初恋
「おとうさま、すきなひとができました」
今年3歳になったばかりの息子の言葉に、赤司は目を瞬かせる。
大学を卒業後、親が勧める相手と見合いし、結婚した赤司はすぐに一児の子を設けた。いわば政略結婚で妻となった女性は周囲からちやほやされていたのから一転、念願の跡継ぎである息子を産んでも自分に対して無関心な赤司に、赤司の部下と気づけば浮気していた。
それだけならば部下の首を切って終わりだったが、あろう事か息子を虐待し、その部下の子どもまでも妊娠していた。流石の赤司もそんな相手を妻でいさせるわけにもいかず、息子を引き取って離婚した。それが今から2年前の話だ。
ベビーシッターこそ雇ったとはいえ、慣れぬ子育てに赤司は戸惑うことばかりだった。何せ相手は言葉が通じない幼児。ちょっとしたことで泣き喚き、意味の分からない言葉ばかり話す幼児相手に、それでも赤司は頑張った。
今ではおとうさまと慕ってくるようになった息子は、元・妻に任せっきりにしていたときとは比べようもないぐらい可愛く感じていた。その息子からの告白。
「征一郎、それはどこの誰だ」
我が子のハートを射止めた不届き者はどこのどいつだとおくびには出さず、赤司は穏やかに尋ねる。
場合によっては相手の存在を抹消するつもりの赤司の心情など露知らず、息子――征一郎はにこにこと答えた。
「テツヤ先生です!」
「テツヤ先生……?」
はて、それは誰だと赤司は首を傾げる。
幼稚園には通わせているが、担任の先生はそんな名前ではなかったはずだ。いくつか通わせている習い事にも該当する名前はなかった。
「征一郎、そのテツヤ先生というのは誰だ?」
「ミユキ先生がサンキュウでこられなくなったかわりに、あたらしくきた先生です」
ミユキ先生というのは赤司も知っていた。
征一郎の副担任としてサブで入っていた先生が産休を取ったというのは初耳だった。が、ようやくテツヤ先生が誰なのか赤司は理解する。謎がようやく解けた今、赤司の心配事はひとつ。
「そのテツヤ先生というのは男性じゃないのか?」
誰がどう聞いても、男性名だ。まさか征一郎の好きな相手は同性なのかと、赤司は動揺する。
「はい、テツヤ先生はぼくとおなじおとこのひとです」
まさかの展開に赤司は息を呑む。
妻が出て行って以来、大切に、大切に育ててきた息子の初恋相手がまさか男性だとは。これは育て方を間違えてしまったのかと、赤司は表情には出すことはなかったが、内心では荒れに荒れていた。
「征一郎、明日はお父さんが幼稚園に連れて行こう。そのテツヤ先生を是非とも紹介してくれるかい?」
「はい!」
朝早く、夜遅い赤司は基本、征一郎のために雇っているベビーシッターに送迎を任せっきりにしていた。が、今回ばかりは征一郎の一大事だ。明日の仕事に遅刻することになったとしても、テツヤ先生という相手に会っておかなければならないと赤司はひとり決意する。
そんな父の心境など知らぬ征一郎は、珍しく赤司が幼稚園まで送ってくれると聞いて、にこにこと微笑むだけだった。
いつもの時間に自宅へと来たベビーシッターに征一郎の送迎は今日だけ断り、昨夜の約束通り赤司は息子である征一郎と共に幼稚園へと来た。
楽しげに幼稚園のことを話してくれる征一郎の言葉に耳を傾けていれば、あっという間に幼稚園に着いてしまった。仕方なく車から降り立った赤司は、これまで数度しか足を運ぶことのなかった幼稚園へと征一郎と共に足を踏み入れる。
「あっ、テツヤ先生!」
手を繋いで歩いていたかと思えば、前方にテツヤ先生を見つけた征一郎は赤司の手を振り払って駆け出してしまった。振り払われてしまった手に呆然としつつも、本日の目的であるテツヤ先生とは一体どのような人物なのか確かめなければと、征一郎が飛びついた相手を赤司は注意深く観察する。
「征一郎君、おはようございます」
「おはようございます、テツヤ先生!」
難なく征一郎を抱き留めたテツヤ先生は、成人しているとは思えないぐらい幼い印象を抱かせた。何よりにこやかに微笑むその笑顔に、赤司は目を惹かれた。
「征一郎君は今日も元気ですね」
くすくすと楽しげに笑う仕草ひとつにすら、なぜか目が離せない。ギュウッと胸が苦しくなり、なぜか心臓はドキドキといつもより心拍数が高くなる。この症状は一体何なのだろうか。
初めての体験に、赤司はもうわけが分からなくなっていた。
「はい! 今日はテツヤ先生におとうさまをしょうかいします」
「おとうさま? 今日はお父さんと来たんですか?」
「はい。あちらがぼくのおとうさまです」
息子の紹介に、赤司は慌てて傍に寄った。
「初めまして、赤司征十郎です。息子がいつもお世話になっております」
「僕は黒子テツヤです。征一郎君は格好良くてみんなの人気者なんですが、お父様に似たんですね」
「そんなことは……」
これまで息子は自分に似ていると幾度となく言われてきたが、何かを思うことはなかった。
格好良くて人気者と、なぜかその言葉に初めて心が躍った。これまで言われ続けてきた言葉だというのに、なぜなのか。
「おとうさま?」
いつもと様子の違う父親の態度に、征一郎は首を傾げる。
「もう会社に行かないと。征一郎、今日も命一杯遊んでおいで」
「はい!」
元気よく頷く征一郎に微笑みながら、赤司はテツヤ先生――黒子へと向き直る。
「それでは先生、征一郎をお願いします」
「はい。お仕事、頑張ってきてくださいね」
にこやかに微笑む黒子に、耳が赤くなるのが分かった。それではと言い残して足早に幼稚園から立ち去った赤司は車に残り込むと、ハンドルに両腕をクロスさせると、そこに顔を隠すように埋めた。
「何なんだ……」
心臓が痛いぐらいに脈を打つ上に、火照ったかのように顔が熱い。これは一体何なのか。
もしかしたら自分は病気なのかと不安に駆られながら、ひとまず息を整えることにした。
いわば初恋の上に一目惚れな赤司が自分の恋心に気づくまで、そう遠いことではなかった。