乞い請い、戀 *Web用に一部改行してます。
「おや?」
偶然見つけたそれに、三日月は思わず首を傾げる。
何を考えるより先に、ついつい魅入ってしまったそれに触れたくて、三日月は足音を立てないよう気配を殺しながら、そっとそれに近づく。気づかれずに背後から回り込むことに成功した三日月は、それをひょいっと難なく持ち上げた。
「ひゃあ!」
甲高い悲鳴を上げたそれ――鳴狐のお供の狐に、はははと三日月は楽しげな声を上げた。
「三日月様!? 何をなさいますか!」
「何、ひとりでいる狐を偶然見つけてな。つい」
周囲を見渡しても、主である鳴狐の姿はどこにもなかった。決して鳴狐の傍を離れず、その肩に乗っているか、背後をついて回っているはずのお供の狐が、どういうわけか一匹で廊下をとてとてと歩いている姿を見つけたものだから、三日月の興味に引っかかってしまった。
ふりふりと目の前で揺れる尻尾。まるで触れて欲しいというように誘惑するそれに、運良く三日月の邪魔立てする存在はなにもなかった。お供の狐を抱き上げた三日月は、その尻尾を心ゆくまで撫で回す。
「何をなさいますか、三日月様!」
急に尻尾に触れられたお供の狐は、悲鳴にも似た驚きの声を上げる。
「うむ、やはり狐の尻尾は良いな」
お供の狐の問いに答えることなく、三日月はひとりうっとりと呟く。
尻尾を撫で回し離してくれない三日月に、お供の狐はその手から逃れようと必死に身じろぐ。が、しょせんは人と動物。しかも相手はただ人ではなく、刀剣の付喪神。力で敵うはずもなく、懸命に暴れていたお供の狐は力尽き、ぐったりと三日月に身を任せるハメになった。
「……もうそろそろよろしいでしょうか、三日月様」
長いこと三日月に尻尾を撫で回されたお供の狐は、諦めに似た境地で三日月へと尋ねる。
「おや、すまぬ」
ぐったりとしたお供の狐にようやく気づいた三日月は、渋々と撫でていた尻尾から手を離すと、小さな体を抱え直した。
「三日月様?」
てっきり離してもらえると思っていたお供の狐は、抱え直されたことで顔を上げる。
「鳴狐を探しておるのだろう? 尻尾を撫でさせてもらった礼に一緒に探してあげよう」
お礼も何も、鳴狐の捜索を一時中断するハメになったのは、勝手に三日月が抱き上げ、尻尾を撫で回したからだ。色々と自分勝手な三日月に色々と言いたいことはあったが、相手は千年以上も生きる付喪神。のれんに腕押し。糠に釘。抗議の声など三日月なら笑って済まされるに決まっていた。
三日月の言葉通り、鳴狐を探していたお供の狐は、探す手伝いをしてくれるという言葉もあって、抗議の声を呑み込んだ。
にこにこと笑っている三日月に抱えられたまま、お供の狐は鳴狐捜索を再開させた。
「あれ、三日月さま?」
鳴狐がいそうな場所をあちこち探し回っていた三日月は、掛けられた声に振り向く。
「おや、五虎退か」
五匹の子虎を引き連れた五虎退の愛らしい姿に、三日月は破顔する。
「こんなところでどうされたのですか? と、その狐って」
本丸は広く、それぞれに個室が与えられている。とはいえ、個室を嫌がって兄弟との同室を望む刀剣たちには、その人数によって広い部屋が割り当てられていた。
今三日月がいるのは脇差や打刀、短刀といった子たちの部屋――ただし、一期一振と江雪左文字のふたりは兄弟たちと同室のため、こちら側――しかなく、三日月たち太刀や大太刀、薙刀、槍といった刀剣の個室とは真反対だった。そんなところに太刀であるはずの三日月の姿を認めた五虎退はどうしたのだと声をかけてから、腕の中にいる狐に気づく。
「五虎退や、鳴狐は見なかったかい?」
「鳴狐さんですか? いいえ、見てません」
「そうか」
残念だと呟く三日月に、お供の狐は目に見えてはっきりと肩を落とした。
「鳴狐さんを探していらっしゃるんですよね。でしたらまだお部屋には戻っていませんよ」
三日月の腕の中にいる狐は五虎退も良く見知っていた。わざわざ自室とは反対の、用もなさそうな場所へ三日月が足を運んだ理由に勘づいた五虎退は、探し人はここにはいないと尋ねられる前に答える。
「なんと。鳴狐はいずこにおるのかの」
お供の狐から鳴狐が立ち寄りそうな場所を教えてもらった三日月は、すでにあらかた探し終わっていた。もしかしたらと鳴狐の部屋へと立ち寄ってみたが、空振りという結果に、お供の狐は明らかに落ち込んでいた。
「あの、僕も一緒に鳴狐さんを探しましょうか?」
「まことか? では、お願いしようとしよう」
「はい!」
元気いっぱい返事をした五虎退は、次の瞬間短い悲鳴を上げた。
「ああっ!」
なんだなんだと驚いた三日月は、その視線が自分の足下に向けられていることに気づいて視線を落とす。見れば、いつの間にか足下いた五匹の子虎たちは、三日月の袴の裾に無邪気にじゃれついていた。
「三日月さま、ごめんなさい!」
