暁の月 終章 『泡沫』
「キラ、もう良いだろう?その銃を、こちらに渡せ」
手を伸ばしたイザークは、キラに近寄ろうとして、止めた。
急に立ち止まったイザークが強張った表情をしていることに、真っ先に気づいたディアッカは、周囲を見渡し、凍り付く。
視線の先には、銃を構えたカガリがいた。
銃口を、キラへと向けて。
「これが、君が言う望みなの?」
ポツリと零れた呟きで、ようやくアスランもカガリの存在に気がついた。
「アスランを返せ」
禍々しいほどの殺意を、カガリはキラへと向ける。
それを、キラは平然と受け止める。
「君は、愛されてもいないのに、アスランの所有権を主張するの?」
「アスランは私のものだ。もう、お前のものじゃない」
「それは、こっちの台詞だよ、カガリ」
相変わらずアスランへと銃口を向けたまま、キラはカガリへと振り返る。
誰もが動けない中、キラとカガリの睨み合いが続く。
「絶対にお前にだけは、アスランは渡さない。死にたくなかったら、アスランをこちらに寄こせ」
「だから言っただろう。僕の台詞だと。君にアスランを渡すぐらいなら、僕が今ここで、アスランを殺す」
穏やかに微笑みながらそう告げるキラは、どこか儚げで。
それが、イザークに訳の分からない焦燥感を与える。
「そんなことはさせない」
「なら、僕を殺せば良い。そうすれば、君は二度とアスランを手に入れることができなくなるけどね」
単なる脅しではない。
もしキラを殺せば、カガリは永遠にアスランを手に入れられないところか、代表という地位も失いかねない。
キラがカガリの双子の弟とはいえ、キラは今、プラント市民であり、ザフトの軍人だ。
どんな理由があるにせよ、一国の代表か、他国の市民を殺して、無傷でいられるはずがない。
それこそ、外交問題に発展しかねない。
「キラっ!」
とんでもない発言をするキラを止めようと、銃口を向けられていることも忘れ、アスランは立ち上がろうとした。
次の瞬間、キラの銃から三発目がアスランに向けて放たれた。
それは、命を奪うためのものではない。
アスランの動きを封じるためのものだった。
それでも、周りに与えた衝撃は大きい。
「……っ!」
三発目の銃弾は、綺麗にアスランの右足の腿を貫通した。
起きあがろうとした時だっただけに、バランスを崩したアスランは、音をたてて床へと倒れた。
「アスラン!」
「キラ!」
カガリはアスランを、イザークとディアッカはキラの名を呼ぶ。
「…キ…ラ……」
どうしてと、問いかけるアスランに、キラは微笑む。
「邪魔をしないで、アスラン。それに、僕は君に守ってもらわなければならないほど、弱くはないよ」
責め立てるような言葉に、アスランはこの時ようやく、キラが負った心の傷の深さを知る。
その顔色は、出血のせいもあって青白い。
「キラ、貴様……っ!」
片手で構えていた銃を、両手で構え直したカガリに、キラは笑う。
自分に銃口が向けられているというのに、怯えるところか笑ってみせるキラに、カガリは引き金を引くのをためらう。
「――キラさん!」
震える手で引き金に指をかけていたカガリは、その声に驚き、指先に力を込めてしまった。
それは、望んだことではない。
本当に、こんなことを望んでいたわけじゃなかった。
ただ、欲しかっただけなのに。
それがこんな結果をもたらすなんて、思ってもみなかった。
アスランを殺すと言われた時だって、キラを殺すつもりなどなかったのに。
――一発の銃声がホールに響く。
それは一瞬の出来事だったが、とても長く感じられた。
「んっ……」
気づけば、仰向けに倒れていた。
床に打ち付けたのか、クラクラする頭に、額に手を当てようとしたキラは、掌が濡れていることに気づく。
恐る恐る見てみれば、掌は赤く染まっていた。
床に打ち付けた頭や背中に痛みはあるが、それ以外に痛みはない。
ふと感じた重みに、キラは凍り付く。
「ど…して……」
感じた重みは、アスランのものだった。
背中から溢れるように流れる血――。
それが、アスランが銃弾からキラを守ってくれたのだと教えてくれた。
誰もが凍り付き、動けない中、アスランだけが痛みを堪えるように体を起こす。
「……キ…ラ…」
「なんで……アスランっ」
「け…が……は?」
伸ばされた手を両手で握りしめたキラは、その冷たさに凍り付く。
「……ないよ。君が、守ってくれたから」
アスランの手の冷たさに脅えながらも、キラは賢明に震える声で答える。
「そう…か……」
怪我がないことを知ったアスランは、嬉しそうに微笑むと、体がグラリと傾いた。
まるで事切れたかのように倒れたアスランに、信じられないとキラは目を瞠る。
「…やだ……アスラン…っ」
どうして、自分を殺そうとした人間を、身をていしてまで守った。
どうして、ずっと側にいてくれなかった。
共に、歩みたかっただけなのに。
それができなかったから。
「こんな……っ!」
――最期を望んだわけじゃないのに……っ。
声にならない悲鳴を上げたキラは、持っていた銃の銃口を、自分の頭へ突きつける。
ためらうことなく引き金を引こうとしたキラに、力ずくでシンが銃を奪い取った。
「シン、それを返せ!」
もういない。
アスランがこの世界にいないのに、なぜこの世界でこれ以上生きなければならない。
残酷すぎる世界に生きてこられたのは、アスランがいたから。
そのアスランがいないのなら、この世界で生きている意味などなかった。
それなのに――。
銃を奪ったシンを、この時初めてキラは憎いとそう思った。
「嫌です!」
「なら、僕を殺せ!」
涙を流して、キラは懇願する。
前なら、その願いをシンは叶えていただろう。
それが例え、キラを殺すことだろうと。
けれど、今は――。
「嫌です!お願いですから、生きて下さい……っ」
生きてほしい。
それが、迷った末に出たシンの答えだ。
殺したくないのではなく、キラに生きてほしいと。
心の底から思えたから。
だからシンは、キラの銃を奪い取った。
「お願いだから、僕を………っ」
泣き崩れたキラに、シンはその体を抱きしめた。
「…僕を…殺して………っ」
世界はどこまでも残酷に、キラの大切なものを奪っていく。
それは何1つ例外なく。
太陽によって照らされる月は、どれほど恋こがれても太陽と交わることはできない。
許されるのは、ほんの一瞬垣間見ることことだけ。
触れることなど許されるはずがなく。
誰もその理を曲げることはできなかった。
fin.