烙印の絆  V-U



 目を覚ませば、なぜか展望室ではなく、自室のベッドの上に横たわっていた。
 あまりにも酷い痛みに気を失ったことまではぼんやりと覚えているが、そこから先の記憶がない。
 誰かが運んでくれたのだろうかと顔を上げれば、部屋の片隅にハロを抱えたアレルヤがいた。
「目が覚めましたか、ロックオン」
「あ、ああ。なあ、アレルヤがここまで運んでくれたのか?」
「ええ。僕とあまり体格の変わらないあなたをここまで運ぶのは苦労しましたよ」
「それは、すまなかった」
 立場を逆にして考えたとき、確かにアレルヤを運ぶのは大変そうだ。
 苦労をかけた申し訳なさで一杯になりながら、ロックオンは部屋を見渡す。
「……刹那は?」
 展望室に一緒にいたはずの刹那の姿が部屋のどこにも見られず、思わず行方をアレルヤへと訊ねた。
「刹那なら今頃部屋にいると思いますよ」
「そう、か……」
 刹那が傍に付いていてくれるはずがないのに、何を期待していたんだろうかと、ロックオンは肩を落とす。
 刹那との関係を考えれば最初から分かりきったことだ。
 何より、あんなことがあった後で傍に付いてくれていると考える方がどうかしている。
「刹那から緊急コールがあったときは、何があったかと驚きましたよ。展望室に駆けつけてみれば、あなたは倒れているし、刹那はなんだか様子がおかしいし。何があったんです?」
 言って良いのだろうかと悩んで、ふたりの親密そうな関係を思い出す。
 アレルヤならばと、そう思ったロックオンは重い口を開いた。
「俺には、覚えのない記憶がある」
 驚く様子のないアレルヤに、ロックオンは瞬く。
「知っていたのか?」
「先日、刹那に教えて貰ったんです。あなたが記憶の一部を失っていることを。でも、どうして失わなければならなかったまでは知りません。もちろん、その内容も」
「だから、か……」
 ふたりの親密そうな関係の理由に思い至り、ロックオンはひとり納得する。
「覚えのない記憶のほとんどは、刹那なんだ。それも今よりももう少し幼い刹那だ。不思議だろう?」
「ええ」
「知らないはずなのに、刹那は俺の癖や好みを把握していた。それだけじゃない。刹那のサポートは、アレルヤやティエリアよりもしやすい。相性が良いだけとは思えないほどに」
「……問いただしたんですね」
「ああ」
 結果は、散々だったけどなと。
 苦笑いしてみせれば、ぽすんっとアレルヤはベッドの端へと腰を下ろした。
「僕には、幼い頃の記憶が全くありません。でもそれは、思い出せば辛いような記憶だから、忘れてしまったものです」
 思いがけないアレルヤに過去に、ロックオンは目を瞠る。
 ソレスタルビーイングに所属している人間は、過去に問題を抱えた人間ばかりだ。
 分かっていたこととはいえ、実際仲間の過去を目の当たりにすると驚かずにはいられない。
「あなたの記憶がどうして失われたのかは僕は知りません。でも、失った記憶が良いものだとは限らないことを僕は知ってます」
「……アレルヤは、俺が記憶を失ったままで良いと思うか?」
「それを決めるのは僕じゃありません。あなたです。でも、あなたの記憶が戻ることを刹那は望んでいませんよ」
 失った記憶。
 興味がないといえば嘘だ。
 取り戻したいと思ったが、刹那がそれを望んでいないならと、一度は諦めた。
 けれど、刹那があそこまで怯える理由をどうしても知りたくて。
 刹那本人からその理由を聞き出せるとは思えず、残る方法は記憶を取り戻すことだ。
 記憶を取り戻して、刹那が怯える理由を知ることができたとして、失った記憶がアレルヤの言う通り良いものではなかったら。
 そして、もしも失った記憶を取り戻したことを刹那が知ってしまったときの反応を考えると、答えは見つからない。
「記憶を、取り戻したいとは思う。けど、これ以上刹那を傷つけたくはない」
 記憶を取り戻せば、少なからず刹那を傷つけることになる。
