■現世の食べ物




「ちよこれいと?」
「チョコレートだよ、じいさん」
 妙に良い発音で、鶴丸国永は訂正する。
「うむ。妙な物体だ」
 皿に載った黒っぽい塊を指でツンツンと突きながら、三日月は見慣れぬ品であるチョコレートを四方から眺める。
「で、これはなんなのだ?」
 散々眺め倒して飽きたのか、顔を上げた三日月は小首を傾げながら尋ねる。
「菓子だ。菓子。短刀たちの今一番のブームというやつだ」
「ぶーむ?」
「人気という意味だ」
 なるほどと、三日月はひとり頷く。
「鶴は随分と難しい言葉を知っているのだな」
「主から貸してもらった本を読んで学んだ。色々と面白いぞ」
 主である審神者の書斎の本棚には、大量の本が所蔵されている。絵本からはじまり、医学書などといった専門の書籍に至るまで、ジャンルは様々だ。汚しさえしなければ好きなときに好きなように読んでもいいと刀剣たちの書斎への出入りは許可されていた。
 暇さえあれば書物を読みあさっていたこともあって、刀剣の中では新参者扱いでありながら瞬く間に鶴丸は現代知識を吸収していった。いまでは刀剣の誰よりも現代の言葉はもちろん、食べ物にも精通していた。
「なるほど。今度それを俺にも貸せ」
「了解した」
 新しいもの好きな三日月に、鶴丸はにやりと笑いながら頷く。
「それで菓子ということは、これは甘いのか?」
 見る限り目の前にある菓子はとても甘そうには見えない。それどころか、おいしそうにも見えないと三日月は眉を寄せる。
「これは甘いぞ」
「これは?」
「甘くないチョコレートもあるらしい。俺はまだ食ったことがないが」
「ほう」
 興味が湧いたと目を輝かせる三日月に、悪戯でも思いついたのか鶴丸はチャシャ猫のように笑う。
「知っているか、三日月」
「なんだ、鶴」
「チョコレートには興奮作用があるらしいぞ」
 きょとりと不思議そうに三日月は目を瞬かせる。
「それは、子どもたちが食べても平気なのか?」
 まだ体が未熟な子どもたちには、興奮作用が時に毒にもなり得る。年齢はともかく、子どもの体を持つ短刀たちにそんなものを食べさせても良いものかと問う三日月に、鶴丸はからからと楽しげに笑う。
「少量なら問題はないそうだ。それに、問題があるものをあの主が短刀たちに食べさせるものか」
 過保護なまでに短刀たちを大切にしている審神者の性格を思い出した三日月は、それもそうだなとあっさりと納得した。それこそ遊びで擦り傷を作っただけで慌てふためくあの審神者が、毒になるようなものを食べさせるはずもなかった。
「慣れない内は少量でも興奮することもあるらしいが」
「おい」
 前言撤回。やはり問題があるのかと三日月は目を釣り上げる。
「なに。単に興奮するだけだ。だから昔は、チョコレートは媚薬に用いられていたという話だ」
「媚薬……」
 今は違うとはいえ、昔は媚薬として用いられたものを幼い短刀たちに食べさせるのはいかがなものかと顔をしかめる三日月に、鶴丸はにやにやと笑う。
「そんなに心配しなくてもいいって言っているだろう。今のところ、問題行動を起こした奴はいないしな」
「鶴や。なにがそんなにも楽しいのだ?」
 いまだ心配は残るものの、何度か食べて平気ならば無駄な心配をする必要もなさそうだった。無駄に不安を煽り、どこか楽しげな鶴丸に対して、三日月の警戒心が頭をもたげる。
「言っただろう。昔は媚薬に用いられたこともあるってな」
「鶴」
 無駄話はいいと、じろりと睨み付ければ、降参だというように鶴丸は手のひらを見せながら両手を上げた。
「確か小狐丸もチョコレートは今回が初めてだろう? 興奮したあいつってどうなるんだろうな?」
 ひどく楽しげに問う鶴丸に、三日月は目をまん丸にする。
「動物は特に興奮するって話だぜ」
 くつくつと喉を鳴らしながら笑う鶴丸に、三日月は小さく舌打ちする。
「おや。天下五剣のひとつ、三日月宗近ともあろうものが」
「ひとつ、感謝はしてやる」
「それは光栄だ」
 楽しげに笑う鶴丸を、三日月は忌々しげに睨み付けた。








 本日、内番のひとつである畑仕事をしていた小狐丸は、おやつの時間だと休憩を取るべく手を洗い、食堂へと向かう途中、無言の三日月に腕を引かれた。
「兄上?」
 どうしたのですかと。ひどく真剣な面持ちをした三日月へと問いながら、小狐丸は抵抗ひとつせずに腕を引かれるがままに付いて歩く。
 いつもならばおやつの時間を誰よりも楽しみにしているはずの三日月の普段とはどこか違う様子に、一体なにごとかと小狐丸は不安になる。なにか問題でもあったのか。それにしては、他の刀剣たちの様子は普段と変わりない。
「兄上……?」
 無言のままの三日月に少しずつ不安を増しながら付いて歩けば、たどり着いた先は三日月の自室だった。開け放った障子をピタリと閉じたかと思えば、いきなり勢いよく抱きつかれた。
「兄上、どうされたのですか?」
 ぎゅうっと抱きついたままの三日月に、その背をやさしく撫でながらなにがあったのだと小狐丸は問いかける。
「今日の菓子だが」
「はい」
「俺の前以外では絶対に口にするな」
「……はい?」
 一体なんのことだと戸惑う小狐丸に、その胸に埋めていた顔を三日月は上げる。
「今日の菓子はちよこれいとなのだが、昔は媚薬として使われていたこともあったそうだ」
「それは……」
 そんなものを菓子として食べていいものなのかと、小狐丸は眉間に皺を寄せる。
「鶴が言うには、昔の話だそうだ。が、そんなものをお前が他の奴の前で食うのは許せん」
 情報源を聞いた小狐丸は思わず頭痛を覚えたが、三日月の不安そうな態度にようやく納得がいった。無駄な知識ばかりを持っている鶴丸に、また余計なことをと腹を立てながらも、こうして嫉妬されるのも案外悪くないと機嫌は良かった。
 そのちよこれいとという品を三日月の前以外では食べない約束をしただけで、その不安を取り除けるならば容易いことと小狐丸はからりと笑う。
「兄上がそれで安心するのであれば、兄上の前以外では食べないといくらでも約束します。ただ、代わりに」
 一度言葉を切った小狐丸に、三日月は小首を傾げる。
「兄上も私の前以外では、そのちよこれいとなるものを食べないでくださいね」
 昔の話とはいえ、媚薬として出回ったと聞いて気が気ではいられない。特にその話題を振ってきた鶴丸の前で三日月が食べるなど、言語道断。あの鋭い眼差しで鶴丸が三日月を隙あらば狙おうとしていることは、三日月以外は誰もが知るところだ。
「あい、分かった。では、ふたりっきりのときに食べようか」
 くすりと。どこか妖しげに三日月は笑う。
 一瞬目を瞠った小狐丸はその真意を悟ると、耳元に唇を寄せながら甘くささやいた。
「食べさせてくれますか?」
「お主も俺に食べさせてくれるなら」
 目を合わせたふたりは、艶やかに笑いながらどちらともなく唇を合わせた。




#小狐三日版深夜の真剣60分一本勝負
お題・『現世の食べ物』:チョコレート