うたかたの恋    *Web用に一部改行してます。







「――ルルーシュ」
 その姿を探していたスザクは、校舎の屋上でひとり中庭を見下ろしていたルルーシュを見つけて声をかけた。
 ミレイ発案のナイトオブセブン歓迎会と銘打ったお祭り騒ぎは、終盤にさしかかっていた。男女ペアになって中庭で楽しげに踊っている生徒たちを屋上から見下ろしていたルルーシュがゆっくりと振り返るのを、スザクは待った。
 神根島でその身を捕らえ、シャルルに身柄を引き渡したのを最後に、ルルーシュとは久しぶりの再会だった。
 正確に言えばユーロ・ブリタニアでシン・ヒュウガ・シャイングの手によって拘束され、本国の部隊に救出されたときが最後だったが、あのときのルルーシュはルルーシュであって、ルルーシュではなかった。ルルーシュの姿をしていたけれど、シャルルに手によって別の人格を植え付けられ、破綻し、空っぽになってしまったルルーシュではないもの。
 シャルルによって奪われた記憶を取り戻したとしても、決してルルーシュが思い出すことのない、スザクだけしかもう知らない記憶――。
 教室では他の生徒の目もあって再会を喜んでいたルルーシュだったが、ふたりっきりとなった状況下ではどんな反応を示すか。記憶を取り戻したとしても簡単にボロを出すような真似はしないだろうが、スザクは試さずにはいられなかった。
 なんだと笑いかけてくると思ったルルーシュは、怒りを滲ませてスザクを見た。
 まさか記憶が戻ったのか。
 ならば先日復活したあのゼロは、やはりルルーシュか。
 警戒しながらも、記憶を取り戻したルルーシュがこうまであっさりと悟らせるものだろうかと悩むスザクを、ルルーシュは忌々しげに睨み付ける。
「なんのようだ?」
 静かに怒りをあらわにするルルーシュに、スザクはうろたえる。
 ナナリーを人質に取られた状況で記憶を取り戻したことを、ルルーシュが簡単に悟らせるはずがない。記憶が戻ったと知られれば、再び捕らえられ、記憶を封じられるのは目に見えている。そうなればナナリーを救い出すこともできなくなる。
 妹のナナリーのこと、皇族であったこと、ゼロであったことを忘れているルルーシュが自分に対して静かに怒り狂っている理由がスザクは分からなかった。答えが見つからずに押し黙ったスザクに、ルルーシュは不愉快だと言いたげに舌打ちする。
「用がないなら出て行け」
 背を向けたルルーシュは、スザクを完全に拒絶していた。
 本当にルルーシュは、ゼロとしての記憶を取り戻していないのか。機密情報局からの報告を疑いたくはなかったが、相手はルルーシュだ。人を騙すことが得意なルルーシュなら機密情報局の人間といえど手玉に取ることは容易いはず。この目で本当に記憶を取り戻していないのか確認しなければ、納得できなかった。
 これもまた自分を騙すための演技ではないのか。疑いながら、スザクはルルーシュへと近づく。
「ルルーシュ」
 呼びかけても聞こえていないふりをして振り返らないルルーシュに手を伸ばしたスザクは、その肩に手をかける。触った瞬間、振り返ったルルーシュに強い力で振り払われた。
「触るなっ!」
 後ずさりながらルルーシュはスザクと距離を取る。
「ルルーシュ」
「うるさい! 別れると言ったのは俺からだったが、嫌だって言っておきながら連絡ひとつ寄こさなかった薄情な奴が、今さらなんの用だ!?」
 忘れていた。
 ルルーシュのことだけを忘れていた間のことは、記憶を取り戻したあとも忘れることなく覚えている。ただ、その記憶はどこか朧気だった。まるで夢の中で見ていたような、薄い膜の張った向こう側に記憶があった。
 想いを打ち明けて付き合った経緯も、別れると言い合いになったことも、その間の出来事もなにもかもスザクは覚えている。一度だけ体を重ねたことも。
 ユーフェミアの虐殺事件を発端に引き起こった黒の騎士団主導によるエリア11での反乱・ブラック・リベリオン。首謀者であるゼロを捕らえ、反乱を鎮静化できたとはいえ、一連の出来事はブリタニアに浅くはない傷を残した。