 刹那を傷つけたくないと思えば、記憶を失ったままでいなければいけない。
 矛盾した思いだ。
「……刹那が、ずっと苦しんでいることは?」
「気づいてたよ。けど、何に苦しんでいるのかまでは分からないけどな」
 何をそんなに苦しむ必要があるのか。
 ずっと気になって、けど問いかけられなかった。
 訊ねてしまえば、刹那が壊れてしまうような気がして。
「前に、言ったんです。刹那はもう十分に苦しんでるって。だから、もうそろそろ自分を赦してあげたらって」
「何に苦しんでいるのか知らないのにか?」
「それでもです。それでも、僕から見れば、刹那はもう十分すぎるほどに苦しんでる」
 それにロックオンは胸中で同意する。
 何かに苦しんでいる刹那は本当に痛々しくて。
 時には直視できないほどだ。
「刹那はなんて?」
「かぶりを振った後、言ったんです。もしも過去に戻ることができたらって」
 戻れない過去。
 それでも人は、考えてしまう。
 過去に戻って、あのとき別の選択を選んでいたらと。
 意味などないその行為を、ロックオンもまた考えたことがあった。
 もしもあのとき、あの場所にいなければと。
 そうしたら、今とは違う未来(いま)を視ることができただろうか。
「『何を引き替えにしようと、何を失うことになったとしても、過去を変えたい』とも」
 何を引き替えにしても、何を失うことになったとしても、変えたい過去。
 そうまでして変えたい過去とは一体何なのだろう。
 その過去もまた、失った記憶に関係しているのは間違いないはずだ。
「なあ、アレルヤ。何で急にそんなことまで教えてくれる気になったんだ?」
 アレルヤは人の秘密や、話したことを誰かに吹聴して回るような人間ではない。
 それなのに、なぜ話してくれたのか。
 それも、今。
「今のままじゃいけないと、そう思ったんです。事態が好転するか、それとも悪化してしまうかまでは分かりませんけど、それでも今のまま刹那が苦しみ続けるのは酷です」
 これは、賭なのだと。
 誰にも話すつもりなどなかったはずなのに。
 それでも話してくれたアレルヤに、ロックオンは感謝する。
「ありがとう、アレルヤ」
「あなたのためじゃありません。刹那のためです」
「分かってる。でも、礼ぐらい言わせてくれ」
 前に進まなければ、何も変わらないのなら。
 例え結果的に、誰かが後悔する結末を迎えてしまうことになったとしても。
 それでもと。
 ロックオンは覚悟を決めた。
「感謝してるなら、約束を破ったと刹那に怒られたときは、一緒に怒られて下さい」
「それは、なんか違うんじゃないか……?」
 別段構わないと思いながらも、自ら約束を破ったのに一緒に怒られるのは、何だか違うような気がする。
「まあ、良いじゃないですか」
 納得がいかないと思いながらも、渋々ロックオンは頷く。
 良かったと安堵の笑みさえ浮かべるアレルヤに、刹那に怒られるのがそんなに怖いのだろうか。
 とてもそうは思えず、ロックオンは思わず首を傾げてしまう。
「そう言えば、どうして気を失ったのかまだ聞いてませんでしたけど、体調でも悪かったんですか?」
「いや」
 今さら隠す必要はないと、ロックオンはアレルヤへと覚えのない記憶を思い出すと、頭に痛みが走ることを教えた。
「いつもは思考が鈍るぐらいの痛みだったのに、今回はどういうわけか意識を失うぐらいに痛かった」
「それは、災難でしたね」
 本当だとロックオンは頷く。
 意識を失ってしまうほどの激痛だ。
 できればもう二度と味わいたくない。
 けれど記憶を取り戻さない限り、また起こりえるだけに気分は憂鬱だ。
「体調が悪いわけじゃないんでしたら、僕はもう行きますね」
「ああ。今日は本当にすまなかった」
「僕に何かあれば、その時はよろしくお願いします」
 くすくすと笑っていたかと思えば、急にアレルヤは顔を引き締めた。
「……あなたにひとつだけ、嘘をつきました」
