■ライバル
久方ぶりにブルーが目覚めたという報は、多くのミュウたちを歓喜させた。そのひとりであるジョミーは、仕事を放り投げて青の間へと急行する。このときばかりは誰ひとりとしてジョミーを叱責することなく、仕方がないとばかりに目を瞑った。
「ブルーっ!」
テレポートで慌てて青の間へと移動したジョミーは、普段はベッドへと横たわっているはずのブルーが躰を起こしていることに目を瞠る。目覚めたという報が届く前に、ふわりとシャングリラを包み込んだ温かな気配に、ジョミーは予感を抱いていた。すでに限界に近かったブルーは、生命を維持するために深い眠りにつくしかなかった。長い時間を目覚めることなく昏々と眠り続けていたブルーの目覚めの気配を感じたときから抱いていた想いが、堰を切ったように爆発する。
「……ブルー、ブルー、ブルーっ」
わんわんと子どものように泣きながら、ジョミーはブルーへと駆け寄る。ベッドの端に顔を埋めながら泣くジョミーに苦笑をもらしながらも、ブルーは優しげに揺れる金色の髪を撫でた。
「立派にソルジャーとしての努めを果たしていると聞いたのに、泣き虫なのは相変わらずのようだね」
目覚めてすぐに、ブルーはハーレイへとジョミーのことを訊ねていた。ソルジャーとしての努めをきちんと果たせているのか、何より初めの頃は馴染めずにいたミュウとしての生活はどうなっているのか。今では立派にソルジャーとしての努めを果たし、ミュウを導いていますというハーレイの言葉を聞いて安心しつつも、どこか寂しく思っていたブルーは、変わらないジョミーの姿に少しだけ嬉しくなる。
「だって、ブルーっ!」
昏々と眠り続けるブルーに、ジョミーは返事がないと分かっていても、常に語りかけていた。いつか再び目覚める日を夢見ながら。ようやく目覚めたブルーを笑顔で迎えようと思っていたのに、いざ目覚めたブルーと対面すれば、笑顔ではなく涙ばかりが次々と溢れてくる。とめようにもとまらない涙を流しながら、ずっと待っていたブルーのルビーのような真っ赤な眸をジョミーは見上げた。
「もう泣かないで、ジョミー。僕に君の笑った顔を見せておくれ」
頬に流れる涙を指先で拭いながら、ブルーはジョミーの額へと口づける。ぐずりと鼻を啜ってはいるが、ようやくとまった涙に、ブルーはジョミーへとおいでと良いながら両手を広げた。顔を真っ赤にしたジョミーはわずかにためらいながらも、ブルーの腕の中へと飛び込む。そのまま胸へと顔を埋めてしまったジョミーに、ブルーは楽しげにくすくすと笑う。
「ジョミー、それだと君の顔が見られないよ」
「……恥ずかしいから、しばらく待って下さい」
耳まで真っ赤にさせながら、くぐもった声でジョミーは告げる。思わぬ言葉にブルーは虚を突かれつつ、楽しげに笑った。
一方、その頃のトォニィを始めとするナスカの子たちは、常にないジョミーの様子に、大人たちが辟易するほどに騒いでいた。
「大変だ、グラン・パが泣いてる! どうしようっ!?」
「本当だ! グラン・パが泣いてるっ」
どうしようと騒ぐナスカの子たちを宥めながら、大人たちは事情を説明する。
「お前たち、ソルジャーは大丈夫だから落ち着きなさい」
「でも、グラン・パが泣いてるんだよ!」
常に笑顔で優しいジョミーが泣いているなど異常事態だと、子どもたちは恐慌状態に陥っていた。何かあったのだと、助けに行かなければと騒ぐ子どもたちに、慌てるのは大人たちだ。
「待ちなさい! ソルジャーが泣いているのは悲しいからではなくて、嬉しいからだ」
「嬉しい? グラン・パは何がそんなに嬉しいの?」
「以前ソルジャー・シンに連れられて、ソルジャー・ブルーを一度だけお前たちも見たことがあるはずだ」
覚えているかと訊ねられて、ナスカの子たちは一様に頷いた。
ナスカで生まれ落ちた、自然分娩で生まれたミュウの子どもたち。眠るブルーに届かないと分かってはいるけれど、以前一度だけジョミーはナスカの子をブルーへと紹介したことがあった。その時にナスカの子たちもまた、ブルーを見た。静かに眠る白銀の美しい人。穏やかな気配をまといつつ、目覚めないその人を見つめるジョミーはとても悲しげで、ナスカの子たちにとって忘れられない記憶となった。
