神聖ブリタニア帝国の王宮は、太陽宮とも呼ばれる中心に建設された巨大な王宮から円を描くように、いくつもの離宮が建設されていた。太陽宮に最も近いとされている十二の離宮のひとつであるアリエスの離宮は、傾国の美女とも謳われる漆黒の髪が美しい皇妃と、皇妃が産んだ愛らしいふたりの兄妹の箱庭だった。命を狙う外敵から身を守るためのアリエスの離宮の守人は、他の誰でもない皇妃自身。彼女の手によってアリエスの離宮は常に外敵から守られ、そして穏やかな雰囲気が創られていた。
 美しくも愛らしく、けれど他の離宮とは違い、常に穏やかな空気が流れるアリエスの離宮は、一部の皇子皇女たちにとって数少ない憩いの場だった。生まれ育った離宮には決してない穏やかさに惹かれるのか、皇族の来客は他の離宮の比ではない。そんなアリエスの離宮の庭で、箱庭の住人であるまだ幼い少年は、必死になにかと格闘していた。
「――ルルーシュ殿下?」
 アリエスの離宮へと訪れていたロイドは、姿の見えない箱庭の住人を探すべく、中庭へと足を踏み入れた。そこで見つけた目的の人物に、気づかれないように背後からこっそりと忍び寄ったロイドは、ひょこりと箱庭の住人――ルルーシュの手元を覗き込んだ。
「うわぁっ! ――って、ロイドさん?」
 驚きながら振り返ったルルーシュは、背後に立つロイドにこてりと首を傾げる。
「はい、ロイドです。ところで、ルルーシュ殿下は何をお作りになっているんですかぁ?」
 背後から近づいたため手元は見えなかったが、なにかを作っている様子だったルルーシュへと、ロイドは小首を傾げながら笑顔で問いかける。小さな背中で手元に隠せるほどの大きさで、周囲に散らばっている無数の花びら。それだけでなにを作っているのか分かってしまったロイドだが、ルルーシュが懸命に隠したがっているものを簡単に暴いてしまうのは野暮というものだ。あえて教えてくださいとお願いすれば、じわりとルルーシュの大きな瞳から涙が滲む。慌てたのはロイドだ。
「ル、ルルーシュ殿下ぁ!?」
 泣かせるようなことを言った覚えはない。それ以前に、ルルーシュが泣くようなことをことを言うはずがないのだが、無意識のうちになにか言ってしまっただろうかとロイドは不安になる。慌てながらロイドはルルーシュが泣いてしまった理由を懸命に考えるが、一向に答えは見つからない。
「ど、どうしました? もしかしてお腹が痛いとか!? それは大変――」
「――私の可愛い弟を、よくも泣かせたな」
 ひとり慌てているロイドの背中を、いつの間にか背後から忍び寄ったシュナイゼルは、その長い足で蹴飛ばした。蹴り技を得意としているシュナイゼルの蹴りは、普段から鍛えているロイドに対しても有効だった。なんとか倒れずに済んだロイドだったが、あまりの痛みに思わず呻く。
 蹴り技を得意としているシュナイゼルは、決して手は使わない。以前どうして手を使うことなく足を使うのだとロイドはシュナイゼルに問いかけたことがあった。その時返ってきた答えは単純明快、至極簡単なもので、なおかつ腹立たしいものだった。

