神のみぞ知る世界 First.    *Web用に一部改行してます。




 母が死んだ。――否、暗殺された。
 厳重な警備が敷かれているはずの離宮で起こった皇妃暗殺事件。それは大国となった神聖ブリタニア帝国にとって由々しき事態のはずだった。
 離宮へと暗殺者を手引きした者の捜索を始め、何者がどんな理由で皇妃暗殺を企てたのか。それら全てを解明しなければいけないはずの事件はけれど、皇帝の一言によって闇へと葬り去られた。
 強者のみが生き残り、弱者は淘汰されていく。それが現在のブリタニアの現状。
 強者であったはずの皇妃でさえ、暗殺された瞬間弱者へと変わる。つまりは、例え皇妃であろうと弱者となった瞬間に淘汰されるということだ。
 暗殺された皇妃――マリアンヌ・ヴィ・ブリタニアの第一子ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、皇妃が身罷り、皇女が負傷してもなお、見舞いにも訪れない父――皇帝に、自分たちが強者から弱者へと転げ落ちたことを知った。
 皇位継承権を持つ皇子といえど、最大の後見であったマリアンヌが暗殺された今、自分たちは無力に等しい。何らかの権力を手にしていれば現状は違っていたかも知れないが、まだ幼い自分たちにはどうしようもできなかった。
 マリアンヌの後見であったアッシュフォード家は、今回の失態で爵位を剥奪されることがすでに決定している。最大の後見であったマリアンヌとアッシュフォード家を失った今、皇族である身といえど、新たな後見となってくれる権力者を早急に見つけなければ、自分たちに未来はない。
 庶民出身であったマリアンヌはその実力で騎士叙任され、皇妃までのし上がった女傑だ。それゆえに他の皇妃や貴族たちからは下賤の血と揶揄され、嫌悪されてきた。そのマリアンヌの血を引く子どもたちに、彼らが好意的に接するはずもない。
 後見となってくれる権力者も、そう簡単には見つからないだろう。自分たちがどれだけ利用価値があるのか見せつけない限り。
 自分ひとりだけならば、今すぐにでも皇位継承権を返上して
も良かった。だが、ナナリーがいる。
 マリアンヌ暗殺の際に傍にいたナナリーは、その体に銃弾を受け、いまだ意識不明の状態が続いている。医師の話では現在のブリタニア技術を持ってしても、ナナリーの足は治らないと言われた。
 この世の最高の技術を持ってしてでも、二度と動かすことができない足。ナナリーの今後のことを考えれば、皇位継承権の返上は得策とは思えなかった。
 つい数日前まではこの世の平和を凝縮したような穏やかで、けれど賑やかでもあったアリエス宮で、ルルーシュはひとり必死に考えていた。
 どうすればナナリーを守ることができるのか。ただそれだけを必死に考えていたルルーシュは、ふと目に入った世界地図に見入った。
 植民地を今なお増やし続けているブリタニア。かつてマリアンヌがそうであったように、戦場で功績を立てれば一代限りとはいえ、庶民でも騎士候という爵位が与えられる。現在最大の後見を失ったルルーシュにとって、唯一光を見いだすことができる場所。
 皇位継承権を持つ皇族はどれほど身分が低かろうが、帝王学を学ばされる。一言に帝王学と言っても、様々な分野に分かれており、戦略や戦術もまた帝王学のひとつとして加えられていた。
 教師である大人たちでさえ舌を巻くほどに齢九歳という幼さで、ルルーシュはすでに戦略の才能を発揮していた。ブリタニアにおいても、その戦略に敵うのは片手しかいないと言われるほどに。
 つい先日宰相に任命された異母兄シュナイゼルにこそまだまだ敵わないが、ルルーシュはすでに軍人として活躍しているコーネリアに理論上では何度か勝利していた。とはいえ、それは机上の空論。
 それ故に類い希なる頭脳を持っていたとしても、ルルーシュの立場は脆い。幼いゆえに仕方のないこととはいえ、現状そうは言っていられる状況ではなかった。
 現状を打破するただひとつの方法。ルルーシュはそれに縋るほかなかった。
「誰か、誰かいないか!」
 笑い声が絶えなかった、今は静まり返ってしまったアリエス宮で、ルルーシュは声を張り上げる。何事かと慌てて駆けつけたメイドのひとりに、ルルーシュは命令を下した。
「兄上に――シュナイゼル宰相閣下へと面会の申し入れを!」










