満たされた箱庭    *Web用に一部改行してます。




■収録内容
「忘却論」
 ・訪れる悲しみはまだ遠く
 ・過ぎた幸福を、人は懐かしむ
「Despair」
「Nothingness」
「SINFUL -シンフル-」
「Pulsatilla cernua」
「Little Love」
「One Love(書き下ろし)」
「鎮魂歌」
「Re;」


購入方法:ライブラ
今後、イベント分のみ小数部再版予定です(時期未定)
通販で購入希望の方や、早く手に入れたい方は上記から購入をお願いします。



「Despair」
 無印24・25話をベースにしたスザルルのスザク視点。



 パンドラの箱に残った最後のひとつは、希望ではない。
 最後に残ったのは――。


「騎士か」
 くっと楽しげに笑うC.C.に、ルルーシュ冷めた眼差しを向ける。誰よりも動揺しているはずなのに、決してそれを表に出そうとしないルルーシュに対し、C.C.は意地の悪い笑みを浮かべた。
「お前の大切な想い人は、お前の異母妹の騎士になったぞ、ルルーシュ」
 これからどうするつもりだと、C.C.は気怠げに寝そべっていたベッドから起き上がると、椅子に座りながら考え込んでいるルルーシュへと問いかけた。
 何度勧誘しても、誰もが――日本人ならば、誰もが喜んで入団する黒の騎士団に、スザクだけは全ての誘いを拒んだ。
 エリア11の副総督であり、ルルーシュにとっては異母妹であるうユーフェミアの騎士へと任命された今、枢木スザクが黒の騎士団へと入団する可能性は、最早ゼロに等しい。
 日本最後の首相・枢木ゲンブの息子であり、ブリタニア軍人というだけでも、その存在はルルーシュの敵だというのに。エリア11の副総督でもあるユーフェミア・リ・ブリタニアの騎士となった今、枢木スザクは最早お前の幼馴染みではなく、敵だと。ルルーシュにそう告げようとしたC.C.は、握られている拳を見てやめた。
 何もかも――それこそ誰も知らないルルーシュの秘密を知っているC.C.だけが、忠告することができる。けれど、それは今のルルーシュには酷すぎると。そう判断したC.C.は、寝そべっていたベッドから立ち上がった。
 拳を震わせ、宙を睨み付けているルルーシュの頬を両手で包み込んだC.C.は、その顔を覗き込む。いつもなら深く、澄んだ綺麗な紫水晶(アメジスト)は、今のルルーシュのように濁っていた。まるで今のルルーシュがどんな思いをしているのか現しているように。
「お前の望みはなんだ、ルルーシュ?」
 はっと目を瞠ったルルーシュに、C.C.はさらに問いかける。
「お前の望みは、お前の妹が幸せに暮らせるやさしい世界を作ることだろう? なら、何をためらう?」
 望みを叶えるために、今までしてきたことを全て無駄にするのかと。お前が守りたいと願う妹以外の、たったひとりのためにと。畳み掛けるかのように、C.C.はルルーシュへと問いかける。
「ルルーシュ、もう一度問う。お前の望みは、なんだ?」
 目が見えない、足の不自由な妹か。
 それとも、想い人である幼馴染みか。
 どちらだと。
「……なあ、C.C.」
 顔をうつむかせたルルーシュの表情は読めない。ただ、口元に笑みを浮かべたルルーシュに、C.C.は目蓋をそっと伏せた。
「なんだ?」
「あの日……クロヴィスを殺した日に、俺は誓ったんだ」
 兄弟であったとしても、皇位継承権を与えられたその日から相手はライバルとなる。蹴落とすか、蹴落とされるか。それが王宮での変わることのない日常でありながら、アリエスの離宮だけは違った。
 主たるマリアンヌの気性を現すかのように、穏やかな雰囲気のアリエスの離宮でだけでは、例え腹違いの兄弟であろうとも仲の良い兄弟だった。異母兄弟だけではなく、マリアンヌを慕う軍人も多く、アリエスの離宮に訊ねに来ていた。
 毎日のように訪れては、負けると分かっているチェスを挑んでくるクロヴィスを、ルルーシュは嫌っていなかった。むしろやさしい、けれどどこか間の抜けている兄をルルーシュは好いていた。多分、ナナリーとユーフェミアの次ぐらいに。
「例え誰を殺すことになろうとも、後戻りはしないと」
 自分を殺すことになろうとも。
 全ては、ナナリーのために。
「そうか……。それを聞けて、安心した」
 ルルーシュへと背を向け、ベッドへと戻ろうとしたC.C.は、ふとその足をとめた。
 振り返って、泣きたいのに泣けないルルーシュを慰めるべきだろうか。そう考えたのは一瞬。再び歩き出したC.C.は、ベッドへと舞い戻った。
 今のルルーシュは、慰めなど必要としていない。必要としているのは、ただひとつだけ。
 それを与えることができないのなら、振り返るべきではないと、C.C.はそう判断した。ベッドへと潜り込んだC.C.は、ルルーシュへと背を向けて眠りについた。
 それが、今のルルーシュが何よりも望んでいたことだったから。