ジョミーが明るく照らす太陽ならば、ブルーは夜をほのかに照らす月のように対極の存在。綺麗な人という印象はあったけれど、なぜか眠っているその人のジョミーを取られそうな気がして、ナスカの子たち――特にトォニィは、ブルーに対して良い印象を抱いていなかった。
「あの方がようやく目覚めたんだよ。ソルジャー・シンはずっとソルジャー・ブルーの目覚めを待っていたからな。嬉しさのあまり泣いてしまったんだろう」
ジョミーらしいと、ぽつりと呟いたその一言に、トォニィは苛立った。それが嫉妬だとは気づかずに、わけの分からない感情に癇癪を起こす。他の子たちもまた、トォニィにつられて癇癪を起こし始める。
「こら、トォニィ!」
急に癇癪を起こし始めたトォニィに、大人たちは慌てる。何がそんなに気にくわないのか、サイオンを暴走させるトォニィたちに大人たちは手を焼いた。
「グラン・パに会わせて!」
「今は無理だ、トォニィっ」
「嫌! グラン・パに会わせて! 会わせてったら、会わせて!」
泣きながら駄々をこねるトォニィの常にない癇癪に、大人たちが根負けするのはすぐのことだった。
誰にも邪魔されることなく、ふたりっきりで穏やかに甘い時間を過ごしていれば、珍しくもリオが思念波を飛ばしてきた。
『すみません、ジョミー。邪魔をするつもりはなかったのですが……』
『何かあったの?』
どこか苦々しげなリオに、何かあったのかとジョミーは首を傾げる。切迫した雰囲気ではなく、緊急事態ではなさそうだ。何かあったことは確かだが、言いにくそうにしているリオに、ジョミーは何があったのかと戸惑う。
『トォニィが泣いて暴れながら、ジョミーに会わせろと。カリナの言葉さえ届かない状況のようで……』
『分かった。すぐにそっちに向かうよ』
母親であるカリナ以上に、トォニィはジョミーが大好きであることは誰もが知るところだ。我が子の一番が自分ではないことにカリナは嫉妬するところか、ジョミーなら仕方がないと思われている辺り、カリナとトォニィは似たもの親子かもしれない。
強いサイオンを持ちながら生まれたトォニィをとめることができるのは、今のところジョミーを始め長老など数名だけだ。最早泣いて暴れ、カリナの言葉さえ届かないとなれば、トォニィをとめられるのはジョミーただひとりだけだった。今日だけは邪魔をしたくなかったと暗に告げるリオの心遣いに感謝しながら、ジョミーはブルーへと視線を戻す。
「何かあったのかい?」
「子どもが生まれたことは話しましたよね? そのひとりであるトォニィがぼくに会いたいと泣いて暴れて、とめようがないらしいんです。少し行ってきますね」
テレポートで飛び立とうとしたジョミーを、ブルーは腕をつかんで引き留めた。
「ブルー……?」
「ここにその子を連れてくると良い」
「でもっ」
「ぜひともその子に会ってみたいんだ。ねっ、ジョミー」
いずれトォニィたちと引き合わせるつもりだったとはいえ、ブルーは目覚めたばかりだ。また後日にした方が良いと言おうとしたジョミーだったが、ブルーの強引なまでの気に押されて、仕方なく頷くしかなかった。リオにトォニィを青の間へと連れてくるように伝えれば、ブルーはジョミーを強引に引き寄せると、その躰を抱きしめる。
「ブルー、どうしたんですか?」
「長く眠っているものではないね。まさかライバルが登場しているなんて思わなかったよ」
「ライバル、ですか……?」
「僕から君を奪おうとするライバルかな?」
くすくすと楽しげに笑うブルーに、まさかとジョミーはようやく気づく。
「トォニィのことを言っているんでしたら、勘違いですからね! あの子はまだ3歳にもなっていないんですよ!! それにトォニィはただ僕のことを慕っているだけで、あなたのライバルなんてっ」