 皇歴2018年――。
 ブラックリベリオンと呼ばれるイレブンの反攻は、慈愛の皇女とも呼ばれていたユーフェミアが起こした事件が引き金だった。
 行政特区日本の式典会場でユーフェミアが命じた日本人虐殺。それによって式典に参加した多くの日本人がブリタニア軍とユーフェミアによって無惨に虐殺された。
 怒りに震えた日本人はブリタニアへと反逆し、虐殺を命じたユーフェミアを『ゼロ』はその手へとかけた。それによって起こった混乱はけれど、ユーフェミアの騎士であり、日本最後の首相・枢木ゲンブの息子・枢木スザクが『ゼロ』を捕らえられたことで終わりを告げた。
 エリア11を騒がせ、皇族ふたりを殺害した咎により『ゼロ』はスザクによってその身を捕らえられたその後、ブリタニアによって秘密裏に処刑された。
 『ゼロ』を捕らえた功績により、スザクは史上初ナンバーズ出身でありながら皇帝直属にして帝国最強の12騎士・ナイトオブラウンズのナイトオブセブンの地位を得た。
 それは主人であったユーフェミアを目の前で失った皮肉か。それとも、主人を奪った『ゼロ』に対するこれ以上ないほどの報復か。
 ナイトオブラウンズとして初めての任務を終え本国へと帰還したスザクは時間を持て余していた。報告書もすでに提出し終わり、慣れない王宮で時間を潰す方法も知らないスザクは、数多ある王宮の中庭でひとりたたずむ。
 かつて慈愛の皇女と呼ばれていたユーフェミアは、いまや虐殺皇女とあだ名され、皇籍からその存在を抹消された。その名前を出すことすらも、いまや憚れる。
 それまでのユーフェミアを知る人間にとっては信じられない突然の狂乱。スザクもまたユーフェミアが日本人虐殺を命じたことを信じられないひとりだった。実際に目の当たりにしてもなお。
 ユーフェミアが狂乱に走る直前まで会っていた『ゼロ』が何かしたに決まっている。けれどそれは明かされることも、追求されることもなく『ゼロ』は処刑された。スザクの与り知らぬところで。
 スザクの立場を考えれば仕方のないことだった。けれど、だからといって『ゼロ』を処刑したことについてはスザクは納得していない。

