12年目の……
平日の穏やかな時間帯。ぽつりぽつりと席を埋めているだけの静かなファミレスで、一言の会話もなくふたりは座っていた。注文したコーヒーを届けたウエイトレスの姿が見えなくなってようやく、ずっと閉ざしていた口を黒子は開いた。
「別れましょう」
静かに告げられた突然すぎる別れの言葉に、緑間真太郎は凍り付く。
「……それは一体、どういう冗談なのだよ?」
「お互いそろそろいい年です。いい加減身の振り方を決めるべきではないですか?」
鋭い眼差しで睨み付けてくる緑間に、どこまでも黒子は淡々と答える。
互いにすでに二十七だ。誕生日を迎えれば、二十八になる。周囲はひとり、またひとりと結婚していく。結婚していない友人も、多くはそろそろと話題に上ることも多い。仲間内で集まって、色気の欠片もないのは近頃は緑間と黒子のふたりだけになった。
特に秘密にしているわけではないが、公言したこともないことから誰にも知られてはいないが、緑間と黒子のふたりは付き合っていた。付き合いはそれこそ高校二年生の春、互いにまだ十六の頃から始まった。
あれから十一年。当時は高校生だったふたりは、緑間は家業の医者に、黒子は長年の夢だった作家と、互いの道を歩んでいた。
互いに同性でありながら、惹かれ合わずにはいられなかった。十一年、付き合いとしては非常に長い間付き合っていたが、ふたりの関係は誰かに祝福してもらえるような、そんな綺麗なものではない。結婚すら認められない同性同士。何よりひとりっ子であり、将来は実家の病院を継がなければならない緑間には跡継ぎとなる子どもが必要だ。同性というハンデだけではなく、黒子には一生掛かっても産むことができない緑間の子ども。
中流家庭の両親の間に産まれ、継ぐものもなく、何より作家という世間をあまり気にしなくても良い職業に就いた黒子とは、何もかもが違った。
部屋でふたりっきりのとき、時折携帯電話にかかってくる電話から漏れ聞こえた会話から推測するに、何度となく良縁の見合いを薦められているようだった。その全てを、緑間が断り続けていることは、その性格から推して知ることができる。
「本気で言っているのか、黒子」
「僕はいつだって本気です。お互い異性を好きになれないわけではないんですから、そろそろお互い軌道修正しましょう」
これまでの付き合いが間違いだったのだと。あるべき道を歩むべきだと告げれば、緑間の表情は途端に険しくなる。
「俺たちの付き合いが間違いだったと、そういうのか?」
激昂こそしなかったが、長年の付き合いがある黒子には、緑間が静かに怒り狂っていることが手に取るように分かった。怒りで赤く染まった緑間の目を、黒子は静かに見つめる。
「間違っていたとは思いません。けれど僕らの関係は何も生み出さない。もう、終わりにしましょう」
子どもが産まれるどころか、人目をはばからずに手を繋ぐこともできない、そんな関係。関係を打ち明けたところで、多くは祝福されず罵倒されるか、縁を切られるか、ひどく危ういものだ。
「何も生み出さないと、お前はそう思っていたのか?」
「現に僕では、君の子どもは産めません」
「世の中には子どものいない夫婦などごまんといるのだよ。お前はそんな彼らも否定するのか?」
「彼らは健全な関係です。僕らとは違います」
「俺たちは不健全だと?」
「では君は、誰に臆することもなく、僕らの関係を打ち明けることはできますか?」
ぐっと緑間は言葉を詰まらせる。
普段は家に籠もっている黒子とは違い、緑間はある種接客業だ。噂話ひとつで、その身が左右されてしまうことも多い。
人は、周囲と違うことを酷く嫌う。大多数が正義であり、少数派は常に悪になり得る。
昨日までは親しかった友人や同僚が、同性愛者と知った瞬間に離れていくことは珍しくはない。人とは異なる恋愛観というだけで、罵倒されることもある。マイノリティであることを告白すると言うことは、相当な覚悟が必要となる。
「君には無理です、緑間君」
「黒子、俺は――」
「君の愛を疑ったことは一度もありません、緑間君。この十一年間、君は真摯に僕を愛していてくれていた」
不器用だけれど、けれど懸命に愛してくれていた。疑う余地などないぐらいに、愛されていたと思う。
「僕もまだ、君を愛しています。けど、それだけで君と付き合い続けていられるほど、僕ももう若くはありません」
付き合っていく上で障害はあったけれど、若さゆえにそれらは全て乗り越えられると思っていた。年を取った今は、それがどれほど困難なことか理解できるようになった。若さというものは、末恐ろしい。
「……本気、なのか?」
「冗談でこんなことは言えません」
ファミレスでするような話ではない。あえてふたりっきにの室内ではなく、人の目があるファミレスを選んだのは、緑間の自制を働かせるためだ。
「黒子、俺は……っ」
あまりにも突然のことに怒り狂うわけでもなく、怒鳴りつけるわけでもなく、懸命に自制を働かせる緑間に、黒子の目論見は成功したと言えよう。
「緑間君、今日までありがとうございました」
座ったまま深々と頭を下げた黒子に、緑間は酷く傷ついた表情を浮かべる。今すぐに別れの言葉を撤回したくなったが、それを黒子はぐっと堪えた。
そのままスクッと立ち上がった黒子は、伝票をつかんでレジへと真っ直ぐに向かう。周囲の目を気にして緑間が追いかけてこれないことを利用したことに罪悪感を抱きつつ、いまは顔を見られたくなかった。
「お客様、その、大丈夫ですか……?」
支払いのためにレジに立つ黒子を、店員が心配そうに伺う。俯いたまま何も答えることなく支払いを終えた黒子は、緑間が追ってこれないようファミレスから足早に立ち去った。
どうやって帰宅したのか、気づけばつい先日引っ越したばかりの新居にどうにかたどり着いていた。へたり込むように膝をついた黒子は、そのまま玄関先でうずくまる。
「……緑間君」
どうして、どうして、どうして。
こんなにも好きなのに、まだ愛しているのに、どうして。
「緑間君……っ」