烙印の絆 W-U
見慣れない天井に、刹那は自分がどこにいるのかすぐには分からなかった。
ぼんやりと周囲を見渡してようやく、医務室のベッドに横たわっていることに気がついた刹那は、気怠げに躰を起こす。
寝起きだけではない躰の怠さに気がついてようやく、刹那は自分が倒れたことを思い出した。
少し前から体調の不調は感じてはいたが、まさか倒れてしまうような失態を犯してしまうとは。
ティエリア辺りに、マイスター失格だと嫌みを言われるのは覚悟しておくべきか。
気に入らなければ無視すれば良いものを、ことあるごとに絡んでくるティエリアに辟易しながら、人を勝手に薬で眠らせたスメラギに刹那は腹を立てる。
おかげでまだ薬が抜けきっていない躰は怠く、自室に戻る気力すら湧かない。
もう一度眠ろうかとベッドに横になろうとしたとき、医務室の扉が唐突に開いた。
「あら、もう起きちゃったの?」
「スメラギ・李・ノリエガ」
つい先ほどまで腹を立てていた当人の登場に、刹那は顔をしかめる。
人を勝手に薬で眠らせておきながら、平然としているのも気にくわない。
腹立たしさを隠すことなく睨み付ければ、肩をすくめながら、スメラギはベッドの脇に置かれた椅子へと腰掛けた。
「まずは、はい」
ポンッと手渡されたのは、ロックオンの相棒であるはずのオレンジハロだった。
「?」
意味が分からないと、刹那はいぶかしむ。
そもそもなぜ、オレンジハロがスメラギと共にいるのか。
それだけではない。
どうしてオレンジハロを自分へと手渡す必要があるのか。
相棒であるロックオンへと渡すならともかく、スメラギの意味の分からない行動に、刹那の眉間の皺がひとつ増えた。
「しばらくの間、あなたが持ってなさい」
「なぜ?」
「ロックオンに持たせたままだと、セキュリティを突破してあなたに会いに来ようとするでしょう。それにハロなら、あなたが無茶しないように、監視もしてくれるし」
監視も兼ねた没収先かと納得した刹那は、不満を抱きながらも、ギュッとハロを抱きしめる。
「さて、本題に入るわね」
来たと、刹那はハロを抱きしめたまま身構える。
「ドクター・モレノの許可が出るまで、訓練への参加は一切禁止よ」
予想していた内容に、不満もあるが、きちんと体調管理ができなかった自分の責任だと、早々に諦めた刹那はこくりと頷く。
一年前に、嫌と言うほど自分の弱さを自覚したはずなのに。
あれから全くというほど成長していない自分に嫌気がさす。
展望室での一件以来、できる限り刹那はロックオンを避けてきたけれど、それにも限度がある。
早々に解決する方法は、ヴェーダへと報告することだと分かっているのに。
一部の記憶を失っていることをロックオンが自覚した今、報告すれば早急に対応してくれるはずだ。
それなのに、なぜか報告をためらっている自分がいる。
ヴェーダへと報告すれば、覚えのない記憶があることも忘れ、ロックオンが記憶を取り戻してしまう恐怖に怯えずとも良くなるのに。
どこかでロックオンの記憶が戻ることを期待しているのだろうか。
「それと、ロックオンとのペアはひとまず解消よ」
「……そうか」
戦術予報士であるスメラギが、倒れた根本的な原因に気づいていないとは思っていなかった。
懸命な判断だと思いながら、解消という言葉に安堵するより先に、なぜか寂しさを覚えてしまう。
「ねえ、刹那」
今までの厳しい雰囲気から一転、スメラギの雰囲気が柔らかくなる。
あまりの変わりように戸惑う刹那に、苦笑混じりにスメラギは告げた。
「あなたが何を抱えているのかは知らないわ。でも、ロックオンは生きてる」
「何が言いたい」
「こうして話したり、戸惑ったり、苦しんだり、喜んだりできるのは、生きている間だけってことよ。死んでしまったら、何もできないわ。死んだりしたら、それで終わりよ」
