回帰録   Chapter 1    *Web用に一部改行してます。




 部下へと指示を出しながら忙しく動き回っていたトダカは、背後に感じた気配に振り返り、驚きに目を瞠る。

「これは、カガリ様」

 オーブの獅子の娘であり、次代の後継者としてその名が上がっているカガリ・ユラ・アスハ。
 むさ苦しい軍人しか見当たらないこんな場所に不釣り合いな存在に、何かあったのかとトダカはいぶかしげに顔をしかめる。

「少し良いか、トダカ?」

「はい、カガリ様」

 周囲を窺いながら声を潜めて訊ねるカガリに、顔を強張らせたトダカは小さく頷く。
 誰にも知られてはいけない緊急な問題でも発生したのかとトダカは緊張を孕む。

「キラが……彼が、お前に話があると」

「彼は……」

 ちらりとカガリが背後へと向けた視線の先には、ふわふわとした栗色の髪をした少年がひとり立っていた。
 年の頃はカガリと同じ頃。
 何度か目の前の少年がカガリと共にいる姿を遠目からだったが、トダカは目撃したことがあった。

 少年の素性を知っている人は少なく、トダカもまた詳しいことは何ひとつとして知らない。
 知っていることがあるとしたら、少年がコーディネイターであり、地球軍の機体・ストライクのパイロットだということぐらいだ。

 こんな間近で少年を見ることができると思っていなかったトダカは、驚きから覚めると、ふとあることに気がついた。

 どことなく少年がカガリに似ているような気がするのは果たして気のせいだろうか。
 雰囲気も、そして顔立ちも、カガリとは赤の他人であるはずなのに、少年はどこか似ていた。

 遠目から何度か見かけたときには気づかなかったが、近くで見比べるとふたりは明らかに似ていた。
 前代表であり、カガリの実父であるはずのウズミ以上に、ふたりは似ている。

「――あなたに、お願いがあります」

「私に――?」

 突然すぎる頼みごとに、トダカは戸惑いの声を上げる。
 アカデミーを卒業してすぐに軍人となったトダカは、それこそ軍人一筋で生きてきた。
 同期と比べれば出世している方とはいえ、特に何かに優れているわけではない。
 探せば自分よりも優秀な軍人はたくさんいる。

 よりにもよってなぜ自分なのか。
 それ以前に、これからオーブは再び戦場と化す。
 民間人の避難を任せられているトダカには今、カガリの知己であろうとその頼みごとを聞いていられる時間などない。
 すぐにでも話を聞くことなく断りを入れようとしたトダカはけれど、キラの眸の強さに思わず黙り込んだ。

「地球軍が再びオーブへと総攻撃を仕掛けたとき、ひとりの少年をあなたに保護してもらいたいんです」

「それは……っ。では、今すぐにでもその少年を――」

 ようやくトダカはなぜ自分なのかと納得した。
 民間人の避難がトダカに任せられた任務だ。
 今回の頼みごとは、自分以上に適した人間はいないだろう。
 それならば今すぐにでも保護をと、部下を派遣させようとすれば、かぶりを振ったキラは静かに呟いた。

「それでは、駄目なんです」

「駄目……?」

「今、彼らを保護してしまえば、彼は失わずにすんでしまう」

 彼を保護してほしいと告げながら、彼らと複数形を使うキラに、トダカは戸惑いの眼差しを向ける。

 保護を頼みながら今は駄目だというその理由もまた分からない。
 攻撃が始まってしまえば、身を守る術を持たない民間人なら負傷してしまう可能性が高い。
 それを避けるために、今現在トダカを始めとする多くの軍人が民間人を避難させているのだ。

「何を……」

「彼の家族は、今はまだ生きています。けれど、地球軍が再び総攻撃を行えば……」

 続く言葉をキラは呑み込み、静かに目蓋を伏せる。
 罪悪感に満ちた表情に、掠れた声でトダカは訊ねた。

「あなたは何を……」

 キラの口振りはまるで、保護をしてほしいと頼み込んだ少年の家族を見殺しにしろと、そう言っているように聞こえた。
 助かる命を見捨てるのかと睨みつけるトダカに、キラは儚げに微笑む。

「変えないためです」

「変えないため? 一体、何を……っ」

「過去を。そして、今日という日と、これからの訪れる未来全てを」

「…………っ」

 想像しがたい壮大なスケールに、トダカは絶句する。
 少年の家族が失われるか否かで、そこまで世界が変わるのかと。
 あり得ないと笑い飛ばすにはキラも、そしてカガリもまた真剣な眼差しをしていた。

「それらを変えないために、僕は奪わなければならないんです。誰よりも愛した彼の両親を、そして妹を――」

 淡々と告げているはずなのに、トダカは慟哭のように聞こえた。

「彼に憎まれる覚悟はあります。罰を受ける覚悟も。ですから――」

 眸が、揺れる。

 悲しいと、辛いと叫びながら。

 それでも奪えと。

 そう告げるキラの眸を、トダカは真っ直ぐに見つめる。

「それで、あなたは何を得るのですか?」

 愛する人に憎まれる未来を自ら作り出そうとする。
 その理由をトダカは知りたかった。





「――過去を」





 その言葉に、偽りは見えなかった。
 どれほど探っても、見えてくるのは悲しみと脅えだけ。
 これから訪れるであろう未来に脅えながらも、それでも得たいという過去。
 それがどんなものなのかトダカは知らない。けれど――。

「……私が保護すべき少年の名前は?」

 軍人として、ひとりの人間として、キラの願いは叶えてはいけない。
 けれど、眸に悲しみと脅えを抱きながらも、決して失わない力強さにトダカは折れた。

 ここで自分が彼の協力を拒否したところで、彼は己の望みをどんな手段を使おうとも叶える。
 ならば、最後まで見届けようと。それが人として間違っていようと。





「――シン・アスカ」





 それが、キラが誰よりも愛した少年の名前。

「保護した後、彼をプラントへと」

 それは家族を奪った償いではない。
 望む過去へと繋がる道を作り上げるための布石。

「2年後、彼が僕を殺す日のために」

 まるで彼に殺されることを望むかのように。
 微笑みながら告げるキラに、トダカは言葉を失った。




















 捨てきれない望み。
 それは、たったひとつの希望だった。

 アスランと付き合いながらも、キラには忘れられない恋があった。

 別れを告げることすらできずに、終わってしまった恋。
 その恋を終わらせるために、2年前に知った未来のできごとを、キラは忠実に描き出す。
 そのためにどれほどの犠牲が出ようと。