千年の孤独    *Web用に一部改行してます。




 きょろきょろと周囲を探してみるが、ここに自分を連れてきたはずの蝶の姿がいつの間にか消えていた。一体どこに消えてしまったのだろうかと不安になりながら、その姿を探すべく、三日月の足は自然と神社の敷地へと足を踏み入れていた。
「――おや。これはこれは、変わった童子だ」
 くすくすと楽しげな笑い声が頭上から降りてくる。慌てて顔を見上げれば、鳥居の上に座っている人影が見えた。煌びやかな衣装に身を包み、長い銀糸の髪を風になびかせながら、男は三日月を見下ろしていた。
「誰、ですか?」
「人に名を尋ねるならば、まずは自分から名乗らなければ」
「三日月宗近です。あなたは?」
「そうさな。この神社に祭られている単なる狐だよ」
「狐……」
「そう、ただの狐さ。刀剣の坊やはなぜここに?」
 人ならざる者同士、お互いの正体は何となくつかめていた。まだ幼い三日月は、相手が格上の神とまでしか分からなかったが、相手は三日月が何者なのか見抜いていた。
 物には、命が宿る。
 三日月は三条宗近の手によって作られ、三日月宗近とその名を与えられたときに、刀剣に命を宿した付喪神。神とは名ばかりの、まだ産まれたばかりの幼子だった。
 一発で三日月が刀剣の付喪神と見抜いた心眼。何よりまとっている荘厳な空気が、彼が単なる狐ではないことを教えてくれる。神の領域に住んでいながら、あえて単なる狐だと名乗る男に、三日月はためらいがちに口を開く。
「蝶が……」
「蝶?」
「付いてこいという蝶を追いかけていたら、ここにたどり着きました」
「それはまた、奇妙な蝶だ」
 くつりと、男は喉を鳴らす。
「蝶に誘われてきたというのなら、何をそんなにその心を悩ませている?」
「悩み……」
「そう。何か心を悩ませていることがあるから、蝶にここへと誘われたのだろう?」
 思い浮かぶのは、苦悩している父の姿だった。
 理由は分からないけれど、それを話せば父を助けられるかも知れないと。ただその一心で三日月は男へと助力を請うた。
「父を、助けてはくれませんか?」
「そなたの父と言うのは、三条宗近か」
「そうです」
「ふむ、何があった?」
「それが、分からないのです」
「分からない?」
 おやと、男は小さく首を傾げる。
「ここ最近、父上は何やら悩んでいるようなのですが、その理由は分からなくて。でも、助けてあげたいんです」
「それはそれは。父思いの、やさしい童子だ」
 くつくつと喉を鳴らしながら笑いながら、男はならばと、ひらりと鳥居の上から降り立った。
 鳥居を見上げていたときは気づかなかったが、父である三条よりも男は長身だった。見上げていた視線はそのままに、三日月は男の顔をじっと凝視する。
 人ではありえぬほどに整った顔立ち。つり上がった目を強調するかのように、目元の下には紅が差し込まれていた。距離が詰められたことで改めて感じる荘厳な雰囲気に、三日月は怖じ気づく。
 逃げることも叶わず、立ちつくしている三日月へとゆるりと近づいた男は、身を屈めて指先で三日月の顔をさらに持ち上げた。
「なるほど、あれが気に入るわけだ」
 納得がいったとひとり頷く男に、三日月は戸惑う。
「童子よ。そなたの父を助けてやろう」
「本当ですか!?」
 期待していなかっただけに、三日月は喜びの声を上げる。
 ただしと、男は一旦言葉を切った。
「代わりに、あるものを差し出してもらおう」
「あるもの、ですか?」
「嫌か?」
「私が持っているもので、差し出されるものでしたら」
 その言葉に、男は口元に笑みを浮かべる。
「言ったな、童子よ」
 最早拒否権はないと、男は心底楽しそうに笑う。
「ならば、もらい受けようか」
 告げた瞬間、男は見えぬ早さで三日月の胸を腕で貫いた。
 男の腕に胸を貫かれた三日月は、何が起こっているのか分からず、呆然となる。
 ずるりと何かが抜け落ちていく感覚と共に、胸を貫いていた腕が引き抜かれた。慌てて胸を触ってみれば、普段と何ひとつ変わっていなかった。ただ、男の手のひらには眩い光の玉が握られていた。
「それは……?」
「これは、そなたの心だ」
「三日月の、心?」
「全てではない。全てもらい受ければ、そなたは死んでしまうからな。だから、半分だけもらい受けた」
 それまでとは一転、男は悲しげに語る。
「喜びも悲しみも楽しみも、何ひとつ今までとは変わらぬ。ただ、それまで知ることのなかった孤独を、そなたは覚えることになるだろう」