死んで、残るものもあるかもしれない。
けれど、ほとんどのものは死んだらそこで終わってしまう。
何も始まらず、始められない。
生きているからこそ、始まるものがある。
喜びや悲しみ、苦しみといった感情もまた、生きているからこそ抱くことができる代物。
「今はまだ良いわ。でもこれから先、ずっと同じ明日が続く保証はどこにもないのよ、刹那」
今はまだ、安全だ。
けれど計画が本始動すれば、前線で戦うことになるガンダムマイスターは、いつ命を失ってもおかしくはない。
圧倒的な力を誇るガンダムといえど、圧倒的な数で攻め込まれれば、それこそどうなるか。
半永久的に力を供給できる太陽炉を搭載しているとはいえ、ガンダムに搭乗し、操縦しているのは生身の人間。
休息を取る暇もなく、何時間と戦闘を続けられればパイロットはいずれ疲労する。
疲労すれば、パイロットの判断能力は鈍り、その隙を突かれれば、いかにガンダムといえど負け知らずではいられない。
もしも鹵獲されるようなことがあれば、マイスターとして取るべき道はひとつ。
貴重な太陽炉を失うわけにはいかないが、他国に太陽炉と情報が漏洩するのは何としても避けなければならない。
自らの命を引き替えにすることになったとしても。
「言わんとしている意味が分からない」
同じ明日が続くはずがないことは、身を持って知っている。
死んだら終わりだと言うことも、嫌と言うほどに見てきた。
そういう世界に自分はいたのだから。
そして、今もなお。
「……刹那、私はね、昔、赦されない罪を犯したの」
ためらいながらも告白するスメラギに、刹那は目を瞠る。
戦争根絶など、それこそ夢物語だと。
誰もが一度は夢に見て、現実にできるはずがないと諦めてた理想を理念に掲げたソレスタルビーイング。
多くの組織は、組織が巨大化したり、長い年月が経つにつれ、当初の理想を見失っていく。
それを防ぐためか。
それとも、その理想に惹かれて人が集まってくるのか。
創立からすでに三百年近く経っているというのに、いまだソレスタルビーイングが掲げる理想は変わらない。
構成メンバーの大半が、何らかの犠牲者だからこそかもしれない。
戦争やテロによって家族や愛する人を奪われた者。
人体実験によって人生を歪められた者。
利益のためだけに引き起こされた戦争に、無理矢理に巻き込まれた者。
傷を負い、世界が歪んでいることを目の当たりにした者が、ソレスタルビーイング(ここ)に集っている。
スメラギだけが違うはずがない。
そう、ヴェーダに選ばれるほどの戦術予報士であるスメラギが、なぜどこの国にも属すことなく、あえて危険な道であるソレスタルビーイングを選んだのか。
そこに疑問を抱くべきだったのだ。
「その時に私は、誰よりも愛する人を文字通り亡くしたわ」
辛いはずなのに、それでも微笑むスメラギに、かける言葉が見つからない。
何と声をかければ良いのだろうかと迷っていれば、馬鹿よと笑われた。
「刹那は馬鹿よ。ロックオンは生きてるのに、どうして逃げてばかりいるの? 私にしてみれば、それはとても贅沢なことなのに」
スメラギの立場からしてみれば、確かに自分の立場は羨ましく見えるだろう。
けれど――。
「俺も昔、赦されない罪を犯した」
知っていたのに。
彼が何をしようとしていたのか、知っていたのに。
それが果たして、本当に正しいのだろうかと疑問に思えるほどに、かけられた洗脳が解けかかっていたのに。
「あのとき、俺だけが止められたのに。なのに、俺は彼を止めることができなかった」
どんな手を使っても止めることができたなら。
「――俺が、ロックオンから家族を奪った」
彼が道連れに奪った多くの命は、奪われることなく今も生きていられたのに。
衝撃的な事実を聞かされたスメラギは、信じられないと目を瞠る。
そう、信じられるはずがない。
