烙印の絆 V-T
叩き出した数字に、ロックオンは驚きに目を瞠る。
四方を敵に囲まれたことを想定した、刹那とペアを組んでの模擬戦。
前回よりも多少上回る点数を弾き出すことができれば良いと考えていただけに、多少どころか、かなり上回っている点数に驚きは大きい。
「凄い……っ」
「どうせ、偶然だ。相性が良いとはいえ、こんな数字はあり得ない」
辛辣なティエリアの言葉を、ロックオンは内心で違うと否定する。
相性が良いのは確かだ。
こちらの戦い方を知っているかのように動く刹那のサポートは、今まで数え切れないほど一緒に訓練をしてきたティエリアやアレルヤよりもやりやすい。
今までそれは、ティエリアと同じように単に相性が良いだけだと思っていた。
あることに疑問を抱くまでは――。
一年前から度々感じる頭痛。
それは決まって、覚えのないはずの記憶が頭をかすめた時だと気がついたのは、つい先日のこと。
そして、刹那の態度。
拒絶されるたび、どういうわけか拒絶しているはずの刹那が辛そうな顔をする。
まるで、見捨てられるのを恐れるかのように。
最初は罪悪感から来るものかとも思ったが、よくよく観察してみれば、他のクルーに対しては刹那は微塵も顔色を変えない。
最早、知らないはずの癖や好みを刹那が知っていることは偶然では片付けられない。
やはり以前どこかで、それも親密な関係だったとしか思えない。
刹那の性格を考えれば、知り合い程度では考えられないと。
ならばなぜ、親密な関係だったのに、刹那に関する記憶が自分にはないのか。
それらは全て、覚えのないはずの記憶が鍵を握っているとしか思えない。
そしてそれが、刹那の態度の理由なのだとすれば、導き出される答えはひとつ。
失った記憶を取り戻してほしくないと言うこと。
それならば、手酷い拒絶の理由も、拒絶するたび刹那が辛そうな顔をする理由にも納得がいく。
確証も何もない仮説ではあったが、仮説を確証に変える方法の心当たりが、ロックオンにはひとつだけあった。
記憶は簡単に消えることもあるが、体が覚えた感覚は簡単に消えたりしない。
記憶は亡いとしても、躰が刹那のことを覚えているとしたら――。
それがどこまでかは分からないが、刹那のサポートのしやすさを考えれば、あながち間違っていないような気がすると。
今回の模擬戦は、あえて本能が赴くままに戦うことを決めたロックオンは、弾き出した数値が答えなのだと知る。
数字が刻まれた画面から顔を上げたロックオンは、ひとり部屋の片隅に立っている刹那へと視線を向けるなり、あることを思い出した。
(……忘れてた)
気のせいだと、記憶の片隅に追いやっていた出会ったときに感じた感覚。
否、再会した日というべきか。
あのとき感じた懐かしさと愛おしさ。
記憶を失っていても、感覚はずっと忘れてはいなかった。
あり得ないと、一度は否定したけれど。
まさしく刹那は半身なのだ。
どうして半身である刹那に関する記憶を失ってしまったのかは分からない。
できることなら思い出したいとは思うが、刹那はそれをどういうわけか拒否しているように見える。
ならば記憶を失ったままでも良いかもしれない。
それで、刹那との関係をもう一度築けるなら。
「刹那、少し良いか?」
話があると。
そう声をかけたロックオンは、素気なく断られるだけだと思っていた。
「……分かった」
少し迷った末に頷いた刹那に、ロックオンは目を瞠る。
自分から誘ったとはいえ、刹那が頷いてくれるとは微塵も考えていなかった。
なにせ前回までは迷う素振りすら見せず、素気なく断られていたのだ。
頷いてもらえると考える方がどうかしている。
「アレルヤ、ティエリア、悪いが抜ける。あとはよろしく」
「えっ、ちょっ、ロックオン!」
すでにスメラギから与えられた今日の訓練メニューは終えている。
まだ模擬戦が残っているアレルヤとティエリアを訓練ルームに残したまま、ロックオンは刹那と共に展望室へと移動した。
「俺には、覚えのない記憶がある」
展望室へと移動してすぐ、何の前置きもなくそう告げれば、微かに刹那が反応したように見えた。
もしかしたら目の錯覚かもしれないほどの微かな反応に、どちらなのかと判断を下すことは難しい。
「決まってその記憶が頭をかすめると、酷い頭痛が起こる」
まるで、思い出すなと言うように。
覚えのない記憶が頭をかすめるたび、酷い頭痛が襲えば、自然と人は思い出そうとしなくなるだろう。
それに疑問を抱かなければ。
「何の話だ? 下らない用件なら、もう行く」
頭痛が酷いなら、モレノにでも診て貰えと。
展望室を出て行こうとする刹那に、華奢な腕をつかんでロックオンは引き留めた。
「覚えのない記憶のほとんどは、刹那、お前だ」
今度ははっきりと分かるほどに反応した刹那は、ゆっくりと振り返る。
