一緒にお昼ご飯 英領子米と英 2011.10.10up
久しぶりにアメリカ本土へと訪れていたイギリスは忙しく動き回っていた。滞在できる期限は決まっていて、一日も延ばせない。滞在できる間に予定していたことを全て終わらせなければならず、まともに休む暇さえイギリスにはなかった。
部下たちに息つく暇もなく指示を繰り出していたイギリスは、ふと熱い視線が背中に向けられていることに気づいた。振り返ればドアの隙間から顔をのぞかせるアメリカの姿に、イギリスは思わず苦笑する。
「おいで、アメリカ」
それまでの険しい雰囲気から一変して柔らかな雰囲気を身にまとったイギリスは、膝を地面につけると両手を広げた。優しく名前を呼んでやれば、パッと明るい笑顔を浮かべたアメリカが腕の中に飛び込んでくる。
「イギリス!」
嬉しそうに抱きつくアメリカの頭を優しく撫でながら、イギリスは空いている片手で振って、部下たちへと退室を命じた。いまだに仕事は残っていたが、支配者としての威厳を兼ね備えているイギリスに逆らおうと思うような部下はひとりとしていなかった。命じられるがまま部屋から静かに退室していった部下たちに、部屋にはイギリスとアメリカのふたりだけとなった。
「どうしたんだ、アメリカ? ここにはくるなと言っただろう」
アメリカには仕事場には来ないよう言い聞かせていた。子供が来るような場所ではなかったし、何より仕事をしている最中の姿をアメリカに見られたくなかった。
国の化身として、国の将来に携わる仕事に否はない。今の仕事に不満もらなかった。ただ、立場上非道な振る舞いを行うこともあれば、残忍な決断を下すこともある。無条件に慕ってくれる希有な存在であるアメリカにそんな姿を見られたくはなかった。優しい、頼れる兄。アメリカにはそう思ってほしくて、イギリスは懸命に己を偽っていた。
「ごめんなさい、イギリス」
それまで喜びに満ちていたアメリカの表情が、一瞬で悲しみのそれへと変わった。思わず気にするなと声をかけたくなったが、隠している一面を知られたくなくて、イギリスはそれをぐっと堪えた。
「今後はもう二度とここには来ちゃ駄目だぞ」
良いなと優しく告げれば、アメリカはこくりと頷いた。どこか影の見えるその表情に、ぴくりと米神が動く。気のせいかもしれないが、口にすることができないような何かが、あったのかもしれない。単なる気のせいかとも思ったが、あれほど言い聞かせていた仕事場へと来たことも、ふと気になる。
「それで、今日はどうしたんだ?」
「……怒らないの?」
あれっと、アメリカは首を傾げる。イギリスは何度となく、アメリカへと仕事場へと来ないことを約束させた。それなのに仕事場へと来てしまったアメリカは、イギリスとの約束を破ったことになる。怒られても仕方のないことだと分かっていたアメリカは、怒る素振りのないイギリスに戸惑っていた。
「今回は怒らないよ。でも、次はないからな、アメリカ」
良いなと強く念押しすれば、こくこくとアメリカは頷いた。
「あのね、イギリス。一緒にお昼ご飯を食べようって誘いに来たの」
ダメだったと不安そうな眼差しで訊ねるアメリカに、イギリスは悩む。アメリカが訊ねに来る少し前に部下たちを一斉に叱責していたほどには、仕事が進んでいない。今日の昼食は簡単に済ませてしまおうと思っていた。すぐに仕事を理由に断っても良かったが、アメリカと一緒に昼食を取るという魅惑的な誘いに、イギリスは即答を避けた。
一緒に昼食を取るのは山々だったが、仕事が押しているのが気になる。散々迷った末に、イギリスはアメリカを優先させることにした。
「アメリカは先に下へ降りておいで。俺はひとつ片付けないといけない仕事があるから、それが終わったら一緒に昼食を取ろう」
半分諦めかけていたアメリカは、色よい返事に大喜びする。勢い余ってイギリスへと抱きついた。まだイギリスの半分も身長のないアメリカだったが、その強さはすでにイギリスを凌いでいた。アメリカという国がどれほど巨大なのか物語るその強さに、イギリスは末恐ろしささえ抱いていた。それほどまでに強いアメリカが勢いよく抱きついた場合受け止めてやることはできず、イギリスはアメリカと一緒に床へと倒れ込んだ。
「わっ、ごめんなさい、イギリス!」
慌てながら、アメリカはイギリスの上からどいた。すでに力の強さだけならば逆転されていることは知ってはいたが、抱き留めてやることもできないことにイギリスは落ち込む。アメリカを心配させたくなくてそれを表に出すことはなかったが、色々とへこむものがあった。
「大丈夫だから、気にするな、アメリカ」