「Nothingness」
 Despairのルルーシュ視点



 珍しく生徒会が休みのある日――。
 ルルーシュはスザクと共に、アッシュフォード学園の生徒会室にいた。
「ねえ、ルルーシュ」
 それまで大人しく机に向かっていたスザクは、すぐ隣で静かに本を呼んでいたルルーシュへと声をかける。
「今度はなんだ?」
 ゆっくりと顔を上げたルルーシュは、それまで読んでいた本を机の上に置きながら、スザクの手元を覗き込む。
 ここ十数日、軍務で出席できなかったスザクへと、大量の課題が出されたのは今朝のこと。単位不足を補う目的で出されたそれは、近頃欠席が続くルルーシュにもまた、同じように大量の課題が出された。
 軍務でただでさえ忙しいスザクと、黒の騎士団を率いるゼロとして暗躍しているルルーシュのふたりには、帰宅したあとに出された課題を解いている暇などなかった。休み時間を使って出された課題を解くのは、自然の成り行きだった。
 スタート時点は同じでも、頭の出来がスザクとルルーシュでは全く違う。
 片や頭脳明晰なルルーシュと、片や体力馬鹿と友人たちから称されるスザク。それなりの厚さがあった課題を休み時間だけで終わらせたルルーシュに対し、放課後になった今でも、スザクは課題の半分も終わらせることができずにいた。
 珍しく軍務の仕事もなく一日学園にいたスザクは、帰りのホームルームが終わるなり、さっさと帰宅しようとしていたルルーシュを引き留めた。終わらない課題を手伝ってほしいと。
 スザクが知る限り、ルルーシュ以上に頭の良い人間を知らない。何より、同じだけの量の課題を出されていながら、ルルーシュはわずか半日で全ての課題を終わらせてしまった。
 これ以上ない適任者であるルルーシュへと、スザクが必死になって懇願した結果、ふたりだけの勉強会が放課後の生徒会室で開かれた。が――。
「パンドラとか、私はとかは分かるんだけど……」
 この訳なんだけどとスザクが指差した問題は、ルルーシュにしてみれば、簡単な問題だった。
「分からなければ辞書を引け、辞書を」
 ただ単に単語が分からないだけだろうと、そう難しくない文法を見て、ルルーシュは手元にあった辞書をスザクへと投げつける。わざと当てるつもりでルルーシュが投げたそれを、スザクは難なくキャッチした。
 チッと舌打ちしてみせれば、苦笑しながらも文句のひとつもこぼすことなく、スザクは辞書を引き始めた。
「ねえ、ルルーシュ」
「うん?」
「パンドラの箱には、最後に希望が残っていたっていう話を聞いたことがあるんだけど、それって本当かな?」
 あらゆる災いが詰め込まれた、禁断の箱――。
 開けてはならないその箱を、好奇心に負けたパンドラが開け放ったその時、ありとあらゆる災いがその箱から飛び出した。慌てて箱の蓋を閉じたは良いが、時すでに遅く、災いは飛び出してしまった。ただひとつを残して。
 最後に箱に残ったそれは、希望とも絶望とも、予兆とも言われているが、閉じられてしまった禁断の箱に何が詰まっているのかは、蓋を再び開け放つまで誰も知ることはできない。
「さあな」
 真実は、全ては闇の中。だがと、ルルーシュは言葉を切る。
「それは希望の形をした、絶望かもしれないぞ」
 人々を奈落の底に突き落とすために。ただの絶望では面白くないと。
 絶望はあえて希望の皮をかぶり、人々を奈落の底に突き落とすその瞬間を待っているのかもしれない。
 パンドラの箱の、奥底で。再び好奇心に負けた、愚かな人間を嘲笑いながら。
 希望などあるはずがないと。全ては絶望が仕掛けた、喜劇。それも、相当出来の悪い。
 ルルーシュにはそうとしか思えなかった。
「どうしてルルーシュは、そうやって物事を悪い方に考えるのかな」
「お前は前向き過ぎるんだ」
「そうかなあ?」
 そんなことはないと思うよと。笑いながら明るく告げるスザクが、ルルーシュには眩しく映った。
 物事を前向きに考えられるスザクがうらやましいと、そう思いながらも、ルルーシュは知っていた。スザクにとっての絶望が、すぐ目の前にあることを。
「なあ、スザク」
「なに?」
「パンドラの箱が目の前にあったとしても、お前はそれを、決して開けるなよ」
 空想の産物であるパンドラの箱――。それに似たものが、すぐ間近にあるなど、誰が考えるだろうか。
「ルルーシュ……?」
「残っているのが希望だったら良い。でも、もし希望の形をした絶望だったら、どうする?」
 それは、人を奈落の底に突き落とすものだと。お前はそれに耐えられるのかと。ルルーシュはスザクへと問いかける。
「大丈夫だよ」
 明るく笑いながら。
「もし、それが君の言う通りの絶望だとしても、君がいてくれるのなら、僕は乗り越えられるよ、きっと」