信じたくなどなかった。
ロックオンがガンダムマイスターを目指した理由を作ってしまったのが自分だなんて。
信じたくなど、なかったのに。
「ロックオンの家族を殺した自爆犯って」
そんなっと、両手で口元を覆ったスメラギは言葉を失う。
いつだって現実は残酷なのだと。
嫌と言うほど知っていたはずなのに。
どうしてと、スメラギは疑問を投げかけずにはいられない。
多くの国ではいまだ子どもとして扱われる年齢だというのに、残酷な事実に刹那が苦しまなければいけないのだと。
「ロックオンの家族を殺したのは、刹那、あなたではないわ! あなたが罪に苦しむ必要なんてどこにもない!!」
それは違うと、刹那はかぶりを振る。
「直接殺していなくても、間接的に俺が殺したようなものだ」
「刹那……っ」
「あのとき止められたのは、俺だけだったのに。俺さえ彼を止めていれば、そうしたら……っ」
ふたつの幼い命が失われたかもしれないが、代わりに多くの命が救われた。
「それは仮説にしか過ぎないわ! あなたがそのとき止めていなくても、いずれ起こりえたことよ! あなたが責任を感じる必要なんて少しもないわ!!」
「それでも、ロックオンが家族を失わずに済んだ可能性はあった」
「どうして……っ。どうしてあなたは、自分の責任にしたがるの!?」
スメラギだけではない。
事実を知っているスタッフにも、自分の責任ではないと説得されたが、それを受け入れることはなかった。
スメラギの言う通り、執着するほどにロックオンの家族を奪った責任を自分のせいにしたがるのはなぜなのだろう。
その疑問は、すぐに解決した。
「……ロックオンが言ったからだ」
初めて出会った動いたものを母親と錯覚する刷り込みのように。
無意識に、信じてしまったのだろう。
気づいてしまえば、何と簡単なことか。
「ロックオンが……?」
何を言われたのと訊ねるスメラギに、刹那は微笑んだ。
「 『お前が殺した』 」
「!?」
意識が薄れる中聞いた、その台詞を。
なぜ今まで忘れていたのか。
無意識に、忘れてしまいたいと記憶から消してしまったのかもしれない。
「待って、刹那! そんな。それじゃあまるで、あなたが自分の家族を殺した自爆犯と同じ組織にいたことを、ロックオンが知ってるみたいじゃない!」
「ロックオンは知っていた」
今は忘れてしまったけれど。
続く言葉に、スメラギは目を瞠る。
「一年前、休暇先でロックオンが急な任務を言い渡されたことは?」
「ええ、あったわ。あまりにも急なことだったから、今でも覚えてるけど、どうしてそれをあなたが?」
一年前はまだ候補でしかなかったはずの刹那が知り得るはずのない情報。
嫌な予感をスメラギは覚える。
「そのとき、ロックオンから記憶の一部が消された」
「まさか、消された記憶って……」
「俺に関する全ての記憶だ」
「……消したのは、ヴェーダね」
断言させしてみせるスメラギに、その通りだと刹那は頷く。
アレルヤは信じられないと言ったが、常にヴェーダと接する機会があるスメラギだからこそ、分かるのだろう。
ヴェーダはイオリア計画を遂行するために作られた機械。
そこに人の感情は存在しない。
計画に邪魔だとヴェーダが判断すれば、それはそのまま処理される。
ロックオンの記憶のように。
「それで、アレルヤはどこまで知っているの?」
「秘匿義務違反にならない部分までだ」
「……そう言えばこれって、秘匿義務違反になるのね」
忘れてたわと。
さらりと言ってのけてみせたスメラギの図太さに、思わず感心してしまう。
少しは焦っても良いとは思うのだが、率先して秘匿義務違反を起こした自分が指摘することでもないような気がする。
「ねえ、刹那」
「なんだ」
「ロックオンは、あなたが自分の家族を殺したって本気で思っているわけじゃないわ。だって、殺した犯人は一緒に死んじゃってるのよ」