 ――いつかエリア11が平定された時、王宮を案内しますね。

 何かの話の弾みで交わされた、ふたりだけの約束。けれどそれは最早永遠に叶うことはなく、ユーフェミアは皇籍からも、この世からも、その存在を抹消された。
 いつか必ずユーフェミアの汚名をすすぐ。その目的のためだけに、スザクはナイトオブラウンズの地位を手に入れた。今はまだ無理だけれど、いつか必ず日本人虐殺命令はユーフェミアの真意ではなかったのだと人々に知ってもらい、ユーフェミアを皇籍に復活させるために。
「――ユフィっ」
 ナンバーズでありながら、手を差し伸べ騎士へと叙してくれたユーフェミア。その優しさにどれほど救われたことか。
 人の気配が全く感じられない王宮の中庭で、ユーフェミアの優しさを思い出していたスザクは、頭上から注がれる視線に慌てて顔を上げた。
 中庭を眺めるために作られた三階のテラスで、ひとりの青年がこちらを見下ろしていた。冷ややかな眼差しに、スザクはぞくりと背筋が震わせる。
 艶やかに濡れた漆黒の髪に、紫水晶(アメジスト)を思わせる紫色の瞳。遠目からでもはっきりと分かる整った顔立ちをした青年がまとう制服に、スザクは目を瞠った。
 ナンバーによって色や細かい装飾は異なるが、青年がまとっている制服はまさしくナイトオブラウンズだけがまとうことを許されている軍服だった。
 ナイトオブラウンズに叙されてすぐ、ナイトオブワンであるビスマルク・ヴァルトシュタインから、ラウンズの地位に就く騎士の紹介をスザクは受けていた。任務で本国を離れているラウンズについては、まとっているマントとその名前だけを教えてもらったが、テラスに立っている青年が身にまとっている瞳と同じ紫色のマントは、教えられたラウンズの誰ひとりとして該当しなかった。
 長いことスザクは青年と見つめ合っていた。興味を失ったかのように先に顔をそらした青年は、紫色のマントをなびかせながらテラスからその姿を消した。
 まるで魅入られていたかのように眺めているしかなかったスザクは、青年がテラスから姿を消してすぐ、中庭から青年がいたテラスへと向けて駆け出す。
 帝国最強の12騎士と言われるナイトオブラウンズは、今現在八つの席しか埋まっていない。残る四つの席にいつ誰が座ってもおかしくないとはいえ、新たなラウンズが誕生すれば、すぐにでもナンバーズ出身のスザクにも届くはずだ。
 昨日まで本国を離れていたとはいえ、そんな話をスザクは全く聞いていない。新たなラウンズが迎え入れられたとしたら、書類を提出したときにでも話が入るはずだ。
 が、そんなものは一切なかった。新たなラウンズではないというのなら、あの青年は何者なのか。
 王宮の警備をかいくぐった侵入者だろうか。それならばわざわざ目立つラウンズの振りをする必要などない。警備の人間の格好をすれば誰にも気づかれることなく、王宮の奥深くまで侵入することはできるはずだ。
 青年の正体を懸命に考えながら、テラスへとたどり着いたスザクは周囲を探る。中庭からテラスまでたどり着くのにかかった時間はわずか数分。その間に忽然と姿を消した青年に、スザクは自分が見たのが幻影ではない証拠を探る。
「彼は一体……」
 先ほどまで青年が立っていた位置に立ちながら、スザクは中庭を見下ろす。本当にあの青年は何者だったのか。
 ラウンズの制服を身にまとっていたのならば、彼はラウンズのひとりなのだろうか。けれどビスマルクから教えてもらった人物に、彼に該当しそうな人間はひとりも見当たらない。
「スーザークー!」
 見つけたと、駆け寄ってきたかと思った瞬間、ナイトオブラウンズのひとりであるナイトオブスリーことジノ・ヴァインベルグが背中へと抱きついてきた。
「――ヴァインベルグ卿」
「だぁから、ジノだってば。本当、スザクってつれないよな。アーニャもそう思うだろう?」
 スザクの背へと抱きついたまま、ジノは背後を振り返る。カメラを構えてふたりを撮影しようとしていたジノと同じナイトオブラウンズのひとりアーニャ・アールストレイムは頷いた。
「スザク、私たち嫌い?」
「いえ、そういうわけでは」
 慌てて弁明しようとすれば、ジノは背中へと体重をかけた。
「だから、それがつれないって言うんだよ。同じ立場なんだから敬語なんて使う必要なんてないぜ」
「ですがっ」
 ジノが言う通り、確かに同じナイトオブラウンズという立場だ。けれど貴族出身であるジノやアーニャとは違い、スザクはナンバーズ出身。立場は全く違う。
「良いから、良いから。ほら、名前で俺たちのことを呼んでみろよ」
 なっと、尻尾があれば全力で振っていそうなジノに、そうだとスザクは声をかける。
「ヴァインベルグ卿、ひとつ教えていただきたいことがあるのですが」
「敬語とその呼び方を止めてくれたら、何でも教えるよ」
 敬語と呼び方を改めない限り何も答えないと暗に告げるジノに、スザクは白旗を上げるしかなかった。
「ジノ、教えてもらいたいことがあるんだ」
「何だ? 俺が知っていることなら、何でも良いぜ」
 ようやく背中からどいたジノに乱れた服を直しながら、スザクは先ほどからずっと気になっていたことを尋ねる。
「ラウンズの地位を与えられている人間は今何人いたっけ?」
「スザクも含めて八人だったよな」
 確認を求めるように尋ねれば、アーニャはこくりと頷く。