 ――君が、隣にいてくれるなら。



 なあ、スザク。
 パンドラの箱に最後に残ったのは、希望の形をした絶望かもしれないぞと。
 俺はきちんと忠告したぞ。
 お前がブリタニアに味方をする限り、俺はお前の希望には決してなれない。
 俺は、お前にとっては希望の形をした絶望なんだよ。





「SINFUL-シンフル-」
 無印24・25話をベースにしたスザルル←V.V.
 R2を見る前に書いたネタです。



 嫌な胸騒ぎがする。聞いてしまえば後悔すると知りながら、聞かなければいけないと何かが訴える。
 いつでも動けるようにしながら、スザクはV.V.の言葉を待った。
「彼のギアスをわざと暴走させて、彼女が死ぬように仕向けたまでは良かったけれど、どうやって手に入れようか迷っていたんだ。でも、君のお陰で、思ったよりも簡単に彼が手に入ったよ。だから、ありがとう」
「わざと、暴走させた……?」
 どういう意味だと。問うスザクに、V.V.はくすくすと耳障りな笑い声を立てる。
「あっ、聞いてなかったの? 彼は君のご主人様の手を取ろうとしたんだよ。でも、そうなると彼を手に入れることができなくなるからね。だから、わざと彼のギアスを暴走させたんだ」
 この、僕がねと。V.V.は楽しげに告げる。
 では、ルルーシュはユフィの手を取ろうとしたのか。その手を取ろうとして、暴走したギアスがルルーシュの意思を裏切ったというのなら――。
「ルルーシュは、どうして……」

 ――ユフィを殺した?

 分からないと呟くスザクに、馬鹿だねとV.V.は笑う。
「そんなの、決まってるじゃない」
 呆然としているスザクへと近づいたV.V.は、その顔を覗き込む。
「彼は、彼なりに彼女を愛していたんだよ。だからこそ、民衆に非難され、その姿を無惨にさらされる前に、彼女を殺してあげたんじゃないか」
 全てはユーフェミアを愛していたからだと。ささやくようにV.V.はスザクの耳元で呟く。
「……あっ」
 昔からルルーシュは、表立って誰かを手伝うことは少ないけれど、影ながらに手伝って、それを誰かに悟らせるようなことはしなかった。言い訳することを好まず、いつだって誤解されることが多いことを、他の誰よりも知っていたはずだった。
「君には本当に、感謝してもしきれないよ、枢木スザク。君が彼を傷つけてくれたお陰で、彼から君に関する記憶を奪うのはとても簡単に終わったんだから」
 地面から放たれた赤い光に包まれながら、悲鳴を上げ、その顔を苦痛に歪ませていたルルーシュ。あれは全て、ルルーシュの中から、枢木スザクという人間の記憶を奪うための作業のひとつだった。
「人の記憶というのは、本当に厄介でね。どうにも思っていない人間に関する記憶を奪うのはとても簡単なのに、愛する人間の記憶を奪うのは、とても難しいんだ」
 思いが強ければ強いほど、記憶を奪われまいとする無意識の抵抗は強い。無理に記憶を奪おうとすれば、自我が崩壊する恐れもあった。
 懇切丁寧にV.V.は説明するが、スザクはそれを大人しく聞いていられるような状態ではなかった。
「V.V.君は、ルルーシュから……っ!」
「奪ったよ。ナナリーと同じぐらいに、否、それ以上に愛していた君に関する記憶を全て、ルルーシュから!」
 ユーフェミアを失ったときとは比べようもないぐらい、体の奥底から怒りがこみ上げる。目の前が怒りで真っ赤に染まっていくのを感じながら、スザクはV.V.へと拳を振り上げた。振り上げた拳はけれど、V.V.に当たることなく、スザクは目に見えない何かによって吹き飛ばされた。
「スザク……っ!」
 それまで黙って成り行きを見守っていたカレンは、岩の壁に激突したスザクへと慌てて駆け寄る。
「スザク、大丈夫!?」
 痛みで呻くスザクを、カレンはゆっくりと抱き起こす。カレンに抱き起こされたスザクは、体の痛みによろめきながらも立ち上がった。
「……V.V.!」
 手に持っていた銃の銃口を、スザクはV.V.へと向ける。銃口を向けられたというのに、余裕の笑みをV.V.は消すことはなかった。
「君は本当に、とことん馬鹿だね。僕らに、人間の兵器は通用しないよ?」
 僕らと、複数形を用いたV.V.に、カレンははっとする。ゼロと――ルルーシュと常に行動を共にしていたC.C.の名前と、目の前にいるV.V.の名前はとても酷似している。何よりその身にまとう雰囲気が、C.C.とV.V.はどことなく似ていた。
「もしかしてあんた、C.C.と何か関係が……?」
「彼女と僕は同じ存在だ。でも、仲間だとは思わないで欲しいな。彼女は前々から狙っていた彼を、僕から奪ったんだから」
 スザクを阻んでいた赤い光の壁などないように、光の中へといとも容易くV.V.は足を踏み入れた。そのまま意識を失っているルルーシュへと近づいたV.V.は、するりと愛おしさを隠すことなく、その頬を撫でる。
「やめろ、V.V.!」
「やめろ? 君がそれを言うの?」
 くすくすと。愉快だと笑いながら。


