烙印の絆  プロローグ



 ひっそりと宇宙を漂うソレスタルビーイングの母艦であるプトレマイオスへと乗り込んだ刹那は、ゆっくりと目蓋を伏せる。
 ようやく。
 ようやく、ここに辿り着いたと。
 本来ならばもっと早くに合流するはずだった。
 けれど予定は狂い、当初の予定よりも一年も延びてしまった。


 あの日起こった悲劇(・・)さえなければ――。


 計画に反し、合流が遅れることも、ましてや失うこともなかった。
 いずれ起こるべくして起こってしまったこととはいえ、いまだにどうしてと誰ともなく訊ねてしまいそうになる。
 失ったものの大きさゆえに。
 それこそが全てなのだと。
 渇望したものすらも忘れてしまうほどの切望は、癒えない渇きとして、今なお胸に巣くっている。
 唯一その渇きを癒やせるかもしれないこの道は、ようやく癒えた傷口をさらに抉ってしまうかもしれないけれど。
 再び同じ悲劇に見舞われることになろうとも、せめてもう一度と。
 そう願ってしまうのは、愚かな願いだろうか。

「――あなたが刹那・F・セイエイ?」

 長い髪を揺らしながら近づく女性の問いかけに、刹那は小さく頷く。
「あんたは?」
「初めまして。戦術予報士のスメラギ・李・ノリエガよ。まずは他のガンダムマイスターを紹介するわと言いたいところだけど、その前にいくつか確認したいことがあるの。良いかしら?」
 訊ねながらも、有無を言わせないスメラギに顔をしかめながら刹那は頷いた。
 どうせ嫌だと拒否したところで、意味をなさないだろう。
 ならば最初から訊ねるような無駄なことはしなければ良いものを。
 非効率さに腹を立てていれば、一枚の紙が差し出された。
「……?」
「あなたの個人データよ。もし間違っているものがあったら教えてちょうだい」
 受け取った紙へと目を通せば、そこにはコードネームから始まり、年齢・身長・体重・訓練での成績などが全て書かれていた。
 無言で歩き出したスメラギの後をついて行きながら、刹那は一通り目を通した書類を突き返す。
「間違いはなかった?」
「ああ」
「本当に?」
「……何が言いたい?」
 わざわざ振り返って確認するスメラギに、刹那はしつこいと睨み付ける。
「東洋人は年齢よりも若く見られがちだけど……」
 スメラギが何を言わんとしているのが、それで全てを理解できてしまった。
 幼少の頃、まともな食事にありつけられない日々を送っていたためか、実年齢よりも低く見られてしまうほどに刹那の発育は遅い。
 それこそ四年前に拾われたときでさえ、7,8歳ぐらいと勘違いされたほどだ。
 四年前に拾われてからはきちんとした食生活を送るようになったとはいえ、数年にも及ぶ栄養失調は今なお発育に大きな影響を与えている。
 14歳となった今でさえ、下手をすれば10歳ぐらいにしか見られない。
 分かっていたこととはいえ、改めて訊ねられると苛立つ。
「間違いなく、14だ」
「そう。随分幼く見えたから、もしかしてデータミスなのかと思っちゃったわ」
「ヴェーダがそんなミスをすると?」
「思わないけど、万が一ってこともあるでしょう? それにしても、随分幼く見えるわね。ティエリアたちが反対する光景が目に浮かぶわ」
 深々とため息をつくスメラギに、普段から他のガンダムマイスターたちにかなり悩まされていることが窺い知れる。
 例え彼らにガンダムマイスターになることを反対されたとしても、それは刹那の知るどころではない。
 自分はヴェーダによって選ばれた存在。
 第三者がどんな風に喚こうが、異議を申し立てたとしても、最早決定を覆すことはできない。
 それが例え、仲間であるガンダムマイスターであろうとも。
 ヴェーダの決定は絶対だ。
「強制ではないけれど、何かあれば、私か、これから紹介するロックオンのどちらかに相談してちょうだい」
 ロックオンと。
 久方ぶりに聞く名前に、無意識に躰が強ばる。
 半歩前を歩いていたスメラギがそれに気づいた様子はなく、安堵に刹那はひっそりと息を吐き出す。

 例えどんな結末を迎えることになろうとも。
 記憶を取り戻したとき、あの時のように再び彼から憎悪を向けられようとも。
 それでまた、傷つくことになろうとも。
 覚悟は、決めた。


 ――お前が……っ!


 耳にこびり付いて離れない絶叫。
 決して消えることのない罪を、どうしてあの時まで忘れていたのだろう。
 覚えていたとしても、意味はなかったかもしれないけれど、彼に詰め寄られるまで忘れていた。
 赦されるはずのない己の罪を。
 だからこそ、一度は諦めた。
 彼から大切な家族を奪った自分が、彼と同じ道を歩んで良いわけがないと。
 でも、


 ――君はガンダムマイスターになるために、ここにいたのではないのですか?


 歪んだ世界を正すために。
 どんな理由があろうとも、それを途中で諦めるような真似をして、私を失望させないで下さいと。
 専任スタッフのその言葉がなければ、全てを諦めていた。
 ヴェーダによって与えられたガンダムマイスターとなる道すらも。
 何より渇望していた道は、同時に絶望へと叩き落とす道だからこそ。
 一度は、拒否したのは――。


 ――ヴェーダによって彼は、あなたに関する記憶の全てが消去されました。刹那、あなたはどうしますか?


 分厚く、巨大な扉の前で立ち止まったスメラギは刹那へと振り返る。
「この先よ」
 この四年間、求め続けてきた存在。
 それが、手を伸ばせば届く距離にある。
 そして、一年前に失った愛する存在もまた。
















 全ては、己の罪。
 どんな理由があろうとも、この手はすでに血で赤く染まっていることを忘れてしまった自分の愚かしさが招いたこと。
 だから、もう二度と同じ真似は繰り返さない。
 繰り返しては、いけない。
 それが、ヴェーダとの約束。
 この記憶を消さない代わりの代償のひとつ。




 思い出させてはいけない。
 ロックオン・ストラトスからソラン・イブラヒムに関する全ての記憶を。
 彼の家族の仇に関する情報だけは――。






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