 その日の朝、嫌な胸騒ぎで三日月は目覚めた。一緒の布団で眠っていた小狐丸が心配そうに声をかけてきても、心ここにあらずといった様子で、三日月は常にない落ち着きのなさを見せていた。
「三日月?」
 不安で、不安で、たまらなかった。何がそんなに不安なのかも分からずに、ただ小狐丸へと縋り付くように三日月は抱きつく。
「三日月、本当に今日はどうしたのですか?」
「分からない。分からないけど、嫌な予感がする」
 ドクドクと静かに鳴る心臓が、訴える。
 不安がる三日月に嫌な顔ひとつせずに、小狐丸は三日月の好きなようにさせた。いつもならば中庭へと遊んでいる時間になっても、部屋の隅でふたりは寄り添い合う。
「――なに?」
 何やら外が騒がしい。いつもは鍛冶場から鉄を鍛える音がうるさいぐらい聞こえるのに、思い起こせば今日はその音も朝から一切聞こえていなかった。
 不安に三日月が怯えていれば、今頃は鍛冶場にいるはずの三条が顔を見せに来た。
「父上」
 どうしたのですかと、声をかけようとした三日月は、三条が手に持つ物に気づいて唇を閉ざす。なぜそれを――小狐丸の本体である刀身を手に持っているのだと、呆然と見上げる三日月に、三条は痛みを堪えるかのように顔を歪めた。
「小狐丸」
 おいでと。
 静かに声を掛けた三条に、小狐丸は小さく返事をしてから立ち上がる。
「小狐丸? どこに行くの?」
 手を伸ばす三日月に、小狐丸は静かに寂しげに微笑む。
 いつもならすぐに手を差し伸べて握りかえしてくれるのに、今日はいつまで経っても、小狐丸は手を伸ばしてさえもくれなかった。
「……小狐丸?」
「しばしのお別れです、三日月」
「しばしってどれぐらい? どこに行くのっ」
 父上っと見上げれば、三条は三日月から視線をそらした。
「最初から、決まっていたことなのだ」
「何がですかっ」
「小狐丸は、朝廷に命じられて作った刀だ。最初から朝廷に献上することが決まっていた。だから、三日月」
 最後まで言わずに、三条は口籠もる。
「そんなっ」
 嘘ですよねと縋る三日月に、三条は口を閉ざす。小狐丸へと視線を移せば、悲しげに目を細めるだけだった。
 自分だけが、ずっと知らなかった。最初から小狐丸も知っていたのに、何も教えてもらえなかったことに三日月はショックを受ける。
「さあ、小狐丸」
 背中を押して促す三条に、待ってと三日月は叫ぶ。
「行かないで、小狐丸!」
「三日月……」
「行っちゃ嫌だ。行かないでっ」
 どこにも行かせないと、三日月は小狐丸の腕に縋り付く。
「三日月、小狐丸を離しなさい」
「嫌です。だって父上は、小狐丸は三日月の半身だって言ったじゃないですかっ! 三日月のために作られたってっ。なのにどうして、朝廷に献上しなければならないんですかっ!?」
 三日月のために作られた、三日月の半身だと。そう言ったのは三条だった。三日月の心も、そうだと言っている。なのに、どうして朝廷に献上するのか三日月には分からなかった。
「人の世の理は、とても難しいことなのだよ、三日月。小狐丸はお前の半身だとしても、こればかりはどうしようもできないのだ」
「そんな……っ」
 さあ、離しなさいと、無理矢理小狐丸から引き離される。
「いやっ!」
 小狐丸と、三日月は必死に手を伸ばす。
「三日月、すまない」
「小狐丸っ」
 悲しげに謝りながら背を向けてしまった小狐丸に、三日月は息を飲む。
 どうして。
 どうして。
 どうしてと。
 三日月のために作られた、三日月の半身なのに。
 大好きですと、言ってくれたのに。
 なのにどうして背を向けるのかと。
 去ろうとする小狐丸に、張り裂けそうなぐらいに胸が痛い。苦しくて、悲しくて、振り返ってくれない小狐丸に、涙がとまらなかった。


「……らいっ。小狐丸なんて、大嫌いっ!」


 体の奥底から絞り出すように、三日月は叫ぶ。
 自分をひとりにしてしまう小狐丸なんて、大嫌いだった。




to be continued...