「理由も訊ねずに、ルルーシュを見限った君が!」





「Pulsatilla cernua」
 騎士皇帝スザルル
 ゼロ・レクイエム前



 傍らに立つ男を、ルルーシュはちらりと横目で盗み見る。
 八年前、留学という名の名目で、人質として送られた日本で出会った、初めての友人。
 ゼロとして黒の騎士団を率いていた際、何度となく作戦の邪魔立てをしてくれた忌々しい敵。
 可愛がっていた異母妹であるユーフェミア・リ・ブリタニアのかつての騎士。
 神聖ブリタニア帝国第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアに自分を売り渡し、ラウンズの地位を手に入れた、裏切り者。
 数日前に神聖ブリタニア帝国第99代皇帝となった自分の、ただひとりの騎士であり、そして数少ない共犯者。
(そして、かつて恋人だった男)
 ズキリと痛んだ胸に、ルルーシュはそっと息を吐き出した。
「陛下?」
 いかがしましたかと問いかけるスザクに、それまで淀みなく定例の報告をしていた側近の男は、ぴたりと口をつぐんだ。変なところで耳聡いスザクに苛立ちながらも、ルルーシュは何でもないとかぶりを振る。
「続けろ」
 止まっていた報告を促せば、スザクの顔色を窺いながらも報告を再開させた側近に、ルルーシュは腹を立てる。何よりも腹立たしいのは、側近の報告に耳を傾けながらも、こちらのことを注意深く観察しているスザクの視線に歓喜している自分自身だった。
 きちんと役目を果たせと。そう告げる視線に、分かっていると胸中で呟きながら、ルルーシュはそっと目蓋を伏せた。
 ただひとり、この身を投げ出してまでも守りたかったはずのナナリーはすでに亡く、生きる理由は失われた。それでもなお生きているのは、明日かほしいから。昨日ではなく、今日でもなく、ましてや未来でもなく、明日が。
 そのために、我が身を世界へ捧げることになろうとも。
(願いはただひとつ)
 そう、ひとつだけ。
 それ以上はもう、望まない。
 望んではいけない。
 例え、胸を焦がすほどに愛していても。
(望む資格も、もうない……)
 傍にいるだけで、満足しなければいけないのに。
「――陛下」
 定例の報告も終わり、今日の指示を命じようとしたその時、別の側近の男が静かに部屋へと入ってきた。一体何事だと視線で問いただせば、玉座の前まで近づき膝を折った側近は、頭を下げたまま口を開く。
「ジェレミア・ゴットバルト辺境伯が、先ほどペンドラゴンへと到着したと伝令が入りました」
「ジェレミアが!?」
 本当かと、それまでの気怠さをまとっていたルルーシュは、歓喜しながら玉座から立ち上がった。
 一ヶ月前、扇たちを始めとする黒の騎士団に裏切られた際に生き別れとなってしまったジェレミア。彼が生きていることは知ってはいたが、連絡を取る手段もなく、そのまま放置する形になってしまったジェレミアのことを、ルルーシュはずっと心配していた。
 メディアを使って神聖ブリタニア帝国第99代皇帝に即位したことを発表したことで、ジェレミアに生きていることと今いる場所を知らせたも同然だった。あとはジェレミアからの接触を心待ちにしていたルルーシュは、本国へと到着したという知らせに大いに喜ぶ。
「ジェレミアを今すぐここへ通せ」
 ジェレミアの到着に心を躍らせながら笑みを浮かべれば、スザクが息を呑んだ気がしたが、気のせいだろうと振り返ることなく、ルルーシュは玉座へと座り直した。





