愛で満たした檻の中 *Web用に一部改行してます。
プロローグ
世界の三分の一という広大な領土と、巨大な軍事力を有する超大国・神聖ブリタニア帝国は皇帝を頂点とした絶対君主国家である。厳しい身分制と不平等においてこそ競争と進化が産まれるという第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアの持論が国是だ。
まさに弱肉強食の厳しい世界は皇族であろうと例外ではない。皇位継承権や立場は関係なく、厳しい競争によって勝ち残ったただひとりだけが次期皇帝となる。
血の繋がった兄弟であろうと関係ない。勝ち残った人間が勝者であり、正義だった。
次期皇帝の椅子に最も近いと噂されていたのは、若くして帝国宰相の地位にまで上り詰めた第2皇子シュナイゼル・エル・ブリタニアだった。皇位継承権第1位である第1皇子オデュッセウス・ウ・ブリタニア以上に有力な候補として、ブリタニア国内のみならず、世界各国にシュナイゼルの名は知れ渡っていた。他の追随は許さず、皇帝であるシャルルの次にシュナイゼルが権力を掌握していた。
皇帝を頂点とする絶対君主国家であるブリタニアは、血で血を洗う歴史で彩られていた。繰り返される皇位簒奪。時に失敗し処刑される者、投獄され死に逝く者、勝利者となり皇帝となる者と、ブリタニアの歴史は作られてきた。
シャルルの即位直後に起こった血の紋章事件もまた、皇位継承権を持つシャルルの叔父・ルイ大公によるものだったが、簒奪は失敗し、拘わった人間は全て粛正された。裏切り者には一切の容赦なく。
歴代の皇帝において苛烈かつ、強烈なカリスマ性を持つシャルルに、このまま何事もなく次期皇帝と噂されているシュナイゼルへと皇位が移るものだと誰もが思い込んでいた。降って湧いた、シャルル暗殺の報が世界中を戦慄させるまでは。
元々ブリタニアは大国ではあったが、今のような広大な領土を有してはいなかった。シャルルの即位後、武力によって他国を制圧し、植民地として支配下に置いたことにより、現在の世界の三分の一という広大な領土をブリタニアは手に入れた。
武力により植民地とされた国々の人々からの憎しみを一心に受けていたシャルルは世界の誰よりも憎悪され、その命を狙われ続けていた。鉄壁な守りに、ことごとく暗殺は未遂に終わり、誰ひとりとしてシャルルの元へとたどり着くことはなかった。暗殺は不可能だと思われていた中でのシャルル暗殺――。
血に濡れたブリタニアの歴史へとさらなる一ページを書き加えたのは、皮肉なことに血の紋章事件でシャルルを守り通した当時ラウンズのひとりだったマリアンヌの嫡男だった。
繰り返される皇位簒奪。そうして、新たな皇帝が誕生した。
神聖ブリタニア帝国第99代皇帝として歴史に刻まれたその名はルルーシュ・ヴィ・ブリタニア――。
父を殺し、皇位を簒奪したルルーシュは、当時まだ十八歳という若さだった。
1
神聖ブリタニア帝国の首都ペンドラゴン――。
宮殿を中心に多くの離宮が点在する王宮は、皇帝を始めとする皇族と、彼らにかしずく使用人たちが暮らしていることもあり、王宮だけでも広大な敷地を有していた。そんな王宮の中心部分である宮殿の一室――血のように真っ赤な天鵞絨(ビロード)の絨毯が敷き詰められた部屋で、男は青白い顔色で両膝をついていた。
「――言いたいことはそれだけか?」
謁見の間でただひとり椅子に腰掛けていた青年は肘掛けに片肘を乗せ、頬杖をつきながら問いかける。青年の目の前で膝をついている男は、その問いかけにびくりと体を震わせた。
「お待ちください、陛下!」
「戯れ言は聞き飽きた。誰か、こいつを引きずり出せ」
