■Sweet and sour











 目覚めれば、目の前に金色の世界が広がっていた。見慣れない広がる景色に、ブルーは慌てて眠りに就く前の記憶を思い起こす。記憶が確かなら、いつも通り自室でもある青の間のベッドに眠りに就いている。誰かが眠っている間に、別の部屋へと移動させたのかともブルーは考えたが、即座に否定した。
 以前、体力の限界で度々気を失っては青の間へと運ばれたことが度々あった。青の間は自分のために作られたゆっくりと、そして静かに体力を回復しながら眠られるように作られた聖域だ。そんな場所から他の部屋へと移動させる理由はない。ならば、目の前に広がる金色はなんだと、躰を起こして確かめようとしたとき、目の前のそれがわずかに動いた。
 金色の正体がなんなのか。それにようやく気づいたブルーは、くすくすと楽しげに笑いながらベッドから上半身だけを起こした。
「ジョミー」
 愛おしさを隠すことなく、隣で眠っている愛し子をブルーは優しい眼差しで見下ろす。なぜ隣でジョミーが寝ているのか、その理由は分からない。戸惑いつつも、喜びが勝ったブルーは、すぐに理由を考えることを放棄した。
 目覚めてすぐに目にするのが愛し子だということが、こんなにも幸せなことなのだとブルーは生まれて初めて知った。三百年以上も長い時を生きてきたが、まだまだ知らないことがたくさんあるのだと、ブルーは嬉しそうに笑う。
 そうっと手を伸ばしたブルーは、ジョミーの額にかかる金色の髪をすくうように指先でかきあげる。いまだ幼さを残すジョミーの寝顔は小田屋かで、それだけで胸がほんわかと温かくなっていく。
 ミュウの長として人間たちと戦いながら、ブルーはずっと待ち続けた。太く短い人間の生命力と、細く長く、細やかなミュウの精神力を持つ、そんな子の誕生を。長い長い時を待って、ようやく産まれた愛し子。
 探して、探して、ようやく見つけた金色の髪のように眩しく光る赤子は、ブルーが長年探し続けてきた存在そのものだった。焦がれ続けてきた赤子が幼子へと成長していく過程をずっと遠くから見守り続けてきたブルーは、気がつけば恋に落ちていた。さらうように、すぐにでも愛し子を手に入れたかった。ミュウとして覚醒していない愛し子を養父母の元から引き離すことはできず、ブルーは時がくるのをひたすら待った。
 その時が来るのを待っていたとき、三百年以上の時を生きた以上に長く感じられた。待って、待って、ようやく訪れた成人検査の日をどれほど歓迎したことか。人間ではなく、ミュウであることを自覚してもらうために一度は手放すしかなかった、ようやく手に入れた愛し子。
 真っ先にリオに懐いたときには、悔しさと苛立ち、そしてわけの分からない感情に苦しんだ。今でもリオに懐いているが、以前とは違い敵意剥き出しの感情ではなく、好きだと、愛していると同じ気持ちを返してくれるようになった。
 好きだと、愛しているという感情を、ジョミーが初めて向けてくれた日のことを思い出したブルーは、ひとりくすくすと笑う。嫌いだとそう思っていた相手を、いつの間にか好きになっていたと自覚した瞬間のジョミーは酷く混乱していた。ただでさえ上手くコントロールできない思念波を、周囲にまき散らしてしまうほどに。
 リオ、リオと、必死に唯一心を許せる相手の名前を呼ぶジョミーはあまりにも悲惨で、偶然思念波を受信してしまった者たちはただ慌てふためくしかなかった。それまでジョミーを毛嫌いしていたミュウたちでさえ、今すぐ慰めに行かなければと思ってしまったほどの悲惨振りだった。
 偶然にもその日目覚めていたブルーもまた、ジョミーの思念波を拾い上げた。てっきり嫌われていたとばかり思っていただけに、突然の朗報はブルーを酷く驚かせた。
 嬉しいと、今にも蕩けるような甘い笑みを浮かべたブルー。目覚めたばかりのブルーへと、眠っていた間に起こった出来事を報告していたハーレイは、不運にもそれを目撃してしまった。
 今すぐにでも飛び出しそうなブルーを、ハーレイはとっさに押し止めた。邪魔をするなと鋭い眼差しでブルーに睨み付けられたときには一瞬怯んだが、長い付き合いであるハーレーがそれで引き下がるはずがなかった。
 ただでさえ混乱しているジョミーを、さらに混乱させるつもりですか、と。厳かな口調のハーレイに、ブルーは大人しくベッドへと戻るしかなかった。
 そうして翌日。リオに伴われながら現れたジョミーを、ブルーは笑顔で出迎えた。ジョミーがリオの背中へとすぐに隠れてしまったことはいただけなかったが、すぐにそんなことはどうでも良くなった。