「Little Love」
 17歳スザク×7歳ルルーシュ年の差もの



 世界の三分の一を掌握する神聖ブリタニア帝国。かつては周辺国に怯えるただの一国でしか過ぎなかったブリタニアを、ここまで超大国にのし上げた第98代皇帝シャルル・ジ・ブリタニアには多数の皇妃と、三桁にのぼる皇子皇女たちがいた。
 数多くいる皇子皇女だったが、その中でも周辺各国にその名を知らしめている皇子皇女はごく一握り。
 帝国宰相として、その名を知らぬ者はいないとまで称される第2皇子シュナイゼル・エル・ブリタニア。
 ブリタニアの魔女と戦場では恐れられる第2皇女コーネリア・リ・ブリタニア。
 考古学や芸術においては右に出る者はいないと言われるクロヴィス・ラ・ブリタニア。
 そして――。



 神聖ブリタニア帝国帝都・ペンドラゴン。中心部から円を描くように広がる広大な王宮の一角に、特別派遣嚮導技術部の研究室はあった。通称『特派』と呼ばれる部署は、帝国宰相であるシュナイゼル直属部署。そのため皇帝であるシャルル以外には手出しできないとされる特派の研究室だというのに、小さな影は侵入してきた。
「ロイド!」
 研究室に居合わせた研究者たちは、慣れた様子で誰ひとりとしてその声に振り返らなかった。ただひとり、名前を呼ばれた特別派遣嚮導技術部の主任ロイド・アスプルンド以外は――。
「はいはーい! 何でしょう、ルルーシュ殿下」
 作業の手をとめたロイドは、振り返りながら軽い口調で応じる。それに小さな侵入者――ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアはキッと目をつり上げた。
「ロイド、どういうことだ!?」
「何がでしょうか?」
 はてと、問いかけの意味が分からないロイドは、こてりと首を傾げる。
「ランスロットのことだ! パイロットが決まったというのは本当なのか!?」
 特派が開発した第7世代KMF実験機ランスロット。裏切りの騎士の名を抱くナイトメアフレームには、先日まで専属のパイロットがいなかった。
 ランスロットは、ロイドの嗜好からハイスペックのみを追求して開発されたナイトメアフレーム。そのため機体としては致命的な欠点――操縦者を選ぶ――があった。ランスロットを乗りこなせるほどの技術を持つ人間は、ひとりの例外なくどこかに所属しており、いかにシュナイゼル直属部署とはいえ、他所に所属しているパイロットを引き抜くことはできなかった。
 裏切りの騎士の名を抱きながらも、主が存在しない機体。皮肉な名前だと苦笑をこぼしたのは、ロイドにとっては上司に当たるシュナイゼルだった。
「本当ですよぉ。ようやく見つかったんです! これでようやく、あの人に文句を言われずに済むってもんですよ」
 今にも小躍りしそうな勢いのロイドに、ルルーシュは青ざめる。ランスロットのパイロットが決定した話を聞いたのは、本当に偶然だった。始めは冗談だと思っていたが、嫌な胸騒ぎに慌てて確認をしに来てみれば、でたらめでも冗談でもなく真実だと、ルルーシュは今にもへたり込みそうだった。
「あれ、殿下ぁ?」
 青白い顔色のルルーシュにようやく気づいたロイドは、首を傾げた。