 ナンバーズ出身でありながらゼロを捕らえた功績によりナイトオブランズという地位を手に入れたスザクもまた、ブラック・リベリオンが引き金になった暴動を鎮めるために各地に派遣させられた。
 目まぐるしい日々に、ルルーシュと付き合っていた事実をスザクはすっかりと忘れていた。シャルルがルルーシュから奪った記憶は三つ。ナナリーのこと、皇族であったこと、ゼロであったこと。辻褄が合わない部分は書き換えられているが、スザクと付き合ったことは残されていた。
 記憶を奪われたルルーシュにしてみれば、別れ話のあれがまともに交わしたスザクとの最後の記憶なのだろう。ユーフェミアや黒の騎士団、ゼロが引き起こした事件を知っているだけに最初の頃は連絡が来ないことに納得していたとしても、どれだけ経っても連絡ひとつ寄こさないスザクになにを思ったか。
 その記憶を奪ったのはシャルルだが、スザクもまた同罪だ。記憶を奪われたルルーシュに罪はない。分かっていても、あれだけの大罪を犯しておきながら全てを忘れてしまったルルーシュにスザクは理不尽な怒りを抱く。
 どうして忘れてしまったのか。
 なぜ思い出さないのか。
 あれはルルーシュが背負わなければいけない罪だ。忘れることなど許されない。
 どれほど理不尽に思っても罪のないルルーシュに怒りをぶつけることは間違いだ。
「ごめん、ルルーシュ」
 謝罪はするりと口にできた。
 それはなにに対する謝罪だったのか。
 一瞬怯んだルルーシュに距離を詰めたスザクは、その体を両手で抱きしめる。
「スザクっ!」
「ごめん、ルルーシュ」
 もう一度ごめんと。謝るスザクにルルーシュは押し黙る。
 シャルルにルルーシュを差し出したのは、他ならぬ自分だ。そのときにもう二度とこの手で抱きしめることは叶わないと思っていた。もう一度この手でルルーシュを抱きしめられる幸運を、スザクは噛み締める。
「ルルーシュ、本当にごめん」
「ああ、分かった。分かったから! そう何度も謝るな!!」
「ルルーシュ……」
「今回だけだ! 今回だけ、許してやるっ」
 分かったなと言い聞かせるルルーシュに、スザクは頷く。
「ありがとう、ルルーシュ」
 ぎゅっと強く抱きしめれば、ため息をついたルルーシュはスザクの頭をやさしく撫でる。
「大変、だったな……」
「うん。ずっと君をこうして抱きしめたかった」
 神根島でルルーシュを捕らえ、ゼロとしてシャルルに引き渡してからずっと、こうして抱きしめたかった。
 あの日のことは後悔していない。
 時間を巻き戻すことができたとしても、何度だってスザクは繰り返しルルーシュを捕らえる。
 もう二度と、その手を血で染めさせないために。これ以上、罪を犯させないために。
 傷つくのも、手を血で染めるのも、罪を犯すのも、自分ひとりだけで十分だ。ルルーシュはナナリーと共にただ笑っていてほしかった。今はもう、叶わぬ夢だ。
「……ルルーシュ、好きだ。君を諦めようと何度も思ったけど、やっぱり諦めきれない。君が僕のことを見限って嫌いになったとしても、君のことが好きなんだ」
 頭を撫でていた手がとまった。
「……スザク、俺はっ」
 別れようと言いながらも愛していると言ったルルーシュに、スザクは一縷の望みをかける。言葉を詰まらせたルルーシュにスザクは畳み掛けた。
「別れようなんて言わないで。愛しているんだ、ルルーシュ」
 誰よりも、なによりも――。
 殺したいほど憎いのに、それ以上にどうしようもなく愛している。誰に信じてもらえなくても、それがスザクの真実だった。
「スザク……」
「愛してる、ルルーシュ」
 顔を上げたスザクは、そっと顔を近づける。抵抗もせず、顔を背けないルルーシュにスザクは口づけた。
「嫌、だった……?」
 すぐに唇を離したスザクは恐る恐る尋ねる。目を瞬かせたルルーシュは、スザクの肩に顔を預けた。
