紡ぐ糸の繋がる先    *Web用に一部改行してます。




 医師から告げられたのは、無情な通告だった。
 信じられない検査結果に、黒子は青ざめる。付き添っていた母の顔色は、青白さを通り越して真っ白になっていた。
「先生、何かの間違いじゃないんですか? もう一度、もう一度検査をしてくださいっ!」
「お母さん、お気持ちは分かりますが、もう一度検査しても結果は変わりません」
「……そんなっ。テツヤが、テツヤが、どうして……っ」
 泣き崩れた母を、医師が懸命に宥める。黒子はそれを、どこか他人事のようにぼんやりと眺めていた。


「どうして、オメガなんてっ……!?」


 ――そんなこと、他の誰でもない僕が知りたい。
 ベータである両親の子として生まれて十五年。他の子たちと同じように、自分もまたベータなのだと今日まで信じて疑わなかった。それなのに――。
 突きつけられた検査結果によって、この十五年間信じてきたものが根本から瓦解していくような喪失感が黒子を襲う。
「お母さん、今はいくつもの抑制剤が開発されています。ですからオメガとはいえ、そう悲観することはありません」
 泣きじゃくる母を慰めるかのように説明する医師に、黒子は数度目を瞬かせる。
「抑制剤……?」
 ぽつりとこぼれたその呟きで、すっかりと忘れていた患者の存在を医師は思い出す。慌てて看護師を呼び出した医師は、いまだ錯乱状態の母親をひとまず預け、看護師たちにいくつか指示を飛ばした。
 看護師によって慌ただしく黒子の母親が連れ出されると、ようやく診察室は静けさを取り戻した。一息ついてから、医師は黒子へと向き直る。
「テツヤ君、大丈夫かい?」
「はい、何とか」
 こくりと静かに頷けば、医師はわずかに眉を寄せる。少し考え込んでから、医師は唐突に尋ねる。
「まずは、オメガの特性は知っているね?」
「三ヶ月に一度、発情期があること、ですか?」
 ベータ同士の子として生まれ、自身もまたベータだと思い込んでいた黒子は、それこそオメガについては世間一般的なことしか知らなかった。
「うん、そうだね。だけど今は、色んな薬が開発されて、発情を抑えられるようになってきている。もちろん体質によっては合わない薬もあるから、まずは君に合う薬を、私と一緒に見つけよう」
「…………はい」
 発情を抑制できる薬は色々開発されているとはい、体質によっては合わないこともあった。詳しいことを医師から説明されればされるほど、黒子の不安は増していく。
 自分に合う抑制剤はあるのだろうか。もしも見つからなかったときはどうなるのだろうかと、黒子はついつい最悪な事態を想像してしまう。
「テツヤ君、君のようにベータ同士で生まれた子が、オメガになってしまうのは本当に稀だ。ベータだと思っていたのに、ある日突然オメガだと突きつけられた不安は僕には分からないけれど、これから私と一緒にそれを乗り越えていこう」
「先生……」
 これからのことに怯えていた黒子は、真剣になって考えてくれている医師を信じることにした。
「これから、よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げて挨拶すれば、医師もまた同じように頭を下げた。
「オメガの子には、まず始めに避妊について教えているから、今日はそれを必ず覚えてから帰ってね」
 さてと切り出されたその言葉に、少しずつ赤みが増していった顔を、黒子は再び青ざめさせる。
「辛いだろうけど、オメガだと分かったなら、早急に学ぶべきことのひとつだ。望まない妊娠はしたくはないだろう?」
「……はい」
 ベータではあり得ない男性妊娠。オメガである以上、打てる手を打っておかなければ、望まない妊娠をしてしまう可能性もあった。
 自分がオメガなのだと、否応なく突きつけられた黒子は恐怖する。自分は一体どうなってしまうのだろうかと。
 このままここで立ち往生したところで、どうしようもない。覚悟を決めて、オメガについて学しかないのだと、黒子は意を決する。
「先生、避妊について教えて下さい」
 オメガである限り、ついて回る妊娠という恐怖。望まない妊娠を避けるためにも、オメガという生態について学んでおく必要があった。それこそが万が一の時、身を守る術に繋がる。
 教えを請う黒子に、医師はひとつひとつ懇切丁寧に教えてくれた。