ひたりと、視線を向けてくる刹那の眸は先ほどの動揺が嘘のように常と変わらず、どれほど注意深く探っても揺れる気配はない。
「あんたが勝手に人のことを思い出すのは自由だ。だが、それは俺には関係ない」
いい加減手を離せと睨み付けてくる刹那に、ならとずっと前から疑問を抱いていたことをロックオンは投げつけた。
「知っているはずのない俺の癖や好みを、どうして刹那、お前は知っている?」
「そんなもの――」
「――単なる偶然? なら、どうして俺を拒絶するたび、辛そうな顔をする?」
「……っ」
「訓練を一緒に受けてきた期間が長いはずのアレルヤやティエリアよりもずっとサポートしやすいのもなぜだ? 相性が良いだけとは思えない」
刹那と。
答えを求めるように名前を呼べば、刹那は辛そうに顔を背けた。
「……初めてお前とペアを組んだ模擬戦の結果が届いた日のことを覚えてるか?」
今から数週間前。
すでに記憶としては新しくないとはいえ、忘れてしまうほど古い記憶でもない。
あえて訊ねてみたが、刹那の答えを期待していなかったロックオンは、返事を待つことなく言葉を紡ぐ。
「あのとき、今よりももう少し幼いお前が、ニールと呼びながら微笑んでくれるのを俺は視た」
「ニールなんて知らない」
「じゃあ、どうして今よりも幼いお前を俺は知っているんだ?」
「あんたの頭が勝手に妄想したんだろう! もう、いい加減にしてくれ、ロックオン!!」
耐えられないというように叫んだ刹那は、ロックオンの腕を力ずくで振り解く。
「あんたが何をしようと、何を考えようと、俺には関係ない! だからあんたの妄想に、俺を巻き込むな、ロックオン・ストラトス!」
肩で息をしながら叫んだ刹那は、全身でロックオンを拒絶する。
近づけば、途端牙を剥き出しにする深手を負った猛獣のように。
「刹那、何をそんなに怯えてる?」
「怯えてなんてない」
「いや、怯えてる。何がそんなに恐ろしい?」
「違うと言っている!」
「どうして知っているはずの俺を、知らない振りをする? どうして記憶を失ったはずなのに、俺はそれを何も知らない? 刹那、お前なら全て知っているんだろう?」
畳み掛けるように、ロックオンは訊ねる。
ただ、知っていると頷いてほしくて。
何より、守りたかったから。
刹那をこんなにも怯えさせる存在から。
「知らないと言っている!!」
悲鳴に似た叫びを、刹那は上げる。
「全てあんたの妄想だ! だからもう、思い出すな、ロックオン……っ」
止めてくれと、今にも泣き出してしまいそうな表情で刹那は何度もかぶりを振る。
そこでようやくロックオンは気がついた。
刹那が何に怯えているのか。
「……お前を怯えさせているのは、俺か?」
びくりと震えた躰が、答えだった。
ショックだった。
守りたいと思っていた刹那をここまで怯えさせている存在が自分なのだと知って。
同時に、ここまで怯えさせてしまうほどの何が過去にあったのか。
記憶がないことをこれほどまでに恨めしいと思ったことはない。
「刹那、俺は――」
記憶があれば、そうすればここまで刹那が怯えている理由を知ることができるのに。
記憶さえあれば。
――なさい……っ。
誰かが、泣いてる。
ひとり、悲しそうに。
――お前が……っ!
誰かが、叫ぶ。
覚えのある声だと思った瞬間、割れんばかりの痛みが頭を襲った。
「……っ」
あまりの痛みに、頭を抱えながらロックオンは崩れ倒れる。
立っていることすらできないほどの痛みに呻いていれば、慌てた様子で刹那が駆け寄ってきた。
「ロックオン!」
大丈夫だと。
刹那を心配させたくなくて、安心させるように微笑もうとしたロックオンは、痛みに意識を手放した。
ぐったりと躰を床に横たえたロックオンの隣で、刹那は俯きながらぺたりと座り込んでいた。
気づかれてしまった。
気づかれたくなかったから、ずっと手酷く拒絶してきたのに。
「……どうして、あんたは」
記憶を失ってもなお、以前と変わらずに自分を構おうとするのか。
以前は構われるのが鬱陶しくて拒絶していたけれど、今はただ気づかれたくなくて、前よりもずっと手酷く拒絶していたのに。
本当は誰よりも大切なことを。
記憶が戻ってしまうことを恐れていることを。
気づかれたくなかったのに。
そっとロックオンへと手を伸ばした刹那は、触れるギリギリのところで手を止めた。
触れる資格は、一年前に失ってしまったのに。
否、本当は触れる資格など最初からなかったのに。
ロックオンに触れたいと。
心が叫ぶ。
それに気づかないふりをしながら、刹那はそっと目蓋を伏せた。
「全てが終わったら……」
いつか、ガンダムの役目が終わるときがきたら。
そのときは――。
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