「アレルヤ?」
「ロックオン、あなたが失った記憶の内容を知らないのは本当です。でも、どうして記憶を失ったのか知ってます」
「本当か!?」
「はい。でも、それを話すつもりはありません。話してはいけないと、そう思うんです」
 アレルヤがそう言うのなら、その通りなのだろう。
 無理に聞き出すことを諦めたロックオンは、自分のことのはずなのに、それを知らないことにもどかしさを覚える。
「正直に話してくれて、ありがとうな、アレルヤ」
「いえ。ただ、あまり無茶はしないで下さい。また倒れるようなことがあれば、刹那が悲しみますよ」
「分かってる。今度からは気をつけるよ」
 忠告を真摯に受け止めながら、ロックオンはアレルヤの背を見送った。










 背後で扉が閉まったのを確認してから、アレルヤは扉の影になっている通路の壁へと視線を向けた。
「――大丈夫だよ」
「そうか……」
 ぽつりと、アレルヤが視線を向けた先で俯きながら壁により掛かった刹那が呟く。
 その顔色は俯いているために、全くというほど窺えない。
 刹那からの緊急コールは、ティエリアとペアを組んだ模擬戦が終わってすぐのこと。
 何かあったのかと展望室へと急いでみれば、気を失って倒れているロックオンと、その隣でぺたりと床に座り込む刹那がいた。
 一体何があったのかと訊ねたい欲求を抑えながら、意識のないロックオンへと自室へと運べば、黙って刹那も付いてきた。
 そのまま部屋の中まで付いてくるかと思ったのに、最後まで刹那は部屋の中に入ることはなかった。
 ロックオンは傍に付いていてほしいはずだよと告げてみたが、かぶりを振った刹那は自分の代わりに傍に付いていてほしいと。
 ぽつりと呟くと、あとはずっと刹那は黙り込んでしまった。
 代わりにロックオンが意識を取り戻すまで、アレルヤはずっと傍に付いていたが、その間刹那は動くことなく、先ほど見たときと同じ体勢で立っていた。
 部屋に戻るつもりがなかったのなら、傍に付いていてあげれば良かったのにと。
 そう思いながらも、ここまで頑なにロックオンを避ける刹那に、その理由を知りたかった。
「どうして中に入らなかったの?」
「ロックオンが嫌がる」
「そんなことないと思うよ」
 そんなことは絶対にあり得ない。
 断言しても良いと。
 それなのに、刹那は力なくかぶりを振る。
「今は記憶を失っているからだ。記憶を取り戻すことがあれば、絶対に赦さない」
 あのロックオンがと信じられないと思いながらも、過去のふたりに何が起こったのか何も知らない自分では断言してみたところで、信用性はない。
 けど、もしも本当に記憶を取り戻したロックオンが部屋に入っただけで刹那を赦さないというのなら、過去にそれほどのことがあったということだ。
 もしかして自分は余計な真似をしてしまったのだろうかと、アレルヤは不安な思いに駆られる。
「今日は色々とすまなかった」
「それは構わないよ。何かあれば相談に乗るからって言ったのは僕だったしね。また何かあれば、すぐに呼んでほしい」
「……ああ」
 ためらいながらも頷いた刹那に、ひとまずは安心する。
(他人の世話を焼くのが半分趣味みたいなロックオンには、刹那はこの上ない庇護欲をかきたてられるんだろうな……)
 なにせ、他人の世話を焼くのが好きではない自分でさえも、刹那を見ていると、放っておけないような、そんな気にさせられるぐらいだ。
 それなのに、記憶を取り戻した途端に、刹那を拒否してしまうような出来事とは何なのだろうか。
 刹那に直接訊ねてしまうのは何だか酷なような気がする。
 だからといって、もう一方の当事者は記憶はなく、訊ねても無意味だ。
 何も分からない状況の歯がゆさに、アレルヤは自らの無力さを呪った。






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