「万に一つでもそうだとしても、ロックオンは俺を憎んでる」
それは、変わらない事実。
ガンダムマイスターを目指した理由となった自分の家族を殺した組織に所属していた人間など、どうして赦すことができるだろう。
例え、どんな理由があって組織に与することになったのだとしても。
「刹那って意外と頑固だったのね。まるでティエリアみたい」
「俺をあの男と一緒にするな」
不愉快だと、嫌悪をあらわに刹那はスメラギを睨み付けた。
すでにスメラギの姿は医務室にはなく、主であるはずのモレノの姿もない。
自室で休んでいれば、いつロックオンと接触するか分からないからと。
医務室で休むことをスメラギにほぼ半強制させられた結果、ゆっくりと休みたいだろうからと気を利かせてくれたモレノによって、医務室には自分とハロしかいない。
自室がある住居ブロックから少し離れている医務室は、確かにロックオンと接触する可能性は低く助かるが、居心地の悪さを感じる。
早々に寝てしまえばそれも気にならないのだろうが、薬で強制的に眠らされたこともあり、なかなか眠気が訪れない。
何もすることのない刹那は、仕方なくベッドの上をコロコロと転がっているハロを、膝を抱えながら眺めていた。
「……俺は、逃げているのか?」
ここに来るときに、覚悟は決めた。
どんな結末を迎えることになったとしても。
記憶を取り戻したロックオンに、再び憎悪の目でみられることになろうとも。
再び傷つけられることになろうとも。
例え、今度こそ本当に殺されることになったとしても。
もう一度だけ彼の隣に並び立って、ガンダムになるのだと。
今でも、その思いは変わらない。
けど――。
「怖いんだ、ハロ」
怖くて、怖くて仕方がない。
何もかも忘れてしまったロックオンは、何も知らなかった以前と変わらなくて。
以前と変わらない笑顔を向けられるたびに、なぜか思い出してしまう。
優しかった笑顔が憎悪に変わった瞬間を。
今は良い。
けれど、もしもロックオンが記憶を取り戻してしまったら――?
再び憎悪の目で見られるようなことがあれば、今度こそきっと耐えられない。
「今のロックオンは、いつ記憶を取り戻してもおかしくない。記憶を取り戻す前に、ロックオンの記憶の処置を行わなければいけないと分かっているのに……」
今すぐにでもヴェーダへと報告すれば、明日にはすでに手配を終えている頃だろう。
処置を行ってしまえば、覚えのない記憶があることもまた忘れてしまう。
イオリア計画を遂行させるためにも。
そして、代償として与えられた記憶の監視という役目を全うするためにも、今すぐにでもヴェーダに報告しなければならないと分かっているのに。
「俺は、ロックオンに記憶を取り戻してほしいと、そう思っているのか……?」
自分のことのはずなのに、分からない。
記憶を取り戻してほしくないとロックオンに懇願しておいて、どうして何もしない。
記憶を取り戻してほしくないのなら、ヴェーダに報告すれば良い。
記憶を取り戻してほしいと願うなら、全ての真実を打ち明けてしまえば良い。
なのになぜ自分は何もしないのだろうか。
[セツナ、セツナ、ハロ、セツナ、好キ! ロックオン、セツナ、大好キ!!]
ぼんやりと思考にふけっていれば、いきなり手元へと飛び込んできたハロが、耳をパタパタとさせながら告げる。
思わぬ内容に目を瞠れば、今度は窺う様子で訊ねてきた。
[セツナ、ハ?]
ロックオンのことが好きかと。
そう訊ねたハロを、セツナはぎゅっと抱きしめる。
「……嫌いに、なれたら…………っ!」
どうして、今もなおこんなにも愛しているのだろう。
愛し続けるのは辛いのに。
それなのに想いは変わることなく躰を蝕む。
いつになったら、この想いは終わりを告げてくれる。
明日か、それとも一年後か。
それとも――。
next