 傾国の美女とも言われる皇妃のひとり、マリアンヌ・ヴィ・ブリタニア。かつてナイトオブラウンズのひとりとして活躍していたマリアンヌが皇妃となれたのは、その美貌で皇帝であるシャルルを陥落したからだと言われている。
 そのマリアンヌ譲りの美貌を持つルルーシュの青白い顔色はとても儚げで、周囲に普通の感覚を持つ人間がいたならば魅入っていたことだろう。残念ながら、変人の巣窟と、宰相であるシュナイゼルにすら言われる特派においては、普通の感覚の持ち主は誰ひとりとしていなかった。
「どうかしましたぁ? あっ、もしかしてお腹空いたとか!? 仕方ありませんねぇ。殿下には特別に、僕の秘蔵のプリンを分けてあげますよぉ」
 ショックで打ちひしがれているルルーシュへと、ロイドは的外れな言葉をかける。それがルルーシュの怒りを煽ることになるとは気づかずに。
「ロイドの馬鹿!」
 目尻に涙を溜め、ルルーシュはキッと目をつり上げながらロイドを睨み付ける。様々な意味を込めて罵倒を浴びせれば、意味が分からないと、ロイドは目を瞬かせながらきょとんとしていた。
「馬鹿って、ひどいじゃないですか、殿下」
「馬鹿に馬鹿って言って、何が悪い!?」
「僕の秘蔵プリンを分けてあげますって言っているのに、馬鹿って言われる意味がそもそも分かりません!」
「だから、それが馬鹿だと言っているんだ!」
 きゃいきゃいと、それまで静かだった特派の研究室が一気に賑やかになる。周囲はすでに慣れた様子で、ルルーシュとロイドの喧嘩を気にするわけでもなく、仕事に専念している。
 特派の研究室において、ふたりのやりとりはすでに日常茶飯事。いつもの光景だ。特に気にするような光景でもなく、多少煩くなったなと思う程度で、研究者たちは仕事に没頭する。
 彼らは知っている。この騒音が長く続かないことを。いつもいつも同じ方法で静かになることを知っている彼らは、常に疑問を抱いていた。特派の主任であるロイドはもとより、ルルーシュもまた高い頭脳を持っている。そんな彼らがなぜ学習しないのかと。
 特派の主任であるロイドは、弱冠二十五歳という若さですでに持っている博士号は五つ。その上、帝国宰相として他国から恐れられているシュナイゼル・エル・ブリタニアに目をかけられ、新たに創設した部署をひとつ任せられた話は、誰の記憶にも新しい。
 与えられた部署――特派によって研究・開発されたのは第7世代KMF実験機ランスロット。現在主流となっているナイトメアは第4世代。大量生産型にランスロットは向かないが、いずれはその性能が実用的なものに切り替えられるのは、遠い話ではないだろう。
 そして、ロイドの喧嘩相手となっているルルーシュ・ヴィ・ブリタニア。その名の通り、ルルーシュは正真正銘の皇族のひとりだ。第11皇子、第17位皇位継承権を持つルルーシュは、その美貌もさることながら、若干七歳という幼さながら、明晰な頭脳には目を瞠るものがあった。それこそシュナイゼルが目にかけているという噂が貴族たちの間に流れるほどに。
 同年代の人よりも一歩も二歩も、もしかしたら五歩ぐらい先を歩いているほどに、今現在幼稚な言い争いをしているふたりは、優れた頭脳を持っている。それなのに毎回会う度に子どものような喧嘩をするふたりに、特派の人間はすでに呆れを通り越して、諦めの境地にいた。