 人の血液はABO型とRH型と、大きく八つに分けられている。それと同じようにこの世界では性別もまた、男女の他にアルファ、ベータ、オメガと、六つに分けられていた。
 アルファとは、生まれながらにしてのエリートである。高い知性や身体能力、容姿を持つ、いわゆる選ばれた人間。社会的地位の高い人々の大半はアルファが占めていた。ただその数は圧倒的に少ない。
 最も人口が多く、大半の人々が分類されるのがベータだ。知能や身体能力、容姿に至るまで一般的ではあるが、高い知能や身体能力、容姿を持つ人々がいないわけではない。ただ、圧倒的なまでにごく平凡と呼ばれるのがベータだった。
 残るオメガは、数が少ないアルファよりもさらに少ない貴重種。知性や身体能力、容姿はベータとほぼ変わらないが、その特性ゆえに、大半のオメガの社会的地位は低かった。
 アルファ、ベータ共に、女性しか妊娠、出産することができないが、オメガに限っては女性だけではなく、男性でも妊娠、出産することができた。
 加えて、オメガには発情期があった。十代後半から、遅くとも二十歳までには始まる発情期は、およそ三ヶ月に一度、三日から一週間ほど性的欲求以外何も考えられなくなる。発情期にオメガが発するフェロモンは、性別は関係なく、アルファやベータを強く惹きつける作用があった。
 始末の悪いことにオメガの発情期は、ある日異変を感じたと思った次の瞬間には、男女関係なく発症する。今は開発された抑制剤で発情期がきても、発情やフェロモンを抑えることができるようになったが、一昔前まではそういうわけにはいかなかった。
 誰彼構わず誘うフェロモンを発し、発情するオメガを、アルファやベータは見下す傾向にあった。それでも彼らがあからさまな迫害を受けずにいたのは、唯一オメガだけがアルファのつがいになれるからだ。
 生まれながらの強者であるはずのアルファが、つがいとして認めたオメガ相手には、本能のままに求める。つがいとして認めたオメガに対するアルファの執着は強く、同胞のアルファであろうと、どうすることもできない。
 同胞のアルファでもなく、ましてやベータでもなく。オメガだけがアルファとつがうことができることから、誰かのつがいになるかもしれないオメガを、アルファやベータは見下すことはあっても、表立って迫害することはなかった。否、できなかったというのが正しい。
 唯一アルファとつがうことができるオメガ。排泄器官に女性の子宮と同じ子を宿すことができる生殖器官があるオメガの男性は、相手がアルファならば子を生むことができた。ベータにはむろん、同胞であるオメガにもその能力は一切ない。
 相手がアルファであれば、つがいであってもなくても男性であろうと孕むことができるオメガに、アルファやベータの多くは、オメガを繁殖するための種族として認識していた。加えての発情期。それゆえに、オメガの社会的地位は低かった。
 抑制剤が開発された今、昔ほど発情期で左右されることのなくなったオメガだが、昔の名残もあって社会的地位は今もなお低い。発情期さえなければベータに擬態することができることから、抑制剤を服用しながらベータに擬態するオメガは決して少なくはなかった。
 黒子テツヤもまた、そうしてベータに擬態しているオメガのひとりだった。
 アルファ同士の子はアルファ。ベータ同士の子はベータ。オメガ同士の子はオメガが高確率で生まれるが、絶対ではない。十五歳になると受けさせられる検査において、黒子はベータ同士の子でありながら、オメガと判明したひとりだった。
 オメガだと検査で判明してから八年。二十三歳になった黒子は、両親と主治医、そしてあともうひとり以外にはオメガだと知られることなく、今日まで周囲からベータと認識されて過ごしていた。
 多くのオメガは遅くとも二十歳になると発情期が訪れる。大抵は薬で発情を抑制してベータに擬態するが、黒子の場合は二十三歳になった今も、発情期が訪れる気配がなかった。
 通常ではあり得ないことだった。万が一にもあり得なかったが、検査の間違いかとも疑われ、再検査も行われたが、結果は変わらなかった。
 原因はいまだ分かっていなかったが、いつ発情期が来ても良いようにと、処方された抑制剤を定期的に飲んではいるが、いまだ黒子に発情期が訪れる気配は欠片も見られなかった。