 ソルジャー・ブルー、と。耳まで赤く染めながら、怖ず怖ずと自分の名前を呼ぶジョミーがあまりにも可愛らしくて。両手を広げながらおいでと誘えば、ためらいながらも近寄ってきたジョミーを、ブルーは少々強引に抱きしめた。
 腕の中、上目遣いで自分を窺うジョミーのあまりの可愛らしさに、このときブルーはリオの存在をすっかり失念していた。あのときの自分は愚かでしかないと、今思い出しても、あのときの失態を悔やまずにはいられない。
 愛おしい存在のあまりの可愛らしさに、周囲のことなど忘れてキスをしようと唇を近づければ、それまで腕の中にいたジョミーを何者かの手によってさらわれた。それがリオだと気づいたときには、時すでに遅く――。鬼の形相をしたリオによって、声をかける暇もなくジョミーは連れ去られてしまった。
 以後、何度となくジョミーと接触する機会があったが、側にリオがいない日はなかった。想いが通じ合ったというのに、いまだキスひとつすらできない状態に苛立ち始めたブルーの目の前には、無防備なジョミーがひとりっきり。
 これは何かの罠かとブルーは周囲を探ってみるが、どこにもリオの姿はない。リオの姿もなく、無防備にジョミーが寝ているのが悪いと勝手に結論づけたブルーの行動は早かった。
 赤く色づいた唇に誘われるように、ブルーはそっと唇を重ねた。想像以上に甘い唇に、誘惑に打ち勝てるはずもなく、薄く開いている唇へと舌を差し込んだブルーは、ジョミーの小さな舌を絡め取る。
「んっ……」
 苦しいのか、無意識に酸素を求めるジョミーに小さく笑いながら、ブルーはさらに深く口づける。ブルーと、どこか不安そうに思念派を飛ばしたジョミーに、ブルーはようやく唇を離した。
「おはよう、ジョミー」
 いまだ苦しそうに酸素を求めて喘いでいるジョミーへと爽やかな笑みを向ければ、恨めしそうに上目遣いで睨み付けられた。
「ブルー……っ」
 何度となく唇を重ねたことによってさらに赤く色づき、ぷっくらと腫れた唇に、苦しさで涙が滲んだ瞳で睨み付けられても、ブルーは痛くも痒くもなかった。むしろ欲情を誘われて、それを押し隠すのに酷く苦労した。
「目が覚めたら隣のジョミーがいて驚いたよ。今日はまたどうしたんだい、ジョミー?」
「それは……っ」
「それは?」
 口籠もるジョミーに先を促せば、一瞬で耳まで赤く染まった。内心面白いとも思ったがそれを表情に出すことなく、ブルーはさあと続きを促した。
「…………ブルーが今日、起きるような気がして……」
「うん」
「いつもキャプテンやリオが、ぼくより先にブルーにおはようって言っているから……」
 これ以上は無理と、ギュッと目を瞑ったジョミーに、ブルーは目を瞠る。つまり誰よりも先に自分へとおはようと言いたかったために待っていたと。思わぬ言葉に、ブルーは顔をほころばす。
 起きるのを待っていて、待つのに飽きたのかそれとも疲れたのか、ほんの少しだけ隣で横になったまでは良かったが、そのまま眠ってしまったのだろうと当たりを付けたブルーは、ジョミーの記憶を探れば予想通りだった。くすくすと笑いながら、ブルーはそっとジョミーの髪を梳く。
「ジョミー、おはよう」
 顔を背けたまま返事をしてくれないジョミーに焦れることなく、ブルーはおはようと繰り返す。ただでさえ赤い顔がさらに赤くなっていく様子を楽しく眺めていれば、小さく、か細い声が聞こえてきた。
「ジョミー、良く聞こえなかったよ。だからね、もう一度言って」
 甘く、囁くように促せば、閉じていた眸を恐る恐るジョミーは開く。不安で揺れるジョミーへと安心させるよう微笑めば、意を決したのか、ようやく口を開いた。
「おはようございます、ブルー」
 羞恥を感じながらも、懸命に平常心を保とうとしていることなど、思念波をいまだ上手くコントロールできないジョミー相手なら、探らずとも分かってしまった。それが楽しくて、ブルーはいまだ恥ずかしさで自分を直視できないジョミーの額へと口づけた。
「ブ、ブルー……っ!」
 想像以上の見事な動揺振りに満足しつつ、ブルーはジョミーに甘く微笑みかける。
「ねえジョミー、お願いがあるんだ」
「お、お願いですか?」
「うん」
 楽しそうに頷くブルーに、ジョミーは居心地悪げに身動ぐ。これがベッドの上でなければ後ずさっていたジョミーに、ブルーは相変わらず甘く、今にも蕩けそうな微笑みを浮かべる。
「ぼくができることでしたら……」