「One Love」
 Little Loveの10年後



「――なんだか、楽しそうだな」
「殿下!?」
 噂をすれば何とやら。いつの間に特派の研究所にいたのか、話題の中心人物だったルルーシュが、ゆったりとした足取りで三人へと近づく。
「いつお戻りに?」
「本当についさっきだ。これから兄上に報告をしに行かなければならないから、あまり長くもいられないが、先にこれを渡しておこうと思ってな」
 何をと、首を傾げたのはロイドだった。
「ほら、ロイド。これはお前にだ」
 手に持っていたなんの変哲もない紙袋を、ルルーシュはロイドへと手渡した。
「なんですか、これは」
「なんだ、いらないのか? お前が以前食べたいとぼやいていたプリンだぞ」
「ま、まさか!?」
 慌てて紙袋を覗いたロイドは、目を輝かせる。
「これって、もしかして、もしかしなくても、例のプリンじゃないですか!?」
 ぱあっと、ロイドは満面の笑みを浮かべる。
「ちょうど最後に赴いたのが、エリア6だったからな。時間もあったから、買いに行かせた」
「殿下、ほんとーにありがとうございます!」
 三十を越えているとは思えないぐらいにはしゃぐロイドに苦笑しつつ、買った甲斐があったなとルルーシュは呟く。ついには鼻歌を歌い出したロイドから、ルルーシュはスザクへと視線を移す。
「お帰りなさい、ルルーシュ」
「ああ。ただいま」
 ふわりと。微笑むルルーシュに、スザクもまた自然と頬が綻ぶ。
 十年――。出会ったときは、まだ七歳と幼かったルルーシュも、今では出会ったときのスザクと同じ年齢の十七歳にまで成長していた。
 幼かった頃は可愛らしかったルルーシュも、成長した今は愛らしさは形を潜め、代わりに誰もが振り返られずにはいられない、端正な顔立ちとなった。母親であるマリアンヌに似た艶やかな黒髪に、真っ赤な唇はぷくりと膨れ、それだけで女性すら羨むというのに、白い肌はいつ見てもきめ細やかで、つい手を伸ばしたくなるほどだった。何より、本物の宝石を思わせる紫水晶(アメジスト)は瞳は、誰もが魅入らずにはいられない輝きすらある。
「俺がいない間に、何か変わったことは起こらなかったか?」
「特派では、特になにも」
「特派ではってことは、それ以外で何かあったんだな?」
「うーん、あったっていうか、なかったっていうか」
「スザク」
 視線をさまよわせ、口籠もるスザクに、視線で何があったとルルーシュは問いただす。
「この前、シュナイゼル殿下と偶然会って」
「兄上と?」
「君とのことを色々と聞かれた」
「それは……」
 思わず、ルルーシュもまた口籠もる。このときばかりは、部下にロイドに手土産を買ってこさせて良かったと、ルルーシュは本気で思った。
 滅多に手に入れられない一日の販売数が決まっているプリンに夢中なロイドと、相も変わらず子どもぽい上司に小言を言っているセシルは、ルルーシュとセシルなど眼中になかった。ふたりが黙りこくってしまったことすら、気づいている様子はない。
「……何を聞かれた?」
 意を決したように、重くなった口をルルーシュはようやく開いた。
「君のことをどう思ってるとか、特派での様子だとか。あと、あまり君に無茶を強いないようにとか、その、色々……」
 顔を赤くさせながら、スザクは口籠もる。それに、頭が痛いとルルーシュは額に手を当てながら、苦々しげに顔を歪めた。
「分かった。それ以上はなにも言うな」
「はい」
「兄上には俺が文句を言っておく。――ロイド」
 苛立ちもあらわに言い放ったルルーシュは、セシルからの小言を受け流しがら、ひとりプリンを頬張っているロイドへと声を掛ける。
「はあい?」
「特派が兄上直轄部署でなくなると、困ることはあるか?」
「うーん、そうですね。強いて言えば、予算と実験場ぐらいですかね?」
 シュナイゼル直轄部署とあって、潤沢に予算を配分されている今、その予算がなくなるのは非常に辛い。何より、軍組織に属していない特派は、シュナイゼルの権力を笠にとって、何とか実験場を借り受けることができていた。それがなくなると辛いと、ロイドはこぼす。
「なら、予算と実験場の問題がクリアーされれば、兄上の直轄部署でなくなっても問題はないな?」
「まあ、そうですね。殿下、何を企んでいるんです?」
 にやりと笑うルルーシュに、プリンを食べることをやめずにロイドは訊ねる。
「兄上から特派をぶんどる。文句はないな?」
「はあ、まあ良いですけど。本気ですか?」
 相手は帝国宰相であるシュナイゼルだ。元々特派は、ロイドに壊れたからとはいえ、シュナイゼルの気まぐれもあって作られた部署だ。それでもきちんと実績は出している。気まぐれで作った組織とはいえ、きちんとした実績を出している特派をシュナイゼルが手放すとは到底思えなかった。まさかシュナイゼルと敵対でもするつもりかと、ロイドは警戒する。
「本気だ。安心しろ、兄上には十年前に許可はもらっている」
「おや、まあ」
 ちらりとルルーシュからスザクへと視線を移したロイドは、意味深ににやりと笑う。
「頑張って下さい〜。応援してますよ」
「情報源はお前か?」
 まさかとは思うがと言い添えながら、ルルーシュは訊ねる。
「まっさか。僕があの人に殿下の情報を売るはずがないでしょう。そもそも可愛がっているあなたのことに、あの人が気づかないはずがないじゃないですか」
 不本意だと、ルルーシュは顔を歪める。
 非常に不本意ながら、シュナイゼルから可愛がられている自覚がルルーシュにはあった。本気で迷惑だと時に思うが、それで助かっていることもあるので、大っぴらに文句も言えない。
「まあ、愛情表現がちょっと歪んでますけど、殿下の幸せを壊すような人じゃないですよ」
「あれがちょっとか?」
「えー?」
 首を傾げるロイドに、訊ねた相手を間違えたと、ルルーシュは忌々しげに舌打ちした。