 ――手で人を殴ったら、手の形が歪むだろう。

 優雅に足を組みながら、シュナイゼルはそうのたまったものだ。ぐっと握り拳を作りながら、相手はシュナイゼルと何度も呟きながら、ロイドはなんとか殴り飛ばすのを堪えた。相手がシュナイゼルでなければ即座に殴り飛ばしていたものをと当時は思ったが、今にして思えば、当時どうして殴っておかなかったのだと、ロイドは昔の自分を呪う。
「げ、出た」
「出たとは何だ、出たとは。不敬罪で宮殿への出入りを禁止してやろうか?」
「その前に首が飛びますよぉ」
 言葉のあやではなく、本当の首が。それを分かっていて、シュナイゼルはロイドの言葉を鼻で笑い飛ばす。
「私は優しいからな。ルルーシュを泣かせた理由ぐらい、一応聞いてやろう」
 本当の首が飛ぶことを前提に、末恐ろしいことをシュナイゼルは告げる。まさか本当に首が飛ぶとは思ってもいなかったが、ここはひとつ首が飛ぶことを覚悟して、一発本気で殴り飛ばしてやろうかと、不穏なことをロイドが考えていれば、幼い声が下から聞こえてきた。
「あ、あの……っ」
「どうしたんだい、ルルーシュ」
 穏やかに目を細めながら、シュナイゼルはルルーシュへと優しく問いかける。
「違うんです、兄上! ロイドさんは関係ないんです!」
 ふたりの不穏な雰囲気を感じ取ったルルーシュは必死に力説する。そんな懸命な姿のルルーシュに、シュナイゼルは今にも蕩けそうな微笑みを浮かべた。
「ルルーシュはやさしいな」
 その言葉に、ロイドもまた同意する。激しく同意するが、なぜかシュナイゼルだけには言ってほしくはなかった。
「あ、兄上!」
 またしても漂い始める不穏な雰囲気に、ルルーシュは慌てて声を張り上げる。ついっとふたりの視線がルルーシュへと向けられた。びくびくと怯えながらも、ルルーシュは背後に隠していたものを、ためらいながらシュナイゼルへと差し出した。
「あの、これを……」
 うつむきながらルルーシュが差し出したそれを、シュナイゼルは不思議そうに見下ろす。隣ではロイドが、ようやくルルーシュが突然泣きだした理由を悟った。なるほどと頷きつつ、ちらりといまだになにも気づいていない悪友に、ロイドは内心ため息をつく。
「これは……?」
「兄上に差し上げようと思って、作ったんですけど……っ」
 とまっていた涙が、再びルルーシュの瞳に滲み出す。それに慌てたのは、今度はシュナイゼルだった。
「ル、ルルーシュ……っ!?」
 王宮で貴族や他の皇族たちを相手している時のような尊大な姿の欠片すら見えないシュナイゼルの慌てように憐憫に思ったロイドは、仕方なく救いの手を差し伸べた。
「そう言えば先日、ユーフェミア皇女殿下とご一緒に、マリアンヌ皇妃さまに花の王冠の作り方を教わってましたねぇ」
 シュナイゼルの母親は、よく言えば教育熱心。悪く言えば、どこにでもいる特権階級の意識が強い貴族のひとりだ。皇族として、そして皇帝となるために必要なものは惜しげもなく与えるが、それ以外に関しては全くと言うほど興味が薄い。むしろ邪魔だと、シュナイゼルの周囲からことごとく排除していた節がある。
 幼い頃から友人として一緒に過ごしてきたロイドは、シュナイゼルの育ってきた環境をよく知っていた。知識としては知ってはいても、実物を作ったことはもちろん、見たこともないだろうシュナイゼルの内心が手に取るように分かったロイドは、仕方なく手を差し伸べた。これはシュナイゼルのためではなく、ルルーシュのためだと我慢して。
「……私のために、花の王冠を作ってくれたのかい?」
「でも、上手く作れなくて……っ」
 所々歪な花の王冠は、それでもきっちりと形にはなっていた。流石のルルーシュも、みすぼらしい花の王冠をシュナイゼルに渡せないと泣いていた。真相が分かればこれ以上ないぐらい簡単な問題だった。
「そんなことはないよ。とても嬉しい。ありがとう、ルルーシュ」
 慌てるルルーシュから多少強引に、シュナイゼルは花の王冠を受け取った。本当にもらってくれるのかと不安に揺れているルルーシュを、シュナイゼルはそっと抱きしめた。











花の王冠をあなたに











「ところで、どうしてお前が、ルルーシュとユフィがマリアンヌ様に花の王冠の作り方を教わったことを知っていたんだ?」
「情報収集は、基本中の基本ですよぉ」
「…………」
「そうそう。花の王冠の作り方を教えている最中、王冠は皇帝以外には付けてはいけないとマリアンヌ様はふたりに教えていたそうですぉ」
「……なにが言いたい?」
「どうしてルルーシュ殿下は、殿下に花の王冠を差し上げたんでしょうねぇ?」
「ロイド」
「はぁい?」
「誰にも言うなよ」
「言いませんよぉ。馬鹿じゃあるまし」
「今日ほどお前に感謝した日はないが、今日ほどお前を殴り飛ばしたいと思った日はないな」
「あはっ〜。奇遇ですね! 僕もそう思ってました!」


 ――それは、ある日の物語。