頬杖をつきながら、もう片手を胸の前で一振りすれば、側に控えていた近衛兵ふたりが膝をついている男を取り囲んだ。命令通りにふたりの近衛兵が男を部屋から引きずり出そうとすれば、男は急に暴れ出し、見苦しくも喚きだした。
「陛下、お待ちください! わたくしは本当にっ!!」
近衛兵に引きずられながらも喚く男の声は、部屋の外へと引き出され、扉が閉まってようやく聞こえなくなった。醜いわめき声を延々と聞かされた青年は、精巧な人形のように美しく整った顔立ちを歪めた。
「シュナイゼル、あの男の処遇はお前に一任する」
処分を決めるのも面倒だと、傍に控えていた宰相であるシュナイゼルへと青年――ルルーシュは丸投げした。
ルルーシュの即位後、ブリタニアは混乱に見舞われた。皇位簒奪そのものはブリタニアにおいては珍しくなく、過去の歴史を紐解けば、むしろ推奨さえされていた。皇位簒奪そのものに問題はなかったが、ルルーシュの立場に問題があった。
ルルーシュの亡くなった母マリアンヌは騎士候ではあったが、庶民の出であった。軍人であったマリアンヌはその功績から騎士候、ラウンズと昇進し、血の紋章事件を経て皇妃となった。後見となる貴族もいたが、伯爵どまりと派閥としては小規模だった。そうして産まれたふたりの子はどちらも皇位継承権が低く、ある事件が起こるまでは注目を浴びることもなかった。
皇位継承権第17位の第11皇子による、皇位簒奪。まさに青天の霹靂とも言うべき出来事だった。それまで他の皇位継承者を支持していた派閥からのルルーシュ即位の反発は激しく、国は揺れた。それを収めたのは他の誰でもない、シュナイゼルだった。
次期皇帝に最も近いと噂されていたシュナイゼル。それだけにシュナイゼルを支持していた貴族は多く、反発はどこよりも大きかった。シュナイゼルもまた手を伸ばせば届くところにあるはずだった帝位を奪われたことで反発するかと思われたが、蓋を開けてみればその真逆だった。
皇位継承者の中で誰よりも早く、シュナイゼルはルルーシュの即位を認めた。それにより、ルルーシュの即位に反発していた貴族たちは声を潜め、その多くが立場をひるがえした。その功績によりシュナイゼルは、今も以前と変わらない帝国宰相という地位にいる。
「――陛下」
常になく低い声で名前を呼ばれ、不穏な気配を感じ取ったルルーシュは先回りしてシュナイゼルの言葉を遮った。
「今は小言を聞く気分じゃない。後にしろ」
「後回しにして、大人しく聞いた試しがありましたか?」
過去の経験を引き出したシュナイゼルに、ルルーシュは顔を背けて黙り込む。ルルーシュいわく、小言を言おうとシュナイゼルが口を開こうとすれば、タイミング良く邪魔が入った。
「まあ、良いじゃないですか、閣下」
それまで影のように黙って傍で控えていたロイドは、ルルーシュとシュナイゼルの間に割って入る。金色で縁取られた真っ白な布をたっぷりと使った絢爛(けんらん)な衣装をまとっているルルーシュとは対照的に、ロイドは紫色の騎士服に黒いマントをまとっていた。
一見対照的にも見えるが、どちらにも真っ赤なルビーがあしらわれ、細かな装飾も共通していた。よくよく見れば対照的に作られた、揃いの衣装だというのが分かる。
皇帝直属の帝国最強の騎士ナイト・オブ・ラウンズがひとりロイド・アスプルンドは、ラウンズで最強の証であるナイト・オブ・ワンの称号を持つ。ラウンズは通常、共通の騎士服に、各々に与えられている色のマントを着用することを義務づけられていたが、常にルルーシュの傍らに控えているロイドだけは例外だった。一見そうと分からない揃いの衣装を、ラウンズの中でロイドだけが着ることを許されていた。
「陛下もこの通り、きちんと分かっておられますしね」
そうですよねとロイドが尋ねれば、ルルーシュは渋々と頷く。
「ロイド、お前は陛下に甘すぎる」
