青い空の下で 初出2012.09.28up
ふらりと、目の前の景色が揺れた。
ああ、倒れるのかと思ったのも束の間、大きな胸が床へと倒れる前に抱き留めた。人ひとりを抱き留めても揺らがない相手に、霞む思考で誰だと考える。パッと浮かんだ相手の名前は、抱き留めた相手が付けている香水の匂いですぐに消えた。そもそもこの場にいるはずのない相手の名前がどうして浮かんだりするのか――。
「……ジェレミアか」
ぐらぐらと揺れる視界に、ルルーシュは抱き留められた姿勢のまま尋ねる。
「陛下」
「心配するな。単なる貧血だ。しばらくこのままで」
世界統一を果たしてからと言うもの、ルルーシュの忙しさは拍車がかかった。それこそ睡眠時間を削ってまで仕事をしていたが、貧血で倒れるような失態を犯すなど、己の軟弱さが今はひどく恨めしかった。これがスザクならば、こんな時に倒れることはなかっただろうと、今はもうこの場にいない相手を思い出したルルーシュは後悔する。
「近頃ご無理ばかりしておられるからです。少し休まれては」
「今はそんな時間などない、ジェレミア」
「陛下、お願いですから、どうがご自分のお身体をご自愛下さい」
ジェレミアのその言葉に、くっとルルーシュは喉で笑う。
「俺はどうせ、あと少しで死ぬ身だ。躰を大切にしてどうする?」
そう、計画遂行まであとわずか。それで、全てが終わる。全てが始まる。
世界はルルーシュ・ヴィ・ブリタニアを憎み、共に手を取り合って和平の道を探りながら歩き始める。それこそが望んだ世界。それこそが、どうしてもほしかったもの。
例えその道を自分が歩むことができなくても、ナナリーたちが道を作り上げながら歩んでくれる。それだけで良い。それ以外、何もいらない。いらなかった。
「それでも陛下っ」
必死に懇願するジェレミアから、ルルーシュはそっと離れる。
「ジェレミア」
顔を上げたルルーシュは、ひたりとジェレミアを見据える。有無を言わせないその視線にぐっと言葉を呑み込んだジェレミアは膝を折る。
「出過ぎた真似をいたしました」
愚かな自分に付いてきてくれた数少ないひとり。一度は罠に嵌め、陥れたというのに、それでも変わらない忠誠を誓ってくれるジェレミアに、何も返せないことが数少ない心残りだった。願うのは、自分が亡くなった後に幸せになってほしいということ。ただ、それだけだ。
「ジェレミア、ありがとう」
広い寝室に置かれたベッドに横たわりながら、ルルーシュは眠ることなくそっと目蓋を伏せていた。考えるのはあとわずかに迫った計画。寝なければと思うのに、妙に冴えた頭では眠ることはできなかった。ごろりと姿勢を変えたとき、小さな物音が聞こえてきた。上半身を起こして警戒していれば、音もなくスザクが姿を現す。
「なんだ、スザクか」
一気に警戒を解いたルルーシュは、起こした上半身をベッドへと沈ませる。
「あまりここには来るなと言ったはずだが?」
「ジェレミアが心配していたよ」
淡々と告げるスザクに、珍しく姿を現した理由を知る。
死んだことになっているスザクが実は生きていることを知っている人間は少ない。数少ない協力者だった咲世子やロイド、セシル、ニーナたちは今後のため、裏切り者として捕らえている。日に3度食事を運ぶのは専らジェレミアの役目となっており、その時にでも今日あったことを聞いて、わざわざ深夜人気の少ない時間帯に訪ねに来たのだろう。暇な奴だなと思ったが、何もすることがないのだから仕方がないのかもしれない。
「あれは普段からだ。心配させておけ」
「ルルーシュ」
「……俺はこれから死に逝く身だ。心配する必要などない」
そう、あと数週間の命。躰を酷使しようとしまいと、死の期限は変わらない。
「それでも、君のことが何よりも大切なジェレミアのことを思うのなら、もう少しだけ自分自身のことを大切にしてほしい」
「ジェレミアだけか?」
軽く目を瞠るスザクに、ルルーシュは意地悪く笑う。
「お前は俺のことを心配してはくれないのか?」
誘うように妖艶に笑えば、スザクはぐっと拳を握りしめる。懸命に理性を総動員させているのか、動かないスザクにルルーシュはベッドから立ち上がった。そのままスザクの首へと両腕を回すと、垂れかかる。
「ルルーシュっ」
ようやく動揺して見せたスザクに、ルルーシュはくつくつと喉を震わせた。からかわれたのだと思ったスザクは、顔を赤くする。
「ルルーシュ!」
パッとスザクはルルーシュの躰を引き離そうとするが、するりと胸に顔をすり寄せたルルーシュにスザクは固まる。
「眠れないんだ」
沈んだ声に、スザクはルルーシュを引き離すのをやめて、その躰を抱きしめる。それに気をよくしたルルーシュは、スザクの耳元へと唇を近づけた。
「眠らせろ」
言葉もなく、スザクはルルーシュをベッドへと押し倒した。
「スザク……」
生きて、生きて、生きろ。
死にたがり屋のお前にとっては何よりも酷なことだと分かっているけれど、それが世界を歪ませた者の責任としての罰だと。世界のためにその身を捧げて、人並みの幸せを全て捧げて、それでも生きろと。それでも、生きていてほしかった。
日本へと人質へと送られ、スザクと出会ったことを後悔したことはない。ナナリーと、スザクと、3人で笑い合った日々はとても幸せで。きっと人生で一番あの頃が幸せだった。掛け替えのない大切の思い出。もしも願いが叶うのなら、あの頃に戻りたい。
愛しているともう告げられない言葉に変わって、スザクの頬を一撫でしたルルーシュはそのまま身を任せた。
できることならば、お前と青い空の下を一緒に歩みたかった。
それは、もう永遠に叶えることができない願い。
End.