「お前ひとりの体ではないのだよ。もう少し自分のことを大切にしない。彼女も、悲しむよ」
 彼女と、あえて名前を口にしなかったシュナイゼルに、ギュッとルルーシュは拳を握りしめる。今はシュナイゼル預かりの身となっているルルーシュの大切な妹・ナナリー。彼女のためにこの身をブリタニアへと捧げた。それしか自分たちふたりが生き延びる道はなかったから。
 時折遠くからその姿を眺めることはあるが、最後に言葉を交わしたのはいつだっただろうか。ナナリーの身に降りかかる危険を避けるために。そして、守るためとはいえ、命を奪いすぎた罪悪感ゆえに。
 ほんの気まぐれだった。いずれ侵略されることになっていたとはいえ、自分たちふたりの身を守るために侵略した国を見てみたいと思ったのは。
 すでに終戦へと向かいつつあった中、護衛を引き連れて降り立った地は血に濡れていた。折り重なるいくつもの骸。そして、鼻をつく腐敗と硝煙の匂い。決して忘れることのできない記憶は、ルルーシュの戒めになった。自分たちは何を犠牲にして、何を手に入れようとしているのか。
「……分かっています」
「お前は本当に頑固だね。誰に似たのやら」
 困ったものだとシュナイゼルが呟いた瞬間、空気が動いた。ジェレミアとシュナイゼルの護衛は即座に動き、ルルーシュとシュナイゼルのふたりをその身で庇う。その瞬間、銃弾がふたりの間を割って入るように撃ち込まれた。
「殿下!」
「私は無事だ。ゼロは!?」
 護衛の手によって、簡単には狙撃できない場所へと避難したシュナイゼルは、姿の見えないルルーシュを探す。
「こちらも無事です!」
 ジェレミアにその身を庇われながら、ルルーシュもまたシュナイゼルとは離れた場所に身を隠していた。今まで幾度となく命を狙われ慣れたふたりは、狙撃されたというのに動揺すらしていなかった。むしろどこに狙撃手が潜んでいるのかと、周囲を探ってさえいた。
「おい、あそこに人影が見えたぞ!」
 誰かが建物の陰を指さす。それに、シュナイゼルの護衛がひとり動いた。
「待て、衛兵が来るまで動くな!」
 迂闊に動けば命を落としかねないと、ルルーシュが叫ぶ。狙撃手の腕は、そう悪くはなかった。ジェレミアとシュナイゼルの護衛があと少しでも動くのが遅ければ、どちらかが命を落としていたかもしれない。下手に身を潜めている場所から飛び出せば、恰好の的として狙われかねなかった。
 ルルーシュが叫んだと同時に、再び数発の銃声が空を裂く。ジェレミアに抱きしめられながら、護衛の男が胸を銃で撃ち抜かれ、倒れる瞬間をルルーシュは目撃した。
 ゆっくりと胸に滲む赤い血に、ルルーシュは目を瞠る。その瞬間、覚えのないはずの映像がルルーシュの頭をよぎった。

 ――生かしてやろうか?

 くすくすと楽しげに笑う少女の声が聞こえる。いつか見た、いつの間にか寝室に入り込んでいた鮮やかな黄緑色の長い髪の少女は笑いながら、ルルーシュへと問いかける。

 ――生きるための力を与えてやろう。その代わり、私の願いをひとつ叶えてもらう。

 記憶にないはずの約束。それをなぜ自分は知っているのだろうか。
 少女が艶やかに笑った瞬間、激痛が体を走った。それもまた覚えのないはずの記憶なのに、ルルーシュはその激痛を知っていた。

 ――今のお前はまだ、私の願いを叶えられない。だから時間を与えてやろう。時が来たとき、必ず私の願いを叶えてもらうよ。それまではお別れだ、私のルルーシュ。

 そっと優しく頬を撫でる手は冷たかった。久しく人の温もりを忘れていたルルーシュにとっては、それでも温かく感じたのを覚えている。
 記憶にはないはずの少女。けれど自分は、あの少女を知っている。混乱するルルーシュに、記憶にないはずの少女は悲しげに微笑む。

 ――その力はお前を生かす。けれど、過ぎた力はその身を滅ぼすことになりかねない。よくよく考えて、力を使え、ルルーシュ。

 力とは何だ。力を与えたと少女は言った。けれど少女の言う力など、ルルーシュは知らない。そう思った瞬間、知っている激痛が左目を走った。
「……っ」
 片手で左目を押さえながら呻き声を上げたルルーシュに、ジェレミアが慌てる。
「ゼロ様!」
 どうされましたと顔を覗き込もうとしたジェレミアに、ルルーシュはかぶりを振る。激痛はすぐさま去ったが、代わりに異様な熱さを左目に覚える。
 何が起こっているのかは自分でも分からない。けれどこれは襲撃によるものではなく、あの少女の力だとルルーシュは確信さえ抱いていた。
「しかしっ」
「大丈夫だ、ジェレミア。それよりも彼は……」
 胸を銃で撃ち抜かれ、そのまま倒れた護衛の男はぴくりとも動かない。その様子にジェレミアはかぶりを振った。




to be continued...