「鎮魂歌」
 ゼロ・レクイエム前後
 もしもルルーシュが生き残ったらIF設定



 悪逆非道の限りを尽くした神聖ブリタニア帝国第99代皇帝ルルーシュ・ヴィ・ブリタニアは、二度の死を迎えてもなお蘇った『ゼロ』によって、民衆の目の前でその胸を貫かれて息絶えた。
 何も知らず、悪政から解放されたと喜ぶ民衆は、歓喜の声を上げる。そんな中、囚われていたナナリーを始めとするルルーシュに敵対していた人々が、民衆の手によって次々と解放されていく。解放された人々は、皆一様にその表情を曇らせながらも、それでも気丈に振る舞いながらそれぞれの役目をこなす。ただひとり、兄であるルルーシュを目の前で失ったナナリーだけは違った。
 ただひたすら泣きじゃくり、人々の憎しみを一身に背負ったルルーシュへと、ナナリーは縋り付く。周囲がどれほど声をかけようとも決して離れまいとするナナリーをこれ以上民衆の目にさらせないと、ルルーシュの亡骸と共に黒の騎士団の残党が本拠地にしていた場所へと移された。
「――ナナリーっ」
 すでに冷たくなってしまったルルーシュから決して離れまいと縋り付くナナリーに、コーネリアがそっと声をかける。ぴくりとも動かずに、血に濡れたルルーシュの服をぎゅっと握りしめるナナリーに、コーネリアはかける言葉を見つけられなかった。
 悪逆非道の限りを尽くし、権力に溺れた男がひとり死んだ。民衆たちと同じようにそう思えたら、ここまでナナリーは悲しみはしなかっただろう。
 父であるシャルルを殺害し、皇帝の地位を手に入れ、全世界を手中に収めたルルーシュは悪逆皇帝と呼ばれるほどにその憎しみを一身に受けた。誰もが――ルルーシュを知っている人間でさえ信じた。
 権力を手に入れ、その力に溺れたのだと。優しかった頃の記憶をも忘れ。
 それがルルーシュの策略だとは、誰も気づかなかった。『ゼロ』であったはずのルルーシュの目の前に、『ゼロ』が現れるまでは。そうして、もうひとりの『ゼロ』の正体に気づいた瞬間、どうしてルルーシュが愚かな真似をしたのか、その正体を知っていた者は否応なく気づかされる。
 全ては、世界のためであったのだと。
 これ以上兄であるルルーシュに罪を重ねてほしくなくて、両手が血で汚れることになってもとめようとしたナナリーにとって、それはあまりにも残酷な真実だった。離れていた一年の間に変わってしまったと思っていた兄は、昔と何ひとつ変わらずにいた。それをどうして信じられなかったのだと、ナナリーは後悔を抱く。
 徐々に冷たくなっていく亡骸に、いまだ亡くなったことをナナリーは信じられずにいた。亡骸はすでに生きているとは思えないほどに冷たいけれど、浮かんでいる表情はまるで生きているかのように満足そうに微笑んでいた。きっと今すぐにでも目覚めてくれると、ナナリーは藁にも縋る思いで信じていた。
 亡くなったのは嘘だと。きっとこれは、ルルーシュの大がかりな嘘だと、死を受け入れきれずに縋るナナリーに誰もがその傍で立ちつくしていれば、小さな足音をたてて誰かが部屋へと入ってきた。
 誰かが鋭く息を呑み込んだ音に、のろのろと顔を上げたナナリーは目を瞠る。どうしてここにいるのだと。この場所にいて良いはずのない人物の登場に、それまで感じられなかった生気をナナリーは取り戻す。
 怒りに、憎しみに満ちた眼差しで、ルルーシュを殺害した『ゼロ』をナナリーは睨み付ける。
「どうして……っ!?」
 足が動いていたなら、今すぐにも詰め寄る勢いでナナリーは『ゼロ』へと問いただす。
「どうして止めて下さらなかったのですか!? どうして…っ」
 ルルーシュが企てた計画に協力したのなら、始まりの時点でいくらだってとめられたはずだ。それなのに計画をとめるどころか、その計画になぜ荷担したのかと。涙をこぼしながら、ナナリーは『ゼロ』へと噛みつくように問いただす。
『それが、彼の望みだったからです』
「だから殺したというのですか、お兄様を!」
 一挙一動を見逃さまいとナナリーは『ゼロ』を凝視する。ルルーシュの願いゆえに、その計画に協力したなど信じたくなかった。だからこそ、違うのだと否定してほしかった。
『ええ、そうです』
「……なぜっ。どうしてですかっ!? お兄様を愛していたんではないんですか……っ!?」
 その雰囲気から、ふたりが互いに愛し合っていたことにナナリーはすぐに気づいた。再会して間もなく、ふたりが付き合いだしたことにも。どちらも打ち明けてはくれなかったことを当時は酷く寂しく思ったけれど、今ならそれがふたりなりの気遣いだったのだと分かる。
 秘密を共有できなかったことは悲しかったけれど、互いに愛しているのだと分かるぐらいに幸せな気持ちになれるふたりの仲睦まじい雰囲気が、ナナリーは好きだった。同時に疎外感も味わったけれど、ルルーシュが本当に幸せそうで、そんなことはすぐに忘れてしまった。
 愛していたと、せめてその言葉だけでも聞きたかったのに、何も答えようとはしない『ゼロ』に、それまで堪えていた感情が噴き出す。
「……人殺しっ」
 塞き止めていたはずのものが崩壊した途端、ドロドロとした醜い感情がナナリーの胸に渦巻く。全ての責任が『ゼロ』にあるとは思ってはいない。むしろ責任があるとすれば、それは自分たちが負うべき代物だと理性では分かっているのに、感情がそれについていかない。
「返してっ! お兄様を、返して!!」
 喉が張り裂けそうな絶叫を上げるナナリーに、誰もが目を背ける。ただひとり、泣きじゃくるナナリーから目をそらすことなく、あらん限りの罵倒を『ゼロ』だけは黙って聞いていた。