 うっすらと目の下に隈を作りながら、パソコンの画面にかじりついていた黒子は、静寂を突き破るかのように突如鳴り出した携帯電話にびくつく。
 化け物を見るかのように携帯電話をしばらく凝視していた黒子は、一向に鳴りやむ気配のない着信音に、恐る恐る手を伸ばす。携帯電話の画面をそろりと覗き込めば、見知った名前が表示されていた。予想に反した名前に、ほっと安堵のため息をついた黒子は、通話ボタンを押して、携帯電話を耳に押し当てようとした。それよりも早く、受話器部分からその声は漏れ聞こえた。
『遅い!』
「うるさいですよ、火神君」
 高校生時代、バスケで相棒を組んでいた火神に向かって、それまでの怯えが嘘のように、黒子は強気で文句をつける。
『だったらさっさと電話に出ろ、黒子』
「電話に出るのが遅れたことは認めますが、だからといって大声を出さないで下さい」
 君の声は、ただでさえうるさいんですからと、かつての相棒に対する態度に容赦はない。
『お前……。いや、良い。それよりも、少し元気がないな。〆切でも近いのか?』
 色々と言いたい事を呑み込んだ火神は、声の調子だけで黒子の体調を見抜いていた。
 高校を卒業すると同時にきっぱりとバスケをやめた黒子は、大学に通う傍らで、手慰みに書いた小説のいくつかをネット掲示板に投稿していた。その内のひとつが運良く出版会社の目に留まり、本という形で売り出してもらった。
 ヒットとまではいかなかったが、それなりに売り上げた一冊目のお陰で、二冊、三冊と本を出す機会に恵まれた黒子は、大学卒業後はあえてどこかに就職することなく、小説家として整形を立てることにした。ひとり暮らしをしているせいで生活は決して楽とは言い難かったが、人と関わらない生活は、案外と楽で、黒子の身には合っていた。
 いつ訪れるとも分からない発情期に怯えることもなく、伸び伸びと暮らせる生活は、思っていた以上に体に合っていたらしい。以前から度々感じていた体の不調は消えたが、代わりに〆切間近には体調を崩すことが増えた。とはいえ、気が楽なのは変わらない。
 今も次の〆切に追われ、黒子は目の下にうすい隈を作っていた。
「…………雑誌に掲載予定の作品が三日後に……」
『黒子、ひとつ聞くが残り何ページだ?』




to be continued...