 その言葉を待っていたブルーは、それまでの笑みすらもかすんでしまうほど艶やかな笑みを浮かべる。
「大丈夫。ジョミーにしかできないことだから」
 ブルーのその言葉に、ジョミーはひくりと頬を引きつらせた。





 シャングリラの船橋で仕事をこなしていたリオは、近づいてくる悲惨な気配に顔を上げる。それが青の間にいるはずのジョミーのものだと気がついたリオは、同じように気がついたハーレイと顔を見合わせる。一体何があったのだとお互いに首を傾げたとき、船橋へとジョミーが文字通り飛び込んできた。
「リオ、リオ、リオォー!」
 涙で顔をぐちゃぐちゃにしながら、迷子の子どもがようやく母親を見つけたときのように、ジョミーはリオへと飛びつくように抱きついた。つんのめりながらも、なんとかジョミーを抱き留めたリオは、その躰を優しく抱きしめる。
『ジョミー……?』
「リオ、リオー……っ」
 腕の中で泣き出したジョミーは常にない混乱状態で、リオは落ち着かせようと、優しくその背中を撫でる。
『ジョミー、一体何があったんですか?』
 何があったのか分からない状況ではこれ以上慰めようがないとリオが訊ねれば、ひくりと喉を鳴らしながら、ブルーがとジョミーは呟いた。
『ソルジャー・ブルーがどうかしたんですか?』
「ブルーが、ブルーが……っ」
 一度は泣きやんだが、再び泣き出してしまったジョミーに、リオとハーレイは再び顔を見合わせる。ブルーに何かあったにしては、ジョミーからは緊迫感がない。額に手を当てたハーレイは思わずうなり声を上げた。
 ジョミーの様子とハーレイの態度から、ブルーに何かあったわけではなく、ブルーがジョミーに何かしたか、何かを言ったかしてまた泣かしたのかと、船橋にいた全員が同じ結論にすぐさま達した。最初は何事かと仕事を放り投げていた者たちは、そう言うことなら関わり合いたくないと背を向けて仕事に戻っていった。ハーレイもまた彼らと同じように背を向けたかったが、そう言うわけにもいかず、そっと胃の辺りを片手で押さえた。
『ジョミー、ソルジャー・ブルーはあなたになにをしたんです?』
 穏やかに、優しく問いかけるリオのその言葉に、船橋にいたジョミー以外の全員が背筋を凍らせる。今振り返れば殺されると誰もが恐怖を抱く中、唯一ジョミーだけがそれに気づくことなく口を開いた。
「ブルーが、今度からお休みとおはようのキスをしようって……」
 ぼく、どうしたらいいのと、ジョミーはリオへと泣きつく。どこからともなくゴツッと何かがぶつかった音が聞こえてきたが、あえてリオは無視する。
「リオ、やっぱりキスしないと駄目かな?」
 ねえと眸を濡らしながら首を傾げるジョミーに、リオは金色の髪を梳きながら優しく微笑む。
『ジョミーはどうしたんですか?』
「……そんな、恥ずかしいっ」
 目元を赤く染め、ジョミーがうつむくと、室内の温度が一気に下がった。ハーレイは思わず後ずさり、不運にも船橋に居合わせた者たちは皆躰を震わせる。それが寒さのためか、恐怖のためか、もしくは両方なのかは分からない。ただ分かるのは、誰もが今すぐから船橋から逃げ出したいと願っていることだけだ。
『嫌なら私からソルジャー・ブルーに断りを入れますよ』
 どうしますかと訊ねれば、慌てて顔を上げたジョミーは必死に首を横に振った。
「だ、駄目!」
『ジョミー?』
「と、とにかく駄目! そんなこと言ったら、ぼく……」
 ブルーに嫌われるとまたも泣き出したジョミーに、船橋は恐慌状態に陥る。それにやはりと言おうか、唯一気がついていないジョミーを、リオは優しく慰める。
『大丈夫ですよ、ジョミー。ソルジャー・ブルーがそんなことでジョミーを嫌うはずがありません。嫌うようなことがあれば、例えソルジャーと言えど、私が赦しませんから大丈夫ですよ』
 な、何が大丈夫なの!?と、船橋にいる者たちの大半が側にいる相手と涙ぐみながら抱き合う。いつもならリオの制止役として立ち回りをしているハーレイは、胃の辺りを片手で押さえながらふたりへと背を向けていた。船橋にいる誰もが使いものにならない状況で人間側から攻撃されるようなことがあれば、シャングリラは抵抗ひとつできずに、撃ち落とされていたかもしれない。だが運良く人間たちに発見されることもなく、シャングリラは今日もまた穏やかに運行していた。
「本当……?」
『ええ、ですからジョミー、あなたはどうしたいのか私に教えてくれますか?』
「お休みととおはようのキスは、別に嫌じゃないんだ」
 ただとうつむくジョミーに、声にならない悲鳴が船橋の四方から響く。
