強制的に訓練メニューが変更された記憶は真新しい。
 面倒くさいことを嫌うスメラギにとって、唐突なメニューの変更はどれほど腹立たしいことだったのか、今回のことで嫌と言うほどに理解できた。
「……ミス・スメラギ、相当怒っていたか?」
 気がつかなかったと。
 額に手を当てながら項垂れるロックオンに、アレルヤは苦笑する。
「これも一種の愛情表現だと思って、諦めたらどうですか?」
「愛情表現? これが? 一種の嫌がらせだろう」
 明日からの訓練に思いを馳せながら、ロックオンは項垂れた。






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