「嫌だったら良かったのに」
「ルルーシュ……」
「お前が俺だけのものだったなら、こんなに苦しい思いをしなくて済んだのに」
 ナイトオブラウンズとなったスザクは、ブリタニアへとその身を捧げた存在だ。有事の際はなにを差し置いても駆けつけなければならない。決してルルーシュだけのものにならない。
 今になってようやく、ルルーシュがあれほどまでにユーフェミアの騎士になることを嫌がっていたのかスザクは気づく。今となってはもう遅い。
「世界がもっと簡単だったら良かったのにね」
 立場も身分も出生も関係のない世界だったなら、ここまで拗れることもなかった。お互いに好きだという感情だけで生きられたのなら――。
「複雑にしている張本人が言う台詞か」
「そう、だね」
「ああ、でも、そうだな」
「ルルーシュ?」
「好きだよ、スザク」
 唐突な告白にスザクは息を呑む。
「ルルーシュ、どうしたの……?」
 急な心変わりに、これは罠ではないかとスザクは身構える。
「明日もお前に会えるか分からないからな。なら、言えるときに言っておかないと後悔しそうだったから。嫌だったか?」
「そんなことはない! そんなこと、ないから」
 明日もまた会えると。疑いもなく信じていた日常は簡単に崩れ去る。ユーフェミアの一件でスザクはそれを嫌と言うほどに思い知った。
「お前とまた明日会えなくなったとき、後悔したくない」
 ナイトオブラウンズという立場にあるスザクは、いつ戦場に駆り出されるとも分からない。命のやりとりをする戦場では、常に命の危険と隣り合わせだ。スザクもまたいつ命を落とすことになるか分からない。
「ルルーシュ……」
「でもまだ、騎士になったことは許してないからな」
 他の誰かのものになったことは、記憶を奪われてもルルーシュの中に残っていた。ルルーシュが他の誰かのものになってしまったらと考えて、スザクは腕の中にいるルルーシュをより一層強く抱きしめる。
「スザク、苦しい……っ」
「ごめん……。本当にごめん、ルルーシュ」
「もうそれは良い! それより苦しいっ!!」
 いい加減にしろとルルーシュが苦しさから怒鳴りつけてようやく、スザクは腕の力を抜いた。
「お前は本当に、この馬鹿力めっ」
 以前と変わらない罵倒が、今は心地よかった。だからこそ見極めなければいけない。
「ルルーシュ。君に話があったんだ」
「話?」
「僕は、僕はね。ナイトオブワンを目指すよ」
 本当にルルーシュは記憶を取り戻していないのか。復活したあのゼロは、ルルーシュではないのか。この目できちんと見極める必要があった。
 もしも記憶を取り戻していたとしたら、日本はもうゼロは必要ないと突きつけるために。



 ルルーシュと屋上で別れたスザクは、階段を下っていた途中で足をとめた。
「ネブロスか」
 人気のない場所から音もなくロロは姿を見せる。
 記憶の欠落を補うために妹のナナリーの代わり弟として嚮団から派遣されてきた監視者であり、暗殺者。記憶を取り戻したルルーシュに唯一対抗できるギアスユーザー。
「今はロロ・ランペルージですよ、枢木卿。どこで誰が聞いているか分からないんですから、気をつけてください。まあ、聞かれていても殺せば良いだけですが」
 目撃者は誰であろうと殺す。暗殺者として育てられたロロにとっては当然の対応だ。
 愛らしい顔立ちをしながら物騒なことを平然と言うロロに、スザクは顔をしかめる。
「ここにそういうものを持ち込むな。今回はこちらの落ち度だ。二度目はない。貴様も十分に気をつけろ、ロロ」
「ええ、分かっていますよ、枢木卿」
 このアッシュフォード学園は檻だ。美しい鳥を飼うための。血濡れた話は似合わない。
「それで、どうでした? 兄さん、いえ、ルルーシュは」
「記憶を取り戻したようには見えなかった」
 対話をしてみたが、ボロは一切出さなかった。ただ記憶を取り戻していないだけなのか。それとも――。




to be continued...