『ただ、どうしました?』
「今日みたいなキスは……」
 無理と、ジョミーがぽつりと呟いた瞬間、気を失った者が数名。このとき気を失うことができたらどれほど幸せだっただろうと、後に誰もが語り合った。
『ジョミー、ソルジャー・ブルーとキスしたんですか?』
 にっこりと微笑んだリオに、このときようやくジョミーは船橋の異常に気がついた。





 船橋が異常を起こした翌日。青の間にあるベッドで横たわっていたブルーは、冷や汗をかいていた。
『ソルジャー、昨日は私のジョミーが大変お世話になりました』
 穏やかに微笑むリオに、ブルーは今すぐ逃げ出したかった。色々とリオの言葉に突っ込みたいことがあったが、それ以上にリオが恐くて、ブルーは大人しく口を閉ざす。
 リオの隣に立つハーレイへと視線を向けるが、胃の辺りを押さえながら顔を背けていて、役に立ちそうにない。誰かに助けを呼ぼうにも、昨日の船橋での惨状を誰もが知っているだけに、誰も助けにはきてくれないだろうとブルーは即座に判断を下す。
 本当はハーレイも付いて来たくはなかったのだろうが、誰かひとりぐらいストッパーとなる人物がいなければ、リオが暴走したとき大変なことになる。あえてストッパーが誰がとは言わず。かわいそうなぐらい青白いハーレイに内心感謝しつつ、勇気を振り絞ったブルーはようやく口を開く。
「それでリオ、今日はどうしたのかな?」
『ええ、ジョミーのことで』
「あの子がどうかしたのかい?」
 リオが言わんとしていることを分かっていながら、ブルーはあえてしらを切る。恐怖の来襲を少しでも遅らせたいというのもあったが、昨日のジョミーは恥ずかしがってはいたが、決して嫌がってはいなかった。リオに怒られる理由はないと、ブルーは少しだけ強気に出た。
『ジョミーとキスをしたそうですね。しかも舌も絡めたとか』
「うん、したね」
 全てジョミーからリオへと包み隠さず告げられていると知っているブルーは、ためらいもなく頷く。否定する必要もなく、もしも否定したとしたら、リオがどんな手を使って証拠を持ち出すか分からないからこその自衛策でもあった。
『否定なさらないんですね』
「僕とジョミーが互いに想い合っていることは周知の事実だろう。キスのひとつやふたつ、したっておかしくないと思わないかい、リオ」
『ジョミーの寝込みを襲った人の台詞とは思えませんが、そうですね』
 うっと、ブルーは言葉に詰まる。寝込みを襲うのは反則だと思わなくはないが、すぐ目の前に無防備な愛し子がいたのだ。これで手出ししない奴など男として枯れている。そうは思っていても、それをリオに告げる勇気などブルーにはなかった。
『ソルジャー』
 恐い、恐いと思いつつも、返事をしないわけにはいかない。役に立たないと分かっていても、ハーレイへと助けを求める視線を向けるが、やはり顔は背けられたままだった。テレポートで逃げ出してしまおうかとも考えなかったわけではなかったが、そんなことをしようものなら、リオだけではなく、ハーレイやジョミーからも怒られる羽目になるのは目に見えていた。
「なんだい、リオ?」
 腰が引けてはいるが、ソルジャーとしての威厳を保つべく、必死にブルーは虚勢を張る。それが無駄なことだと知りつつも。
『今回はジョミーに免じて赦して差し上げます。ですが、今度ジョミーに許可を取らずに何かしてご覧なさい。分かっていますね?』
 ひーと、内心でブルーは悲鳴を上げる。ハーレイに至っては、胃の痛みが増したのか、うっと躰をふたつに折り曲げた。
「僕はジョミーのことを愛しているが、まだ自分の命も惜しい」
『それは良かった。私もジョミーを泣かせるようなことはしたくはありませんでしたから』
 では、今後は気をつけて下さいねとそれだけを残して、リオはハーレイを残して青の間から立ち去った。
「……ソルジャー」
「分かっている。分かっているから、そんな恨めしそうな目で見ないでくれ、ハーレイ」
 僕だって恐かったと震えるブルーに、ハーレイは深々とため息をつく。
「今後リオを怒らせるようなことをなさらないで下さい。リオの怒りが爆発したせいで、昨日現場に居合わせた者たちのほとんどが、今日は全く使いものにならず困っているんですから」
「……そんなに?」
 驚きで目を瞠るブルーに、重々しげにハーレイは頷く。少し考えてから、ブルーは深いため息をついた。
「これじゃあ、ジョミーとセックスできる日は当分先だな」
「ソルジャー!」
 今日もまた、シャングリラは元気です。