良い子だと頭を撫でてから、イギリスは立ち上がった。服についた埃を払い落とすと、イギリスはもう一度アメリカの頭を撫でる。
「先に下に行っておいで」
「うん! 待ってるね、イギリス」
元気いっぱいに返事をしたアメリカは、駆けるように階下へと降り立った。耳を澄まさずとも聞こえてくる元気いっぱいな足音に苦笑をもらしたイギリスだったが、次の瞬間には顔を引き締めた。どこか冷酷なそうな雰囲気をまとったイギリスは、誰かと小さく呟いた。
「閣下」
音もなく現れた印象の薄い男を、イギリスは冷ややかに見下ろす。先ほどまでアメリカへと穏やかに笑いかけていたとは思えぬほどの変わりっぷりだった。
「アメリカの周りの人間について調べておけ。もし馬鹿げた行いをしていた奴がいたら、生きたまま俺の前に引きずり出せ」
生きたまま――。それがイギリスの怒りの深さを如実に表していた。興味のないことで処分しなければならない場合は、一言殺しておけで済む話だった。それをわざわざ手を煩わしてまでも生かしたまま目の前に引きずり出せと言うことは、イギリスの怒りはそう簡単に静まらない。
もしも愚かな行為をしている人間がいたとしたら、馬鹿なことをしたと後に後悔することになるだろう。今でこそ落ち着いたが、その昔イギリスは七つ海を支配した大英帝国としてその名を馳せた人物だ。海賊業に自ら身を染めたこともあった。人をいたぶる行為など、嫌と言うほどに知り尽くしている。
「良いな」
「ご命令のままに」
現れたと同様、音もなく男は姿を消した。冷ややかな雰囲気をまとっていたイギリスだったが、歩き出すと同時にそれらは霧散した。穏やかな笑みを浮かべながら、イギリスはアメリカと昼食を共にするべく、階下へと降り立った。
「おいしいね、イギリス!」
他国からは酷く嫌がられる食事をおいしそうに食べるアメリカの姿に、自然と笑みがこぼれる。こんな穏やかな気持ちになれるものなのだと、アメリカに出会ってからイギリスは初めて知った。
兄弟と名のつくものは、イギリスにとっては嫌な記憶でしかなかった。虐げられ、迫害され、わき上がるのは憎しみだけだった。心が荒む一方だったイギリスに、新しい感情を与えてくれたのは、他の誰でもないアメリカだった。何も知らず、無垢な心で慕ってくれるその存在は、それまでなかった庇護欲を誘う。
アメリカのためならば、イギリスは何でもしてみせる。いまなお広大な大地を持つアメリカをつけ狙う他国から守り通しているのも、自分のためだった。まだ幼いアメリカは戦う必要はない。いずれ成長したとき、否応なく戦いに巻き込まれることになるならば、せめて幼い頃ぐらいは何も知らないままでいさせてやりたかった。親心にも似た感情で、イギリスはアメリカを微笑ましく見守る。
「そうか、おいしいか。たくさん食べて大きくなれよ」
「うん! 大きくなったら、僕がイギリスを守ってあげるから、待っていてね」
思わぬ言葉に、イギリスは目を剥く。
「アメリカ?」
「今はまだ僕は小さいからイギリスを守ってあげられないけど、大きくなったら今度は僕がイギリスを守ってあげるからね! だからイギリスはもう少しだけ待っていて」
まさか弟であるアメリカから守ってあげると言われると思っていなかったイギリスは、酷く驚いた。これまで弟たちからも敵意は向けられたことはあれど、守ってあげると言われたことはなかった。
「……俺のことを、守ってくれるのか?」
「そうだよ」
「そうか……。俺はいつまでも待っているから、急がなくても良いからな」
こみ上げてくる嬉しさに、涙がこぼれ落ちそうになる。それをぐっと堪えながら、イギリスはアメリカの頭を何度も撫でた。
「さて、申し開きはあるか?」
ひとりソファーに腰掛けながら、頬杖をついたイギリスは、足下でぼろぼろとなっている男を冷ややかに見下ろした。調べ上げた結果、目の前の男がアメリカに対して不埒な行動を働こうとしていたことが判明した。アメリカの教育かがりのひとりだというのに、卑劣な行いをしようとしていた男に対して、イギリスの怒りは凄まじかった。
「い、命だけは!」
「言いたいのはそれだけか。残念だ」
床にうずくまっている男の周囲にいる部下たちに、イギリスは冷ややかに一言連れて行けと命じる。
「生きていることを後悔させるまでは、決して死なせるなよ」
残忍な笑みを浮かべながら、そう命じたイギリスに、誰もがごくりと息を呑み込んだ。イギリスの怒りを買いたくなければ、決してアメリカには手を出すな。イギリスの部下たちの間に、その噂は瞬く間に広まった。男の末路と共に――。