「ジョミー、子どもを舐めていたら駄目だよ。子どもはすぐに成長して大人になる。子どもだからって、君に対する感情が恋ではないなんて誰が言える?」
「そんな……っ」
会ったことのない、しかも子ども相手に何を言っているのかとジョミーは憤慨する。ジョミーにとってトォニィは大切な子どもたちだ。少々悪さが過ぎる時もあるが、自分を慕っている子どもたちのひとりであるトォニィに対して敵意剥き出しにするブルーを、ジョミーは睨み付ける。
「あの子の何を知って、そんなことを言うんですか、ブルー」
「確かに何も知らないけれど、その子は確実に僕のライバルだよ、ジョミー。信じたくない気持ちは分かるけど、その子は君に対して盲目なまでに恋をしている」
「!?」
「ジョミー、その子は君のために生まれた子だ。君なくしては生まれ落ちなった命。君に恋するのは、自然の摂理というものだよ」
「そんな……っ」
「例え誰であろうとも、君を譲るつもりはない。大人げないと言われても、君を奪う可能性を秘めているのなら、僕は一歩も引かないよ」
「ブルーっ!」
真剣な眼差しをしたブルーに、本気なのだと窺い知れる。ふたりを会わせるべきではないと即座に判断したジョミーは、リオへと思念波を飛ばそうとした。
「無駄だよ、ジョミー。もうそこまで来てる」
はっと気づいたジョミーが振り返ったときには、青の間の扉がスッと音もなく開いた。
「グラン・パ!」
大人たちの合間を縫って飛び出してきた小さな躰は、ジョミー目掛けて飛びつこうとした。けれど、トォニィは途中でぴたりとその動きをとめる。大きな眸がこぼれ落ちそうなほどに目を見開いたトォニィは、ジョミーを抱きしめているブルーを悔しげに睨み付けた。それを余裕な表情で受け止めたブルーは、さらにジョミーを引き寄せる。
「お前、グラン・パから離れろ!」
大好きなジョミーを独り占めするブルーに、トォニィは敵意剥き出しにする。
「嫌だと言ったら?」
余裕綽々な面持ちでブルーが問いかければ、淡い光がトォニィを包む。
「トォニィ、やめろ!」
サイオンを使おうとしているトォニィに、とっさにジョミーは駆け寄ってとめようとする。それより先に、サイオンが発動する直前に、ぺしゃりとトォニィは地面へと倒れ込んだ。何が起こったのか分からずにきょとんとしていたトォニィだったが、倒れたのだと気づいてすぐに、大声を上げて泣き出した。思わぬその光景にジョミーだけではなく、トォニィを連れてきたハーレイとリオのふたりも呆然とする。ただひとり、ブルーだけは肩をすくめた。
「強いサイオンを持っていたとしても、まだまだ子どもだね。僕の敵ではないようだ」
その言葉で、トォニィの力をねじ伏せて転ばせたのはブルーなのだとジョミーは知る。
「ブルー、あなたはなんてことをっ!」
「先に仕掛けたのはその子だよ。僕はただ、現実の不条理を教えてあげただけだ」
「なんて大人げないっ!」
吐き捨てるように言うと、慌ててベッドから飛び降りたジョミーはトォニィへと駆け寄った。
「大丈夫か、トォニィ?」
「グラン・パっ」
幼いその躰を抱き起こして怪我がないことを確認してから、ジョミーはその躰をそっと抱きしめた。ひしりと力強く抱きしめ返してきたジョミーの背中を優しく撫でながら、ジョミーはブルーへと冷ややかな眼差しを向ける。
「ブルー、あなたはもういい大人なんですから、少しは手加減してくださいっ!」
「流石に三百年も生きていると耄碌し始めたみたいで、力のコントロールが難しいな」
ジョミーから目をそらしたブルーは、ぽつりと呟く。あからさまな言い訳にジョミーが嘆息する傍らで、ブルーとトォニィが熾烈な視線のやりとりを繰り広げていた。何も気づかないジョミーに代わり、ハーレイとリオのふたりは、これから到来するであろうブルーとトォニィの熾烈な争いに、深々とため息をつくしかなかった。
『やはりトォニィの想いに、ジョミーだけ気づいていなかったようですね』
「言うな、リオ」
そっと胃の辺りを抑えながら、これからの悪夢の日々にハーレイは思いを馳せた。