忌々しげにシュナイゼルはロイドを睨み付ける。当の本人は気にした風もなく、飄々と肩をすくめた。
「当たり前じゃないですか、閣下。僕は陛下の忠実な騎士ですよ」
「忠実な騎士ならば、主である陛下を甘やかせずに正せ」
「嫌だなあ。誤りを正すのは家臣の役目ですよ。僕は陛下の剣であり盾として、その身をお守りするだけです」
僕の役目ではありませんと、ロイドは笑う。
「お前と話していると、頭が痛くなってくる」
痛みを堪えるかのように、額を片手で押さえながらシュナイゼルは吐き出した。これ以上はロイドの相手はしていられないと、シュナイゼルはルルーシュへと向き直った。
「陛下、覚えているとは思いますが、本日十五時より日本より訪問の挨拶がございます。くれぐれもお忘れのないように」
「ああ。確か留学の挨拶だったか……?」
小国でありながら中立を貫き、大国と対等に渡り合っている日本は、レアメタルの一種であるサクラダイトの産出地だった。高温超電導体の調整に欠かすことができない物質の世界最大の産出国であり、そのシュアは七十パーセント以上を占める。
どこの国も喉から手が出るほどに欲しているサクラダイトによって、小国でありながら日本は大国と対等に渡り合っていた。同時に、日本は他国の脅威にも怯えていた。事実、ルルーシュが即位するまではブリタニアの次なる獲物は日本だった。
先代の皇帝であるシャルルは、巨大な軍事力で多くの国々をブリタニアの支配下へと置いた。シャルルの治世下、植民地となった国の数は十七。十八番目の植民地として、シャルルは日本を狙っていた。
ルルーシュがシャルルを謀殺し、皇位を簒奪するのがあと少しでも遅ければ、日本はブリタニアの十八番目の植民地としてその名を連ねていたことだろう。ブリタニアにとっては残念なことに、日本にとっては運良く、ルルーシュが即位したことにより、ブリタニアが日本へと侵攻する計画は凍結された。
ブリタニアからの脅威が去ったとはいえ、サクラダイトというレアメタルが発掘される日本は、今なお世界各国からその領土を狙われていた。手出しされないのは、大国であるブリタニア、ユーロピア共和国連合、中華連邦という三カ国が睨み合いを続けているからだ。どこか一国でも手を出そうものなら他の二カ国からの援軍が日本へと届く。そうなれば、サクラダイトどころの話ではなくなる。静かに三カ国で睨み合いを続けながら、日本は中立という立場を保ち続けていた。
中立の立場を保ち続けている日本は、ユーロピア共和連合、中華連邦、そしてブリタニアとも国交があった。毎年日本から少なくはない人数が、留学生としてブリタニアへと訪れていた。その留学生のひとりとの謁見が予定されていることを、ルルーシュは言われてから思い出した。
無言で手を差し出したルルーシュに、シュナイゼルは事前に準備していた書類を手渡す。受け取った書類に目を通したルルーシュは、片眉を上げた。
「これが枢木ゲンブ首相の息子か……。まだ十八と、若いな」
受け取った書類には顔写真の他に名前や年齢、経歴が事細かに書かれていた。十八歳にしては顔写真は幼く見える少年は、周囲から愛されながらも、決して甘やかされただけではない一面が見て取れた。
「陛下が即位したときと同じ年齢ですね」
十八歳という年齢に反応したロイドは、何気なく口にした。
父であり、先代皇帝であるシャルルをルルーシュが謀殺し、皇帝へ即位したのもまた十八歳のときだった。
即位から六年――。当時まだ十八歳の少年だったルルーシュは、いまや二十四歳になった。
「枢木スザク、ですか」
ルルーシュの真横からひょいっと書類を覗き込んだロイドは、書かれていた名前におやっと小首を傾げた。
「どうした、ロイド」
知っているのかと尋ねるルルーシュに、はいとロイドは頷く。
to be continued...