袴の裾にじゃれついている子虎たちを慌てて引き剥がそうとする五虎退に、三日月は笑いながら押し止める。
「気にするな。俺は気にしない」
「でもっ」
「うむ、もふもふはいいな」
両腕で抱えていたお供の狐を片手で抱き直した三日月は、しゃがみ込んで足下でじゃれつく子虎を撫で回す。気持ちが良いのか、撫でられている子虎はぐるぐると喉を鳴らしていた。
「三日月さまは動物がお好きなんですか?」
以前鯰尾藤四郎から、三日月が馬に好かれすぎて困るという話を聞いたことがあった五虎退は、何気なく尋ねる。
「獣は好きだ。特にもふもふは大好きだ」
「もふもふ、ですか?」
「そう、もふもふだ。狐の尻尾は特に好きだの」
なるほどと、言わんとすることを何となく察した五虎退は頷く。
「さて、鳴狐の捜索をそろそろ再開しなければな」
いつまでも子虎たちを撫でていたかったが、今はそれよりもやらねばならないことがあることを思い出した三日月は、名残惜しげに子虎たちから手を離した。
久々の新入りに、本丸も慣れて落ち着いた頃――。
その日の内に急遽行われた歓迎会で次郎太刀に潰されてしまった小狐丸は、改めて行われた本日の歓迎会でも、再び次郎太刀によって潰された。
数名、他に次郎太刀に潰された仲間を残し、小狐丸は宴会が行われている広間から逃げ出し、まだ少し冷たい夜風が吹き付ける廊下に座りながら、酔いを覚ましていた。
「今夜の主役が抜け出してどうする」
くすくすと笑いながら声をかけてきた相手を、火照って赤い顔で小狐丸は見上げる。
「兄上さま」
「次郎太刀はザルだからな。流石のお前も負けるか」
手柄を立てると褒美を与えてくれる主に、次郎太刀が強請るのは酒ばかりだ。たまに化粧道具も強請っているようだが、加州清光よりその頻度は少ない。
翌朝が早くなければ常に誰かと騒ぎながら酒をあおっている次郎太刀に敵う豪酒は、今のところ本丸には誰ひとりとしていなかった。小狐丸が容易く勝てる相手ではない。
「次こそは勝ちます」
「ほどほどにな」
強気に宣言する小狐丸に、一応忠告しながら三日月はその隣に腰を下ろした。
「兄上さまはどうしてこちらへ?」
多少顔は赤いが、そこまで酔っている様子は見られない。酔いを冷ますために来たわけではなさそうだった。
「うん、お前の姿が見えなかったからな。夜風に当たっているのかと探しに来てみれば、当たっていた」
本日の主役である小狐丸の姿が見えないことに気づいて、三日月はその姿を探しに夜風が冷たい廊下にわざわざ足を運んだと知って、小狐丸は申し訳なさそうにその耳を垂らす。
「申し訳ありません、兄上さま」
「気にするな。俺が勝手にしたことだ」
良い良いと、しょんぼりと項垂れている小狐丸の頭を三日月は撫でる。
「やはり小狐の髪は気持ちが良いな」
うっとりと長い髪を撫でる三日月に、褒められた小狐丸はぐるりと喉を鳴らす。
「もっと撫でて下さい、兄上さま」
気持ちが良いと、もっとと要求すれば、三日月はくすくすと笑いながら、小狐丸の頭を自分の膝へと押しつけた。
「兄上さま?」
「こうした方が撫でやすい」
ならばと、三日月の膝に頭を乗せた小狐丸は体から力を抜いた。膝枕をしてもらいながら、小狐丸は三日月に髪を梳いてもらう。
「次の褒美には、櫛を買ってもらうべきだな」
艶やかな小狐丸の長い髪は細く、他の髪と絡みやすい。常に梳いておかなければ、せっかくの美しく長い髪も駄目になりやすい。
この美しい髪が損なわれるのは悲しいと、ふと三日月がこぼした。
「櫛ならば、私が主に請いますゆえ、兄上さまはどうかご自分のものを買って下さい」
「安心しろ。ほしいものはあらかた買ってもらった。次の褒美ぐらいお前の櫛を買うぐらい、兄らしいことをさせろ」
「ですが」
「それに、俺が櫛を買えば、いつでも好きなときにお前の髪を梳けるというものだ」
これからも髪を梳いてくれるという三日月の誘惑に、小狐丸は抗えなかった。ぐぬぬっと小さく呻いたかと思えば、ため息をこぼす。
「兄上さまには負けます」
「弟に負けるわけにはいかぬだろう」
兄なのだからと、三日月は朗らかに笑う。
世話されるのは好きだが、小狐丸に関してだけは世話をするのが楽しい。櫛のひとつやふたつ、小狐丸のために褒美として主に買ってもらうことすらも、三日月にしてみれば楽しいことだった。
「小狐……?」
急に黙り込んでしまった小狐丸に、三日月はどうしたのだとその顔を覗き込む。
「兄上さまは……」
「うん?」
瞳に迷いの色を浮かべながら、言葉を選んでいる小狐丸に、三日月は辛抱強く待つ。
「……兄上さまにとって私は、単なる弟ですか?」
「お前は俺にとって、かわいい弟だ」
何をそんなに心配しているのだと三日月が額を撫でれば、その手を力強い手によってつかまれた。
「小狐丸?」
to be continued...