書き下ろし部分サンプル



 大切な話があると青峰からキセキの世代全員に連絡が入ったのは、とある日のことだった。
 NBAのバスケット選手になった青峰を筆頭に、二十三歳になったキセキの世代はそれぞれ違う道を歩んでいた。
 元々モデルとして活躍していた黄瀬は、マルチタレントとしていやま芸能界で活躍し、医者になるべく六年生の医学部に現役で合格を果たした緑間は、いまだ大学生活を送っていた。お菓子好きが高じて自分でお菓子を作っていた紫原は、料理学校を経て、いまは有名菓子店のパティシエとして働いている。
 問題児ばかりのキセキの世代をまとめあげていた赤司はと言うと、高校を卒業すると同時に日本の大学に入ることなく、海外へと渡った。間もなく、世界有数の名門大学へと入学したと聞かされたキセキの世代と黒子は、しばらく開いた口が塞がらなかった。無事卒業できた今は日本へと戻り、名前を言えば誰もが知っている会社へと入社していた。
 それぞれがそれぞれの道を歩み始めた今、全員の都合が合う日が中々なかった。ならば各々へと報告すれば良い話ではあったが、全員が集まらなければ意味がないという青峰に、全員が集まれたのは連絡をもらってから一ヶ月後のことだった。
「久しぶりっス、緑間っち、紫原っち」
 偶然店先で鉢合わせた緑間と紫原は、予約の名前を告げれば店員によって奥座敷へと案内された。待っていたのは、中学と変わらないハイテンションの黄瀬だった。
「久しぶりい、黄瀬ちん」
「黄瀬、今日は珍しく早いのだな」
 普段は遅刻してくることの多い黄瀬の、まさかの一番乗りに緑間は本気で驚いていた。
「青峰っちが珍しく真剣に呼び出したから、今日はマネージャーに無理言って、休みもらったんスよ」
 撮影が押して遅刻することの多かった黄瀬は、入っていた雑誌撮影を、無理を言って別の日に移動してもらっていた。
「そうか。青峰はまだ来てないのだな」
 呼び出した張本人である青峰の姿はまだどこにも見えない。元々黄瀬に続いて遅刻の多い青峰に、緑間も早く来ているなど、少しも期待していなかった。
「黄瀬ちん、メニューちょうだい」
 我が道を行く紫原は、黄瀬のすぐ脇に置かれたメニュー表へと手を伸ばす。文句ひとつこぼすことなく、黄瀬はメニュー表を手に取ると、紫原へと手渡した。
「黄瀬ちんとみどちんは何飲むー?」
「紫原、まだ全員揃っていないのだよ」
 早々に飲み物を注文してしまおうとする紫原に、緑間が待ったをかける。
「えー。だって赤ちんは湯豆腐と日本酒頼んでおけば良いし、峰ちんもとりあえずビールでしょ」
 何か違ったと大きな体で、小さく首を傾げる。
「いや、それに間違いはないが、黒子の分は良いのか?」
 何かが違うと思いながらも、名前が上がらなかった黒子の分を聞く。おそらくはそれも紫原は把握しているはず。
「そーいや、黒子っちって今日呼び出されてるんスか?」
「急にどうしたのだよ?」
 誰かが全員で集まりたいと言えば、キセキの世代と呼ばれた五人と黒子の六人が集まるのは自然の成り行きだった。だからこそ緑間もまた、黒子が来る者だと思い込んでいた。
「峰ちん、キセキの全員に話したいことあるって言ってたけど、黒ちんのことは一切言ってなかったよね〜」
 あえて黒子の名前を上げなかった理由を、のんびりとした口調で紫原は問題を提示する。
 思い込みとは恐ろしい。紫原は的確に言葉の意味を理解していたが、いつもの習慣でてっきり黒子も来るものだと緑間は思い込んでいた。
 黄瀬もまた黒子も来るものだと思い込んでいたが、青峰の言葉の言い回しに野生の感とも言える第六感で違和感は抱いていた。だからこその、疑問。
「……あの青峰が黒子をのけ者にするか?」
 一時期は仲違いしていた青峰と黒子だったが、火神という相棒を得た黒子によって破れてからというもの、少しずつ関係を修復させていた。今では以前のようなべったりとした関係に戻っていたふたりに、青峰が黒子だけを呼び出さない理由が緑間には思い浮かばなかった。
「さあ? アルファだけの話し合いとか?」
 キセキの世代が全員アルファなのに対し、唯一黒子だけがベータだった。黒子だけが呼び出されない理由があるとすれば、それしか理由はなかった。
「それより注文しよ〜」
「もう決めたんスか」
 いつの間にか頼むものを決めていた紫原に、黄瀬は慌ててもうひとつ置かれたメニュー表を引っ張り出す。
「うん。とりあえずデザート全部」
「相変わらずっスね!」
 甘いものに目がない紫原の手に掛かれば、初っぱなにデザート注文など当たり前のことだった。紫原の行動に慣れている緑間は、短いため息をひとつこぼす。
「何だ、もう注文するのか?」
 注文するため、店員を呼び出そうとテーブルに設置された呼び出しようのボタンを押そうと紫原が手を伸ばしかけたとき、からかうような声を降ってきた。振り返れば、ラフな格好の三人とは対照的に、きっちりとスーツを着込んだ赤司が口元に笑みを浮かべながら立っていた。




to be continued...